「Trick or treat. 」
長い会議を終わらせて真っ暗になった道を歩いて帰宅した手塚が、何の気なしに部屋のドアを開けると、目の前には黒い猫耳を頭に着けたリョーマの姿があった。
今日は会う約束はしていなかったと頭の片隅で思いながらも、その姿から目を離せない。
いや、猫耳だけでなく、服装も学生服や私服と違い、巷で言うところのメイド服姿だ。
メイド服とは、メイドの仕事着、またはそれらを模して作られた女性用の衣装を指す俗称。
かつて19世紀末の英国に実在した家事使用人やハウスキーパー達が着用した特定の傾向の範囲内のエプロンドレスの事である。
リョーマが着ているのは基本中の基本である、黒のワンピースにフリルの付いた白いエプロンを組み合わせたエプロンドレスに、同じく白いフリルの付いたカチューチャ。
スカート丈はマイクロミニで、膝上の白いソックスを穿いている。
スカートとソックスの間に見える生足部分を『絶対領域』と言うのだと、菊丸が話していたのを思い出した。
その時は「何だそれは」と呆れていたが、実際に目にすると何となく理由がわかる。
このギリギリのラインが男心をくすぐるのだと。
「入らないの?」
恋人の可愛いコスプレ衣装についつい鼻の下が伸びそうだったが、話し掛けられて何とか心を落ち着かせてから手塚は部屋の中に入った。
「…ハロウィンはとっくに終わっているぞ」
リョーマが発したセリフは、10月31日のハロウィンではお決まりの文句。
この文句の簡単な意味は『お菓子をくれなきゃイタズラするぞ』なので、ハロウィンには飴やクッキーを準備して、仮装して現れた子供達にお菓子を渡す風習がある。
しかし、今はもう11月の半ばであり、このお決まりの文句を口に出来るハロウィンは既に終了している。
「そうなんだよね。俺とした事がすっかり忘れてたから、今からやろうと思って菊丸先輩からメイド服と猫耳を借りちゃいました」
「菊丸から?」
「そ、菊丸先輩のお姉さんが学園祭で使おうと思って買ったんだって。でも、その日は体調が悪くなって参加できなかったんだって。このまま使わないのも勿体無いからって菊丸先輩が誰か着てみないって言うもんだから借りてみました」
エヘ、と可愛らしく舌を出す姿も、手塚の心をくすぐる行動だが、今からどうするのが一番良い方法なのかを考えてみる。
その壱、仕方がないからリョーマに付き合う。
その弐、今すぐに止めさせる。
その参は…無かった。
付き合うか、止めさせるしか方法は無い。
「…これでいいのだろう」
暫し悩んだ手塚は方法『その壱』を選び、学生服のポケットに手を突っ込むと、何かを握ってリョーマに差し出した。
「何?」
条件反射的に出してきたリョーマの掌に、手塚は小さな丸い包み紙を置いた。
「これで良いのだろう?」
「何でこんなの持ってるの?」
指で摘み上げた包み紙をリョーマは不思議そうに眺める。
生真面目で有名な手塚がこんな菓子を持っているなんて有り得ない。
出所がどこなのかと、目線が訴える。
「先生から頂いたものだ。ミルク味のキャンデーらしいぞ」
「貰ったの?」
「会議中に労いに来てくれた先生が全員に渡してくれたんだ」
「へー、そうなんだ」
「さて、リョーマ。今度は俺の番だな。Trick or treat. 」
「……何も持ってないデス」
逆に手塚から言われてしまったリョーマだったが、当の本人は手塚が菓子類を持っているはずは無いと決め込んでいたので、何も持って来なかった。
「では、イタズラされても良いという事だな」
「国光が言うと、何かヤラシイ方向に行きそうなんだけど…」
「お前がそんな格好をしているのが悪い」
細い身体に黒いメイド服はとても似合っていた。
ショートカットの黒髪に白いカチューシャもとても似合っていた。
黒い猫耳もリョーマにかなりに似合っていた。
猫耳はこの際無いものとして、こんなに可愛いメイドさんに奉仕される主人がいるとするのなら羨ましい限りだ。
女装には興味なかったが、チラチラ見える細い脚に、身体の奥からチリチリと欲情の炎がくすぶり始める。
「…ま、俺も期待していたからいいんだけど」
「期待していた?」
「最近の国光って忙くて全然構ってくれないんだもん」
生徒会の引継ぎや何かで忙しい手塚。
普段は部活があるから会えなくても平気だったが、流石に休日返上で学校に行かれてしまうと、逢瀬の時間が全く取れなくなってしまう。
こうして恋愛感情の好きで付き合っているのに、部活の先輩と後輩の関係の時よりも会えないのは辛い。
普段はクールな振る舞いをしていても、会えない時間が長くなるとどうしても不安になってしまう。
だから、金曜日の今日は泊まる勢いでやって来て、母親に説明してから部屋の中で衣装チェンジをしていた。
「…済まなかった。引継ぎは来週には終わる。だが、それでこの衣装か」
リョーマから本音を聞いた手塚は素直に謝ったが、だからといってこの衣装はどうなんだ。
手塚からすれば普通に待っていればいいものなのだが。
「たまには刺激があってイイでしょ」
「刺激が有り過ぎるな」
「そうかな?」
クルリと回るとフワリと揺れたスカートの中身が手塚の視界に入る。
目を疑う物を見てしまい、思わず顔を手で押さえてしまった。
「リ、リョーマ、その下着は…」
「下着だけ男物なんて色気が無いでしょ。どうせ国光にしか見せないから穿いてもいいかなって」
恥ずかしげも無くスカートの裾を持ち上げて、下着の一部を見せる。
リョーマが穿いているのは黒のレースで出来ている完全な女物の下着。
横は紐で結ぶタイプのようで、かなり卑猥なタイプだった。
まだまだ幼さを残しているリョーマだから納まっているが、これが成人男性だったら絶対に色々とはみ出る。
「女の人ってこんな小さいの穿いてるんだね。お腹冷えそう」
「まさか、それも菊丸から借りたのか」
「これは貰ったんだよ。不二先輩からね」
「不二から…」
飄々とした表情で手渡す姿が想像できる。
不二にも姉がいるからこういう物を手に入れるのは楽だろうが、何と言って買わせたのかが気になるところだった。
「深く考えない方がいいっすよ」
「それもそうだな」
この際だから、少し時期外れのハロウィンをじっくり楽しませてもらおうと、手塚はドアの鍵を掛けてからリョーマに手を伸ばしていた。
「イタズラするのはいいけど、手加減してよね」
「了解した」
久しぶりにお互いを満喫するまで味わい尽くして、遅くなった2人だけのハロウィンは完全に終わりを告げた。
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