突如見えるようになった不思議な色。
赤や青や黄色などの様々な色彩。
しかし、俺にはわからない。
どうしてこんなモノが見えるのか?
…本当に突然だったんだ。
それはもう、3日前にさかのぼる。
2学期の中間テストの初日を明日に迎え、学校の図書室で手塚は1人勉強をしていた。
周囲にも同じように、数人の生徒が勉強の為に図書室に訪れていた。
静かな室内の中はノートに書き込む音や、ページを捲る音だけがしていた。
その時、本当に珍しく手塚に眠気が襲い、いけないと思いつつも、ほんの数分だけ意識を手放してしまった。
誰かが落とした本の音で意識を取り戻した。
不図、周囲を見渡す。
何かがおかしい。
何故だか1人1人が、布地を纏っているように膜が掛かっているのだ。
メガネに汚れでも付着しているのかと思い、外してレンズを丁寧に拭いた。
しかし再び掛けて見ても、同じようにもやもやとした何かが見えるのだ。
これは一体何なのか?
3日間考えて辿り着いた答えは、「気持ちが色になって見える」だった。
何故、そう思ったのか?
それは簡単な事だった。
家に戻るとリビングで母親が悲しんでいたからだ。
その時の色は見事な青色だった。
悲しみの原因は、テレビのニュース。
幼い子供が母親の目の前で車に跳ねられた。
そんな内容を「可哀想…」と涙ぐんでニュースを見ていた。
帰宅した俺の姿を見て、漸くその色を薄い緑色に変えたのだ。
それからテスト勉強と同じ位、この色の事を勉強した。
「手塚、どうだった?」
中間テストは5日間あり、今日は丁度3日目。
テストを終え教室を出ると、隣のクラスの大石が話し掛けて来た。
「あぁ、問題ないな…お前もだろう?」
「よくわかったな」
驚く大石の周りには、緑色のオーラが見えた。
膜とか布地とかよりかは、オーラの方が似合っている表現だろうと自分で納得する。
俺が3日間も考えていたのは、「何色がどの心情を表しているのか?」だった。
図書室で見たのは赤色が主で、時々見えるのは灰色やこの大石のように緑色だった。
灰色は落ち込んでいる色。
赤色は焦っている色。
紫色は怒っている色。
緑色は落ち着いている色。
茶色は困っている色。
その他の色もほとんど見当がついた。
黄色は喜びで、青色は悲しみ。
まだまだ色はあるが、その他は応用だ。
先程まで行われていた科目は英語。
大石は英語を得意科目としている為、このように落ち着いた色をしているのだろう。
「お前は英語が得意だからな」
「まぁな」
教室から出てくるクラスメイト達は、カラフルなオーラを纏っていた。
その中で大石のような、クリーンな緑色はほとんどいない。
薄い緑色なら数人いた。
結構、灰色が多かった。
きっと今回の英語は、平均点が低いだろう。
俺は時々、リョーマに家庭教師なるものをした事があり、その代わりに英語を教えてもらっていたので、今回は良い点数が取れそうだった。
流石は帰国子女だけあって、英語に関しては俺など全く相手にならない。
「おーい、大石〜、手塚〜」
少し離れた場所から菊丸の声が聞こえた。
どうやら手塚達の姿を見つけて、近付いて来たようだ。
「英二じゃないか?」
「うっ、おおいし〜」
手塚と大石の前に到着すると、いきなり泣きそうな顔をして、大石の制服をぎゅっと握り締めた。
「おいおい」
掴まれた大石は困った顔をしながらも、菊丸の肩をぽんぽんと叩いた。
菊丸のオーラは赤みを帯びた灰色だった。
焦りながら、落ち込んでいる。
どうやら…。
「…菊丸は駄目だったみたいだな」
やれやれ、と溜息を吐くしかない。
大石も薄っすらと、苦笑いを浮かべている。
「それを言わないで欲しいにゃ〜」
やはり、そうだったか。
濃い色ではないが、灰色の方が赤色より強いとわかる。
赤点までは行かなくても、平均点は下回りそうだ。
「まだ、得意の日本史があるだろう」
「う〜、でも…」
部活を引退した3年生となれば、あとは受験勉強。
高等部へは良い成績を残しておけば、かなりの確立でそのまま進学できる。
だが赤点を取るようなヘマでもしたら…。
菊丸がパニックに陥ってしまうのは、同じ3年生として手塚も大石も良くわかる。
「まぁ、英二はテニスがあるんだから大丈夫だよ」
「…そうだにゃ!」
大石の言葉にピクリと反応を示した。
「俺にはテニスがあったにゃ」
全国大会の成績は進学において、一般入試ではなく推薦で行けるだろう。
赤みを帯びた灰色のオーラは次第にその色を変え、今は肌色になっている。
この色は黄色よりも弱いが、喜びを示している色だ。
人の言葉に右往左往される菊丸は、大石のその言葉に安堵したようだ。
「よし、明日は頑張るぞ」
一喜一憂、まさにその言葉通りの反応だった。
先程までの落ち込みが嘘の様に、キラキラと目を輝かせている。
この時は薄い黄色だった。
「そうだぞ、英二。明日頑張ればいいんだから」
「そうだにゃ!大石も頑張れよ」
2人は明日のテストに向けて、励まし合っている。
ここはまだ廊下なので、ジロジロと見られているのを2人は気付かない。
自分達の世界に入ってしまった状態だ。
しかし今はもう、レモン色になっている。
つられて、大石まで黄色っぽくなっている。いや、黄緑色だ。
落ち着きながらも、喜んでいる。
「…ふむ」
なかなか興味深い。
色が変わる瞬間は、人によって様々だ。
一気に変わったり、じわじわと浸食される様に変わって行ったりしている。
人を観察しそのデータを集めるのが趣味の、乾貞治の気持ちが少しだけ理解できた。
「成る程な…」
中間テストも無事終了し、窓から外を眺めてみる。
校舎から見える外の景色は様々な色に包まれていた。
赤色、緑色、青色、黄色、黒色、紫色、桃色。
人とは顔には出さないが、その心には豊かな感情が備わっているようだ。
この俺でも、いろいろな感情があるのだから、当たり前だろう。
カラフルな色を眺めていたら、背後から誰かに話し掛けられた。
「…手塚、ここで何してるの?」
テスト中は誰もが午前中で帰ることができる為、教室内に残っている生徒はほとんどいない。
室内から外を眺めている手塚を見つけたのは、同じ3年生の不二だった。
「何だ、不二か」
不二のオーラは緑色。それもかなり濃い色。
「何見てるの?あぁ、テニスコートね」
不二も窓に近付き、ひょいと外を見る。
そこからはテニスコートがばっちり見える。
男子テニス部は、テスト最終日から既に部活を行っていた。
「うん、頑張ってるね」
ニコニコと笑顔で見つめている。
その瞬間、不二のオーラは色を変えた。
とても濃い桃色と言うか蛍光色に近い、いわゆるピンクだ。
不二の視線を盗み見ると、そこに居たのは。
「…越前…か」
「うん、本当に頑張ってるよね」
桃色は、好意の色。
不二はリョーマに好意の感情を持っている。その好意がどのような意味なのかは良く知っている。
それは恋愛感情を含めた“好意”なのだ。
「そうだな…」
だがしかし、どれほど不二がリョーマに好意を持っていたとしても、リョーマには既に特別な相手がいるのだ。
それを知っている者は誰も居ない。
「あっ、こっちを見たよ」
リョーマは、不図こちら側を見た。
それは本当に偶然だったに違いない。
何故なら、ほんの少しだけ驚いた顔をしていたからだ。
2人のいる場所は2階。表情は視力が良ければわかるだろう。
しかし、直ぐに視線を外すと、練習を開始していた。
「ふふ、リョーマ君って可愛いよね」
満面の笑みを浮かべて眺めている。
不二がリョーマを『リョーマ君』と呼ぶようになったのは、部活を引退してからだった。
ライバル兼先輩から、ただの先輩になった瞬間、リョーマの事を“君付け”するようになった。
どういう意味で呼び名を変えたのか、その頃は全く気にしていなかった。
しかし、今なら良くわかる。
不二はリョーマを“好き”なのだ。
「ふふ…いいね」
まるでその視線で犯しているかのように、じっくりと眺めている。
その時のオーラは、ピンクと黒が混ざった何とも言い難い色になっていた。
黒い色は影の色。
悪い事や良くない事を考えていると、この色になる。
まさに、今の不二に似つかわしい色だ。
「可愛いよね…でも何か邪魔だな…」
最後のセリフはあえて聞かなかった事にしよう。
リョーマの周囲には、桃城や他の1年生達がいた。
桃城のオーラも薄いが桃色だ。この位なら問題は無い。
1年生のほとんどは、黄色か赤色。
「…お前の考えが手に取るようにわかるな」
「そう?」
おどけた表情をしているが、心の中はドロドロとしているに違いない。
三年間の付き合いで、手塚は不二の性格を良く知っていた。
表面上に出さない裏の部分は、かなり……なのだ。
「不二、そろそろ下に行くか」
「そうだね」
引退したからと言って「はい、さよなら」とはいかない。
1年生や2年生に教える事は山ほどある。
階段を降り、靴を履き替えると校舎から出る。
そのまま2人でテニスコートに向かえば、ほとんどの部員は白いオーラになっている。
白色は緊張の色。
未だにこの2人の存在は、残された部員達にとってかなりの影響があるようだ。
「ほらほら。みんな、練習しなくっちゃ」
「…は、はい」
不二はその誰もが見惚れる笑みで部員達に叱咤する。
ただし、オーラは緑色に黒色が少し入っている。
その声に部員達は練習を始めた。
「手塚先輩、不二先輩」
ぱたぱたと走りながらリョーマが近付いて来た。
「リョーマ君」
名前を呼ぶ声に、すぐさま反応を示したのは不二だった。
「なぁに、どうしたの?」
優しげな笑みをリョーマに見せている。
黒い緑色のオーラは、即座に桃色へと変化して行く。
その一気に変わる様子を間近で見てしまったので、少しだけ目を疑った。
「手塚先輩と不二先輩、さっき上から見てたっスよね?」
ね?と2人の顔を見上げるように、リョーマは顔を少し上げた。
まるでキスをせがむような仕種にドキリとした。
「そうだよ。頑張ってる君の姿が見えたからね」
何とも愛らしい姿に、不二のオーラはまたもやピンク色。
目に眩しいほどのピンクだ。
「……ん?」
不二とリョーマとの会話を聞いていて、先程から感じていた不思議な事が1つだけある。
何故かリョーマのオーラには色が無い。
そう、無色透明なのだ。
ゆらゆらと水のような何かがあるのはわかるが、それを彩る色が全く無い。
どうして色が無いのだろう?
リョーマのオーラには何か特別な意味があるのか。
何とも不思議だ…。
「……ぱい、手塚先輩ってば」
大きな声でリョーマが手塚を呼んだ。
ぼんやりと考えてたので、数回目でようやくその声に気が付いた。
不二は既にコートの中に入っていて、数人の1年生の面倒を見ている。
「あぁ、すまないな」
「すまないじゃないっス」
プンプンと音がしそうなほど、怒り顔で手塚を見ている。
このような場合は紫色のオーラが見えるのだが、リョーマはやはり透明なのだ。
「まぁいいや。…ねぇ、今日一緒に帰れる?」
こっそりと話すリョーマの姿に、手塚はほんのりと頬を赤く染めた。
しかし直ぐにその色を元に戻す事に努めた。
このような表情を他の部員達…いや、不二に見せてはいけない。
リョーマの特別な相手とは、この俺なのだから。
それを少しでも悟らせてはいけない。
これは2人だけの大切な秘め事なのだ。
「あぁ、着替えるまで待っている」
「本当?やった」
小さくガッツポーズまで作って喜んでいるのを見ると、こちらまで嬉しくなる。
「おーい、越前」
「あっ、桃先輩…じゃないや。部長に呼ばれたんで。じゃ、後で」
桃城に呼ばれリョーマはコートに入る。
桃城を部長に選んだのは、もちろん手塚だった。
いろいろと考慮して選んだ結果には、誰もが納得していた。
とりあえず、練習風景を観察する事にした。
しかしどうにも、目線がリョーマに集中してしまう。
ボールを打つその姿は、何とも優美で華麗だ。
しなやかな動きでラケットを振るうと、ボールは吸い込まれるようにガットに当たる。
そして流れるように、ボールが反対のコートに跳んでゆくのだ。
誰もがその姿に見惚れているようだ。
リョーマの周囲は桃色のオーラに包まれていた。
……何とも淫猥な空気だ。
耐え難いそのオーラに、手塚は横を向く。
テスト期間中は互いの勉強の邪魔にならないように、会わないようにしていた。
そして今日、1週間以上ぶりにリョーマに会った。
しかしそのリョーマの周囲は…。
このオーラが見えるようになってから、初めて不愉快な気分になった。
桃色の集団がそこにいる。
あの荒井までも、リョーマの傍では桃色なのだ。
「まさか、これほどとはな…」
リョーマの人を惹き付ける魅力は計り知れない。そう未知数だ。
眉間の深い皺と重い溜息。
手塚の機嫌は、今までの中で一番低いものになっていた。
きっと自分の色が見えるのならば、今は赤黒い色になっているだろう。
リョーマに近付く者が、全て憎く感じてしまう。
……何とも醜く、嫌な感情なのだろう。
その感情は、部活が終わるまで続いていた。
「どうかしたんスか?」
帰り道は、約束通りリョーマと帰る。しかし手塚のその表情は固い。
擦れ違う人々がこちらを見る度に、桃色のオーラを浮かべるのだ。
きっとこのリョーマの愛らしさに見惚れているのだろう。
あまり他人に見せたくない。自分だけのモノにしたい。
「…いや、別に何も無い」
醜い部分を隠すように、無表情を作り上げる。
「ふーん」
答えたリョーマのオーラは透明のままだ。今がどんな感情なのかが気になる。
自分と居て嬉しいのだろうか?楽しいと感じるのだろうか?
「…でもさ、あんたって本当にモテるよね」
「は?」
ぽつりと呟いたリョーマの言葉に、何とも間抜けな返事を返す。
それに対してリョーマは、拗ねた顔でこちらを見ている。
「女の人…通る人全員があんたの顔見てる」
ムスッとした表情はリョーマを普段より幼く見せる。
どうやらこの桃色のオーラはリョーマでは無く、自分に対する物だと気が付いた。
ちらりと周囲を見れば、頬を少し赤らめた女性と目が合った。
その瞬間、その女性のオーラは薄い桃色が濃くなった。
「そうか…」
気にするな、と手を肩に乗せれば、どこからか「きゃー」と黄色い声が聞こえた。
「な…何?」
その声にリョーマはきょろきょろと周囲を見渡す。
カワイらしい仕種に、手塚の表情は漸く緩むのだ。
「何だろうな…」
リョーマが見られていないのであれば、どうでもいいのだ。
リョーマを自宅まで送り届け、自分も帰ろうとすると、不意に背中部分のシャツを掴まれた。
振り返るが、俯いている顔からは今の感情はわからない。
しかし、掴んでいる腕が少しだけ震えている。
緊張しているのか?などと思っているとリョーマは口を開いた。
「…今、親父もかあさんもいないんだ」
小さな声で家の状態を手塚に話した。
「…寄って行ってもいいのか?」
「うん…来てくれる?」
手塚はリョーマの誘いを受け、越前家に訪れていた。
従姉妹の菜々子もいないらしく、隠してあった鍵を取り出し、扉を開けている。
「はい、どうぞ」
ガラリと開いた扉の中に入ると、しっかりと閉める。
ついでに誰も来ないように鍵まで掛けてしまった。
どうしてそこまでするのかと聞いてみれば、「だって、誰か来たらイヤだし…」と答えた。
あまりにも愛らしいその言い方には、思わず抱き締めてしまっていた。
「何か今日おかしかったけど、何かあったんスか?」
誰もいないのでリョーマの部屋に入らず、リビングで寛ぐ事にした。
リョーマはキッチンからお茶をペットボトルごと持って来た。
もちろん、グラスを二つ持っている。
コポポとグラスにお茶を注ぐと、一つを手塚に渡す。
もう一つは当たり前だが自分のだ。
「お前には話しておくか…」
「うん?」
黙っていてもこの状態は変わらないし、話しても問題無いと考えたのか、手塚は口を開いた。
「もう1週間も前になるが…」
「うん、うん」
自分に起きた不思議な現象の事を全て伝えた。
リョーマは不思議な顔でふんふんと聞いている。
グラスが汗を掻き始め水滴が滴り落ちる頃、手塚の摩訶不思議な話は終わった。
関心があったのか、リョーマはかなり真剣に話を聞いていた。
「へ〜、そうなんだ。面白いっスね」
「いや、面白いと言うのか…」
リョーマは楽しそうに、笑いながら感想を述べた。
「でも、俺のは色が無いワケなんだ?」
ぽんぽんと見えない何かを触るように身体を叩く。
しかもちょっと寂しげな表情でそんな事を言うのだ。
もしこんな無防備な姿をあいつらが見たら、桃色のオーラはたちまち蛍光ピンクだろう。
「まぁな。だが、見えなくても関係ないな」
水滴の付いたグラスを手に持ち、少し温くなったお茶をぐいっと飲み干す。
コトンと音をさせ、テーブルに戻す。
「何で?うわっ」
ちょっとだけ首を傾げながら聞いてくる姿が可愛いので、その腕を掴み自分に引き寄せる。
「お前の事は、見えなくても大部分はわかる」
「…なんかキザだね」
「そうか?真実だ」
「ふーん」
納得したのか恥ずかしいのか、リョーマは黙ってしまった。
手塚はリョーマの顎をくいっと上に向かせ、その唇に自分の唇を重ねる。
まずは触れるだけの軽く啄ばむようなキスから。
それに対しリョーマは全く抗わない。
気を良くした手塚は、深い口付けに変える為に後頭部に手を置く。
それからは互いに顔の角度をかえて、熱いものに変えていく。
きつく抱き締め合いながら、舌を絡め、食い付くように貪る。
キスだけでもこんなに燃え上がるのに、これ以上先はどうなるのか。
長く熱い口付けを終えると、潤んだ瞳がそこにあった。
「…ん、でも大丈夫なの?」
キスの余韻を味わいながら、手塚の胸に身体を預けているリョーマは心配そうに呟く。
「何がだ?」
「だってさ…」
人の感情が見えるなんて他の人が知ったら…。
考えている事まではわからなくても、感情が丸わかりなんて気持ち悪いだろう。
孤立してしまうのでは?
いや、もしかしたら病院送りにでも…。
いやいや、人体実験にでもされるのでは?
ゴクリと喉を鳴らし、自分の考えの恐ろしさに小さく震える。
「あまり変な事を考えるな」
心配が伝わったのか、手塚はリョーマの頬をゆるりと撫で上げる。
「何でわかるの?見えないんでしょ?」
「だから、お前の事ならわかるんだ」
「ふーん………だったら、今も?」
挑戦する目付きで俺を睨んでいる。
いや、睨むというより誘っている目付きだ。
ゆらゆらと瞳の奥で怪しげな炎が揺れている。
きっと俺も同じような状態だろう。
「…いいのか?」
確認は一応する。
この時点で俺の気持ちは決まっていた。
もしも間違いだったりしたら、不機嫌になるだろう。
「俺はイイよ。でも…あんたはイヤ?」
「まだ早いと思っていたが、お前に誘われて断るような真似はしないさ」
場所をリビングからリョーマの部屋に変え、再び口付けを交わす。
「…ドキドキする」
「…俺もだ」
服を脱がしあい、ベッドに縺れる様に倒れる。
「メガネ…外さないの?」
「あぁ、そうだな」
言われて外したメガネをベッドボードに置き、リョーマと顔を合わせる。
「…まいった。どうしよ」
「どうした?」
目を合わせた瞬間、リョーマは手塚から逸らし、困ったようにしている。
実はここまで来て、嫌になったのか?
心中ではオロオロと何とも情けない事を考えていた。
「あんたってカッコイイよね、ホントに」
初めて見てしまった素顔に見惚れたなんて、恥ずかしくて言えない。
だから目線を逸らして、見ないようにしたのだ。
「お前に褒められると嬉しいよ」
意外な告白に手塚は目を細め、その顔を自分に向けるようにした。
「ちょっ…」
「お前の顔を俺に見せてくれ…」
言うが早いか、手塚はその唇をゆっくりと塞いでいた。
ギシリと軋むベッドの音が、やけに大きく響いた。
「はぁ…あ……」
「身体は大丈夫か?」
「…ん。なんとかね…」
初めての行為の後は、ベッドの中でゆったりと過ごす。
手塚の胸を枕代わりにしているリョーマは、荒い息使いを整えていた。
汗ばんだ身体を重ねているのに何とも心地良い。
普通なら気持ち悪いと感じるのに、とても不思議な気持ちだった。
リョーマの首筋には汗で髪が張り付いていた。
それを指で剥がし、そのまま首筋を指でなぞれば、擽ったそうに首を竦める。
「…でも、あんたのあんな顔が見れるなんて……嬉しいね」
リョーマが言う『あんな顔』が示しているモノは、どうやら手塚の切羽詰った顔のようだ。
狂おしいほどリョーマの身体を貪るその姿に、かなり衝撃を受けたらしい。
普段の無表情が嘘みたいだったのだ。
しかし本来の整った顔が、どれほど表情を変えたとしても醜くならない。
「そんなに表情が無いのか、俺は?」
「気付いてないの」
「自分の顔は鏡などが無い限り、見られないからな」
それもそうだ。
誰だって、いつでもどこでも鏡を持ちながら生活している訳ではない。
自分の表情を気にして生きているなんて人はいないだろう。
そんなのは、ただのナルシストだ。……いや、氷帝の跡部辺りならやりそうだ、…多分。
「…でも、俺は好きだよ。無表情でもね」
胸元から顔を上げて、目線を合わせる。
冗談めいた視線では無い。本気だった。
「お前みたいに、豊かな表情だったら良かったな」
「……今更、そんな国光ヤダよ」
少し考えたのか、本気で嫌がっているようだ。
「俺も別にこのままでいい。お前が俺の事を理解していてくれればな」
「任せてよ。俺、国光の事好きだもん」
2人が汗を流す為にシャワーを浴びて着替えると、リョーマの両親が帰ってきた。
「あっ、親父、母さん…」
父親の南次郎のオーラは黄色に茶色を混ぜた色。
母親は、黄色一色だった。
この二人の反応は、バスルームから一緒に出て来た所を見られた時の反応で、俺とした事が言い訳をするのに必死になってしまった。
しかしこれのおかげで、リョーマの両親と話が不幸中の幸いだった。
手塚が自宅へ戻ったのは、それから2時間後の事だった。
リョーマと初めて身体を繋げた喜びで、顔がニヤけてしまいそうだった。
出来るだけ表情に出さないようにしていたが、母親の彩菜には「すごく嬉しそう」とズバリ言われた。
父も祖父も全く気が付かなかったのに、これが“女の勘”と言う物なのか。
その時の彩菜のオーラは、リョーマの母と同じ綺麗な黄色だった。
父と祖父は赤茶色だった。
あれから、何日が過ぎたのだろう。
「一体いつまで続くのだろうな」
この数日間の夜はなかなか寝付けなかった。
感情の色が見えてからもう3週間だ。
始めのうちは何となく楽しんでいたが、今では気分的に重い。
見たくない感情が見えてしまうのが、これほど辛いとは。
この状態が永遠に続いたら、俺はどうしたらいいのか?
有り過ぎる色の世界で生きていくのは何とも辛い。
ただし、リョーマだけは違う。
リョーマだけが今の自分にとって、落ち着ける世界なのだ。
知らぬ間にリョーマの近くに寄ってしまう自分がいた。
それが自然なのだと感じるのには、それほど時間が掛からなかった。
「今日も一緒にいよ?」
誘われるままにリョーマと時間を共にする。
その度に、リョーマの見えない感情に安らぎを感じてしまう。
「お前の傍は安心するな」
「安心?」
「あぁ、心が落ち着くよ」
胸に抱いている大切な相手の頬を、ゆっくりと大きな手で優しく撫でる。
まだ成長途中の身体は、手塚の胸にすっぽりと収まる。
「…ね、シヨ?」
そしてリョーマに誘われて、身体を重ねるのだった。
「……?」
それから1週間後の朝、普段通りに起き食事に向かうと、今までの景色が変わっていた。
今まで見えていた色が全く見えない。
両親も祖父も色が無かった。あのオーラが全く無いのだ。
本来ならこれが普通なのに、あまりにもいきなりで戸惑ってしまった。
「どうかしたの?国光」
「あ、いえ、何でもないです。頂きます…」
椅子に座り食事を受け取る。
しかし、いくら眺めていても見えないのだ。
「…ま、いいか」
見えないのなら見えないでいい。漸く元に戻ったのだ。
これが、普通なのだから。
はぁっと大きく息を吐くと、母が俺を心配そうに見てくる。
「本当にどうかしたの。何か悩み事?」
「本当に何でもないですから…」
安堵の溜息だったのだが、母にしてみれば『悩んでいる息子』としか見られなかった。
悩んでいたのは昨日までだったのだが、それまでは何も気が付かなかったのだろうか?
俺は本当に顔に感情が出ないようだ。
少し考えなければと、渡された食事を食べ始める。
「えっ、見えなくなったんスか!」
「あぁ、そうだ」
リョーマと帰る道程の過程で、手塚は感情の色が見えなくなった事を伝えた。
「ふーん、そうなんだ。良かったね」
これで安心して過ごせる。
気にしたくない周囲の感情が、全てわかってしまっていた手塚は、最近では意気消沈としていた。
見たくない物が見える事は、本当に辛い事だろう。
どうにかしてその重苦しい気分を払拭させる為に、リョーマは必死になっていたのだ。
そう手塚を誘うあのセリフも何もかも全て、手塚を元気付ける為だけのもの。
「…ホント、良かったね」
本当を言うと、誘うのは恥ずかしいのだ。
何だか自分がその行為を目的としているみたいで…。
でも手塚は、そういう事を一度も言わなかった。
少なからず手塚も、期待していたと思う。
「お前のお陰かな…」
「どういうこと?」
「お前だけがいればいいと思うようになったからな」
「?」
「わからないのならそれでいい」
全く手塚の言っている意味がわからない。
しかも答えを聞こうとしても、はぐらかされてしまう。
どうにかして聞き出そうとしても足を止めない。
最終的にそのままリョーマの家まで着いた。
「寄ってく?」
「いや、今日は帰る事にする」
手塚の顔が極自然にリョーマに近付く。
それは口付けの合図。
ふわりと口付けてゆっくりと離す。
「ん…。じゃ、また明日ね」
「あぁ、また明日な」
別れの言葉は、明日への言葉。
明日からは、今まで以上にリョーマに深い愛情を与えられそうだ。
それを受け入れてくれるのかは、相手次第だが…。
色の見えないこの世界が普通なのだ。
あの1ヶ月間は、自分の考えを見直す良い期間になった。
誰もが感情を表に出そうとしない。
していたとしても、それは見せても良い部分。
見せてはいけない部分もあるのだ。
それを知りたいと思ってはいけない。
リョーマだけは見えなかったのにも意味があったのだろう。。
見えなくてもいい。
好きだから、わかっている。
これでいいではないか。
リョーマに対して自分は、知らない色など無いのだから。
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