小気味の良い音がコート内に響く。
今日はテストの最終日で、部活は自主練習となっているのだが、レギュラーと一部の部員はコートに集まって練習をしていた。
「桃にスマッシュを打たせるなよ。おチビ」
「菊丸先輩こそ」
自主練習だからこそ「試合をしよう」となり、普段と変わった組み合わせで試合をしていた。
「大石先輩、フォローお願いします」
「わかった」
ダブルスが苦手というリョーマには菊丸と組ませ、一度だけリョーマとダブルスの経験がある桃城は大石と組んでいた。
これなら逆の方が良いのではという意見もあったが、それでは面白くないと、このままのペアで試合が始まった。
青学の黄金ペアと呼ばれる大石と菊丸。
相手の癖を知り尽くしているからこそ、お互いのペアの動きがこの試合の勝敗を分ける。
「へぇ、越前も桃の時よりも成長したみたいだね」
「これなら良いデータが取れそうだ」
不二が話し掛ければ、乾は楽しそうにノートにペンを走らせていた。
河村はこの試合の審判をしている。
海堂は「自分の番がまわってくるまで走り込みをしてるっす」と言い残し、コートの周囲を走り続けている。
最後に部長である手塚は、2人の横で仏頂面のまま腕を組んで、仁王立ちしながら試合を見ていた。
これが手塚のスタイルなので、見慣れている面々は何も言わないが、1年生は未だに手塚の仏頂面を怖がっていて、常は怒らせないよう練習に励んでいた。
「越前が英二のアクロバティックを真似してる。何だか英二ってば悔しそうな顔をしているね」
「流石だな。まぁ、越前も菊丸と同じ属性だからな」
身軽な菊丸はアクロバティックなプレイを得意としているが、リョーマもテニス部の中ではかなり身軽な方だ。
他人の技を見て受けているうちに、同じ技が使えるというスキルを持っているからこそ、菊丸のアクロバティックも難なくこなしていた。
「ところで、乾のいう属性ってどういう意味なの?」
「意味というか、2人とも猫属性だ」
「あっ、なるほどね。それは当たっているかもね」
ボールに跳び付くジャンプ力に、左右への素早い移動、更には人をくったような動きは猫そのもの。
試合は大石の冷静な判断で、菊丸とリョーマのペアを僅差でリードしていたが、少しの判断ミスですぐにリードを奪われる形になっていた。
「英二のボレーが決まったね。これで…あれ?」
「ん?」
ランキング戦でもないのに非常に白熱した試合を繰り広げていたが、上空から降ってくる物に気付いた不二と乾が声を上げた。
「雨か…」
空は晴れているのに、パラパラと雨が降って来た。
「これくらいなら練習に支障はないだろうけど、本当にいきなりだね」
「そのうちに虹も見られるかもしれないな」
2人揃って空を見上げていると、試合が終わった事を知らせる声が届き、視線を地上に戻せば、握手をしているところだった。
「あれ?試合終わっちゃったんだ」
「手塚、どっちのペアが勝ったんだい」
最後まで見ていたはずの手塚に試合の結果を訊ねた。
「…人に訊ねるくらいなら最後までしっかりと見ておけ。勝ったのは菊丸と越前のペアだ」
仕方のない奴らだと思いながらも、律儀にも手塚は乾の質問に答えてやった。
「へぇ、結局は英二と越前が勝ったんだ」
「少し意外だったな」
「意外ってどういう意味だよ。乾」
結果を書き込む乾の目の前に、頬を膨らませて怒っている菊丸が立ち塞がる。
「いやいや、悪い意味じゃないよ」
「乾の言い方って癪に障るんだよにゃ〜」
菊丸が乾に文句を言っている間に、リョーマは当たり前のように手塚の傍に近寄っていた。
「良く頑張ったな」
他からは見えない位置で口角を少しだけ上げて、この試合の勝利を讃える。
「ありがと。ね、こんなに晴れてるのに雨が降るのって不思議なんだけど」
先程の雨は既に止んでいる。
恐らくは一分も降っていなかったと思うくらいに少ない降水量だったので、コートもほとんど濡れずに済んだ。
「天気雨だな、狐の嫁入りや天泣とも言うがな」
「キツネの嫁入り?何でキツネが出てくるワケ」
ここでどうして動物の名前が出てくるのかと、きょとんとした顔で首を傾げるリョーマに、手塚は小さく笑う。
流石にアメリカ生まれのリョーマには、晴れている時に降る雨を狐の嫁入りと喩える意味がわからないと思い、説明しようと口を開いた。
「昔々、その昔、狐が自分達の婚礼を人間に見られないようにする為に、雲一つ無い天気の日に雨を降らして婚礼がある事を知らせていたんだよって言ったら、ちょっと不思議な感じがしない?」
だが、手塚が説明するよりも先に不二が横から口を出して、説明を始めてしまった。
「そうっスね」
「不二の説明もいいが、それだけじゃ足りないよ」
これが日本の昔話として考えれば、この天気雨を深く追求する必要は無いのだが、やはりと言うか思ったとおり、今度は乾が眼鏡を直しながら得意げに近付いて来た。
ちょっと逃げ腰になるが、構わずに話し出した。
「この話は新潟県の話なんだ。新潟の津川地区のシンボルとして聳え立つ麒麟山には狐が住んでいて、戦国時代には津川城って城があったんだけどね。あまりの険しさに狐も登る事を諦め戻ってしまうって意味で狐戻城とも呼ばれる程の険しい山だったらしい」
「それで?」
「この山には古くから狐火、えっと鬼火って言った方がいいのかな?そういう光が見られたようだね。今は殆ど見られなくなったらしいけど、津川の狐火は出現率が世界一とも言われて、麒麟山及び狐火にまつわる数多くの話があるんだよ。で、この中で『狐の嫁入り行列』という言い伝えがあって、かつてこの地域の『嫁入り』は夕方から夜にかけて行われた為に、提灯を下げて嫁入り先に行列して行ったそうだ。この行列が麒麟山の峠を越えていく際に、堤灯の明りと狐火が平行して見えたりしたことからこの言い伝えが生まれたらしいよ」
まるでその地方に住んでいたのか、と錯覚してしまうほどに詳しすぎる説明にウンザリする者もいれば、なるほどと頷きながら聞く者もいた。
「今のちょっとは理解できた?」
「…余計にわからなくなった。鬼火って何?」
乾の説明は難しいのか、意味不明な単語も多かった。
チンプンカンプンだと、眉をひそめてしまう。
「鬼火は狐が口から吐く火らしいよ」
「キツネが口から火?何それ、変なの」
ゲームのキャラクターかと突っ込みたくなるが、今の話を聞いてもさっぱり意味がわからないと、リョーマは微妙な顔をしていた。
「じゃあさ、太陽が出てこんなに空は晴れているのに何で雨が降るんだ?雨は雲がないとできないはずなのにさ」
同じく微妙な顔をしていた菊丸から疑問を投げ掛けられた。
「菊丸にしては良い質問だ」
「だから乾の言い方は癪に障るんだって」
「まぁまぁ」
またしても頬を膨らます菊丸を大石が何とか宥めているが、乾は特に気にする事もなく説明を始める。
「科学的に説明するなら、天気雨の正体は二つあるんだよ。まず一つは遙か遠いところにある雲から降った雨が上空の強い風によって流されてくる場合で、もう一つは雨を降らせた雲が、雨が地上に到達する前に消えてしまった場合だ」
これには周囲から納得した声が上がる。
「へー、そうだったんだ」
「勉強になったところで次の試合を始めるぞ。海堂、コートに戻れ」
無駄話をしていては練習時間が少なくなってしまう。
手塚はいつまでも続きそうな会話を一旦止めて、練習を再開させた。
「晴れている時に降る雨をキツネの嫁入りって喩えるなんて、昔の人はファンタジーな事を考えるんだね」
自主練習だったので今日は早めに切り上げた。
その後、寄り道の誘いを断った手塚とリョーマは、帰路を共にしていた。
「ファンタジーか」
「だって、普通ならキツネが結婚式なんて挙げるはずないでしょ?もちろん、キツネだけじゃないけどさ」
人間が飼っているペットの結婚式を挙げるという話は聞いた事があるが、生きるか死ぬかの野生の動物が自らの意思で結婚式を挙げるなんて話は聞いた事がない。
これをファンタジーと言わずに何と言う。
「狐は人を化かす悪戯好きの動物だと言われるが、神の使いの稲荷としても祀られているぞ」
「へー、両極端だね」
「リョーマ、今日は寄って行くか?」
「行く」
そうと決まればコンビニに立ち寄り、お互いに飲みたい物を購入してから行く。
「あ、新商品がある。国光はお茶?」
ドリンクの棚でリョーマは嬉しそうな声を上げる。
学校では同じ味しか飲まないが、たまには違う味を飲んでみたくなるらしく、新商品が出る度に買っていた。
「いや、今日はミネラルウォーターにしよう。1本取ってくれないな」
「これでいい?」
「ああ、ありがとう」
お互いにペットボトルを1本だけ持ってレジに並ぶ。
2人きりになれば、学校では見せない顔になるのはお互い様だった。
1枚の袋に入れてもらいコンビニを出れば、またもや水滴が顔に当たった。
「あれ?また雨」
「そうらしいな。珍しい事もあるものだ」
真っ青な空からパラパラと雨が降る。
不思議な光景に周りを歩いていた人も思わず何事かと空を見上げていた。
「さっきもだけど、この雨って長くは続かないんだ。あっ、あれって虹?」
ねぇ、と腕を引っ張ってリョーマは指を差した。
「ん?ああ、そうだな。乾も言っていたが、天気雨は虹が出やすいらしいぞ」
リョーマが指差す方向には、大きな七色のアーチが見事に輝いていた。
「すごいね、何かイイもの見たって気持ちになるね。さすがキツネの嫁入りだね」
キラキラと目を輝かせる。
虹を見て感動したのは幼い頃だけだったが、こんな風にはしゃいでいるリョーマが何とも可愛くて、この突然の天気雨には心から感謝していた。
「そろそろ行くか」
「ん、何か虹に向かって歩いているみたいだね」
嬉しそうに笑うその姿は、いつまでも目に焼きついていて暫く忘れられなかった。
科学的に説明がついているこの天気雨だったが、やはりこういうものは極稀に体験できる不思議な現象という存在の方が良いかもしれない。
そう思う手塚だった。
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