幸せへと続く長い坂道




目の前にあるのは、終わり無き坂道。
しかもかなりの急勾配の上り坂。

ここからでは全く見えやしない頂点に辿り着く為には、決して気を緩ませず、前だけをしっかり見て、一歩、また一歩と足を踏み出さないといけない。
もし、余所見でもしようものなら、一瞬にして振り出しまで転げ落ちてしまう事となる。
そこまで苦労して登った先には、一体何が待ち受けているのだろうか。

坂の途中にいる者には全く想像が付かず、頂点に辿り着いた者だけが全てを知っている。


「…なんだってさ」
「何かの文献なのか、それは」
リョーマが読み上げた文章を静聴していた手塚は、読み終えたその紙をリョーマから受け取った。
「ううん、図書館のゴミ箱に入ってた」

涼しい風が窓から入り込む手塚の部屋で、お互いの勉強を終えた2人は手塚の母である彩菜から差し入れてもらった紅茶を飲んだ後、ゆっくりと抱き合う為に、ベッドの上へと移動していた。
優しい抱擁にうっとりしていたリョーマは、持って来たバッグの中に変わった文が書かれている紙を入れていたのを思い出した。
「ちょっと、ごめん」
気になるとどうしてもそちらに頭が行ってしまう。
そう言うと、背中にまわっていた手塚の腕を外させてベッドから下りていた。
「リョーマ?」
短時間の抱擁だけでは物足りない手塚が後を追うようにベッドから下りると、目当ての物を取り出したリョーマを背後から抱き締めてベッドの上に腰掛けた。
リョーマは身体が安定してからそれを読み上げたのだった。

「ゴミ箱?」
リョーマの言う通り、それはノートに書かれていた物を破ったようだ。
捨てる際に丸めたのか、しわだらけになっている。
「そ、これはゴミなんだよ」
文章は丁寧にボールペンで書かれているが、ところどころにメモのような走り書きがしてある。
「…何かを写したのか、それともこれを捨てた本人が考えて書いたのか…どちらだろうな」
メモは鉛筆で書かれている。
文章の内容からして、捨てた本人が考えた物に近い。
「俺としてはどっちでもいいけどね。でもさ、何か気になったんだよね。その文章…」

丁度、図書委員の当番になっていたリョーマは、鍵を締める前にゴミ捨てに行った。
環境に配慮しているので、学校内ではゴミを燃やす事は出来ないので、校内の廃棄物は一箇所にまとめられている。
燃えるゴミを入れる大きな袋に無造作に入れていたら、3分の1ほどが袋に入らず、外に零れてしまった。
自分の入れる方法が悪かったので、誰にも文句は言えないが、ブツブツと文句を言いながらゴミを拾っていたら、その紙を見つけてしまった。
他のゴミは目に留まらなかったのに、何故か惹かれた。
くしゃくしゃに丸められていたのに、何故か開いてしまった。

「ね、気になるよね」
「ああ、そうだな。終わり無き坂道…か」
まるで小説の始まりのような文章。
謎掛けで終っている部分も、これまた気になってしまうが、さすがにこれを書いた人を探す事は出来ない。
「…頂点に着いたらどうなるんだろ」
「さあな…お前はどう思う?」
持っていた紙を手塚は器用にたたみ、リョーマに返す。
「……俺もわかんない」
自分の手に戻ってきた紙をじっと見つめても、答えなど出て来ない。
「…俺もまだ坂の途中なんだろうな」
「俺もそうだろうな」
この文章に沿って考えれば、自分はまだ坂道の途中に立っている状態だ。
テニスも、恋愛も、何もかもがまだまだ途中のはず。
頂点を極めるのはずっと先の話。
テニスの頂点ならば、世界ランキング1位を目指せば極められても、恋愛の頂点を目指すのはかなり難しそうだ。
男女間なら『結婚』がゴールとなっても、自分達は男同士なので日本の制度が変わらない限り、ゴールなんてやってこない。
「拾わなきゃ良かったかな…」
ちょっと暗い考えになりそうで、リョーマはシュンとしてしまう。
「いや、なかなか良いものを読ませてもらった」
お礼とばかりに、手塚は後ろからリョーマの頬にキスをした。


「終りの無い坂道…上り坂…」
しん、と静まった夜。
隣で眠るリョーマのあどけない寝顔を堪能しながら、手塚は昼間の文章を思い浮かべていた。
「…まだ気になってたの?」
暫くすると、隣で眠っていたリョーマが布団の中をもぞもぞと動いた。
「起こしてしまったか」
動いた事で布団が肩からずり落ちてしまい、直す為に手塚は手を伸ばす。
「…ん、国光の視線が気になって目が覚めちゃった」
「それは済まなかったな」
もうすぐ日付が変わってしまうこんな時間に、リョーマが起きているはずは無い。
授業後の部活の後は、自分達の愛を確かめる為に身体を動かしていたのだ。
手を抜いて出来るほど練習は簡単では無い。
その後での行為はリョーマの身体に多大な負担を掛ける。
だからこそ、行為をした後のリョーマは必ず熟睡している。
「ウソだよ…何か寝付けなくて」
眠い事は確かなのだが、手塚同様、あの文章がどこか引っ掛かっていた。
申し訳無さそうに謝罪するので、リョーマは何だか可笑しくなり、声を出さずに笑った。
「お前も気になっていたのか」
「ん、何かね…」
「そうか」
布団を掛けた後で肩の部分を軽く押さえ、落ちないようにする。
「でも俺は何となくだけど、坂を上り終わったらどうなるのかわかった気がする…」
それは今、この瞬間に思い付いた事だった。
さり気無い優しさが心に温かい灯火を点した後、モヤモヤとしていた頭の中が急にクリアーになった。
きっと、これが『答え』なのだろう。
「何だ?」
「…ナイショだよ。国光も自分で考えてみてよ。じゃ、お休み…」
答えを教えるのが勿体無いのか、リョーマはそれだけを言うと手塚に背を向けた。
「リョーマ?」
呼び掛けても返事は返ってこなかった。
返事をしたくないのではなく、寝てしまったのだろう。
その証拠にリョーマからは規則正しい寝息だけが聞こえる。
仕方なく手塚も目を閉じて、眠りに付く事にした。


『ここは?』
手塚が立っている場所は、まるであの文章のような急勾配の坂道だった。
『…夢の中なのか?』
他にも数人の人が懸命に坂を上っている。
どんな人物なのかは全くわからないが、必死になっているのだけはわかっている。
『坂の頂上…』
手塚は一歩ずつ前へ歩き出した。
『何があるのだろうか』
あの文章と同じならは頂上に辿り着けば、何かが待ち受けているはずだ。
暫く歩いていると、少し上から誰かが転がり落ちて来た。
助けようとして手を伸ばそうとしたが、手は動かない。
転がって来る人も決して助けを求めない。
『…自分の力のみで上がれと言う事なのか』
夢の中なのに自分の思い通りにならない事を知ると、手塚は前だけを見据え歩き始めた。

あと少しで頂上に辿り着く。
『これで終りだ』
最後の一歩を踏み出し、頂上に立ったその時…。
眩しい光と共に、手が差し出された。


「……朝か…」
いつもと同じ時間に目が覚め、軽い溜息が漏れる。
隣を見れば、昨夜と同じ形で眠っているリョーマの姿があり何故か安心する。
「夢だったのか、それにしてはやけにリアルだったな」
坂を上っていた足はダルさを覚えている。
差し出された手の大きさや色を覚えている。
「あれは誰の手だったのか…」
ふと、手塚はリョーマを見やる。
横向きで眠っているので、右手だけは布団から出ていた。
まさか、と思いながらその手を確認してみる。
「そうか、坂の上には…」
一回りも小さな手は夢の中と同じだった。

「…坂の上には“幸せ”が待っているのだな…」

きっとリョーマも気が付いたのだ。
坂の頂上に辿り着いた者に待ち受けている物が何なのか。
苦難や困難を乗り越えて、手にする物は…。

「…んー…」
身動ぎと共にリョーマは向きを変えて、閉じていた瞼を開いた。
焦点の合わない瞳が手塚の顔を捉えると、にこりと笑みを浮かべる。
「おはよう、リョーマ」
「おはよ…国光」
幸せそうに微笑むリョーマに、手塚も柔らかく笑みを浮かべた。

坂の頂上へ辿り着くと、こんなにも“幸せ”なのだ。



某ミュージシャンの曲のタイトルからです。
2人は一緒にいられる事が何よりも幸せなのです!