アクシデント
「今日も良く降るよにゃ〜」 「梅雨だからね」 6月の後半にもなれば、毎日のように雨の日が続く。 この時期は屋外の部活動は自動的に屋内の練習に切り替わってしまう。 平日の練習はともかくとして、土日の練習までも屋内になるくらいなら休みにして欲しいと思っている者達は多い。 テニス部なんて特に雨や風に弱いスポーツだ。 ボールは水を吸って重くなる。 コートのコンディションは最悪で、ちょっとの水でもボールの跳ね具合は変化するし、足元は滑る。 テニスというスポーツに雨は天敵なのだ。 「バスケ部は楽しそうだにゃ」 今日は土曜日で、この体育館内で練習しているのは、男子バスケット部と男子テニス部だけだ。 バスケ部は通常の練習をしているが、テニス部が通常の練習など出来るわけがない。 今はバスケ部の邪魔にならないように走っている最中だった。 キュッ、キュッとシューズを高らかに鳴らし、与えられたランニングのノルマをこなしている。 「よ〜し、お〜わりっと」 ランニングのノルマを達成させたのは菊丸と不二だった。 手塚と大石の2名は先に終わらせていて、今は柔軟をしている。 「越前は元気がないみたいだね」 「室内で走るくらいなら外で走りたいのかにゃ?」 「犬じゃあるまいし、それは無いでしょう」 桃城と海堂がいがみ合っているその後ろで、リョーマは少し俯いて走っていた。 白い帽子を深くかぶっていて、その表情は見えない。 「それは後で確かめればいいでしょ」 「そだにゃ」 いつまでも眺めているわけにはいかず、2人は柔軟を始めた。 腹筋や腕立て伏せやスクワットなど、全員が同じメニューを与えられている。 雨の日の練習なんでそんなもので、終わった者から帰って良い事になっていた。 不二と菊丸も次々とこなしていると、桃城達に混ざってリョーマも柔軟を始めていた。 「…オレ、おチビの様子を見てくるな」 「ちょっと、英二」 ひょいひょいとノルマを終わらせた菊丸は、不二にそう言い残してリョーマがいる所まで行ってしまった。 「おチビ、足持ってやるにゃ」 「…菊丸先輩は終わったんスか」 1人で腹筋をしていたリョーマは、足元にやって来た菊丸を少しだけ見た。 「終わってなかったら来ないよん」 ノルマは全て終わらせているので、誰にも文句は言われない。 菊丸はその場にしゃがんでリョーマの足首を掴んだ。 「ふーん」 邪魔でもしに来たのかと思いきや、全くそのつもりはないらしく、リョーマは腹筋を続けた。 「…元気ないけど、何かあった?」 「別に、何もないっスよ」 無関心を装っているみたいに、リョーマの口調には波がない。 「じゃ、何でこんなに帽子を深くかぶっているのかにゃ?」 「…あ」 最後にアクセントつけた菊丸は、片手で帽子のつばを掴み、リョーマが手を出す前に取り去った。 「…どったの、それ」 「カルピンに引っ掻かれたっス…」 帽子を取ってみれば、額には大きな絆創膏。 リョーマはそれを隠す為に帽子を深くかぶり、視線を下にしていた。 休日の練習は自宅からジャージでもいいので、リョーマは常にジャージとハーフパンツと帽子でやって来る。 だから誰も気が付かなかった。 「飼い猫に引っ掻かれるなんて…」 「これは親父のせいっス…俺は被害者っスよ」 ププ、と笑う菊丸にリョーマはムッとした顔で弁解する。 「なんだソレ?」 「親父が嫌がるカルピンと無理矢理遊ぼうとして、カルピンが逃げようと爪を出して親父に飛びついたら…」 「お父さんが上手く避けたら、その後ろに越前がいたって事かな?」 「ありゃ、不二」 しゃがみ込んでいる菊丸の後ろに今度は不二がやって来た。 こちらもノルマを終わらせたようだ。 「その通りっス。菊丸先輩、腹筋は終りなんでもういいっスよ」 足から手を放した菊丸が立ち上がれば、今度は不二がしゃがみ込んだ。 「傷口は消毒したの?」 「…薬の方が痛かったっス」 そうこうしているうちに、ノルマを終わらせた者達がリョーマの周辺に集まり出した。 「大石、レギュラー達はどうした?」 「そう言われてみれば…」 大石と手塚がこれからの練習メニューを考えていると、帰って行く部員の中にレギュラーの面々が誰もいないのに気が付いた。 本来ならレギュラー達の方が終わるのは早いはず。 「…何かあそこに集まっているみたいだけど…」 大石が見つけた先を手塚も見れば、座っているリョーマをレギュラー達が囲んでいた。 「様子を見てくる」 「あ、あぁ…」 訝しげに見つめた手塚は、大石に断りを入れると、その輪へ歩き出した。 「何をしている」 「あっ、手塚〜、ちょっと見てやってよ。ほら、コレ」 「ちょ、菊丸先輩っ」 隠そうとしたリョーマの手を払い、菊丸が額に掛かる髪をかき上げた。 「おチビってば、ニャンコに引っ掻かれたんだってさ」 額に貼られた大きな絆創膏が手塚の目に映った。 「もう、やめて下さいよ」 菊丸の手から逃れる為にリョーマは立ち上がった。 「…菊丸はノルマを増やした方がいいな」 はぁ、と大きな溜息を吐いた。 「うえ〜、俺はもう終わったもんね〜。さぁてっと、帰ろ」 リョーマで遊ぶと手塚が怖い。 珍しい絆創膏姿に、この法則をすっかり忘れていた。 「じゃあ、僕も帰ろうかな」 「俺も帰ります。お疲れっした」 下手にこの場にいたらとばっちりを受けると感じた他のメンバー達も、次々と体育館からいなくなっていく。 「手塚、明日と月曜の朝の練習は休みでいいんだな」 「あぁ、そう連絡しておいてくれ」 大石もいなくなれば、男子テニス部で残ったのは手塚とリョーマだけ。 「…帰るか」 「…ういっス」 降り続く雨の中、2つの傘が並んでいる。 「…今から何か用はあるのか?」 「何にもないっス」 傘を差している分だけ、2人の距離は普段より離れてしまう。 「俺の家に来ないか?」 「行く」 「…その前にだな…」 「何?」 急に足を止めた手塚を、リョーマは不思議そうに見つめる。 「えっ、ちょっと濡れる…な、何するんスか」 手塚は自分の傘をたたみ、リョーマの傘を勝手に取り上げた。 1つの傘の中に男が2人は少し狭いが、離れていた距離は近付いた。 「…部長?」 「…こんなところに傷など…」 帽子を取ると少し屈んで絆創膏の上に口付けた。 「何するのかと思ったら…何なの一体?」 「お前の身体に傷があるのが許せないだけだ」 今度は唇を掠めた。 とりあえずは満足したのかリョーマに傘を返すと自分の傘を開いた。 「はぁ、ビックリした…」 先に歩く手塚の後姿を追いかけるながら、小さく呟いた。 誰にも見付からなかったから良かったものの、ここが一般道だという事を知っているのかと訊ねたくなるほど全くお構いなしの行動だった。 道徳心は一体どこに? 今になってどっと疲れが押し寄せてきた。 リョーマにとっては些細なアクシデントでも、手塚にとっては大問題。 身体のどこかに怪我でもしようものなら、何をするのかわからない。 だからこそ隠していたのに。 菊丸に見付かった事が一番のアクシデントだった。 |
季節ネタっぽくしようとしたが失敗した…。
たまには短編をUPしないとね。