最強ボディーガード




「うわっ、もう真っ暗」

秋から冬に掛けて、日が暮れるのが早くなり、少し時間が過ぎれば外は街灯が必要になるほどの暗さになる。
今日は夕方の練習後に新レギュラーだけのミーティングを行っていた。
三年生が引退をして既に数ヶ月。
部長の座は、レギュラーとしての経験が豊富であり、しかも下級生から慕われている桃城に引き継がれ、副部長の座は静かに状況を判断できる海堂が引き継いでいた。
だが、ただのミーティングでも元からライバル視していた桃城と海堂。
何か気に入らない言葉があればすぐにバトルが始まってしまう。
上級生がいない所為でバ2人のトルは誰にも止められず、知らない間に時間はどんどんと過ぎていってしまう。
本来の目的はどこへやら、終わってみれば話し合いは無かったと同じ状態になっていた。

「越前、もうちょい待ってくれたらチャリで送るぜ」
頭を掻きながら日常の仕事となった部誌を書き込むのは桃城で、ドアから出て行こうとするリョーマを止めた。
巷では少年少女を狙った犯罪が数多く、周囲が暗くなった今、1人で帰らせるのは危険過ぎる。
現在、部室に残っている中でリョーマと帰宅方向が同じなのは桃城だけになる。
他はまとまって帰られるので心配は要らない。
その前に、中学生とは思えないほどの体格と運動能力があるので、犯罪に巻き込まれる危険性は極めて低い。
性格は置いておくとして、リョーマは見た目だけならそういった犯罪者の格好の餌食になる。
「もうちょっとって、どれくらいっスか?」
「…30分あれば」
部誌を書いて、顧問に届けてと、まだ残っている仕事に掛かる時間を指折り考えた。
前部長と違って書き物が苦手な桃城は、部誌をまとめるのが苦手で時間がこれにも無駄に掛かる。
「…先に帰ります」
無駄話に延々と付き合わされ、その上に30分も待つなんてリョーマには無理だった。
いや、他の誰だろうが状況的に無理だろう。
「おいおい、30分くらいいいじゃねぇかよ」
「腹減ったし、待ってる間に家に着くから」
自転車で送ってもらうのは楽チンだけど、待ってる時間が苦痛なのだと説明して、リョーマは引き止める桃城を残して部室を出た。

「…星がいっぱい…」
誰もいない校庭を歩きながら空を見上げる。
都会は星が少ないと言うけれど、高い建物が少ないこの付近なら星は綺麗に見える。
雲も無いので月明かりも見事。
夜は危険というイメージが薄れてしまう。
「ま、ラケットもあるし」
桃城の言うとおり、最近は幼い子供を狙った犯罪が多い。
自分が幼い子供と一緒にされるのは腹が立つが、心配してくれるのでそこは怒らずに受け止めた。
万が一にも不審者から背後から羽交い絞めされたら足を思い切り踏んでやればいいし、横から引っ張られたらバッグで思い切りぶん殴ってもいいし、身を守る道具としてラケットもある。
自分は大丈夫と確信しているが、いつ、どこで事件に巻き込まれるのかなんて誰にもわからない。
校門から出たら気を付けようと、リョーマは視線を戻して歩き出した。


「リョーマ」
リョーマが校門から出ると、横から聞き慣れた声で名前を呼ばれた。
誰だろう?なんて考える必要もないくらいに、耳に馴染んでいる声。
「国光?何でここに」
不審に思う間もなくリョーマが声をする方向に身体ごと向けば、そこには大好きな手塚が立っていた。
驚きつつも、嬉しさが声に出てしまう。
「練習が終わるまでは図書館で待っていたのだが、それからミーティングを始めてしまったのでここで待っていた」
「ここで?」
「暫く待っていれば来ると思っていたが…」
「あの2人が喧嘩するからミーティングにならなかったんだよ」
必要も無いが、一応は辺りを見渡してから手塚の傍に歩み寄る。
そのままそっと右手を上げて、徐に手塚の頬に触れてみた。
「つめたっ…どのくらいここにいたの?」
想像通り、頬は非常に冷たくなっていた。
昼間の暖かさは時間を過ぎることによって失われていく。
それは体温も同じで、外に長期間出ていれば外気に触れる部分から段々と体温が奪われていく。
「…それほど寒くないぞ」
「俺が寒くなるの」
もう、と言いながら頬に触れていた右手で手塚の左手を握る。
「お前は暖かいな」
握っていた手は正反対の体温で、寒くは無いと言っていたが、その温もりを求めるように思わず強く握ってしまう。
「練習したし、その後は部室の中にいたからね」
くいくい、と握った手を軽く引っ張り歩くように促せば、2人は帰宅の為に歩き出した。


「…で、30分も待てないから先に帰ったんだ」
「なるほど。桃城の好意は有り難いが、それから待つのは堪らんな」
手塚はリョーマから遅くなった理由を聞いていた。
リョーマを心配しての行動には褒めてやりたいが、そこに辿り着くまでの過程がどうにも許せないものだった。
久しぶりに一緒に帰ろうと思い練習が終るまで待っていた。
ミーティングを始めたのはまだ許容範囲なのだが、内容が全く無いものになり、リョーマの帰宅時間が遅れたのは範囲外。
そこで普通にミーティングを行えばここまで遅くならないし、リョーマも明るいうちに帰られたはず。
「…でも、国光がいるから、暗くても平気だね」
「リョーマ」
桃城に部長としての心構えを説教してやろうとしていたが、聞こえてきたリョーマの呟きによって、桃城の事を考える時間すらもったいないと悟り、一瞬のうちに頭の中から排除していた。
「だってさ、国光っておじいさんから柔道習っていたんでしょ?だったら、変な奴が現れても国光が退治しちゃいそう」
「まぁ、相手が玄人でなければ、身を守るくらいの技は教え込まれているからな」
警察で柔道を教えている祖父は孫に護身術として教えていた。
幼少の頃は柔の道に進めようと目論んでいたが、いつからかテニスに夢中になってしまった。
祖父の意見を押し付けるのは子供の教育に悪いと、柔への道はすっぱり諦めて、やりたい事を応援するようにした。
だが、意外な事に柔道の腕はなかなかのもので、しかも寝技も得意ときて、リョーマをいとも簡単にベッドに押し倒してしまう。
「じゃあさ、今の国光って俺のボディーガードみたいだね」
「今だけではないぞ。常にリョーマ限定のボディーガードだ」
本来は恋人なのだが、こういう時はたった1人を護る騎士になるのも良い。
いつも思う事だが、小さな危険であろうと、リョーマには絶対に近寄らせるつもりは毛頭無い。
この気持ちは何時であれ、どのような場所であれ、一切変わらない。
「じゃ、何か報酬を渡さないといけないね」
「報酬は…お前でいいぞ」
ボディーガード云々辺りからリョーマは冗談のつもりで言っていたのだが、手塚はリョーマの意に反して正面から受け取っていた。
「国光ってば…」
「…嫌か?」
少し屈んで耳元で囁いてやれば、リョーマは真っ赤になった。
「…嫌じゃないよ」
恥ずかしそうに呟いた言葉は静かな空気に溶けていき、2人は暗がりの中を仲睦まじく歩き出した。


頼もしいボディーガードのお陰で、リョーマは今日も無事に自宅まで辿り着いていたが、手塚から申し出があった報酬は後払いとして、今日はキスだけを渡しておいた。




手塚はちょっとしたストーカーみたいですが。