一番星きらきら



「たまには一緒に帰らないか?」

日が暮れるのも早い冬。
早めに部活が終わった後、珍しくコートにやって来た恋人に呼び出され、こんな事を言われた。
「…いいけど、ちょっと時間が掛かるかもしれないよ」
3年生が引退した今現在、2年生と1年生が中心になって部活動を動かしている。

その中でもリョーマは中心人物の1人。
『レギュラーの座は不動のものでは無い』と言っていた手塚は、その通りに一時だけ肩と肘の故障からレギュラーの座から遠ざかっていたが、リョーマは違う。
リョーマのレギュラーの座は今では揺ぎ無いもの。
お陰でリョーマは桃城と海堂に「次の部長はお前だ」と、毎日のように練習後はみっちりと部長としての心得を仕込まれている最中だった。

「構わない」
「じゃ、いいっスよ」
「少し図書館に寄って来るので、終わる頃にまた来る」

約束を取り付けると、すぐさま踵を返し校舎へ歩いて行ってしまった。
この間は拍手を送りたいほどの無表情だが、実際は心の中では満面の笑顔を浮かべているはずだ。
わかり難い感情は、今では手に取るようにわかってしまう。

去って行く背中をほんの少しだけ見送ると、まずは整備の為にコートに戻った。
「…手塚先輩って何の用だったの?」
こっそりとリョーマの近くに寄ったカチローは、今でも部長としての威厳が薄れていない手塚が何をしに来たのかが気になってしょうがないらしい。
それは他の部員も同じようで、四方八方からチラチラとリョーマを見ていた。
「別にたいした事じゃないよ…」
手塚が来た理由が部活に関連していると思っている確率は100%だ。
これに関しては乾のデータなんて必要性が全く無い。
「…でも何か言われてたでしょ?」
「カチローには関係ないだろ?」
「あっ、リョーマ君…」
しつこく訊いて来るのが気に触ったのか、リョーマはきっぱりと言い捨てると、その場から離れてコートにトンボを掛け始めた。

レギュラーの一部だけしかこの関係を知らないから、2人きりでいると必ず不思議そうな目で見られる。
今も同じ。
青学テニス部最強の男と謳われていた手塚が、桃城や海堂では無く、リョーマだけを呼び出すなんて、にわかに信じられない。
現役の頃なら『また、説教だよ』と言えたのに、引退した今では一応は部外者になる。
部外者がいつまでも口を出すのはルール違反。
それなのにこうしてコートにやって来るのには何かの理由があるはずだ。
と、勝手に想像しているから困ったものだ。

「…はぁ、ホントにうるさいな。…この際、全部言っちゃおっかな…」
秘密にしないといけない関係なのは、リョーマもわかっている。
日本において男同士の恋愛は、それほど認知されていない。
身体は男でも心は女、というような障害は確かにあるが、手塚もリョーマも心も身体も全てが男だった。
ただお互いの存在に惹かれ、全てが欲しいと思うようになってしまった。
だから一部だけに教えて付き合っている。
…付き合い始めたのは、もう半年も前の話だ。
ここまで上手く隠し通せるなんてリョーマ自身も驚くほどだった。
誰にも見られないように少し俯いて、自分の演技力に小さく笑った。

「よーし、今日はここまでだな」
「…さっさと片付けて帰るぞ」
時間にして30分ほどの教育時間。
「…ういーっス」
持ち込んだ机の上には、乾から渡されたノートや、メモを取る為の紙などが乗っていた。
それぞれの持ち物を片付けると、バッグを抱えて部室から出る。
「おい、越前…」
「何スか?」
番先に出た海堂がリョーマを呼ぶと、顎でとある場所を指し示す。

海堂の横から外を見れば、フェンス越しに待ち人が立っているのが見える。
「おいおい、先輩を待たせてんじゃねーぞ」
「そう思うならさっさと終わらせて下さいよ。じゃ、お先に」
不敵な笑みを浮かべなから2人に言うと、リョーマは軽く走り出した。

「手塚先輩」
「もう終わったのか?」
借りて来た本を読みながら待っていた手塚の耳に、自分を呼ぶ声が聞こえ顔を上げた。
自分の元へ軽やかに走って来るリョーマに自然に笑みを見せる。
「丁度、今ね」
そうこうしているうちに、後ろから桃城と海堂もやって来る。
だが、2人の邪魔にならないように挨拶だけをして行ってしまった。
「頑張っているようだな」
本を足元に置いてあったバッグに入れて抱える。
「…今はテニスよりも、部長になる為の勉強ばっかりだよ」
「そうなのか?」
「そうだよ。何か俺に国光みたいになって欲しいみたいだよ」
「俺みたいに?」
次は言葉で答えずに、首を縦に振るだけにしておいた。
いつまでもこの話題を引き摺りながら帰るのは不本意だ。
せっかくならもっと恋人らしく帰りたい。
リョーマの想いが伝わったのか、手塚はこれ以上の部活の話は止めておいた。


「あ、星が出てる」
「ああ…」
日が暮れるのが早くなるのは11月下旬頃からで、1月となった今では少しずつだが日没時間が遅くなっていた。
授業後の部活時間は初夏に比べるとかなり短く、どちらかと言うとほとんどが自主練に近い練習内容。
実際に風の強い日や雪の日など、天気が悪い日はコートでの練習は無理。
走り込みや基礎体力の向上が主の練習は、短時間で終わるので、暗くなる前に帰宅が出来る。
「一番星だね。えっと金星だよね?」
「ああ、宵の明星だな」
リョーマが指差した方向にはキラキラと輝く金星。
「何かさ、まだ太陽が出ているのに星が輝くのって不思議だね」
太陽が沈む西の空に眩く輝く金星。
ともすれば朱に染まった太陽に霞んでしまいそうなのに、星は負けずに輝いている。
「だが太陽にも月にも負けない輝きを持っている…まるでお前のようだな」
「俺?」
空を見上げていたリョーマは、不思議そうに手塚の顔を見やる。
「金星は明けの明星、宵の明星というように朝でも夜でも輝いている。太陽は月が有るからこそ輝ける。そして月も太陽が有るからこそ輝いて見えるが、金星は単独で輝ける。輝く為に犠牲になるものが何も無い…」
「…ふーん、良くわからないけど、俺は俺だよ」
そう言って笑ったリョーマの顔はとても輝いていた。
「…眩しいな」
だが目を逸らせない。
いつまでも見つめていたい笑顔。
「何か言った?」
「いや、さあ、暗くなる前に帰ろう」


リョーマは手塚にとっての一番星。

朝でも夜でもキラキラと輝く存在なのだ。



やっぱり塚リョは良い。以上。