「やっぱり、部長も普通の恋愛がしたかったのかな」
「越前はそう思う?」
「俺は思わないよ。だって本気で好きになっちゃったんだから。もう、どうするコトも出来ないし」
「ふむ。なかなか情熱的だね」
――― 何の話をしているんだ?
「この場合は俺が諦めるしか無いんスよね」
「そう簡単に諦められる?」
「無理っスよ。でも、諦めなくっちゃいけない」
「殊勝だね」
「…しゅしょうって何スか?」
「あぁ、健気って意味だよ」
「ふーん、健気ね…初めからそっちで言えばいいのに」
「別に悪気は無いよ」
「分かってますよ」
――― 何故、そいつに笑い掛ける。
「相談に乗ってくれてありがとうございました」
「あまり役に立っていないけど」
「いいえ、ちょっとスッキリしました」
「手塚を諦めたら、少し俺と付き合ってみないか?」
「え?」
「越前の事は前々から気になっていたんだ。だからって別に恋愛を頭に入れる必要は無いよ」
――― ふざけた事を言うな!
「俺のコトが気になるの?」
「今そう話したけど?」
「へー、ちょっと意外だね」
「意外?」
「海堂先輩の方が気になってるんじゃないんスか?」
「海堂ね。海堂はテニスについては気になるけど」
「ま、部長を諦めきれたら考えますよ」
――― どういう事なんだ…?
「そう?それじゃ楽しみにしているよ」
「期待しない方がいいかもね」
「手塚とよりを戻すから?」
「そうじゃないけど…気まずいから」
「越前でも気にするんだ」
「俺をナンだと思っているんスか?」
「可愛い後輩だと思っているけど」
「…もういいっス」
「今日はもう帰ろう。かなり遅くなったしね」
「そうっスね」
――― どうして乾なんかと歩いているんだ?
はっ、と目が覚めた。
「…今のは…夢、なのか?」
不規則に跳ね上がる鼓動を抑える為に、大きく息を吸い込み一気に吐き出す。
布団を剥ぎ起き上がると、枕の傍に置いておいた眼鏡を掛けて時計を見る。
「…4時か」
空もまだ暗いし、起きるには早い時間だった。
「嫌な夢を見たな…」
愛しい恋人であるリョーマが、よりによって同じ部活の仲間である乾に自分との事で相談していた。
しかも自分との関係の継続を『諦める』とまで。
「何故、こんな夢を見たんだ?」
頭を抱えてみても、何も思い当たる節が無い。
全ての記憶を廻らせてみても、やはり分からない。
仕方なくベッドに横たわり瞼を閉じても、頭の中に夢の映像が浮かんできて、結局は眠れずに本を読んでいた。
どうにも不安が胸を締め付ける。
「手塚ってば、いつもよりも顔が怖いにゃ」
「英二先輩もやっぱりそう思いますよね。俺もちょっと気になっていたんすよ」
普段よりも厳しい顔をして部活に現れた手塚に、全員が恐々と挨拶をして急いで練習に入った。
「越前と何かあったんすかね?」
「うむむ、わっからないにゃ〜」
菊丸と桃城は同じ方向に首を傾ける。
2人が付き合っているのは、テニス部の一部では有名な話しで、どういった経緯で付き合い出したのかは2人だけの秘密の為、誰も知らない。
「しかも見てよ」
「不二、何時の間に?」
「いいじゃない。ほらよく見て、手塚ってば乾の方ばかり見てるでしょ」
何時の間にか現れた不二が、2人の会話に混ざる。
桃城と菊丸が気付かなかった手塚の視線の先を指さす。
「乾先輩?何で部長が乾先輩を?」
「野菜汁を飲まされた訳じゃないよな〜」
乾の作る野菜汁の不味さは、並みではない。
気絶者続出だった時もある。
しかし最近の改良型の野菜汁を飲んだのは、レギュラー内にはいない。
手塚から死角になる場所で会話をしていた3人は暫く様子を窺っていた。
どれだけ見ていても不二の言うとおり、厳しい顔で乾ばかりを見ていた。
「なぁ、おチビは?」
片割れが傍にいない事にようやく気付く。
「あそこにいるよ」
またしても不二が指さす方向にリョーマはいた。
「至って普通に練習してますね」
こちらは何も変わっておらず、全くのマイペースで練習をしている。
部活中はテニスにしか興味が無いリョーマは、たとえ恋人に何があっても、特に変わりはしない。
「おチビ何か知らないかな?」
「訊いてみる?」
「そっすね」
ここで悩むよりも行動に移すほうが早い。
「でも3人で行くのは、問題があるから…」
「俺と不二が行くのはどう?」
「じゃ、俺は練習に戻りますよ」
3人は手塚に気付かれないように別々に歩きながら、桃城は練習に入り、不二と菊丸はリョーマが練習している所まで移動する。
「越前、少し肘が曲がっているよ」
サーブの練習をしているリョーマに、アドバイスをするように近付いたのは不二。
「おっチビ〜、ツイストサーブ教えて欲しいにゃ〜」
リョーマの得意とするサーブを伝授して欲しいと言いながら近付いたのは、菊丸。
「何かあったんスか?」
高く上げたボールを打たないで、手の上に戻す。
両側から近寄ってくる2人に、不審を込めた眼差しを向けていた。
「別に何も無いよ」
にっこり笑顔で応える。
「ウソくさ…」
「おチビってば、疑り深いゾ」
「…疑いますよ」
こんな風に近寄る時は、何か悪い事を考えている時。
数ヶ月の間でリョーマは、このテニスを仕切っているレギュラーの性格をほぼ手中に収めていた。
「不二先輩がアドバイスをする時は、何かを聞き出したいから。特に笑顔のままの時は確率が高いね。菊丸先輩が下級生に技の伝授を願う時は、他にも何かを強請る時なんだよね。そんな2人が同時に来るなんて、何かあるに違いないでしょ?」
ふう、と息を吐いてから、リョーマは2人ともが意識していない行動に対する推論を述べた。
「へぇ、なかなか鋭い観察力だね」
「乾もビックリだにゃ」
「それで、何を聞き出したいんスか?」
練習の手を止めさせてまでの用件だから、きっとかなりの大事に違いない。
「手塚の事なんだけどね」
「…部長の?」
不二の口から出た言葉は、リョーマの表情を固くした。
「うん。手塚の不機嫌の理由を越前は知っているのかなって思ってね」
ピリピリとしたオーラをコート中に振り撒いて、部員達をビクビクモードにしている張本人は、乾ばかりを睨むように見つめている。
「ふーん、知らないっス」
話しを聞いたリョーマは、手塚がそんな顔で部活に現れた事実すら知らなかった。
「おチビ冷たいぞ。仮にも恋人があんな顔してるのに」
「仮じゃ無いっス。ホンモノの恋人っス」
「…心配にならない?」
「ここで心配しても仕方ないっスから」
不二や菊丸から何を言われても、所詮彼らは外野。
「後で確かめるの?」
「そっスね」
不二に言われなくても、後は自分で確かめるだけだ。
「って、部活の最中、不二先輩と菊丸先輩に言われたんだけど…何かあった?」
「…あいつ等に気付かれていたのか」
はぁ、と大きく溜息を吐いた。
部活はどことなく異様な雰囲気に包まれていたが、何事も無く終り、今は部活の内容を部誌に書いている手塚をリョーマが待っている状態だ。
丁度2人きりになった時を狙って、真相を確かめるつもりで話し掛けた。
「…隠し事はナシだよ」
「わかった。実は今朝、夢を見てだな」
「夢?」
手塚は今朝見た夢の内容を話す。
乾とリョーマの2人が、部室の前で何やら良からぬ話しをしていた。
自分は2人の姿をどこからか見ているだけで、結局は最後まで登場して来なかった。
夢の中にリョーマが出て来るのは良いとして、どうして乾までが出て来るのかが理解出来ない。
しかも内容は『別れ話』を前提にした話。
これでは、乾を意識してしまうのも無理は無い。
「へ〜、別れ話なんてしてたんだ。本当は俺と別れたいって思ってるのは国光じゃないの?」
「俺はお前と別れたくない」
「ま、そう簡単に別れさせないけどね」
ベンチに座っていたリョーマは立ち上がり、手塚の傍に寄ると、掛けていた眼鏡を外し机の上に置いた。
「リョーマ?」
「俺をこんな風にしたのは国光なんだからね?」
椅子に腰掛けていた手塚の膝に座り込み、ぎゅうっと抱き付いた。
「俺、国光が好き…わかる?」
どれだけ好きだって想っているのか。
「あぁ、わかっている」
「…わかってないから、そんな夢を見るんだよ」
きっと頭で理解していても、心の中ではどこか疑っている部分がある。
それが夢に出てきた。
「わかって欲しい。好きって意味を、愛しているって言葉を…」
視線を合わせながら口付けた。
元々、感情を表に出すのを得意としない二人。
特に手塚は顕著だ。
何かあった時に戸惑うのは、リョーマの方だった。
「…本当は俺を好きになった事を後悔してる?」
「後悔なんかしていない」
「じゃ、確かめてみてもいい?」
言葉と共に伏せられた瞼。
微かに震える睫毛は緊張の現れ。
「…お前の身体に刻み込んでやる」
どれだけ想っているのかを。
部室内で行為に及ぶのはかなり問題がある。
書き終えた部誌を顧問の元へ届けて、肩を並ばせて学校を出た。
「俺の家に来るか、今なら誰もいない」
「…うん」
夕焼けの色に染まった帰り道、2人の影も長くなっていた。
上目遣いで見つめる手塚の表情は、普段よりも少しだけ硬くて、何気に視線を外してしまう。
「…俺は」
急に話し出した手塚に、リョーマは顔を上げる。
「感情を顔に出したり言葉にするのが苦手なんだ」
「…そうみたいだね」
2人きりになれば少しは表情が和らぐが、明らかに変化したかのようには見えない。
それでも自分といる時だけの変化とあって、少なからず幸福感には浸れる。
しかし長く付き合っていけば物足りないと感じてしまうのは、現状に満足できなくなってしまった証。
「お前が不安に思うのも理解している」
言葉で伝えなければならない気持ちを、相手に悟らせるのにはかなりの年月を掛けて付き合わないとならない。
まだ付き合って数週間の手塚とリョーマでは、そんな熟年夫婦みたいな以心伝心など出来やしない。
だからこそ、言葉は必要なのだ。
「………ホントに?」
「あぁ、本当だ。だがな、どうして良いのかがわからないんだ。俺が菊丸や不二達のように気の利いた会話や行動でも出来れば良いのだか…」
「…菊丸先輩達みたいに、ベラベラ喋ったり、抱きついてきたりする国光って、ちょっと怖いけど…」
冷静沈着で真面目が一般的な手塚の代名詞だが、不二達に言わせてみれば、無口で仏頂面が手塚の代名詞。
楽しそうにお喋りに興じたり、菊丸のように触れ合いを楽しむコミュニケーションをする姿を想像してみたら、何だか鳥肌が立ちそうだった。
「そうか…」
「でも…話してくれて嬉しいよ」
言葉を選びながらでも、自分の気持ちを伝えようとしてくれている。
手塚は家に着き、部屋に入るまでの間、こうしてリョーマに話をしていた。
「今のままでも充分だけど、もっと話して欲しい。もっと国光の言葉で話して欲しいよ」
ベッドの上で制服を脱がされて、器用にシャツのボタンを外している手塚を見つめながら、リョーマは呟く。
「そうだな…」
「俺は誰が相手でもこんなコトをさせない。国光だから許せるんだよ。国光だから触って欲しい
「俺だから?」
「国光だからだよ」
男に生まれたのに、こうして同じ男にいろんな場所を弄られて、突っ込まれる立場になるのはプライドが許さない。
それなのに、手塚の熱塊を受け入れる為に脚を大きく開いたり、強請るように尻だけを突き出す行動だって、リョーマが手塚と一つになりたいと願うから、男としてのプライドや、他人に見せるべきで無い場所を赤裸々に曝け出せる。
羞恥心なんてものはどこかに消え失せる。
「俺にしか見せないのか」
「当たり前でしょ」
ズボンも下着も全て取り払われ、生まれたままの姿を晒していても、リョーマは嫌だと言えない。
「…国光は?」
「あぁ、俺もお前のこんな姿を誰にも見せたくは無い」
清潔好きで有名な手塚が、シャワーすら浴びていない部活後の汚れた肌を慈しむように触れる。
首筋を唇でなぞり、鎖骨の下をきつく吸い上げた。
「…あっ…そうじゃなくて…」
「ん?そうだな、俺もお前にしか見せない」
言葉の意味を取り違えたのをすぐに訂正し、手塚も着ていた物を脱ぎ出す。
小気味の良い音を立てて脱ぎ捨てると、リョーマの身体に覆いかぶさった。
触れる互いの肌はしっとりと汗ばんでいるが、そんな事はどうでもよかった。
「好きだ、リョーマ…お前だけが」
「…俺も…好き」
全身をくまなく愛された余韻で、リョーマの身体は蕩けきっていた。
胸にもたれれば、背中を優しく撫でる手がある。
何気ない優しさがこれほど幸せに思える。
「…国光があんな夢を見ないように、もっと俺を好きになってもらわないといけないよね」
胸の両脇に手を置いて少し起き上がると、上から見下ろしてみる。
『別れ話』をする夢なんて、金輪際、見せやしない。
もっと言葉を交わして、身体を交わして、お互いの全てを知り合わなければならない。
隠された内側の心までを見通せるような関係になって、良いところも悪いところも、全てを愛し合えたら幸福。
繋いだ手を離さないで。
繋がれた心を放さないで。
何時までも一緒にいられたら…。
「いいのか?あまり俺を煽ると、お前こそ後悔するかもしれないぞ」
考え込んでいたリョーマの意識を自分に向けさせて、眼鏡を掛けていない素顔でシニカルに笑う。
「そんな風に笑わないでよ、イジワル…」
「悪かった…どうした」
手を伸ばして頬を撫でようとすれば、逃げるように胸元に顔を埋めてきた。
「…いいよ、俺が後悔するほど好きになってよ」
「あぁ、そうさせてもらう」
伸ばした手をそのまま背中にまわして、もう片方の手も同じようにまわして抱き締めた。
「もっと、もっと、俺を好きになって」
俺だけをその目に映して、俺だけの声がその耳に届けばいい。
我が儘な願いに聞こえるかもしれないけど、きっとこれは俺の願いじゃない。
目の前の人の望みを俺が代わりに口にしているだけ。
「お前と共に生きていけたらいいな…」
「国光が望むのなら…」
こうして声に出してくれるのなら。
俺はもっとこの人を好きになれる。
俺は、ね…。
「リョーマ…愛している」
「俺も…」
想いを言葉にしながら、深く口付けを交わした。
好きとか、愛しているとか、恋愛感情のこの言葉達の持つ意味を全て理解出来た時、俺達はどうなってしまうのだろう?
きっとこの人に対する『好き』の感情には、どんな変化も起きないのは、はっきりと言える。
手塚の家族が帰宅するまでには、リョーマは身支度を済ませ、帰る準備を終えていた。
「じゃ…俺、帰るから」
タイミング良く玄関から入ってきた母親に挨拶をして、入れ違いに出て行った。
当たり前のように手塚が見送りに出ると、リョーマは見えないように小さく笑った。
「送らなくても良いのか?」
外は星が輝く夜の空。
見送りではなく、家まで送り届けようとしていたのを、リョーマは軽く断った。
「そんな事されたら、今度は俺の家に連れ込んじゃうよ?」
「それは少し困るな…」
「困るよね」
どうせ誘いに乗らないのはわかっている。
あえて言ってみたが、結局思ったとおりの反応にちょっぴり寂しさを感じる。
「明日、学校に行けなくなるぞ」
「えっ?」
「お前と一晩を共に過ごすとなれば…きっと俺はお前を離せない」
言葉の意味を察すると、リョーマの顔は真っ赤になっていた。
「…今日はたくさん喋ってくれるんだね」
照れ隠しなのか、会話の流れを変えようとした。
「お前が不安を感じないように、これからは出来るだけ思った事を口にする」
「俺の為?」
「お前の為と俺自身の為だ」
「国光…」
じんわりと胸が熱くなる。
これまでの自分から変わろうとしている手塚の姿に、リョーマは満足気に微笑んだ。
「出来ればお前も変わって欲しいのだが」
「俺?どこを?」
「誰にでも愛嬌を振りまくところだ…」
「それは、菊丸先輩でしょ」
リョーマはどちらかと言えば、何にでも無関心で、人当たりも良いとは言えない。
二人きりでなければ、リョーマは誰に対しても強気な態度で相手と接するのは、本人も自覚している。
「はぁ、お前は自分の持つ魅力を知らな過ぎるな…」
大袈裟な溜息を吐かれ、リョーマはきょとんと首を傾げる。
「俺の魅力?そんなの無いよ」
「…お前が何気なく話し掛ける奴らは、全員がお前に惹かれているんだぞ」
「そんなの、俺は知らない」
素っ気無い態度が、人によっては照れているように思われるらしく、リョーマの人気は隠れたところでうなぎ上りに上昇していた。
「…俺は国光しか見てないし…」
「そうだったな。俺1人がヤキモキしているだけだ」
「お、俺だって、国光が女子から騒がれているのを見てる時はあんまり良い気分じゃないよ」
手塚が色々と話してくれるので、リョーマも隠していた思いを伝えると、固い表情を緩ませた後、周囲を見渡してから、手塚はリョーマの唇を塞いだ。
“好き”とか“愛してる”とか、想いを伝える言葉が何を意味しているかを知った時、お互いを思う心は誰にも負けないものになる。
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