眺めの良い場所




それは3時間目が始まる前の短い休み時間の事だった。

「あっ、おチビだ」
「…本当だ。次は体育みたいだね」
3年6組の教室には不二と菊丸の2人のレギュラーが在籍している。
このクラスでは月に1度の席替えが担任から提案されて、つい先日新しい場所に席が替わったばかりだった。
菊丸は窓際の1番後ろで、その前が不二という、絶好のロケーションを楽しめる場所に2人共が配置され、休み時間に不二とお喋りをしていた菊丸が偶然外を見たのが事の発端だ。

「おチビの体操服って何か新鮮」
「そうだね。部活はレギュラーのユニフォームだし」
風通しを良くする為に開いている窓から見下ろす形になっていても、2人は下を歩いている人物がリョーマだとすぐにわかった。
「う〜ん、眩しいにゃ」
「本当、キラキラしてるね」
それは不二と菊丸がリョーマに惚れているからこその目の錯覚に過ぎないが、2人には眩いばかりに光って見える。
「当たり前だけど、短パンはハーフパンツより短いから脚のラインが良くわかるね」
スラリと伸びた脚は見事に無駄が無い。
「帽子も無いから顔も良くわかるしにゃ〜」
艶のある黒髪は風が吹けばふわりとなびく。
その姿は絵画から抜け出したヴィーナスに匹敵する。
「カワイイにゃ〜」
「うん。とってもね」
瞬きするのも勿体無いと、試合よりも真剣な眼差しでリョーマだけを見つめていると、先を歩いているリョーマを追い掛けて来たクラスメイトが極自然に話し掛けた。
何を話しているのかまでは流石にわからないが、リョーマがその相手と普通に会話しているのはわかる。
「「羨ましい」」
深い溜息と2年の差からのセリフは、同じタイミングで不二と菊丸の口から出ていた。
「何でおチビは手塚なんかを選んだんだろ…」
羨ましいのはクラスメイトだけに対してだけでは無い。
全く気付かないうちにリョーマは手塚とデキていた。
恋愛に興味が無さそうな2人だと思いきや、意に反して2人は普通に恋愛を楽しんでいるのだから、間に入り込む余地が無い。
「…僕じゃ駄目なのかな。こんなに想っているのに…」
「俺だって、手塚なんかに負けないにゃ!」
想う気持ちだけは誰にも負ける気がしないが、相手がこちらを見ない限りは自分達に勝ち目は無い。
「…本当に何で手塚なんだろうねぇ」
本人が聞いたら、絶対に眉間に深いしわを刻んでいただろう。
しかしその口から不二と菊丸のコメントに対するコメントは無い。
何故なら、これは一方通行の恋では無く、リョーマも手塚を選んだのだから。
「「はぁ…」」
もう一度吐いた溜息も、面白いくらいに息が合ってしまっていた。


その頃、2人の話題の人物がいる手塚が在籍している3年1組では…。

「体育か…」
次の授業に必要な一式を机上に出した手塚が、何気なく見つめた外の景色にリョーマがいた。
他の生徒もいるのだが、リョーマの圧倒的な存在感にリョーマ以外は視界に入らない。
部活では一度も拝んだ事が無い学校指定の体操着。
学年ごとに異なる色を着用していて、今は3年生が緑色で2年生は青色、そして1年生はエンジ色。
「なるほど、この場所なら周囲を気にせずに拝めるわけか…」
1組は生徒の要望により1週間前に席替えを行った結果、珍しい事に手塚は菊丸と同じ位置に替わっていた。
この2年と数ヶ月、窓際や廊下側の席には縁が無かったので、なかなか味わえない雰囲気を手塚なりに楽しんでいた。
「手塚君、何だか疲れているのかしら?」
「きっと、そうだよ。手塚君っていつも忙しいから」
「それじゃあ、そっとしておいた方がいいよね」
「うん、そうしよう」
今もリョーマの姿を眺める事に集中している姿が、どこか物憂げな雰囲気を醸し出しているので、クラスメイトは気を遣って側には寄らないようにしていた。
誰にでも1人になりたい時があるもので、普段から忙しい手塚をクラス全員が労っているのだ。
しかし、手塚の極めて真面目な性格だからこそ、誰も真実に気が付かないのは手塚だけの利点だ。
手塚が1年生の、しかも特定の男子の体操着姿を真剣に見ていて、ついでに劣情をもよおしているなんて誰も思わないだろう。
手塚の頭の中では伏せ字になりそうな言葉ばかりが次々に浮かんでいるのだから、テニス部の部長であり、生徒会の会長まで務めている人物としては問題である。
「…たまには誘ってみるか」
見ているだけでは物足りなくなった手塚は、チャイムが鳴ると同時に部活後の予定を勝手に立てていた。

「おっチビ〜」
「越前」
夕方の部活が終り、リョーマは全ての誘いを断り、部誌を書いている手塚をベンチに腰掛けて待っていた。
初めの頃はリョーマが誰かを待っている状態に誰もが違和感を覚えたが、これも今では日常茶飯事の光景になりつつある。
ぶらぶらと足を揺らし、暇そうにしていたリョーマに話し掛けるのは、菊丸と不二の通称36コンビ。
光を遮るように目の前に立たれたので、リョーマは仕方なく顔を上げた。
「何スか?」
「おチビはやっぱり短距離が得意なんだにゃ」
「誰も越前には勝てなかったね」
「…授業を見てたんスか?」
何の事だろう?と考え込むが、今日1日で部活以外に走ったのは体育の授業中しかなく、その事かと訊ねる。
「僕達のクラス、3時限目は自習だったからね」
「それに俺達は窓際だから、グラウンドがばっちり見えちゃうんだよにゃ」
へぇ、そうなんだ」
何気ない会話も2人にとっては幸福な時間。
36コンビはリョーマに片思い中。
両想いになる確率は乾に言わせれば0%。
しかもリョーマは別の相手にフォーリンラブしていて、しかもその相手もリョーマの恋心を抱いていたから、話はあっさりまとまってしまった。
2人には入り込む余地なんて全く無かった。
だけど諦めはしない。
恋人が無理なら他の位置についてやる、と毎日様々な方法でアタックしているのだ。
「窓際の席か…ふーん」
「おチビの席は?」
「俺は廊下側なんで、景色を楽しむなんて絶対に無理っス」
「そうなんだ。でも席替えするでしょ?」
「…替わったら今の場所になったんス」
その前は3列目の丁度真ん中の席。
「うわ、最悪」
「でも、英語の授業は平気で居眠りしてたっス」
「やっぱり、おチビだにゃ」
先生にとっては格好の的。
そんな場所でも居眠りをしていたリョーマに、心の中だけで拍手を送った。
「英二、不二、そろそろ帰らないか?」
井戸端会議のような会話を繰り広げていると、後ろから声が飛んで来た。
そのままにしておくと何時までも続きそうなので、大石が気を利かせて声を掛けてくれるのだ。
「あっ、もうこんな時間。じゃ、帰ろっか」
「そうだね」
2人が荷物を持った所を確認してから、大石も自分の荷物を肩に担いだ。
不二と菊丸を先に出させてから、大石がドアから手塚にサインを送った。

「手塚、後は頼むな」
「わかった」
大石は手塚とリョーマの良き理解者であるが故、こういう時はかなり積極的に手伝ってくれる。
「越前もお疲れ様」
「ういっス、大石副部長もお疲れっした」

不二と菊丸、そして大石が帰ると、部室内は手塚とリョーマだけになる。

「…リョーマ、腹は減っているか?」
ようやく2人になれて、手塚は先輩モードから恋人モードに切り替えた。
部誌を書き込みながら、手塚はリョーマに訊ねる。
「俺?5時限目が調理実習だったから、それほど…」
「珍しいな、昼から調理実習とは」
「何か先生の都合みたいっスよ。だからそんなに減ってないっス」
本当は4時限目のはずだった調理実習は、5時限目に行うはずだった数学と入れ替わり、しかも調理実習の内容がリョーマの大好物の茶碗蒸しだったので、残さず食べてしまった。
「では、まだ帰らなくてもいいか」
いつもなら部活後は「腹が減った」とぼやくのに、今日に限っては無さそうだ。
それならば、と手塚はリョーマに遠回りに誘いを掛ける。
「…何かあるんスか?」
「いや、特には無いが…」
時間を掛けて書いていた部誌もそろそろ書く所が無くなり、手塚はパイプ椅子から立ち上がり、今度はベンチに座るリョーマの横に腰掛けた。
「やっぱり何かあるんでしょ」
「…俺も窓際の席に移動した」
「国光もなの?何かイイなぁ」
不二と菊丸だけでなく、手塚も窓際の席だと聞いて、恨めしそうに呟いた。
「ああ、俺もそう思った。あのような風景が楽しめるのなら、窓際も良いものだ」
「風景?」
手塚が楽しめるようなものが校舎から見えるのか、とリョーマは首を傾げる。
「お前が風のように颯爽と走る姿だ」
白い雲と青色の空とも絶妙に合っていて、授業なんてほとんど身に入らなかった。
「…あんたも見てたんだ」
恥ずかしい、と顔を背ける。
「俺としては不二と菊丸も見ていた事が悔しいがな」
「…悔しいって、国光だって同じだよ」
廊下を歩いていれば、すれ違う女子がみんな振り返る。
偶然に会った時も、周囲の視線が怖かったくらいだ。
「お互い様、という訳か…」
「そ、俺も同じくらいジェラシー感じちゃうんだよ。それに俺は教室から外は見られないんだからね」
「そうだな。それに俺としては…」
手を伸ばしてリョーマの頬に触れてみる。
「何?」
「いや、何でもない…何でもないんだ」
「…変なの」
くす、と一度だけ小さく笑うと、リョーマは手塚の首に腕をまわした。


こうして間近で見られる今の位置は誰にも譲れない。


この世で一番眺めの良い場所は…この手が届く距離。




ギャグのつもりで作っていたら、最後はラブになったよ…。
ハッキリ言ってそれに驚いた。
おっと、この話で塚リョの短編が30作目だ。