――― 甘い恋をしていますか?
ここは青春学園中等部のテニスコート。
輝く玉のような汗を流しながら、ひたすら練習をしている。
モチロン本日も、いつもと変わらずであります。
「おっチビ〜、一緒にやろ?」
今は授業後の部活の時間。
菊丸英二は練習前のストレッチの相手に、1年生で異例のレギュラー入りを果たした越前リョーマを誘った。
猫のように口の端をくいっと上げて、人懐っこい笑顔を見せている。
本来なら自分ともう一人で黄金コンビと呼ばれる、大石秀一郎を誘うのだが、最近はリョーマを誘う。
「おチビ?」
返事を返さない相手をもう一度だけ呼ぶ。
テニスコートの端でシューズの紐を直していたリョーマは、その手をピタリと止めた。
そして自分を誘う菊丸の顔を凝視している。
それに対し菊丸は、不二ほどではないがニコニコと笑顔のままだった。
何だか嫌にワケありな笑顔が、リョーマに不審感を感じさせた。
実は、リョーマを誘うのにはワケがあるのだ。
その理由とは……。
「ヤダ!部長とするからいい」
……これである。
紐をしっかりと結ぶと、立ち上がる。
とんとん軽く地面を踏み、履き心地を確かめる。
「…よし」
実はリョーマは常に部長の手塚国光を相手に選ぶのだ。
普通なら何とも思わないのだが、この2人が普通ではないから困るのだ。
「あっ、部長〜。一緒にやろ?」
菊丸の誘いを断ると、自分に近付いてきた手塚に対し手を振っている。
1年生が部長に対する言葉遣いとしては、かなり失礼だがこれを言われた人物は何も言わない。
それよりも、少し小首を傾げて誘う姿に、普段では絶対に拝む事の出来ない笑顔を見せるのだ。
「お、おチビ…」
菊丸はリョーマを止めようと、つい手を伸ばした。
が、その前に手塚がリョーマの手を取ると、ぐいっと引っ張りその身体を自分に引き寄せる。
「ん、何だ?今日も俺でいいのか?」
少し低めのテノールで、リョーマの耳元に囁きかける。
そしてリョーマの柔らかな頬に、軽くキスをした。
他から見れば、ただのバカップル!そう、馬鹿丸出しのカップルだ。
しかし、本人達は至って真面目だから、本っっ当に困る。
イチャイチャと音がしそうなほど、ラブラブっぷりを全面に出して、2人は仲睦まじいのを見せていた。
いや、どちらかと言えば、見せつけていた。
「うわ〜、ハートが飛んでるにゃ〜」
「本当っすね…」
実際に見えるはずが無い物までも見えてしまう。
「今日も一段と仲が良いね」
コレを見るのはイイカゲン慣れてきたが、毎日がこの状態なので実際問題かなり辛い。
「今日も失敗だったね」
「あそこで、手塚が来なかったらいけたのに」
不二と菊丸は今日の反省会を行っていた。
まさか手塚が、リョーマによってここまで変わるとは、一体誰が想像できたか!
…いやいやいや、誰も想像できなかった。
出来る訳が無かった。
初めのうちは、「何か変かな?」くらいにしか思わなかったのに。
“変わる”なんて、そんな簡単な言葉で片付けられるほど、手塚の変化は普通じゃなかった。
先程なんてのは、ほんの一例で、所構わずリョーマとの愛を確かめ合うのだ。
今までも、イロイロな事をやらかしてくれている。
特に休憩中なんて、目を逸らしてしまうほどくっついている。
ある日の2人は、木の下で日差しを避けていたのだが、その格好がおかしい。
木に凭れかかっている手塚の脚に、リョーマは頭を乗せている。
俗に言う『膝枕』である。
それはついては、まだ許す。
しかし、逆バージョンが問題なのだ。
あの手塚が、手塚国光が、リョーマの脚を膝枕にしているのだ。
初めて見た時は、誰もが目を疑ったものだ。
何度も目を擦っては「幻だ、蜃気楼だ」と、全員がその場から去っていくのだ。
その時の手塚は、リョーマの頬に手を伸ばして優しく撫でていた。
『幸せそうな恋人の図』
まさに、コレだった。
嘘のような話だが、真実なのだから仕方が無い。
ついでにそれを見た部員達の腕に、ちょっと鳥肌が立ってしまったのは言うまでも無い。
違う日の時は、木に凭れて座っている手塚の脚の間に、リョーマが座っていた。
手塚の手は、もちろん!リョーマの身体の前。
大好きなファンタグレープを飲むリョーマを、優しげな視線で見つめているのだ。
その視線の怪しさと言ったら、まるでストーカーチック。
この時は、首まで鳥肌が立っていた。
それから、汗を掻いた後に顔を洗いに行けば、タオルを大事そうに胸に抱えているリョーマがいた。
どうやら手塚が顔を洗っているようで、ジャバジャバと音がしていた。
どうしようかと悩んでいると、水の流れる音が止まり、手塚がリョーマに手を伸ばしていた。
即座にタオルを渡すリョーマ。
それで顔を拭く手塚。
「ありがとう、リョーマ」
「どういたしまして、国光」
ここまでは、普通だったのに、この後がどうにもこうにも…。
「…お前は本当に優しいな」
「国光だけにだよ…」
「ふっ、そうだな。他の奴にこんな事をしたら」
「したら?」
「…お仕置きだな」
「もう、国光ったら…」
自分達の目の前で、濃厚なラブストーリーが始まり出した。
即行でくるりと踵を返し、その場から離れるのが懸命だと走り出した。
その時のスピードは、自分達の中で最速を計測した。
きっと今なら、誰にも負けない。
そんなスピードだった。
それから、ランキング戦の時は精神的に辛かった。
リョーマも1年生ながらにレギュラーの座を取れる、このランキング戦に加わっているのだ。
勝利した者にだけ与えられる、レギュラージャージを巡り、戦いが始まるのだ。
リョーマと手塚は、残念ながら対戦する事が出来なかった。
だがしかし、リョーマは試合が終わる度に手塚に報告していた。
ぱたぱたと走り、別のコートにいる手塚も元へ走る。
「大石副部長に勝ったよ」
「そうか、良く頑張ったな」
リョーマが勝つと、手塚はその頭を優しく撫でるのだ。
それが褒美のように、何度も撫でる。
だがしかし、反対に負けると、これがまた凄い状態になるのだ。
「不二先輩に負けちゃった。…あと、ちょっとだったのに」
「次は大丈夫だ、お前なら絶対に勝てる」
頭を撫でるのは勝った時と同じなのだが、この後が鳥肌モノなのだ。
「まじないをしてやろう…」
そう言うと、手塚はリョーマの手を取り自分の口元に近付けて、その甲にやんわりと口付ける。
その行動を直ぐ横で見てしまった菊丸と桃城は、まずは目を大きく開き、ついでに口も大きく開いた。
信じられないような顔をして、それを眺めていた。
実際には見てしまった全員が、同じ顔をしていたのだが。
見逃した者達は、何が起きたのか全く分からずに、きょろきょろとしていた。
見た者達の戦意は、それによってかなり喪失状態に陥っていた。
手塚とリョーマの関係は、顧問である竜崎には、全く気付かれていないのが幸いだ。
もしも、知られたらどうするのか?
部内恋愛禁止?
それより前に恋愛というのは、本来『男』と『女』で行うのが通常の関係だ。
多分きっと知ったら、あまりのショックでその場で倒れるのでは?
有り得る状況に、誰もが真実を告げられずにいた。
それから最近では。
徐々に気温が高くなっていたので、ジャージを脱いで部活をしているのだが。
またこれが、この2人にとっては…。
「越前!」
「何スか?」
唐突に名前を呼ばれ、リョーマは手塚の傍に寄る。
手塚は小さなその肩を抱き寄せて、リョーマに聞こえるだけの小さな声で呟く。
言い終えると、リョーマは顔を赤く染めて、手塚の胸元をポカポカと叩いた。
その少し後で、部内恐れるもの無しの不二周助が、リョーマに手塚が何を言ったのか聞いていた。
「へー、そうなんだ」
「うん。もう〜、恥ずかしいよ」
照れながらそんな事を言う割には、何だかとても喜んでいた。
楽しい事が大好きな菊丸が、止めておけば良いのに、不二に「何だった?」と聞いた。
「聞きたいの、英二?」
「うん、うん。教えて」
「聞かない方がイイと思うよ」
「大丈夫だから、教えて。ねーねー、不二ぃ」
キラキラと両目を輝かせて、好奇心を剥き出しにしているので、少し躊躇ったが教える事にした。
「『薄着になると、肌の露出が多くなって、目に眩しいな』だってさ」
多分、手塚の言い方を真似している不二に、菊丸は目をパチクリさせて耳を疑った。
暫くの静けさが、2人だけの世界にしていた。
「……うにゃ〜、神様、助けてぇぇぇー」
意識を現実に戻すと、菊丸はコート中に響く声で叫んだ。
ついでに天を仰ぎ、キリスト教でもないのに胸で十字を切っていた。
「だから、聞かないほうがいいって言ったのに…本当におバカだね」
その後、騒いでいた罰で、グラウンドを走らされた。
どちらかと言えば、手塚に「お前が走れ」と言ってしまいたい。
あぁ、言えないのが悔しい。
と、まぁ、イロイロとやられていて、部員達は大変な思いをしている。
それなのに、この2人は一向に止まらない。
「や…ちょっと、そんなトコ触んないでよ」
ストレッチをしていたハズなのに、知らない間に手塚の手はリョーマのユニフォームの中。
どうやら、直接素肌に触れているらしい。
その動きがくすぐったいのか、身を捩って逃げようとする。
「少しくらい、いいじゃないか」
「…少しって…」
脇腹を両手で触っていた手塚は、リョーマに文句を言われると、仕方なくその身体から手を離す。
いやいや、善くないだろう。どう考えても!
と、心の中で思っても、決して口に出さない。
出せない。
でも、言いたいな……。
「部活中でもスキンシップは大事だぞ」
「そうなの?」
「そうだ」
そんなワケないだろ!と突っ込みたい気持ちがよくわかる。
あの手塚が、部活中にそんな不埒な事をするなんて。
まだ、あの“おまじない”の時の方がマシだった。
「ふーん、そうかもね。…じゃ、俺もする」
きゅっと手塚の腕にしがみ付き、チュっと頬にキスをする。
「リョーマ…お前は本当に可愛いな」
「もう〜、国光のバカ」
などと、本日も「お前ら2人ともバカだろ?」な会話をしているのだ。
誰もこの2人を止められない。
止められる人がいたら、絶対に頼み込んでいただろう。
それが、神であろうと悪魔だろうと…。
「でもさ、実際。あの2人ってどこまでいってるんだろ?」
部活が終わった後、着替えの為に部室へ戻ったレギュラー達は、菊丸の発言にギョっとした表情を浮かべた。
それもほんの一部だが。
不二とか乾辺りは、かなり楽しそうにしている。
「…どこまでって?あの2人どこかに行ってるの?」
どこかズレている河村の問いには、海堂を抜いた全員が吹き出していた。
「ふふ、違うよ。タカさん」
「違うって?何が?」
まるっきりワケが分からない河村は、不二に尋ねてしまった。
この人物に尋ねる事が、一番危険なのだと河村は知らない。
「英二が言いたいのはね…」
「ちょい、待った。タカさん、時間は大丈夫?」
菊丸はかなりヤバイ雰囲気を出している不二に気付き、家の手伝いをしている河村に時間の確認をさせた。
不二がとんでもない事を言う前に、対処する必要性がある。
ラケットを持っていない時の河村は、本当に只の良い人だから。
「え?あっ、もうこんな時間だ。俺は先に帰らせてもらうな」
河村は、時計の針が既に良い時間になっていたのを見ると、荷物を抱え慌てて帰って行った。
ホッとして不二を見れば、非常に残念そうな顔。
「せっかく教えてあげようと思ったのに」
そんな事を言うから、菊丸は河村を帰らせて良かったと本気で思った。
もしも帰らせていなかったら、どうなっていたか…。
「不二は、余計な事まで言いそうだからな」
乾も不二の思惑に気が付き、菊丸の意見に賛成した。
ついでに海堂も桃城もが、大賛成だった。
「でもでも、気になるにゃ〜」
「本人達に聞くのが一番だけどね」
「言うかな?あの2人が?」
「言わないっすよね〜」
「…言えねぇっすよ」
「…こんな事を話していても仕方ないだろう」
それぞれの意見を言い合う5人に、大石は呆れたようにしている。
手塚の変化を誰よりも早く察し、誰よりも早く諦めたのが大石だった。
テニスへの情熱に対しては、前と変わらないので特に問題は無い。
どちらかと言えば、表情とかも柔らかくなって良いのでは?なんて思ったくらいだからだ。
大石ほどの常識人が諦めたのだから、そろそろ他の全員も諦めた方がいい。
「何だ?まだいたのか」
6人で話し合っていた部室内に、この話題の主人公達である手塚とリョーマが入って来た。
その声に大石は、つかつかと2人に近付いた。
「手塚…越前……お前達は正しい交際だよな?」
大石は今まで話していた内容を思い出し、口に出してしまっていた。
言うつもりなんて微塵も無かったのに、心の奥底では気になっていたのだろう。
他の皆も驚いて大石を見ていた。
「どういう事だ?」
「あっ、そ…それは…だな…」
手塚は大石の言葉に訝しげに眉を寄せ、その意味を尋ねた。
リョーマは『わからない』、と首を捻るだけだった。
両極端な反応に、苦笑いを浮かべる大石意外の全員。
「あ、あのね。二人はどこまでの関係なのかにゃ〜って思って」
菊丸は隠していても仕方無いと、自分の失言に黙ってしまった大石の代わりに、元になった自分の発言を再び口にした。
「どこまでって…何それ?」
リョーマとしては、自分達の話題で盛り上がっていたのに少し不満顔。
それに対し、手塚は無表情のままで考え込んでいる。
「…それは、俺達がセックスしたかという事か?」
さらりと言いのける手塚の表情は、やはり無表情のままだ。
……うわー、言っちゃったよ。しかも手塚自ら!
しばしの間、静寂がその場を制していた。
しかも、あの不二までもが、黙ってしまっていた。
「…そんなコト、言わないでくれる?」
「すまないな…」
照れながら、手塚のユニフォームを掴んでいるリョーマは、耳まで赤くなっている。
恥ずかしいのか、もじもじとしている。
その頭を優しく撫で、リョーマの機嫌を治す。
リョーマの一言で、静寂から抜け出した6人。
それで、嫌でも判明してしまった。
2人はヤッたんだ!という事を。
Hしたんだ!
この手塚が、この越前と!
「…そ、そうなんだ。へ〜。エヘヘ」
「あ〜、そうなんすか。ははは…」
菊丸と桃城は、聞かなきゃ良かったと反省した。
実はほんのちょっぴり想像しちゃったりなんかして…。
「あはは…」
「へへ…」
愛想笑いを浮かべ、互いの顔を見てアイコンタクト。
もうこの話題から離れようとした。
「でも、手塚も一人前の男だったんだね」
それなのに、不二は手塚の肩を叩き、詳しく聞き出そうとしている。
「ふむ。手塚もやる時はヤルんだな」
乾もノート片手に、一歩前へ進んだ。
「何だ?」
眉を顰めると、自然に額に皺が寄る。
中学からこんな顔をしていたら、跡が残ってしまいそうだ。
「ちょっと、聞いてみたいなぁ」
「…そうそう、後学の為にね」
不二と乾は楽しそうにしているが、残された菊丸達にしてみれば、たまったものではない。
出来ればこの話題はもう終わりにしたい。そして、早く帰りたい!
タラタラと背中を流れる冷や汗と引き攣る笑顔。
誰でもいいから俺達を助けてくれ〜。
「ちょっと、待ってよ」
それに助け舟を出したのは、何とリョーマだった。
腰に手を当てて、不二と乾を睨んでいる。
でも睨まれても全く怖くない。
「俺達がどういう関係でも、先輩達にはカンケイないでしょ」
リョーマは睨みながらも、呆れた表情を浮かべていた。
実際にはかなり関係があるのだが、今の状況から抜け出せるのならば、その意見には頷くしかなかった。
「それもそうだな。残念だが、プライベートな内容を教える訳にはいかないな」
手塚はリョーマに従い、それ以上は何も話さないと、その場から抜け出す。
そのまま着替えの為に、ロッカーの前に立つ。
「お前達、まだ帰らないのか?」
ユニフォームに手を掛けても、まだ動く気配の無い6名。
不図、思い出したように、菊丸達に視線を向けた。
「にゃ?…あ、もう帰るにゃ〜」
「そ、そ、そうっすね」
「…お先に失礼します」
「じゃ、俺達は先に帰らせてもらうな」
そそくさと帰るのは、菊丸以下4人。
「せっかくのチャンスだったのに」
「惜しかったな…」
名残惜しそうに帰るのは、不二と乾だけだった。
バタンと閉められたドア。
残された二人は、楽しげに笑っていた。
「…やっぱり、俺達の事が気になるんだ」
「ま、そうだろうが…」
あれだけ部活中でもイチャイチャしていたら、誰もが気になるだろう。
実はこの2人は、そうなるとわかっていて、あのような行動をしていたのだ。
リョーマは、手塚がかなりモテルと知っている。
生徒会の会長に部活の部長。
勉強の成績は優秀だし、運動だってテニスだけじゃない。
兎に角、人より前に出ているだけに、それだけ人気がある。
しかも、カッコイイ。
リョーマから見た手塚はこんな感じ。
手塚は、リョーマがかなり人目を惹くと知っている。
小さい身体に秘められたパワー。
その姿に誰もが魅了される。
少年は時に魅惑的な表情を見せる。
その姿は妖艶な美女のようにも感じられる。
それは自分がそうだったから。
だから牽制の為に、人前でもあのようにしているのだ。
何時頃からなのか、2人が互いを気に出したのは?
そして何時の間にか、2人は付き合い出していた。
所謂“恋人”として。
しかも互いの家族にも、キッパリと断っておいた。
だから両方の家族に公認で、お互いの家にも泊まるほどの仲だ。
イチャイチャモードは、互いの家に行ってもそのままだ。
「でも、ナイショだよね」
「まぁな、お前の事を話すなんて、勿体無くて出来ないな」
着替え終わった手塚は、部誌を書く為に椅子に座る。
そしてリョーマを待たせてはいけないと、猛スピードで書き終えた。
急いで書いたとは思えない綺麗な文字なのは、流石は手塚だ。
「国光」
「何だ?」
リョーマがその前に立つと、腰に腕をまわし身体を引き寄せる。
「俺も勿体無くて話せないよ。俺、国光が大好きだからね」
「あぁ、知っている…」
「えへへ…」
リョーマは、手塚の髪を梳くように撫でる。
その手を心地良く感じ、丁度、胸の部分に顔を埋めた。
不意に、チラリと窓を見た手塚は、そこにいる人物に一瞥をくれた。
それをコッソリ覗いていたのは、不二と乾。
「やっぱり、気付いていたか」
「流石だね」
自分達が見ている事を知りながら、リョーマと抱き合うなんて手塚のリョーマ執着度はかなり高い。
乾は問題無いが、不二はリョーマに対し、少なからず好意を持っていた。
だから手塚は部活中でも不二に牽制の意を持って、リョーマと接しているのだ。
あそこまでイチャイチャしなくてもいいとは思うのだが。
「でも、手塚をあそこまで変えた越前もすごいな」
乾は手塚よりもリョーマに対し、興味が沸いたようだ。
青学テニス部ルーキー。
背丈なんて、乾と比べたら大人と子供。
なのに自分を負かすほどの力を、あの小さな身体に秘めているのだ。
これに興味を示さない方が珍しいだろう。
「…そうだね」
乾のデータマンとしての熱が、リョーマに向いたのは少し不満だが、不二も同じ意見だった。
もう暫く、この2人の様子を見てみよう、と2人は決意した。
一学期の学期末テストを終えて、部活に打ち込めるようになった部員達。
再び始まるあの2人の動きを、今か今か、と待ち構えていた。
どうやら、諦めて見守る事にした。
いや、見守るというのか、少し楽しみになっているようだ。
――― 全員が揃う前の事だった。
「部長〜」
その片割れであるリョーマは、一枚の紙を持って、嬉しそうに手塚の前に登場した。
「どうした?」
何時ものキリリとした表情から、本当に嬉しそうなデレ〜とした表情に一変する。
ついでにリョーマの腰に手をまわす。
この手の動きからしても、タラシ系の素材を持っているようだ。
「ほら。見て〜」
じゃーん、と持っていた紙を、手塚の目の前に差し出した。
それはテストの答案用紙。
「良く勉強したな」
「えへへ。平均が43点だったんだよ」
リョーマの持っていた答案用紙は、古典だった。
それは生まれも育ちもアメリカの、リョーマが最も苦手とする科目。
中間テストでは、見ていられない点数だった。
しかし今回は違った。何と、56点。
手塚を基本にしてみれば、何とも情けない点数。
しかし中間テストが一桁だったリョーマにしたら、かなり良い点数。
しかも平均点より良い点数なのだ。
「部長。約束だよ?」
「あぁ、わかっている」
どうやら、このテストで何かを賭けていたようだ。
一体、何を約束したのか?
あぁ、またしても、止めておけばいいのに、めくるめく禁断の世界に入り込もうとしていた。
後で後悔するのに決まっているのに、何故か気になって仕方が無い。
じわじわと浸食されていく、バカップルの動きに、部員達の足は少しずつ2人に近寄っていた。
「国光…」
「リョーマ」
手塚は直立するリョーマの頬に手を添えた。
ナヌ?まさか、ココで?このコートの中で?
リョーマは顔を上げて、目を瞑っている。
その顔に近付いていく手塚の顔。
これは、どう見ても………アレだろう。
どう考えても、『アレ』しかない。
「わ〜。スゴイモノ見ちゃった」
菊丸は偶然目撃した2人の行動を、バッチリ頭の中に記憶した。
どうやら約束とは、『キス』だったようだ。
「あれれ?」
だが、待てよ。
2人はHする仲なんだよな?
“キス”なんて、お子様チックなモノを約束するのか?
うーん、と悩んでいると、横に不二がやって来た。
「英二。あれは、僕達の前でのキスだよ」
「え…。あ〜、な〜るほどね」
これまで、頬への軽いキスはちょくちょく見かけていた。
だが今回のような、マウス・トゥ・マウスのキスを見るのは初めてだった。
「はい、はい、手塚。そこまでだよ」
パンパンと手を叩き、2人の行動を止めに入る。
始めはリョーマの頬に手を添えて、キスをしていた手塚だったのに、右手は腰に左手は後頭部に。
リョーマも両腕を手塚の首にまわし、かなり濃厚なディープキスになっていた。
不二が近付いてきたので、手塚は舌打ちをして、リョーマの唇から自分の唇を離す。
本当に悔しそうな顔をするから、ヤケにムカつく。
「手塚ってどこでもサカるんだね」
ニコニコニコニコ……。
「リョーマを目の前にして、平常心ではいられないな」
ニコニコニコ……プチッ。
「君って、羞恥心とか道徳心とか、普通の人が持っているモノ、無かったっけ?」
「覗き行為をするような輩に言われたくないな」
ゴオォォォーっと突風がコート内を吹き荒れる。
それは菊丸の想像の中だけで、実際は雲一つ無い晴天だ
―――両虎相闘えば勢い倶に生きず
そんな言葉を習ったけど、これには当てはまらない。
これは力量に優劣のない両雄が戦えば、どちらか一方が倒れる。
もしくは両方ともが倒れることを言うから。この2人は決して倒れる事は無いだろう。
―――竜虎猛突
この場合はこっちが良く似合う。同じ力量を持った者達の戦いだから。
一体どうなる?
でも自分には関係無い事なので、菊丸はそれを見守っていた。
「ねぇ、もう練習しようよ」
その横で暫くは2人の成り行きを見ていたリョーマは、飽きたのか練習したいと訴える。
手塚のユニフォームを引っ張り、自分に意識を向けるようにした。
ちょっと上目遣いで、手塚をじっと見つめている。
「それもそうだな」
「…そうだね」
リョーマの一言により、コロリと態度を入れ替えた手塚は、何事も無かったように部員達を集合させた。
「今日は先生がいないが、練習内容を渡されたので、これを行う。乾…」
スミレがいない時は、常に乾に任せている。
この男のデータから、最適な練習方法を作るようにしているのだ。
「体力作りを主にした内容だな」
まずは、コートの周囲を走る。
もちろん時間制限があり、それを超えた者には、ペナルティーとして、乾特製野菜汁を飲むのだ。
それは不二を抜いた、誰もが嫌がる一品だ。
どうしたら、これほどまでに不味くなるのかが、知りたいくらいに不味い。
知ったところでどうすることも出来ない。
結局、レギュラー以外の全員が飲む事になっていた。
飲んだ者達の反応は、それはそれは恐ろしいものだった。
「今日は、疲れた〜」
「そうっすね」
体力作りは、ヘトヘトに疲れる。
ほとんどの者達は、着替え終わると即座に帰宅する事を余儀なくされた。
それほど、キツかったのだろう。
「あれ?おチビは」
「外にいるよ。ほらアソコ」
窓から見てみれば、リョーマは手塚と話していた。
「あ〜あ、ラブラブだにゃ〜」
「いつまで続くんだろう」
「きっと俺達がいなくなるまでは、このままだ」
「へ〜。仲が良いんだね」
「先輩達がいなくなったら、どうなるんすかね」
「…変な事、言うんじゃねぇ」
「んだと。コラァ」
喧嘩が始まりそうな、桃城と海堂を何とか宥めて、もう少し2人の様子を眺める事にした。
「あっ、マズイ」
「どうしたの?英二」
窓からじっと見ていた菊丸は、慌ててその場所から離れた。
「おチビと目が合っちゃった」
「手塚が乗り込んでくる前に帰ろうか?」
「そうっすね」
「早く帰ろう」
イソイソと帰り支度を始めて、2人が入ってくる前にこの部屋から出る事を第一に考える。
ドアが開くと同時に手塚が文句を言うのは目に見えていたので、それを見計らって部室を出る事に決めた。
…1分…2分…3分。
しかし、何時まで待っても現れない。
「…入ってこないな」
「そうだね」
待ち構えていると、なかなか来ない。
「帰ろうか…」
「そうするか」
全員は支度も済んだ事なので、2人が来ないのなら、とそのまま帰ってしまった。
「帰った?」
木に隠れて様子を伺う2人。
「ちょっと待て…。よし、帰ったな」
2人は全員が帰るのを見届けてから、こっそり部室へ入った。
どうせこうなると思っていたので、あえて怒鳴り込まないようにした。
少し気の抜けた顔で帰っていくのを見るのは、なかなか面白かった。
「…先輩達もまだまだだね」
「たまには、こういうのもいいだろう」
「そうだね」
「今日はゆっくり出来るな」
2人きりになれば、人の目を気にしないで愛を語らえると言うものだ。
語らうだけで終わるとは到底考えにくいが。
「国光…」
「…リョーマ」
この後の2人がどうなったのか、誰も知らない。
だってこの2人は、砂糖菓子のような、甘い恋をしているのだから。
蕩けてしまいそうな、甘い甘い恋。
でも、手塚とリョーマの2人にはどれだけ食べても嫌にはならない、丁度良い甘さなのだ。
ごちそうさまでした。
|