Happy Chocolate
「バレンタインデーか…」 夕食後に居間でテレビを見ていたリョーマは、番組中でやっていたチョコレートの特設会場に群がる女の人の姿をぼんやりと眺めていた。 有名メーカーの1粒何百円もするチョコレートや、期間限定のチョコレートケーキなど、様々なチョコレートが紹介されていた。 美味しそうだけど、あんなに高価なチョコレートなんて買う気にもなれない。 「あら、バレンタインの特集ですか?」 夕飯の片付けを済ませた菜々子が居間に入って来て、リョーマとはテーブルを挟んだ反対側に座る。 「そうみたいだけど、何で女の人がチョコ買うの?」 アメリカのバレンタインは、男女関係なくプレゼントを渡すが、それはチョコレートに限った物では無い。 どちらかというとカードや花束、お菓子を渡す方が有名だ。 「日本ではバレンタインデーに女の人から男の人にチョコレートを贈るのが通常ですのよ」 「でさ、何でチョコレートなの?」 別に何でも良さそうなのに、どこでもチョコレートばかり。 「日本の場合はチョコレートメーカーのバレンタイン・セールと称したキャンペーンが始まりだそうですわよ。それからはチョコレートを配る習慣になったそうです」 「ふーん、チョコレートメーカーにしてみたら、今が1番のセール時なんだね」 チョコレート業界では、このバレンタインデーを狙って様々な商品を売り出す。 普段では棚に並ばないような高級な物を買って貰う為に。 「そうですわね。リョーマさんも当日になればたくさん貰うんじゃないのかしら」 「既製品ならいいけど、手作りは嫌だな…」 手作りチョコも同時に紹介されていたが、結局は固形チョコレートを溶かして、また固めるだけの代物。 ナッツ類やリキュールを使用して、その人のオリジナルチョコレートが出来上がるのだが、下手をすれば何が入っているのかわからない物を渡される可能性もある。 その人の唾液や体液なんて物が入っていたら、かなり気持ち悪い。 それなら始めから出来上がっている物を食べる方がいい。 「リョーマさんは手塚さんに渡すんですか?」 「俺?何で?」 手塚と付き合っている事は家族には知らせてあるので、菜々子から手塚の名前が出るのは極めて自然。 「アメリカでは男の人から女の人に渡しているんでしょう」 「そりゃそうだけど…」 愛を渡すバレンタインデーなら、何かを渡してもおかしくない。 だけど、チョコレートは如何なものだろうか。 あんな女の人で溢れかえっている中に突入する気にはなれない。 しかも、甘い物が好きな場合ならチョコレートでも構わないが、あいにく手塚は甘い物が苦手なタイプ。 だからってカードや花束を渡すのもおかしい。 「…良かったら、作ってみます?」 「作るって何を?」 「チョコレートですわ。ビターなトリュフなら手塚さんでも大丈夫でしょう?」 「トリュフ…俺に作れるの」 「ええ、リョーマさんは器用ですから」 甘さを控えたチョコレートなら食べてもらえるかもしれない。 菜々子に教えてもらいながら作れば、失敗もしないだろう。 もし、失敗しても自分で食べればいいし、溶かしてドリンク状にしてしまえばいい。 「…じゃあ、作ってみようかな」 「それでは、次の日曜日にしましょうね」 何だか楽しそうにしている菜々子に、リョーマは躊躇いながら首を縦に振っていた。 「なぁなぁ、おチビ」 「何スか、菊丸先輩」 昼休みの時間、図書当番に当たったリョーマが図書館のカウンター内でカードの整理をしていると、どことなくソワソワと不穏な動きをしている菊丸が入って来た。 「…おチビは誰かにチョコあげるのか?」 もう1人の当番が席を外したのを狙って、そそくさとカウンターに近寄り、コソコソと小声で訊ねてきた。 「何で俺がチョコをあげなきゃいけないんスか?」 「…俺にちょうだい」 「何で俺が菊丸先輩に」 何の相談かと思えば、『バレンタインにチョコをくれ』だった。 「菊丸先輩は女子からたくさんのチョコを貰うんでしょ?桃先輩からそんな話を聞きましたよ。俺から貰う必要なんかあるんスか」 「ある、ある。おチビからってのが、イイんだよ」 「そうだね。僕も是非仲間に入れて欲しいよ」 力説する菊丸の背後に、もう1人現れた。 その人物は菊丸と同じクラスの不二周助で、相変わらずの笑顔を浮かべながらカウンターに歩み寄る。 「何で不二先輩がここに?」 生徒なら誰もが使用可能な図書館だが、菊丸や不二が昼休みにやって来る事が珍しいので、一体何の用なのかと首を捻る。 「英二ってば、ご飯食べたらすぐに教室を飛び出すから、気になるでしょ」 「…ちえっ、せっかくおチビと2人きりになれたのに」 「手塚が聞いたら怒るよ」 不二や菊丸も手塚とリョーマが付き合っているのを知っている。 知っていても、LIKE以上の好意を抱いていたリョーマに対し、近寄りたい気持ちは少しも失せていない。 「…不二先輩も俺からチョコ欲しいんスか?」 「うん。好きな人から貰うのって嬉しいじゃない」 はっきりと言い切る不二に、リョーマは何も言えなくなる。 男でも女でも好きな相手から何かをプレゼントされるのは嬉しい。 丁度、バレンタインデーなる行事があるので、ちょっと便乗したくなった。 菊丸や不二はこんな考えを持ったのだろう。 「…考えときますよ」 どうせチョコレートは作るつもりだし、失敗作や形の悪いものなら渡してもいいかもしれない。 それに、1年のお礼を兼ねてチョコレート渡すと考えればいいだけだ。 「マジで?やったね」 「期待はしないで下さいよ」 話が一段落すると、ウキウキとしている菊丸は不二と共に図書館から去って行ったが、入れ違いに手塚が入って来た。 今の話を聞かれていたのなら、かなり不機嫌になってしまうところだが、どうやら擦れ違っただけだったらしく、普段通りの仏頂面をしていた。 「…少し話があるのだが」 周りを気にしながらカウンターの前に来ると、リョーマに聞こえるだけの音量で話し掛けてきた。 「珍しいね、何?」 手塚が図書館にやって来る自体は珍しくも無いのだが、こうして近寄ってくる行為が珍しかった。 校内ではただの先輩と後輩の関係を築き上げ、テニス部以外の生徒には2人が恋人同士である事を一切知られていない。 「席を外せるか?」 「あ、ちょっと待って」 もう1人の当番を呼んで自分の代わりにカウンターに入ってもらい、リョーマは死角となる場所に手塚を連れて行った。 「…12日は暇か」 それでも辺りを確認してから話し出す。 「えっと、日曜日はちょっと都合が悪いんだけど」 日曜日は菜々子とチョコレートを作る約束をしている。 この日を逃したらチョコレートは作れない。 手塚からの誘いを断るのは身を千切られる重いだが、ここは自分の意思をしっかりと持ち、はっきりと断った。 「そうか…」 明らかに落胆している様子にリョーマは動揺する。 「何かあるの?」 「いや、特には…」 用事があるわけでないのか、リョーマがダメだと言うとあっさりと引き下がった。 「そうなの?」 「ああ、当番なのに悪かったな」 何だか歯切れが悪い言い方だったが、訊いてみても口を割りそうでは無いので、リョーマも下手に聞き出すのをやめておいた。 そんなこんなで日にちは過ぎ、とうとう菜々子との約束の12日を迎えていた。 「…こんなにいろんなの使うの?」 「ええ、折角だからたくさんの種類を作ろうと思って」 にっこりと微笑む菜々子は、台所のテーブル上に購入しておいた材料をどっさりと並べていた。 メインとなるビターとミルクとホワイトチョコレートの塊に、生クリーム、数種類のリキュール、ココアパウダー、胡桃やアーモンドなどのナッツ類。 これだけの材料を購入するだけでもかなりの金額になったはず。 「…これでいくら?」 「あら?気にしないで下さい。さて、まずは準備から始めましょうか」 「よろしくお願いしまーす」 まずは簡単な作り方の説明を受けたが、意外にも自分1人でも作れそうなレシピだった。 本格的に作ろうとすれば、もっと難しいレシピにするところだが、リョーマは初心者。 菜々子はリョーマに合わせて、簡単なレシピを教えてくれた。 生クリームを鍋に入れて温めている間に、チョコレートを湯煎にかけて溶かす。 「…湯煎って面倒だね」 「だからって直接火に掛けてはいけませんよ。分離してしまいますからね」 「ふーん、そうなんだ」 チョコレートの甘い香りを嗅ぎながら、菜々子に言われるままに手を動かしていく。 「胡桃とかのナッツ入りの場合はいつ入れるの」 「チョコを溶かす際に一緒に入れてしまえばいいんですよ」 「へ〜、楽だね」 「そうでしょう」 ボウルの中で生クリームをチョコレートと混ぜで充分に溶かすと、今度は冷水に付けて冷やしながら固める。 粗熱が取れるとリキュールを入れて香り付けをした。 丸い形にするには手で丸めるが、ラップなどに包んで丸くする方法に、絞り袋に入れてクッキングシートに絞り出す方法もある。 試しに色々な方法で作る事にした。 「固まったら、ココアパウダーなどを掛けてコーティングするんですよ」 「へ〜、砂糖入れないと結構苦いんだ。粉砂糖だと甘くなるね」 試作品第1号を口に中にいれる。 「初めてにしては上出来ですわ。チョコをビターにして、もう少しリキュールを入れれば手塚さんに丁度良いと思いますわよ」 菜々子もリョーマが作ったトリュフを食べてみる。 まずはミルクチョコを使ったので万人向けに仕上がったが、甘い物が得意ではない相手に渡すにはまだまだ甘い。 「そっか、俺はこれで充分だけどな」 もっと甘くてもいいかもしれないが、今回は自分の為に作るチョコレートでは無い。 誰の為と言えば、これは手塚の為のチョコレート。 もっと、手塚好みの味に仕上げなければならない。 「よし、これは菊丸先輩達にあげちゃえばいいや。次を作ろうっと」 菊丸や不二に渡すのならこれで充分だけど、手塚に渡すにはまだまだだ。 リョーマはもっと力を入れて作り出した。 「…どう?」 それから数時間が過ぎ、ようやく納得する物が出来上がった。 まずは大人な味でも平気な菜々子に食べてもらった。 「ええ、これなら手塚さんでも大丈夫ですわよ」 チョコレート本来の苦味の中に、リキュールの持つ甘さや香りがふわりと口の中に広がった。 口当たりも良く、既製品のチョコレートよりも美味しいと感じるほどの出来栄えだった。 「良かった」 チョコレートが出来上がった事で肩の力が抜けた。 「さあ、次はラッピングですわね」 「そこまでするの?」 「まさかこのまま渡すつもりですか?勿体無いですわよ」 菜々子は台所の片隅に置いてある大きな紙袋を持ち上げると、中から箱やペーパーや小袋などのラッピング用品を次々に取り出した。 「…まさかこれ?」 「きっとラッピングも考えていないと思いましたので、私が買っておきましたわ」 チョコレートの材料を並べた時と同じように、ラッピングの材料もテーブルの上にズラリと並べた。 うふふ、と満足そうに眺める様子に、リョーマは菜々子の気が済むまでしようと決めていた。 「これなら金色のリボンが良いと思いますわ」 「青の包装紙に金のリボンか。これだと高級そうに見えるね。うん、これにする」 可愛らしいラッピングにするか、シンプルなラッピングにするかを悩み、リョーマが渡すのなら可愛いのはちょっと厳しいと、使用するカラーは手塚の好きな緑が青色に決めた。 だけど、寒色系ばかりではプレゼントにするに寂しすぎると、リボンくらいは華やかな色にしておいた。 「…リョーマさん、器用ですね…」 「え、だって、言われたとおりにしてるだけだよ」 菜々子に言われたとおりにチョコレートを入れた箱にラッピングをしているリョーマ。 男の子だし、こういうのは絶対に苦手そうだと勝手に思っていた菜々子は、途中で交代する気だったが、リョーマはまるで店員のように手際よくラッピングしていた。 「まぁ、これならお店で並んでいても分かりませんわね」 綺麗に包まれた箱は、何個か同じものを作って並べれば、既製品と見間違うばかりの仕上がりだった。 「これって賞味期限は大丈夫なの」 「1週間くらいですわね。本番は明後日ですから、賞味期限は関係ありませんが」 「…食べてもらえなかったどうしよ」 そう、心配はそれだけ。 どれだけ美味しくても、受け取って、食べてくれなければ始まらない。 「リョーマさんの手作りチョコレートですもの。絶対に手塚さんも喜んで食べてくれますわよ」 恋人から貰うとなれば、誰でも嬉しいと感じるはず。 たとえそれが、ちょっと苦手なものでも。 「…喜んでくれるかわからないけど、受け取ってもらえるだけでいいや」 あれこれと考えても、貰う側の感情はこちらではわからない。 少しでもいいから喜んでくれればいい。 リョーマに出来る事は明後日を待つだけだ。 「うひゃ〜、何か凄い事になってるぜ」 堀尾達が登校すると、下駄箱の周囲には女生徒が緊張した面持ちで立っていた。 そこにいる全員が可愛らしい紙袋や箱を手に持って。 「皆、チョコレートを渡す為なんだよね」 下駄箱に入れてしまえばいいのだが、やはり履物が入っているところに食べ物を入れるのは抵抗があるようだ。 「去年のテニス部って凄かったらしいよ」 「手塚先輩は全員のを断ったみたいだけど、菊丸先輩とかは全部受け取ったんだって。何かダンボール1箱分だったらしいよ」 「羨ましいね」 今日の部活は急遽中止になっていた。 恐らく桃城や海堂は、女子が集まって練習に集中出来なくなった経験があるからこそ、危険を回避する為に今日の練習は初めから休みにしていた。 「でもさ、誰に渡すんだろうね」 「1年生でチョコも貰える奴か…」 うーん、と腕を組んで考えていると、近くの女子が何かを言いながらパタパタと走り出した。 1人が動けば全員が動き出す。 「おはよう、越前くん」 「越前君、これ受け取って」 ものの数秒で出来上がった塊の中心には、登校してきたリョーマが立っていた。 ここにいた女子全員の目的はリョーマだった。 「やっぱ、越前か」 「…リョーマ君、すごい」 何時の間にか、どこかのアイドル並みの人だかりが出来上がった。 誰もが我先にとリョーマの前に立ち塞がり、チョコレートを差し出す。 登校してきた男子生徒は驚きと羨望の眼差しを向けながら、それぞれの教室に向かっていく。 数々のチョコレートに囲まれたリョーマは、目線だけを動かして周囲を確認する。 チョコを差し出してはいるが、誰も無理に押し付けようとはしていない。 もし、1つだけ受け取るとすると、全員分を受け取らないと納得してくれない状態になるのは目に見えている。 チョコレート自体は嫌いな食べ物では無いが、今日のチョコレートには少なからずその人の想いが詰った物になっている。 彼女はいないが、大好きな人はいるから、誰かの想いを貰うわけにはいかない。 「俺、誰からのも受け取る気ないから諦めて」 リョーマにはこう言って全員が諦めてくれるようにするだけだった。 「え〜、折角持ってきたんだから受け取ってよ」 全く受け取る気の無いリョーマの様子に、ほとんどが肩を落として去ろうとするが、どうやら上級生らしき1人がリョーマの前に出て無理矢理渡そうとした。 「渡すんなら、本気の相手だけにしたら」 しかし、何を言われても受け取らない。 「…クール」 「やっぱりカッコイイよね」 リョーマの言葉にウットリとする女子もいれば、腹が立ったのか、口をへの字にしている女子もいる。 とりあえず言いたい事は言ったリョーマは、この人波を掻き分けて廊下に出た。 教室に入り、自分の席に着いたと同時に、机の中に手を入れてみる。 どうやら机の中にチョコレートは入れられていないようだ。 下駄箱や机というアイテムは直接手渡し出来ない女子にとっては、こういう場所にこっそり入れておくくらいしかない。 「…はぁ」 名前でも書いてあれば返す事も出来るが、こっそり入れるくらいだから自分の身元を明かすような真似はしないだろう。 誰のかわからないからという理由で処分するのは容易。 だが、この分でいけば1つも受け取らず済みそうだ。 「越前、凄かったな〜。あれ全部貰ったのか?」 あの人だかりを遠巻きに見ていた堀尾が、鼻息を荒くしてリョーマの傍にやって来た。 「…全部、断った」 「何でだよ。勿体無い」 「勿体無いって言われても、いらない物はいらない」 「お前って本当に冷たいよな〜。貰うだけ貰っておけばいいのに」 「…それで来月に返せって言われても困るんだよ」 日本にはバレンタインデーのお返しにホワイトデーなるイベントがあると菜々子に教えてもらった。 バレンタインがチョコレートなら、ホワイトデーはクッキーかキャンデーと聞いた。 チョコを受け取った全員に返さないといけない、と菜々子に脅されたが、勝手に渡してくる相手にわざわざ返すなんてゴメンだった。 「だからってな…」 まだ、ブツブツと言ってくるが、リョーマは右から左へと聞き流す。 そうこうしているうちにHRの時間を告げるチャイムが鳴り、生徒達はあたふたと自分の席に座る。 (あ、先輩達にチョコ渡さなきゃな) バッグの中には不二と菊丸用と手塚用のチョコレートが入っている。 同じラッピングではいけないと、2人には箱詰めしていない。 柄付きのビニール袋にそれぞれ10粒入れて、シルバーのリボンで縛っておいた。 可愛らしくする必要は全く無かったが、菜々子から「これも使って下さい」と言われた手前、リョーマは無理にでも使わないといけなくなった。 (休み時間に行ってみるか…) 2人はどうでもいいが、どうにかして手塚に会って、一緒に帰る約束を取り付けないといけない。 女子並に忙しいリョーマだった。 1番時間が長い昼休みの時間を狙ったリョーマは、さっさと昼食を摂り終えると、バッグの中からどこにでもありそうな紙袋を2つ手にとって教室を出て行った。 廊下のあちらこちらで、チョコレートを渡そうとしている女子とどことなく浮かれてい男子の姿が目に入る。 けれど、リョーマは周りを気にしないように、3年の教室に向かった。 「おチビ!」 「越前」 手塚がいる1組を通り過ぎ、不二と菊丸がいる6組の教室の前に立つと、扉付近にいた生徒がリョーマに気付き、すんなりと2人を呼んでくれた。 リョーマは2人を呼んでくれた先輩に礼を言うと、リョーマを見た時から顔が緩んでいる不二と菊丸に持っていた紙袋を渡す。 「もしかして、これって」 「例の…」 見た目はどこにでもある紙袋。 こっそりと紙袋の中を覗いた途端に、緩んでいた顔はニヤけた表情に変化していた。 中身は約束していたチョコレート、しかも手作り感満載のチョコレート。 嬉しくないはずが無い。 「もしかして、越前の手作り?」 「味の保障はしないっスよ。とりあえずこれまでのお礼として受け取って下さい」 「おチビのくれた物なら何でも嬉しいにゃ〜」 ぎゅうっと胸に抱き締める。 「溶けるっスよ」 「あわわ、ホントだにゃ」 慌てて紙袋を身体から離して、パタパタと空気を送る。 「手塚には?」 菊丸の様子を笑いながら見ていた不二は、思い出したように訊ねてきた。 「まだ渡してないっス」 「呼んで来ようか?」 「頼んでもいいっスか」 「ささやかなお礼だよ」 菊丸を見ていた時と違うやんわりとした笑みを浮かべると、1組に歩いていった。 程なくして現れた手塚は、喜怒哀楽をまとめたような複雑な表情をしていた。 「ちょっと話があるんだけど」 「場所を変えよう」 コクリと頷いて手塚の後を追うように歩き出した。。 手塚に誘われたリョーマは屋上へと続く階段に移動していた。 好きこのんで寒い屋上に出る生徒はいない。 手塚とリョーマも扉の前で足を止めて向かい合った。 「今日、一緒に帰れる?」 無駄な事は何一つ言わずに、言いたい事だけを口にする。 「ああ、校門で待ち合わせようか」 「うん」 「ところで、あいつ等にチョコを渡したのは本当なのか」 不二から呼ばれた際に、リョーマからチョコを貰ったと嬉しそうに話してくれた。 甘い物が苦手な話はテ二ス部内では有名なので、わざわざ「君は越前から貰ったの?」と訊かれた時には、かなりの殺意を覚えたほど。 「前に欲しいって言われたから1年のお礼を兼ねて渡しただけ。意味は無いよ」 「そうか…」 意味は無くとも、貰う側としては嬉しい物。 しかも、あの2人はリョーマに好意を抱いている。 手塚としてはどうしても良い気分になれない。 「で、たくさん貰った?」 陰気なムードになりそうな気配がし、リョーマは手塚の気持ちを無視するように話しだす。 帰りの約束は取り付けたから、あとは雑談の時間として色々と聞き出そうとする。 「いや、全て断ったが…」 あの日のように、どこか歯切れの悪い話し方だった。 「言いたい事があるなら言ってよね」 「…甘い物は得意ではない話は以前にしたよな」 「うん、知ってる」 手塚の誕生日の時も、母の彩菜は息子に勧めるはずのBバーステーケーキをリョーマにばかり勧めてきた。 親も息子が甘い物嫌いだと知っていた。 「だが…嫌いでは無い」 「うん?」 「実は12日にそれを説明しようと思ったんだ」 「だから、12日は暇かって訊いてきたんだ」 「ああ、そうだ」 「…もしかして、俺からチョコが欲しいから?」 まさかと思いつつも、今までの流れからすると、これしか思い付かない。 「まぁ、そんなところだ」 バレンタインといえば、恋人からの贈り物が貰える大切な日。 チョコレートは欠かせないプレゼントの1つ。 甘い物が苦手と言っていた手塚は、リョーマが真に受け止めて、チョコレートを渡さないのならそれはかなり空しいと感じていた。 チョコレートを食べたいのでは無く、リョーマから貰える物なら何でも嬉しいのだと知って欲しい。 「俺ね、菜々子さんに教えてもらってチョコ作ったんだ。試作を何度も重ねて出来上がった完璧なチョコレートを用意したから国光に貰って欲しい。ちなみにラッピングも俺がしたんだよ」 手塚の気持ちに気付いたリョーマは、手塚の為にチョコ用意したと告げる。 先程、不二と菊丸に渡したチョコレートは試作品の一部。 簡単に言えば失敗作。 そう聞いた手塚は、喜怒哀楽の表情を喜と楽だけにしていた。 「帰りは家に寄って行ってくれるか」 「いいの?」 平日に寄らせてくれるなんて思っていなくて、リョーマは手塚を見ながら、パリクリ何度もと何度も瞬きを繰り返していた。 「今日は特別な日だからな」 授業が終わり、昼に約束した通り、先に校門に来ていた手塚はリョーマを待っていた。 今日のチョコレートでカップルになった男女が仲良く手を繋いで歩いていたり、1個も貰えなかったと嘆く男子生徒や、「先輩にチョコ渡しちゃった」と嬉しそうにしている女子生徒などが次々と校門を出て行った。 生徒の姿をぼんやり眺めていると、次にやって来た集団の中に待ち人であるリョーマの姿があった。 待たせている割りには、リョーマはのんびりとした足取りだった。 少しくらい急ぎ足で来るのが待たせている人への誠意なのだが、今日ばかりは走るワケには行かなかった。 「お待たせ」 「いや、では行くか」 手塚とリョーマがこうして帰る姿は手塚達3年生が引退した後に時折見られる光景なので、周囲から不審の目で見られる事は無い。 「…チョコが入っているから走れなかったんだ」 歩き出して数分後、タイミング良くバスに乗り込んだ2人は最後部の左側に腰掛ける。 バスが発車してからリョーマは急いで来なかった理由を話した。 「チョコ?」 「そ、チョコ」 誰かに貰ったチョコレートでは無く、手塚に渡すチョコレート。 箱に入っているとはいえ、ラッピングがしわになったら贈り物としての価値が下がってしまう。 大好きな人に渡す贈り物を自分の仕業で台無しにしてはいけない。 そう考え、手塚が待っているとわかっていても、リョーマは走れなかった。 「嬉しいな」 「嬉しい?」 「そこまで大事にしてもらえるチョコレートを貰える側としては、これほど嬉しい事は無いぞ」 嬉しい気持ちを込めて、そっとリョーマの手を握る。 誰からも見られる危険性の無い場所だからこそ、こんな大胆な行動に出られる。 「…国光」 小さな声で名前を呼べば、強い力で握られた。 「こういう時くらいは、もっと早く走って欲しいものだな」 「らしくないね」 速度を守って走っている運転手に対し、少々苛立ち気味な様子にクスッと小さく笑うと、リョーマも手塚の手を握り返していた。 「ただいま戻りました」 「お邪魔しまーす」 「お帰りなさい」 リビングに入れば、彩菜はにっこりと笑顔で出迎えてくれた。 「越前君が来てくれるなんて思っていなかったら、チョコレートを用意できなかったわ。ごめんさないね」 今日が何の日が知っている彩菜は、リョーマに謝る。 「そんな、いいっスよ」 「代わりにこれを受け取ってくれるかしら」 と、彩菜はリョーマにハートの形をした煎餅を渡した。 「国光はチョコレートを食べないし、おじい様もお年だからあまりこういった甘い物は食べて頂けないのよね」 「それで、これ?」 「ええ、面白いでしょう。デパートで買ったのよ」 歪な形をしている物もあれば、しっかりとしたハートの形になっている。 この季節限定の煎餅で、チョコレートが苦手な年配や、シャレで渡そうと考えている女性からはやたらとうけている。 「へ〜、形はハートだけど、味は普通の煎餅なんだ。ありがとうございます」 煎餅も好きなリョーマとしては、ありがたく頂いておいた。 「いえ、喜んでくれて嬉しいわ。ねぇ、夕飯はうちで食べていってね」 「じゃあ、連絡しておきます」 夕食の準備をしていた彩菜にそう言うと、手塚と一緒にリビングから出て行き、手塚に部屋がある2階に上がっていった。 部屋に入ると、手塚は制服から私服に着替え、リョーマはバッグの中からまたしても紙袋を取り出す。 不二達同様、そのまま渡すのかと思いきや、紙袋の中に手を突っ込んで箱を取り出した。 「国光」 たたんだ制服をタンスの上に置いていた手塚の背後に立ち、名前を呼ぶ。 「ん?何だ」 期待を込めて振り返る。 「はい、これ」 ほんのちょっとだけ頬を赤くしながら、青の包装紙と金のリボンで飾られた箱を差し出す。 「ありがとう」 その初々しい表情をしっかりと目に焼き付けながら、手塚は差し出されている箱を受け取った。 リョーマが自分で行ったと言っていたラッピングは目を見張るほどの出来栄え。 これなら中身も期待していい。 「開けてもいいか」 「いいよ」 まるで服を脱がすようにリボンを解き、包装紙を剥がす。 中は半透明の箱だったで、その中に入っているチョコレートが透けて見えていた。 「…トリュフか、上手く出来ているな」 蓋を開けて中を確認する。 「先生がいいからね」 「食べてもいいか?」 「ん、不味かったら出してもいいから」 そんな勿体無い事は出来ないと思いつつ、手塚は1つを掴み口に中に入れた。 「…どう?」 じっくり味わっている最中のようだが、何も言わない手塚にリョーマは不安になる。 「本当に手作りか?」 「そうだけど、何か変?」 「これまでに食べた物の中で1番美味い。俺好みの味だ」 と、また1つ口に中に入れる。 「本当に美味しい?俺がいるから無理に言ってるんじゃないよね」 初体験のチョコレート作りに、手塚が社交辞令で美味いと言っているのではないのかと勘繰ってしまう。 「本当に美味いが。お前は食べていないのか」 「…俺は食べてみてもあまり美味しくないって思ったけど、菜々子さんは美味しいって言ってくれたから。これから国光でも大丈夫かなって」 菜々子は美味しいと言ってくれたが、リョーマには苦いだけで、さほど美味いと感じなかった。 チョコレートを作り始めて数時間が過ぎていたので、菜々子も適当な事を言ったのではと疑心暗鬼になったが、これ以上は作れないとリョーマは手を打つ事にした。 だから、味は保障できなかった。 「俺にはこれくらいが丁度いい。ありがとう、リョーマ」 このまま全部食べてしまいたいくらいだが、折角なので時間を掛けてじっくり堪能しようと蓋を閉める。 「どう致しまして。国光に喜んでもらえて本当に良かった」 菜々子の言ったとおり、手塚に喜んでもらえて一安心する。 これでリョーマのバレンタインは終わった。 「実は俺も用意したんだが、バレンタイン用でなくてすまない」 「え、俺に?」 「こんな物で本当にすまない」 リョーマから貰ったチョコレートを机に置くついでに引き出しから取り出したのは、どこにでも売っている板チョコだった。 しかも、1枚では無く、色々なメーカーのチョコを束ねて渡してきた。 「こんなに?」 「どれがいいのかわからなくてな。あるだけ買ってみた」 ただのチョコレートから、中にクリームが入っている物まで。 単価もピンキリだが、手塚が自分の為に買ってくれたのが嬉しくて堪らない。 「ありがと、すっごく嬉しいよ」 極上の笑みを浮かべて礼を言う。 誕生日に貰うプレゼントも嬉しいが、こういうサプライズなプレゼントも嬉しい。 しかも、滅多に買わないお菓子を自分の為に買ってくれた事は、嬉しいなんて言葉で片付けられる問題では無い。 「…どうかした?」 「こうして喜んでもらえると渡した甲斐があるものだな。そうか、皆こういう気持ちで今日を迎えているのだな」 いつでも買える既製品のチョコレートを大事そうに胸に抱えている恋人に、手塚は初めてバレンタイン・デーというイベントを思い知らされたような気分になる。 「…ホントだね」 頬に触れた手塚の手。 温もりを確かめるようにゆっくりと瞼を閉じれば、唇には手よりも温かな感触。 いつもは甘いキスが、今日は苦味のあるチョコレートの味。 たまにはそんなのもいいかと、リョーマは手塚から与えられるキスに酔いしれる。 「…お前の唇はチョコレートよりも甘いな」 軽く啄ばみながら言えば、リョーマはクスクスと笑う。 「だって、国光が食べたのはビターだからね」 「ふむ、お前をチョコレートたとえるのならミルクかホワイトだな」 折角の甘い呟きもリョーマに掛かれば、現実に引き戻される。 「甘いってコト?」 「ああ、どんなチョコレートよりも甘くて、美味い…。魅惑的な味だ。こんなに美味いチョコレートを食える俺は幸せ者だな」」 食べ続ければ喉が渇くほどの甘さだが、食べ始めてしまうと何故か次々に食べたくなってしまう。 常習性のある麻薬のように惹かれる味。 愛しさを込めた目で「もっと食べてもよいか」と訊かれたリョーマは、返事の代わりに甘いキスで返していた。 愛の告白のチョコレートは恋人自身。 幸せを告げるチョコレートも恋人自身。 他には何も無い。 |
本当はエロ話にしたかったんだけど。
やめておきました。