「どったの、おチビ?」
練習にも関わらす、フェンスにもたれて両腕でお腹を抱えるように立っているのは、言わずとも知れた、私立青春学園男子テニス部ルーキーの越前リョーマだった。
3度のメシも昼寝も大好きなリョーマだが、テニスをするのはもっと大好き。
そんなリョーマが練習をそっちのけでぼんやり立っているから、菊丸としては「話し掛けない方が、ちょいと白状だよな」と、自分の中で良い方向に変換して颯爽と近付いたのだった。
「菊丸先輩…」
珍しいほどの覇気の無い顔を見せてくるから、もっと気になる。
普段から強気な態度で皆を振り回していても、こういう時ってやっぱ『可愛い』って思っちゃうんだよね。
可愛いって言っても、変な意味じゃ無いよ。
何て言うのかなぁ、あっそうそう、出来る事なら弟にしたいにゃ〜ってね。
俺って兄ちゃんが2人と姉ちゃんも2人の末っ子だからさ、小さい頃は弟か妹が欲しいって、親に何度も泣きついたんだよね。
おっと、話がズレちゃった。
「もしかして、調子悪いのかにゃ?」
「…何か夜から腹の調子が悪くて…」
朝の練習は、夜から降り続いた雨のおかげで中止になったけど、昼前からどんより雲のお空は、一気に青空に変わっちゃったんだよね。
ま、天気予報で言ってたとおりで、何だか拍手モンだったけど。
おっとっと、そんな事よりまずはおチビだった。
お腹が痛くなる原因だよな。
「えーと、食べ過ぎ?」
「…桃先輩じゃあるまいし」
手塚みたいに眉間にしわが寄っちゃったよ。
そりゃ、おチビのサイズで桃くらい食べていたら、腹痛になるのは当たり前だよな。
でもさ、おチビも細身の癖に食うよなぁ…。
この原因はハズレか。
「それじゃ、ファンタの飲みすぎ?」
「1日1本しか飲んでませんよ」
「でも毎日飲んでるんだ〜」
部活が終わった後で飲んでいるのは見るけど、それが毎日とは思わなかった。
毎日飲むほど好きなんだ。
「いいじゃないっスか、俺の金なんだから」
「たま〜に奢らされるけどにゃ」
「…たまにでしょ」
これもハズレか。
ちょっと待てよ。
ファンタ1本は120円だよな。
うわっ1月で3千円以上はファンタ代に消えているんだ。
部活の後の買い食いも入れれば、結構なお値段だぞ。
俺の小遣いじゃ、月の終わりになればお財布の中はスッカラカンになっちゃうんだよね。
でもおチビって金に不自由しているって思えないほど、使ってるよなぁ。
「何スか?」
「おチビって月の小遣いって、いくら?」
こういうの下世話ってコトかもしんないけど、やっぱり気になるんだよね。
「小遣い?」
「何か買う時って親からお金貰わないの?」
「別に。貯金あるし…先輩は無いの?」
「貯金が出来るほど小遣いなんてないよ」
「…あっ、日本の公式戦って賞金出ないんだっけ?」
「しょ、賞金って…そっか」
おチビは帰国子女だったんだよな。
だから中一のクセに貯金なんてモノがあるんだ〜。
でも、どのくらい持っているんだろう?
ダメダメ、これ訊くと絶対にヘコむから止めとこっと。
「うむむむむ、食べ過ぎと飲み過ぎ以外で他に腹痛の原因って何かあったけなぁ?あっ!」
「今度は何スか?」
「…エッチのし過ぎ、とか?」
人差し指をリョーマの目の前に立てて「気持ちイイからって、中出しはダメだぞ。おっと、これは手塚に言わないとダメかにゃ」と、菊丸は冗談っぽく茶目っ気たっぷりで言ってみたつもりだったが、リョーマの顔は見る見るうちに怒り顔になっていった。
「あんまりふざけた事を言っていると、その浮かれきった顔にツイストサーブをおみまいするっスよ」
声のトーンが心なしか低くなったと思ったら、即座に立て掛けておいたラケットを掴んじゃった。
「それはカンベンしてにゃ」
ひぃ〜、と両手を上げて後退り。
リョーマお得意のツイストサーブの威力を知らない部員はここにはいない。
あれを顔面に受けたら、かなり痛いに決まっている。
「菊丸先輩は本当…に……いっ…」
「…おチビっ、て、手塚ー、おチビが〜」
ラケットを持ったリョーマが急に苦しみ出して、その場にへなへなと座り込んでしまったから、おもいっきり驚いて手塚を呼んでしまった。
「どうした?」
菊丸の慌てた声に、手塚が小走りでやって来た。
「手塚、おチビが〜」
座り込んだリョーマの前に立って、ただオロオロとしていただけの菊丸を退かせて手塚は膝を折った。
「…今日は休んでも良いと言っただろう?」
「でも試合近いし、それに…」
テニスが好きなのもあるが、恋人の姿を長い時間眺められる貴重な時間だから、何があっても出たい。
「練習は大事だが、身体を休める事も重要だぞ」
リョーマの気持ちが通じたのか、この小さな恋人唯一人しか聴く事が出来ない、労わりを含んだ優しい声で語り掛ける。
「…うん」
「部室で休んでいろ」
細い肩に手を置くとリョーマは素直に頷いた。
「さて……不二、少しいいか?」
手塚は少し辺りを見渡してから、不二を呼んだ。
「何?あぁ、やっぱり無理だったんだね」
呼ばれて駆けつけた不二が「大丈夫?」と訊ねながら、リョーマの横で身体を屈める。
「すまないが、部室まで連れて行ってくれ」
「OK。君がいなくなったら大変だからね」
リョーマの脇下に腕を入れて、身体を支えなからゆっくり立たせる。
これが不二を呼んだ理由。
リョーマよりも力が強くて、その上リョーマとあまり背の高さに差が無い相手。
これなら連れて行くのに安定感がある。
何よりも不二はとても優しい性格をしているから、一緒にいても安心出来るだろう。
「越前歩ける?そう、なら行くよ」
不二の問い掛けには首を振って答える。
言葉にしなくても二人の間で会話が成立していた。
「で、おチビの体調不良の原因は?」
去って行く2人を見つめながら、隣で心なしか心配そうに見ていた手塚に訊ねてみた。
「…どうやら昨夜から風邪の熱が胃の方に付いたみたいでな。熱が無いから学校に来たみたいだが…」
昨夜は食べた物を戻してしまい、朝も昼も胃なのか腹なのかわからないほど調子が悪くて、食事なんてろくに摂っていない。
体内の熱によってだるそうにしていたし、授業なんて全く身に入っておらず、英語などリョーマにとって問題の無い教科の時間は保健室で休んでいたと、同じクラスの堀尾から細かく訊いていた。
「帰らせた方がいーんじゃない?」
部活にいたってする事は無い。
見学するにしても、1人にしておくのはちょっと心配。
だったら早く帰って、医者に診せた方がいい。
「俺だってそれくらい解っているさ。しかし1人で帰らせる訳にはいかないだろう」
「は?手塚が送っていけばいいじゃん」
今更、何を拘ってんだか。
おチビと手塚がラブラブなのは、み〜んな知ってるんだからな。
「今日は竜崎先生も大石もいない」
「それがナンだよ」
「俺がいなくなると、不安材料の暴走を止める人物がいない訳だ。わかったか?」
嫌味たっぷりに菊丸に告げるが、不二に任せておくのも悪いと思ったのか「様子を見て来る」との台詞を残して、手塚もコートから出て行った。
行く途中で乾に「後を頼む」と、話していたのを耳に入れた。
「ちぇっ、手塚の言う不安材料は俺ですかい!」
プリプリと頬を膨らませて、菊丸は桃城相手にラリーを始めた。
手塚が部室に入ると、ベンチの上に横になっているリョーマと、険しい表情をしている不二がいた。
「どうかしたか?」
「熱が出てきちゃったみたいだよ」
腕を掴んで脈を測ってみる。
リョーマは苦しいのか、瞼を閉じて口で息をしていた。
「高いのか?」
見た目からでも、かなり具合が悪そうに見える。
「とりあえず触ってごらんよ」
不二に言われるがままに、手塚はリョーマの額に手の平を乗せてみる。
「…熱いな…」
リョーマは体温が低い方なのに、瞬時に熱いと感じるほどに体温が上昇していた。
「脈もかなり速くなってるよ。今日はもう帰らせた方がいいね。僕達の事はいいから一緒に帰ってあげなよ」
手塚が帰られないのなら、不二がその役目をかって出るところだが。
「そうだな…すまないが後を頼む」
大切な恋人が、立っていられないほどまでに具合が悪いのに、このまま他人に任せられるほど、テニスだけの人生で終わらせたくない。
「大丈夫、英二達の心配は僕や乾が見ているから要らないよ。辛かったら明日は休むんだよ。いいね?」
始めは手塚に対し、後はリョーマに対しての台詞。
リョーマは薄っすらと瞼を開くと、不二に向けて小さく頷いた。
「いい子だね。手塚、判っていると思うけど、病人に対して無体な真似しちゃダメだよ」
「…俺は無恥では無いぞ」
『無体な真似』の意味が分からないほど愚かではない。
青筋が浮かびそうだったが、ここは抑えて簡潔に会話を終わらせておいた。
何よりもこのまま話が長くなると、リョーマを帰らせるのが遅くなってしまう。
「ふふ、冗談だよ。それじゃお大事にね」
最後にリョーマの頭を撫でると部室から出て行った。
「…まだ横になっていろ」
「でも…着替えないと…」
「…着替え?いい、そのままでいろ」
自分が着替えようとしているのを見て、リョーマも着替えないといけないと感じたようだが、どうせ家に着けばパジャマか何かに着替えないとならない。
二度手間になるよりも、ジャージのままで帰らせておけば着替えるのも一度だけで済む。
瞬時の判断により、脱いであった制服をたたみ直して、リョーマのバッグに詰め込み、リョーマの様子を見ながら急いで着替えた。
「歩けるか?」
2人分のバッグを肩に担ぎ、起き上がらせてみる。
「…ん、何とか行けそう…」
熱のせいで少しふらつくが、少し休んでいたおかげで今は胃も腹も痛みの波が引いているので、家に辿り着くまでもってくれれば良いと願ってしまう。
「そうか……どうした?」
支えるように肩を抱かれたが、まだ校内の為にリョーマはその手を退かせてしまう。
「…人目に付くと嫌でしょ」
「今日は特別だ」
2人とも誰かがいる場所でイチャついたりしない。
いつも一緒にいたい思いは確かにあるが、こういう関係は人に見せ付けるべきではない。
その反動で2人きりになってしまうと、違う意味で人に見せられなくなる。
「…ヘンな噂がたっちゃうよ。いいの?」
「別に構わないさ」
何とでも説明は出来る。
実際に体調が悪いのは、同じクラスの人間は全員が知っている事実だし、部員達も気が付いている。
退かされた手を再び肩にまわして、手塚はリョーマの身体を自分に寄り添うようにさせる。
「…じゃ、遠慮なく…」
言葉に偽り無く遠慮なくもたれてみれば、しっかりとだが、優しく支えられた。
たとえリョーマの身体がふらついたとしても、手塚は全くビクともしないだろう。
「ゆっくり歩けよ」
「…ん…」
テニスコートの脇を通れば、部員達が心配と動揺を混ぜ合わせて見ていた。
帰宅する生徒達の視線は驚愕や呆然など、傍目から見ればちょっと面白くて堪らない光景に違いない。
手塚はそんな視線をものともせずに、リョーマの肩を抱いて、何度も様子を窺いながら歩いていた。
「…着いたぞ」
玄関の扉を開いて中に入らせると、力尽きたのかペタンと玄関に座り込んでしまった。
「リョーマ!」
「…何か力が入らない…」
自宅に着いた事で安心したのか、肩の力を抜いた途端に全ての力が抜けてしまった。
慌てて身体を起こして、家の中に入れる。
「あら、手塚さん。まぁ、リョーマさん…」
「すみません、勝手に入り込んでしまって」
「いいのよ。熱が出てしまったんですね」
勝手に部屋まで入るのは忍びないのか、居間に運んだところで奥から菜々子が現れた。
「リョーマさん?」
「…う、ん…」
菜々子の心配そうな顔を少しの間だけ瞳に映すと、疲れたのか瞼を閉じてしまった。
「お部屋まで運んだ方がいいですわね。熱を測って、着替えもさせないと…手塚さん、お願いできますか?私はお医者様を呼びますから」
ただの熱なら熱冷ましでも飲ませて寝させておけばいいが、昨夜からの状態を知っているだけに、常備薬だけで済む問題ではない。
「はい」
両腕で抱きかかえて居間から出て行き、階段を上がり部屋に入る。
部屋に入るまでの一連の動作に、一切の無駄が無かったのは流石だった。
「リョーマ…」
衝撃を与えないようにベッドに降ろし、着ていたジャージと靴下を器用に脱がし、パジャマに着替えさせた。
渡された体温計を脇の下に挟み、ずれないように身体を抱え込んだ。
数分過ぎて、体温を知らせる音が鳴ると取り出す。
「…38度8分か…」
想像よりも高い体温に、眉をしかめる。
暫くベッドの横で様子を見ていると、菜々子が呼んだ医者がやって来た。
往診に来た医者の診断は、やはり『風邪』だった。
医者は「とりあえずゆっくりと身体を休める事だね」と言い、胃の調子も悪い事から、胃薬を含めた4種類の薬を置いて帰って行った。
これで問題は無くなったと安心したが、この後が問題の始まりだった。
「…困ったわ」
「どうかしたんですか?」
「実は…」
熱で暑いのか、布団を退かせようとするリョーマの手を離し、肩まで布団を掛けて、ほんのりと熱によって上気している頬を撫でる。
「…くにみつ…」
「どうした?」
いつも冷たい手塚の手が今日は特に冷たく感じ、閉じていた瞼を半分ほど開き、手塚を見つめる。
「…帰らなくてもいいの?」
冷たい手の感触は気持ち良いが、自分の為にここに留まっていてくれている事には、少なからず罪悪感を抱いている。
菜々子は大学のサークル仲間との約束の為に、先程出て行った。
父親の南次郎は、珍しく遠方の檀家の法事に出掛けてしまって今日は帰らない。
倫子は残業で遅くなると連絡があった。
1人きりにするのは心配だからと、倫子が帰宅するまでの間は手塚がリョーマの傍にいる事にした。
「傍にいない方がいいか?」
「…いてくれて嬉しいけど、移るとイヤだから…帰って欲しい…」
「俺に移せ。そうすれば楽になるぞ」
人に移して本当に楽になれるのかなんて科学的な根拠は無いが、今だけは信じたい。
「ヤだ…」
「俺は良いと言っている」
「…国光が苦しい思いをするなんて…俺がヤだ」
潤んだ瞳が熱のせいだと解っているが、手塚はリョーマに触れたくて堪らない衝動に駆られた。
「…こんな時に煽るな」
「煽ってなんか…ん…」
重ねただけの唇から熱が伝わる。
まるで行為の最中を思わせる熱さに、眩暈がしそうだった。
「…リョーマ…」
甘く囁く言葉に、リョーマは唇を噛み締める。
「…ん〜…」
きつく噛み締めていた唇をこじ開けようとする舌に、いやいやをするように頭を振り、唇を離させる。
「ヤだって…」
「…俺もお前が苦しい思いをしているのを黙って見ていたくないだけだ」
布団ごと抱き締める。
口付けるのは嫌がるリョーマも、間接的な抱擁には嫌がらなかった。
「何か食べるか?」
「…何にもいらない」
熱が出たので水分の補給だけはさせている。
それでなくても、昨夜から食事はおろか水分もろくに摂取していない。
『食欲が無いから何も食べない』という方式は、病気で身体が弱っている時は反対に良くない。
「菜々子さんがお前の為に粥を作ってくれたぞ」
「…じゃ、少しだけなら」
「用意してくる」
出掛ける菜々子から、リョーマが何かを欲しがったらキッチンに入っても構わないと言われていた。
手塚しか頼れない現状で、あれもこれもとお願いするのは少々気が引けたが、背に腹はかえられない。
「すぐに戻るからそんな顔をするな」
不安そうに見つめてくる眼差しに、ここから離れたくない気持ちが込み上げるが、早く治す為には薬を飲ませてゆっくりと寝させないとならない。
後ろ髪を引かれる思いで部屋から出ると、一直線にキッチンへと向かって行き、コンロで軽く温めた粥と、薬用にコップに水を注ぎ、盆に乗せて急いで部屋に戻る。
「あ、早かったね」
「持って来ただけだからな」
小さな土鍋には1人前より少なめの粥。
「…少しは起きられるか」
「ちょっと休んだから…大丈夫だと思う」
起き上がるのを手伝うように背に腕をまわし、枕をクッション代わりに背中に置いて身体を安定させた。
「ほら」
茶碗半分ほど入れてレンゲと共に渡す。
「…いただきます」
少しすくって口に運ぶ。
「……味がしないんだけど」
顔をしかめながら、もう一口入れてみる。
やっぱり何も味がしない。
「そうなのか?」
不味そうに食べているリョーマから少しだけもらい手塚も食べてみる。
「…しっかり付いているが。あぁ、風邪のせいで味覚が麻痺しているのだろう」
中華粥に似た味付けをされているが、リョーマには無味にしか感じない。
「…おいしくない…」
論外に『もう食べたくない』と訴える。
「今は何を食べても美味くないだろうが、もう少しで良いから食べてくれ」
「…ん…」
これ以上は余計な心配を掛けたくないのか、嫌々ながらレンゲですくっては口に運ぶ。
そんな機械的な動きを何度か繰り返し、茶碗に入っていた分は全て無くした。
「…もう、いらない…」
土鍋にはまだ残っているが、風邪のせいで食欲が無いので無理だった。
「これだけ食べておけば大丈夫だろう。次は薬だな」
空の茶碗とレンゲを手塚に返すと、代わりに薬と水の入ったコップを渡された。
錠剤3つとカプセル1つをまとめて口の中へ入れて、水で一気に流し込みコップも返す。
「さぁ、もう休んでいろ」
起き上がらせた時と同じように、リョーマの背に腕をまわし、クッション代わりにしていた枕を元の位置に戻して、身体を布団の中に入れる。
「気分は悪くないか?」
肩まで掛けた布団がずれないように、肩口の部分を少し押さえておく。
「俺、すごく贅沢してるみたい」
ちょっと風邪をひいただけで、こんなにも甲斐甲斐しく世話をしてくれるのが、申し訳ないけど嬉しくて堪らない。
「これが贅沢だと感じてくれるのなら、安上がりだな」
「だって、嬉しいんだもん」
普段の強気な態度が一転して弱気な態度。
『病気の恋人を看病するのもなかなか良いものだ』と、声には出さずに密かに思う。
「…ありがとね」
弱々しい笑みを浮かべると、瞳を閉じた。
暫くたつと薬が効いてきたのか、リョーマは規則正しい息遣いになっていた。
「早く良くなってくれ…」
祈りを込めて熱い唇に口付けた。
「やっぱり今日は休んでいるんだね」
「まだ熱が残っているみたいでな」
翌日の朝練に現れた手塚を不二が捕まえて、状態を訊きだす。
もしかして風邪が移ってたら、ちょっとからかってみようかと企んでいたが、そんな様子は見られなかった。
「無体な真似もしなかったようだね」
「…俺はケダモノでは無いぞ」
キスや抱擁だけなら無体な真似には入らないだろう、と自分に確認した上で応えた。
「ふふ、冗談だよ。今日も行くんでしょ?」
「あぁ、様子だけ見てくる」
リョーマのいない部活は、手塚にとってはつまらない時間だった。
その次の日からリョーマは復活したが、まだ完全に治っていなかったので手塚の一存で部活は見学していた。
「あのさ、漫画とかで風邪ひいた人の看病して、自分が風邪ひいちゃう話ってあるじゃん」
今日は練習に参加しているリョーマをチラリと見てから、手塚を見る。
「あ〜、あるっすね〜」
漫画だけでなく、実際に家族がひくと移ってしまう。
「手塚は風邪ひいてないよにゃ」
「…いつも通りっすよね」
キビキビと動き、部員に対してアドバイスをしていた。
内緒話をしていた菊丸と桃城は、誰かが近付いて来るのに気付かずに話しを続けていた。
「手塚って実は…」
「実は?」
「ほら、何とかは風邪ひかないっていうっしょ」
「何とかって、でも部長っすよ」
「手塚だってさ…」
「俺が何だと言うのだ?」
背後から声を掛けたのは、言うまでも無く手塚だった。
「うわっ、手塚」
「ぶ、部長」
噂していた人物がこれほどまで間近にやって来ていたのに全く気が付いていなかった2人は、タラタラと冷や汗を流す。
「菊丸、桃城、グラウンド30周だ」
「ひぇ〜」
「英二先輩のせいっすよ」
「無駄口叩いていないで早く行け」
軽く小突き合いをしながら2人はグラウンドに走って行った。
手塚が風邪をひかなかったのは、移ると絶対に何か言われると直感したからで、休んでいたリョーマの様子を見てから家に戻れば、うがいと手洗いは欠かさず行い、風呂に入って温まった後は、すぐに髪を乾かし、身体が温かいうちにベッドに入っていた。
何に対しても油断せずに行っていた手塚だった。
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