07.涙を舐める |
「……うーんと、これでいい?」 「なかなか上手いじゃないか」 後ろで椅子に座っている手塚に差し出せば、手塚は何度も頷きながらチェックしていた。 「ホント?じゃ、次はこれにしよ」 ウキウキとしているリョーマの左手に握っている物は包丁。 もちろん何かの罪を犯しているのではなく、普通に料理の最中である。 今日は日曜日。 部活は午前中のみで、午後からリョーマは手塚の自宅に来ていた。 月曜日に調理実習があるらしく、今日はその練習をさせてもらっている。 もちろん必要な食材は2人で近くのスーパーに買いに行った。 リョーマもアメリカにいた頃は、仕事で外出の多かった母に代わり、キッチンに立つ事もあったが、日本に来てからは、従姉妹のお陰で起きたら朝ご飯は出来ているし、部活が終わり自宅へ戻れば夕ご飯が出来ている状態なので、キッチンに立つ必要性はほとんど無くなった。 そんなリョーマに課せられている調理実習の内容は、ハムとキュウリと人参そしてジャガイモを使ったサラダにハンバーグ、そしてオニオンスープだった。 サラダのジャガイモと人参は茹でる必要があり、しかも3種の素材は全て1センチ角にしなければならない。 味付けは塩コショウとマヨネーズの至極簡単なものだが、茹でる時間と素材の大きさがポイントとなる。 ハンバーグは与えられた材料を残さず混ぜて、フライパンでしっかりと焼き上げる。 どれだけジューシーに出来上がるかがポイントだ。 最後のオニオンスープは固形スープの素を使うので、水の量で味が変わる。 色がしていても薄くては駄目だし、喉が渇くほど濃くても駄目。 「えっと、ジャガイモと人参を茹でて…結構、時間が掛かるんだ」 渡されたプリントに書かれている分量を鍋に入れてコンロに置く。 ついでにフライパンも準備しておく。 出掛ける母に訳を話してキッチンを借りるついでにエプロンも貸してもらい、服が汚れないようにリョーマは身に着けているが、その姿に手塚は満足していた。 だが、こうしてキッチンに立っている姿もかなり良かった。 まるで2人の生活を体験しているかのような錯覚さえ覚える。 「…玉ねぎはハンバーグとスープ用があるから、全部使えないな」 大きな玉ねぎを持ち、うーんと悩んでいる。 「半分ずつでいいか」 1人で悩み、1人で解決すると、ペリペリと玉ねぎの皮を剥いていく。 手塚はアドバイスを与えるだけで、決して手は出さない。 その歯痒さに何度もリョーマの様子を見てしまうが、すぐに椅子に戻ってしまう。 包丁の使い方に危ないところは全く無いし、プリントに書かれている作り方をしっかり守っているので、手塚には手伝う事は何一つ無かった。 出来るのは、全てが完成してからだ。 「…う、イタタ…」 良い音を立てながら包丁を使っていたリョーマから変な呻き声が聞こえ、手塚は椅子が倒れそうな勢いで立ち上がった。 「どうした?」 傍に寄り、顔を覗き込む。 「…目が痛い〜」 目を真っ赤にしながら痛みを訴えるリョーマの手元には、ハンバーグの為に細かく切られた玉ねぎ。 「玉ねぎか…リョーマ、こちらを向け」 「う〜、痛い〜」 理由がわかると何度も目を擦っているリョーマの手を取り、手塚はボロボロと零れる涙を自らの舌でペロリと舐め取った。 その突然の行動に驚いたリョーマは大きく目を開くが、まだ玉ねぎの成分にやられているのか、すぐに閉じたり開いたりを繰り返していた。 「ほら、一度顔を洗って来い」 このまま続けるには辛いだろうと、リョーマの身体を反転させれば、流石にリョーマもまいったのか、手塚に従い洗面台に向かった。 リョーマが心配だが、手塚は行きたいのを我慢して椅子に座りじっと待つ。 「…ちぇ、玉ねぎめ」 数分後、戻って来たリョーマの目はまだ赤いが、料理の途中だったので、今度は気を付けながら再度玉ねぎを切り始めた。 何とかハンバーグとスープ用を切ると、今度はボウルにひき肉に玉ねぎ、玉子やパン粉、その他の調味料を入れて手で混ぜる。 リョーマは定められた時間の中で、手際よく進めている。 そうこうしていると、ジャガイモと人参は茹で上がり、今はサラダの為に冷ましている最中。 フライパンではハンバーグが良い音を立てて焼き始めている。 野菜が茹で上がった後のコンロでは、オニオンスープを作っている。 不要になった物は空いた時間ですぐに洗い、シンクの上は綺麗な状態を保っていた。 テキパキと動くリョーマに、今の手塚が出来る事は、出来上がった料理を乗せる皿などを用意する事だけだった。 「よし、出来た!」 皿に乗せられた楕円形のハンバーグは、表面が美味しそうに焼けていて、何とも良い香りが漂う。 見た目と香りだけなら問題は無い。 既に手塚の審査は始まっているが、そんな事を知らないリョーマはレタスを適当な大きさに千切るとハンバーグの横に置き、その上にサラダを乗せた。 大き目のカップにはオニオンスープ。 母が買っておいたフランスパンを適当な大きさに切れば、少し遅いが立派なランチが出来合っていた。 「自分でいうのもなんだけど、結構上手く出来たと思う」 エプロンを外し、椅子の背に掛けてから座る。 実習では1人分で良いのだが、せっかくだからと2人分を作り上げた。 皿に乗っているハンバーグは、手塚側もリョーマ側も同じ大きさ。 見た目的に焼き加減も同じように感じる。 残る問題は味付けだけだ。 「では、食べるか」 「うん、頂きまーす」 フォークとナイフを貸してもらい、緊張しながらハンバーグにフォークを入れた。 ハンバーグもサラダもスープも意外と美味しいとリョーマは自分の腕前に感心していたが、目の前にいる人の反応だけが気掛かり。 黙々と食べているので、もしかしたらと不安になる。 「うむ、良い出来ではないか。ハンバーグも中まで火が通っているし、肉汁もしっかりある。サラダのジャガイモと人参も茹で時間をしっかり守っていて型崩れしていない。スープも玉ねぎの甘さが出ていて、味も丁度いいな」 「…駄目なところは無いの?」 次々に出てくるのは褒め言葉ばかりで、思わず頬が熱くなる。 自分にも他人にも厳しい手塚の事だから、絶対にどこか指摘されると考えていたのに、全てが完璧と言っていると同じだった。 「何だ、褒められるのは嫌か?」 「ううん、ちょっと照れ臭いだけ」 と、照れ隠しで一口サイズに切ったハンバーグを口に入れた。 「…まあ、俺にとってはお前の涙も良いスパイスになっているがな」 「なっ、うっ…ゴホッ…もう」 思わず咽こんでしまったリョーマは、苦しさと恥ずかしさから更に顔を赤くしていた。 そんなリョーマを愛しげに見つめた手塚は、初めて食べるリョーマの手料理を欠片も残す事無く全て平らげていた。 「また、作ってくれるか?」 食べ終わった食器は2人で片付ける。 リョーマが洗い、手塚が拭いて食器棚に片付けるという素晴らしい連係プレイ。 「いいけど…でも、そんなにレパートリー無いよ、俺」 アメリカで作っていた料理はスクランブルエッグにハムエッグなどの玉子料理や、サンドウィッチにホットドッグといったパン料理。 両親が日本人なので米を使った料理も作れるが、味に自信は無い。 こんな簡単なメニューを作っても、喜んでもらえるのか心配。 「お前が作ってくれるだけで、俺には最高で最上の料理だ」 リョーマの不安を感じ取ったのか軽く頭を横に振った後で、手塚は首が痒くなるような言葉を吐いていた。 「…キザ」 どこでそんな台詞を覚えてきたのかわからないが、こうも平然と言うので今日のリョーマは赤面するばかりだった。 手塚にとっての絶妙のスパイスは、恋人そのもの。 |
色っぽい話にしようとしたのに…何でこれ?