Happy Halloween 「おチビ、Trick or Treat」 「…いきなり何スか」 引退という形で正規の部員から外されているが、練習には参加している3年生。 家の事情やスポーツクラブへの入会などで、なかなか顔を出さない者もいれば、毎日のように顔を出す者もいる。 授業も終わり、さて着替えようと部室の扉を開けたリョーマを驚かすように立っていた菊丸は完全なる後者だ。 「おチビ」 「…あー、Halloweenっスか」 両手を出してニヒヒと笑う相手越しに見つけたカレンダー。 今日は10月31日でハロウィーンだ。 「そ、だから、とりっくおあとりーとってコトだにゃ」 今度はおもいっきり日本語発音でお決まりの文句を口にすると、「何かくれ」と言わんばかりに両手を差し出してきた。 『お菓子をくれないと悪戯するぞ』 正月やクリスマスのように1年に1度の行事。 日本よりアメリカの方が断然有名なイベントで、リョーマも『ああ、去年はクッキーが多かったな』なんて思い出に浸っていると、手の平を見せていた菊丸はワキワキといやらしく指を動かし、小声で「それじゃ、いたずらしちゃうぞ〜」と言いながら手を伸ばしてきた。 その手を避けようと後ろに身体を反らそうとするが、背中が誰かにぶつかってしまった。 何故かその人は微動だにしないのでリョーマは逃げられなくなる。 諦めようとしたその時。 「はい、どうぞ」 あと少しでリョーマの身体に触れるところで、リョーマの背後から棒付きのキャンデーが差し出された。 もちろん、この声もキャンデーもリョーマのものではない。 何やら嫌な予感がしつつも、リョーマしか見ていなかった菊丸はその手の持ち主を確かめてるように顔を上げれば、毎度の事ながらにっこりと笑っている不二がリョーマ越しにキャンデーを差し出していた。 「あ、不二先輩」 「大丈夫?越前。英二、君の考えはお見通しなんだよ」 「ふ、不二」 ギン、と試合中にしか見せない鋭い視線を菊丸だけに見せれば、ニヤけていた菊丸の顔からさっと血の気が引く。 「なんてね。これは手塚から頼まれたんだよ」 はい、と持っていたキャンデーを菊丸の手に握らせる。 「手塚が?」 「『菊丸辺りが良からぬ事を企むかもしれん。悪いが様子を見て来てはくれないか』ってね。このオプションは僕が用意したけど、どうやら役に立ったみたいだね」 僕は味方だよと、柔らかな笑みをリョーマだけに見せれば、リョーマは肩の力を抜いた。 「これは手塚のじゃないんだよな。こんなの持ってたらちょっと怖いもんなー」 ふー、と胸を撫で下ろす。 不二から貰ったキャンデーはピンク色で、しかもハートの形をしていた。 あの手塚がこんなファンシーなキャンデーを買っている姿を想像するだけで鳥肌が立ちそうだった。 しかも、これを真顔で他人に渡している様子を思い浮かべてみたら…。 ブルルと身体を震わせた。 「あ〜、怖い怖い。で、その手塚は?」 「生徒会の引継ぎしてから来るって言っていたよ。30分くらいしたら来るんじゃないかな。ほら、越前」 手塚に頼まれた仕事も無事に終わり、今の一件で着替えられずにいたリョーマを室内に入れ、不二も練習に参加する為にジャージに着替え始めた。 「な〜んだ。手塚にもやろうと思ったのに」 「英二先輩、そろそろ止めた方がいいっすよ」 どうやら既に菊丸の毒牙に掛かってしまった哀れな獲物がいたようだ。 心なしかやつれている様子の桃城には、心の中だけで「可哀想に」と哀れんでおいた。 「桃先輩はお菓子を渡したんスか?」 「英二先輩が何を言ってるのかわかんなくてさ。何度か訊いてみたら、いきなり襲い掛かってきて擽られた」 馴染みの無い英語に戸惑っているうちに、痺れを切らした菊丸がいたずらを開始した。 常にロッカーの中にはお菓子やカップラーメンが入っていても、今日がハロウィーンで、お菓子を求めているのがわからなければ意味が無い。 「じゃ、次に来たヤツで最後にするにゃ」 菊丸は次の獲物を待ち伏せするつもりなのか、扉の前で仁王立ちになる。 まだ着替えに来ていない1年生や2年生、それに自由に参加できる3年生もいる。 次に扉を開けるのは誰なのか? 着替えながらも誰が入ってくるのか気にしていると、ドアノブが回転した。 ガチャと音が鳴り、扉が開く。 「Trick or Treat…って、何だ手塚かよ」 わーと、大きく腕を広げた菊丸は、入って来た人物の顔を見て、しおしおと身体中の力を抜いて、ガッカリと項垂れた。 「俺で悪かったな」 眉間にシワを寄せて入って来た手塚は、徐にポケットの中から飴玉を取り出して、菊丸の手の中に置いた。 「これでいたずらはしないな」 「…手塚から貰うなんて思わなかったにゃ」 手の中に入っている飴玉に菊丸の大きな目がくるくる動く。 「お前の事だからな。何かしら仕出かすと思い、来る前に購買で買っておいた」 これで完全に菊丸の動くを封じたが、自分が来るまでの間の出来事は一つもわからない。 心配していたリョーマは無事のようだが、どうやって切り抜けたのかを確かめなければならない。 「俺は不二先輩に助けてもらったっスよ」 隣にやって来た手塚の視線に気付いたリョーマは、不二によって危険を回避したと教える。 「そうか、やはり不二に頼んでおいて正解だったな」 「手塚、僕達は先に行っているね。越前はレギュラーなんだから、あまり遅くならないようにね」 桃城や菊丸といったお邪魔虫を全員部室から連れ出した不二は、手塚に一応の釘を刺しておくが、2人きりにさせておいてすぐに出てきた例は無い。 「今日は竜崎先生は会議だろう?」 「良く知ってるね」 顧問がいない時の練習は部長が決める。 今の部長は海堂だが、海堂は顧問がいない時は自主練習にしているので、今日は全員がコートに集まらなくても練習は始まる。 いや、既に練習は始まっている。 「これでも元部長だからな」 「越前、あまり手塚を煽らないようにね」 それじゃ、と手をヒラヒラと振って、不二は扉を閉めていった。 「…リョーマ」 「ん?何」 「Trick or Treat」 流暢な発音のすぐ後に、唇に触れたのは暖かく柔らかい感触。 「…お菓子渡す前にいたずらってどういうコト?」 逃げる間もなく奪われてしまった唇に、リョーマはムッとする。 キス自体は嫌いでは無い。 むしろ好きな方だが、こういう風に突然されるのは好きではない。 「お菓子よりこちらの方が良いに決まっているからな」 「何それ」 プッと噴出す。 「では、俺はいたずら防止に…」 と、バッグの中から袋を取り出し、中に入っていた箱をリョーマに渡す。 箱という状態からして、菊丸に渡した十円程度の飴玉より、もっともっと高級なお菓子なのはすぐにわかった。 「これってハロウィーン限定のお菓子だよね。まさか、わざわざ買って来たんスか?」 有名なお店の名前が入った包装紙にリョーマは目を見開く。 「母が見つけてお前にと買って来てな。こういうイベントもある事だから持って来たんだ」 「…うわ、嬉しい」 中にはカボチャの形をしたパウンドケーキとチョコレート。 限定とあって、朝の番組で大きく取り上げていた。 カボチャの風味とふわりとした優しい食感に、味見として食べていたレポーターは感激していた。 美味しい物は食べたくなるが、如何せん、わざわざお菓子を買いに行くほどの情熱は無い。 しかも限定ならば、買いに行っても手に入らないかもしれない。 それが全く予想もしていなかったところから自分の元へ運ばれて来たのだから、喜びはひとしおだ。 「彩菜さんにお礼言わないと…うーん、美味しい」 端っこを千切って口の中に入れてみれば、カボチャの甘味が口いっぱいに広がった。 「それは何よりだが、練習するか?」 「…珍しいね」 キスだけで終わるなんて。 何か企んでいるのではと、斜めから見るように訝しんでみれば、不敵な笑みを見せてみた。 「母に礼を言いたいのだろう?」 「…家に寄って行けってコト?」 「良くわかっているじゃないか。結局俺はリョーマからお菓子を貰っていないからな。お菓子より甘く美味いものを頂かせてもらう」 「…何をって訊かない方がこの場合は良いんだよな…」 恐らくは頭の中に思い浮かんだもので当たっているだろう。 手塚の言う『甘く美味いもの』が何なのか。 「…明日の朝練、行けるかな…」 無理かもしれないと、リョーマは諦め半分でラケットを握り、カボチャのランタンのようにほくそえむ手塚と共に部室を出て行った。 さて、リョーマの運命は如何に? Happy Halloween? |