Sweet Candy






「ホワイトデーか…」

バレンタインデーが終わると同時に、店内のディスプレーはチョコレートの代わりにクッキーやキャンデーが並び出す。
ホワイトデーにクッキーやキャンデーを贈るのは、日本独自のイベント。
バレンタインデーは女性が男性にチョコレートを贈る日として浸透しているが、ホワイトデーはチョコレートを貰った男性側がお返しにキャンデーなどを贈る日として浸透している。
だが、ホワイトでーにも由来はある。
3世紀のローマで恋愛結婚の禁止令に触れた若い男女がバレンタイン神父に救われ、神父が殉教(2月14日)した1カ月後のこの日に、男女は永遠の愛を誓い合ったことに由来しているが、この事実を知っている者は僅かだろう。
世間の男性は、このお返しに頭をおもいっきり抱えているのだ。
たった数百円のチョコレートんのに、「お返し、楽しみにしていますからね」なんてキラキラな笑顔で言われてしまえば、何千円や何万円に早代わり。
完璧な義理やお返し目当ての為に大金をはたくのはただの苦痛でしかない。

「何にしようか…」

しかし、本命や彼女からのは、そこら辺の物とは全く違った物になる。
手塚も恋人からチョコレートを貰った1人。
それも初めての手作りチョコレート。
従姉妹の力を借りて、一生懸命作ってくれた。
その中でも1番上手に出来上がったチョコレートを貰った。
ただ甘いだけでなく、カカオ本来の苦味やリキュールを使用し、手塚好みの味に仕上げていた。
まさに究極の一品だった。
もちろん、チョコレートの後には本人も美味しく頂いたが、それまで断り続けていた手塚にとって、バレンタインデーは最高のイベントに変わってしまった。

「食べ物の方が喜ぶだろうか…」

これまで断り続けていた為に、お返しをするなんて行為は初めて。
当たり障りの無い菓子類にしようか、それとも記念になるような物にしようか。
手塚は悩んでいた。
菓子となるとクッキーやキャンデーといった物が主流らしく、どこに行っても同じような物が所狭しと並んでいた。
値段もピンキリで、どれにするか決まるだけで時間が掛かってしまう。

「…だからと言って、俺には無理だしな」

リョーマが作ってくれたように、自分も手作りにしようかとも考えたが、菓子類を作った事がなく、母に頼むのも気が引けた。
食事なら何とかなるかもしれないが、折角なら甘い物にしたい。
色々と悩みは尽きない。


「こんなところにシワなんか作って、何を悩んでいるのかな?」
「不二…」
眉間をツンと突っつかれ、顔を上げる。
物思いに耽っていて気が付かなかったが、何時の間にか目の前に不二が立っていた。
「俺もいるぞ〜」
しかも、その横には菊丸まで。
「何か用か?」
ここは手塚が席を置いている3年1組の教室。
対する不二と菊丸は6組の生徒。
休憩時間なのだから、他のクラスの生徒がいても不思議では無いが、他のクラスの生徒と話す場合は廊下が多く、2人の来訪は珍しい部類に入る。
クラスメイトも気になるのか、ちらちらとこちらを窺っていた。
「何かって、寂しいな〜」
「呼んでも返事しないから入って来たんだぞ」
「…それは悪かったな」
考えがまとまらず、他人の声が耳に入らなかったのもあるが、この2人の呼びかけだったら気が付いても無視していた。
「ま、いいけど」
「うん、別に気にしないにゃ」
「それで、用は何だ」
とりあえず、さっさと用件を聞こうと、手塚は催促する。
「ああ、それね。14日だけど越前と約束してる?」
「14日だと?」
思わず、眉間にシワを寄せる。
14日はホワイトデーだから、こうして悩んでいた。
「うん。俺達、おチビにチョコ貰ったから何かお返ししようと思ってさ。普通の物より、サプライズな方が面白いだろ」
そういえば、この2人は失敗作だったにしても、リョーマから手作りチョコレートを貰っていた。
「…悪いが、約束しているのでな」
突然だったが、突発的に嘘を吐いてしまった。
ここで「何も約束していない」と言えば、絶対にリョーマを誘うに決まっている。
しかも、自分も含めて不二や菊丸は1中等部を卒業している。
部活なんて無い。
あるのは高等部への期待や不安だけで、朝から晩まで時間はたっぷりとある。
そうなれば、リョーマとは会えない。
「やっぱり?
「手塚ってそういうとこ弱そうだから、忘れてるのに賭けていたんだけど。しっかりしてたね」
馬鹿にされたような気もしたが、本当に忘れていたから、何も言えなくなる。
「…悪いが諦めてくれ」
そう言うと、2人は自分の教室に戻って行くので、バッグから携帯を取り出してリョーマにメールを送っておいた。

その頃。
「…ん?メール?」
次の授業の準備でバッグを開けていたリョーマは、マナーモードにしていた携帯がブルブルと音を立てているのに気付いた。
学校に携帯を持って来るのは規則違反では無いが、番号やアドレスを訊かれるのが鬱陶しいので、人前には出さないようにしていた。
こっそりとバッグの中で確認してみれば、メールの着信だった。
それも、恋人である手塚から。
(…国光?)
珍しい事もあるものだと、バッグの中で開いてみる。
「…えっと、『14日は暇か』って、約束のメール?まぁ、暇だけど…他の人と約束なんか入れないのに…」
笑いが込み上げてくるが、ここで笑うワケにはいかず、必死に堪えた。
14日が何の日かなんて、リョーマにだってわかっている。
アメリカでは馴染みがなかったが、バレンタインのチョコレートを作っている時に菜々子からしっかりとレクチャーされた。
「仕方ないな…」
安心させる為にリョーマは手塚が望む応えを返信しておいた。

リョーマからの返信を待っていた手塚は、メールの内容を見て安心すると共に、本格的にホワイトデーに向けて始動した。


「…ずいぶんと人が多いな」
学校帰りにこっそりとデパートに寄り道してみれば、特設コーナーには人だかりが出来ていた。
色々と品定めしているのか、棚の前から離れない人。
同じくらいの単価の物を次から次に手に取る人。
男性が多いのかと思いきや、女性の方が多い。
女性の場合は夫に頼まれる場合もあるし、自分用に買う人もいる。
「さて、探してみるか」
他人の事を気にしていては自分の時間が無くなる。
手塚も気を引き締めて人だかりの中に入って行った。
「…キャンデー、クッキー、マドレーヌ。チョコレートもあるのか」
バレンタインに比べて種類が多い。
手に取って、中身を確認して、棚に戻す。
「こちらもいいな…」
甘い物が好きなリョーマにならどれでもいいと思うが、それでも悩む。
チョコレートの掛かったバウムクーヘンも美味しそうに見えるが、薔薇の形をしたパウンドケーキも美味しそうに見える。
「…まいったな。ん?これは」
どれにするか決めかねていると、キャンデーの詰め合わせの前で足を止めた。
小粒のキャンデーだが、味が20種類も入っている。
定番の味から珍しい味まで。
「…ふむ、これなら良いのかもしれないな」
価格もそれなりだが、色々な味が楽しめるのなら悪くない。
「すみません、これを一つ下さい」
店員に頼めば、ホワイトデー用にラッピングされた物を出してくれた。
あとはリョーマがこれを喜んで受け取ってくれるかだけだった。


14日は朝から快晴だった。
三寒四温で、寒い日や暖かい日が繰り返されるが、今日は朝から風も無く春の日差しが降り注いでいた。

「お待たせ」
制服姿のリョーマは手塚の姿を見つけると、即行で駆け寄っていた。
中等部を卒業して数日の手塚は、学校で待ち合わせは何だからと、駅前で待ち合わせをしていた。
在校生は授業の時間割りにしても、部活にしても、終業式までは何も変わらない。
今日もリョーマは部活で汗を流していた。
「どこか寄りたいか?」
「…俺、腹ペコだけど」
他の誘いは全て断ってきたが、部活でお腹が空いている。
「母がお前の為にケーキを焼いたそうだが、今から食べるか?」
「ケーキ!あ、ご飯前だけど…」
ケーキに素早く反応するが、夕食前にデザートを食べてしまっては、折角の夕食が食べられなくなるかもしれない。
「たくさん食べなくてもいいだろう」
満腹になるまで食べるつもりなのかと苦笑いを浮かべる。
「…だって、おばさんの料理って何でも美味しいから」
「一切れにしておけばいい。気に入ってくれれば食後にまた食べればいいだろう」
「…そだね、そうする」
にっこりと笑うと、2人は手塚の自宅に向かい歩き出した。


「いらっしゃい、リョーマ君」
手塚の母に満面の笑顔で出迎えらると、そのままリビングまで連れて行かれた。
何だろうと思いつつも、リビングに入った途端に理由が判明した。
「これ?」
テーブルの上には手塚が言っていたケーキが置かれていた。
手作りとは思えないほどの出来栄え。
「リョーマ君のチョコレート、一粒だけど私もご相伴させてもらったの。だから、そのお礼よ」
「…チョコ、彩菜さんにあげたの?」
手塚と共にソファーに座る。
彩菜はキッチンで紅茶の用意をしているので、リョーマはこっそりと手塚に訊ねる。
「…部屋に置いておいたら、見つけられてな。仕方が無いので一粒だけ渡したんだ」
本当は誰にも渡したくなくなかったが、母に強請られたので仕方なく中でも1番小さいのを一粒だけ渡しておいた。
「本当に?本当は美味しくなかったから、彩菜さんにあげたとか?」
恐る恐る訊いてみる。
「違う。一気に食べるのが勿体無くて、残しておこうとしたら見付かってしまったんだ」
「…たった一粒でこんなに美味しそうなケーキが返って来るなんて…本当にいいのかな?」
悔しそうな口振りに手塚の話が真実だと知り、リョーマは目の前のケーキに恐縮してしまう。
あのチョコレート一粒だけなら、このケーキの何百分の一くらいの価値しかない。
「気にするな。母が好きで行ったことだ」
「そうよ。リョーマ君は何も気にしなくて良いの」
2人分のティーカップをテーブルに置くと、持って来たナイフでケーキを切り分ける。
リョーマの分は手塚の倍。
「夕食も食べていってね」
「でも、こんなに食べたら…」
渡されたケーキの大きさに絶句したのは手塚の方だった。
リョーマのは普通のショートケーキに比べると2倍分はある。
「大丈夫よ。このケーキ見た目より軽いから、リョーマ君ならペロリと食べちゃうわよ」
「…じゃ、いただきます」
大きなケーキをフォークで切り分けてみると、スポンジはマシュマロのようにフワフワとしていて、口の中に入れたら溶けてしまった。
「…美味しい。すっごく美味しい」
「本当?嬉しいわ」
リョーマからお褒めの言葉を貰った彩菜は、夕食の用意をするからと、鼻歌交じりでキッチンに行ってしまった。
「…国光も食べてみたら?美味しいよ」
こちらを見ているだけで一向に食べようとしない手塚に、リョーマが勧める。
「では…ふむ、美味いな」
リョーマが喜んでパクパクと食べるので、手塚もフォークを握り、一口食べてみれば、本当にケーキなのかと思えるほどの柔らかさと、口どけの良さに驚く。

その後、夕食もしっかり食べ、食後にもう一度ケーキを食べると、手塚の部屋に移動した。
「…ふう、満足〜」
お腹一杯になったリョーマは、ベッドに凭れて座るが、手塚は机の引き出しから何かを取り出していた。
自分には関係ないと、リョーマはうーんとベッドの上に腕を乗せるように背伸びした。
「リョーマ」
「ん〜、何?」
「これは俺からだ」
背伸びを止めて姿勢を元に戻したリョーマに、手塚は片手ほどの箱を渡す。
「何これ?」
ラッピングがされて、ホワイトデーのシールが貼ってある。
何かなんてすぐにわかったが、どうしても手塚の口から言って欲しかった。
「チョコレートのお返しだ」
「…国光が、これを?」
「ああ、どれが良いのかわからないので、大したものでは無いが」
「ありがと…」
わざわざ買ってきてくれた事にリョーマは感動する。
人から何かを貰う事は嬉しいが、大好きな人から貰うのは何倍にも嬉しい。
「ね、開けてもいい?」
「もちろんだ」
手塚からの了承を得るとさっそくガサガサと包装紙を開けて、中身が何なのかを確かめる。
「…キャンデーだ。わっ、20種類の味だって、スゴイ」
表には細かく書かれていないが、裏の説明を読みながらリョーマは嬉しそうに笑っている。
「これなら楽しめるだろう」
「うん、国光も食べてみる?」
「…数があればな」
種類が多い分、一粒しか入っていない味もある。
「無くても大丈夫だよ」
と、一粒を手に取り、口の中にほおり込むと、モゴモゴと口を動かして味わう。
「で、こうすればいいんだよ」
「リョーマ?」
スルリと、手塚の首に腕をまわすと、リョーマは手塚に口付けた。
「…ん」
コロリと、リョーマの口から手塚の口にキャンデーが移動すると、リョーマはゆっくり唇を離した。
「ストロベリーだけど、どう?」
「…甘いな。だが、悪くない」
口の中に広がるのは、甘酸っぱいストロベリーの味。
だけど、ただのストロベリー味では無い。
「こうやって20種類味わうのってどうかな?」
「楽しみだ」
もう一度、口付けると、口の中のキャンデーをリョーマに返していた。


バレンタインテーも甘い日だったが、ホワイトデーも負けずに甘い日になっていた。




甘いよ、甘すぎるよ。
そんなホワイトデーのお話でした。