「おっチビ〜」
「うわっと…菊丸先輩、ビックリするじゃないっスか」
「にゃはは〜、おチビはカワイイにゃ〜」
がばっと抱きつく行為は菊丸の専売特許。
丁度20cmの差は頭1つ分ほどで、菊丸が抱きつけばリョーマの身体は上手いように菊丸に隠れてしまう。
初めの頃は嫌がって逃げていたが、どれだけ止めて欲しいと言っても、気配を感じて逃げても無駄だった。
リョーマは抱きつき魔の猛攻に屈する形となってしまったが、菊丸にとってはただのコミュニケーションの1つで、リョーマを可愛がっているだけの行為。
どうやら、する側とされる側の意識はかなり異なっていた。
「英二ってば、また越前で遊んでるね」
「ははは、越前も可哀想にな」
ほとんどの部員は、和やかな光景に微笑を浮かべるが、そのお陰である特定の人物はかなりの不機嫌になっていた。
それを知ってか知らずか、菊丸はまるでぬいぐるみを抱くようにリョーマを抱き締めていた。
「手塚部長って、いるだけでもすっごい緊張するよな〜」
「やっぱ、青学テニス部は手塚部長あってだよな」
部活中は自分の練習に加え部員の行動をチェックする為、コート全体をしっかりと見ている手塚。
冷静沈着で至極真面目な表情は、後輩達の憧れの的。
誰もが手塚を目標にして、己の精神や技術を向上させようとしている。
しかし、手塚は全体を見ている振りをしていて、実はたった1人しか見ていない。
「…菊丸め」
表面上の変化は全くないが、手塚の内面はかなりのイライラモード。
腕組みしている手は怒りを我慢するかのように自分の腕を力の限り掴んでいる。
何時だったか忘れたが、誰かが「菊丸と越前だと猫同士のじゃれ合いだよな」と言っていたが、菊丸もリョーマも紛れも無く人間だ。
「…後でグラウンドを走らせてやる」
リョーマとラブラブなお付き合いをしている手塚としては、部活の仲間だろうがリョーマのクラスメイトだろうが、菊丸が本当にただのコミュニケーションで抱きついているとしても、傍にいるだけでもかなり不機嫌モードになってしまう。
驚くほどリョーマに対しては心が狭い男、それが手塚国光だった。
「手塚、この後だけど…」
「何だ?」
手塚の内面の変化に気付いていない大石は、練習メニューの相談の為に手塚に話し掛ける。
だが、リョーマの事もあって、手塚は話し掛けてきた大石に、不機嫌モードのまま返事をしてしまった。
「あ、いや…その」
大石は手塚の機嫌が降下しているのに気付き、少し慌ててしまった。
手塚とリョーマが付き合っている事はテニス部内では有名だが、他に漏れると色々と大変なので、絶対に口外しないという暗黙の了解が、知らず知らずのうちにテニス部内に伝わっていた。
その前に、誰も信じないだろうが。
「話があるのだろう?」
「ああ…その、この後の練習内容だけど…」
しどろもどろに手塚に相談する大石は、いつも損な役回り。
「手塚って今日もご機嫌斜めだね」
「…ふむ、かなりの渋面だな。この2週間ほどの間、越前との時間が取れない上に、菊丸が越前に抱きついたからな」
少し離れた場所には不二と乾の姿。
「…それもデータ?」
「ここ2週間の手塚の行動パターンから分析した結果だよ」
不二と乾が同時に視線を手塚に向ければ、手塚は近寄り難いオーラをまき散らしていた。
その中で大石は必死になって相談しているから、同情してしまう。
「…このままでは手塚の周囲は低気圧だな。仕方ない、越前に頼んでおくか」
「そうだね…越前なら雨も晴れにしてくれるよ」
このままでは部活にも影響する可能性も捨てきれず、不二と乾はコソコソと計画を立てていた。
結局、菊丸にグラウンドを30周走らせた手塚だったが、どうにもその不機嫌は治らなかった。
理由として、テニス部の部長でもあり、生徒会の会長を務めている手塚は、その忙しさからリョーマとラブラブする時間が激減していた。
付き合った当時は、部活が終ってから、休日の部活終了後、その他暇があったらその時間の全てをリョーマとの時間に費やせたのに、今はその時間を割かないと与えられた仕事をこなす事が出来なくなった。
お陰で、この2週間ほどリョーマとの楽しい時間を過ごす事が出来なかったから、菊丸がリョーマに抱きついたのを見て、不満は一気に高まってしまった。
「ほら、後は頼んだよ、越前」
「…ういっス」
部活中の手塚の様子を乾から事細かに説明され、大石からは神妙な面持ちで部室の鍵を渡され、最後には不二に背中を押されるような形で、手塚の背後に立ったリョーマ。
黒々としている手塚のオーラはまだ消えておらず、乾からの通達で部員の姿は蜘蛛の子を散らすように消えていた。
「…手塚部長」
黙々と着替えている手塚を部活での呼び方で呼ぶと、手塚は静かに振り返った。
「リョーマ…」
振り返った部室の中は既に誰もおらず、2人きりになった手塚とリョーマ。
その瞬間から、手塚の硬い表情は崩れ始める。
「…国光、機嫌悪いの?」
リョーマも恋人モードのスイッチを入れて、話しを続ける。
手塚同様、リョーマも2人きりになると、今までの態度がコロリと変わる。
2人は他人が羨むほどのラブラブのカップル。
手塚とリョーマの性格から、付き合っても恋人というよりも友人っぽい関係になると誰もがそう睨んでいたが、2人の関係は絶対に有り得ない方向に進んでいた。
勝手に奥手だと思われていた手塚は、付き合って数日後には既成事実を作ってしまっていた。
簡単に言えば、2人はHしちゃった仲。
しかも、身体の相性は最高だったらしく、手塚はリョーマへの想いを更に深めていた。
「…2週間もお前に触れられなかった上に、菊丸がお前に抱きつくのを見たからな」
手塚は両腕をリョーマの背中にまわし、存在を確かめるように強く抱き締めた。
「そんな事で…」
逞しい腕に抱き締められると、リョーマも当たり前のように手塚の背中に腕をまわしてしがみ付いた。
「俺にとっては死活問題だ」
「…しかつ?」
「死ぬか生きるかの問題だ」
胸の中でリョーマが首を傾げるのを感じ、リョーマにわかるように手塚は説明した。
青学に入学する前までアメリカに住んでいたリョーマは、同学年以上に日本語が達者だが、難しい単語は理解していない。
「…俺は国光だけだよ、だから心配しないで。じゃあさ、ちょっと恋人らしいコミュニケーションでもしようよ」
ちら、と顔を上げてリョーマはニッコリと笑う。
自分だけにしか見せない可愛らしい笑顔に、降下していた手塚の機嫌は上昇気流に乗り始めた。
ベンチに座った手塚は早速眼鏡を外し、自分の脚の上にリョーマを跨らせて座らせた。
そして熱い抱擁とキスを心行くまで交わす。
時折、くちゅ、といやらしく濡れた音を立てながら交わされるキスは、大人がするキスと何ら変わらない。
「……ん…国光…」
潤んだ眼差しを向けられ、手塚は更に激しくリョーマの口腔を蹂躙する。
自分の背中に感じるリョーマの手は、奪われそうな意識を保つ為に学生服をぎゅっと掴んでいた。
そんな仕種も愛しくて堪らず、久しぶりに感じるリョーマの甘くて柔らかい唇の感触に、手塚は我を忘れて堪能していた。
「…国光…好きだよ」
息継ぎの合間にリョーマが手塚への愛を囁く。
そんなリョーマに手塚の不機嫌はあっさりと払拭されていた。
部活が終って、1時間ほど部室の中でラブラブしていた2人。
それだけで足りるはずも無く、手塚はリョーマを自宅にお持ち帰りする事を勝手に決めていた。
「…誰かを好きになるという事は生易しい感情では無いのだな」
「どういう事?」
「お前が誰かと一緒にいるをの見ただけで、ここに棘が刺さったみたいだ」
と、自分の胸に手を当てる。
「なんか心配症だね、国光って…大丈夫、俺には国光しかいないから」
リョーマは手塚の手の上から自分の手を重ねる。
「…ああ、そうだな」
重ねられた手の温もりにゆっくりと瞼を閉じれば、瞼の上に柔らかい唇の感触が降ってきた。
「ね、雨は止んだ?」
「どういう事だ?」
外は雨など降っていない。
リョーマの真意を確かめるように、手塚はリョーマの目を凝視する。
「さっきまでの国光って雨の日の空みたいだったから」
部活中の手塚の様子は見ていなかったが、乾の話から容易に想像がつく。
しかも部室の中でもイライラした空気を撒き散らしていたのだから、想像は確信に変わった。
「…そうか、そうだな。お前のお陰で俺の空は晴れたな」
手塚の応えにリョーマは綺麗な笑顔を作った。
次の日、手塚の機嫌が元に戻っているのを見て、計画が上手く行った事に乾達はとりあえずの安心をしていた。
が、これは束の間の晴れの日。
手塚の忙しさが無くなるまでは同じような事を繰り返す。
そのうち、リョーマは手塚の恋人兼、精神安定剤として認定されるのだった。
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