05.痴話喧嘩 |
「だから、それは駄目だと話しただろう」 「駄目なら駄目でちゃんとした理由を話してよね」 誰もいない昼休みの屋上の一角では、ピリピリした空気が流れていた。 空は雲がゆっくり流れる晴天、地上では昼食を済ませた生徒達が元気に走り回っているのに、ここだけは空も地上も関係ない。 もしも空気の色を感じ取れるのならば、2人の周囲は静電気のような小さな稲妻が無数に走っているだろう。 「何度も話しただろうが、聞いていなかったのか?」 冷静に対応していた手塚も次第に白熱してきたのか、顔色は変わらないが声だけが少しずつ大きくなる。 「そんなの理由にならない!」 リョーマの方も手塚に負けず、ムッとした顔をしつつ、大きな声を出して応戦する。 平行線を辿る睨み合いが続く中、屋上の扉が開いた。 「…何やってるの、君達?」 いつまで経っても平行線を辿る2人の話し合いに救いの手を出したのは、何故かこういう場面に出くわしてしまう不二だった。 偶然なのか、狙っているのか、それは本人のみぞ知る。 「不二…」 「…不二先輩」 まるで合図でも送ったかのように、同時に不二を見る2人。 「おやおや、珍しく屋上に来てみたら…。どうやらタイミングが悪かったみたいだね。で、どうしたのかな?」 ピリピリした空気はそのままで見てくるので、思わず苦笑いを浮かべていた。 どんな時でも感情に囚われず、沈着冷静にしている手塚が苛立っている。 どんな時でもクールにしているリョーマが歳相応に見える。 何が理由でこういう状態になったのかわからないが、このままの状態で教室に戻しては、夕方の部活に支障が出そうなほどだった。 これでは大石の胃が痛みそうだし、乾が面白そうにデータを取るだけだろう。 面白い事は嫌いでは無いが、これを面白い部類に入れて楽しむ傍観者に成り下がると、部長としての絶大な権限を持っている手塚によって自分も痛い目に合うかもしれない。 それならば、さっさと仲直りさせるに限る。 「手塚、越前を困らせちゃ駄目だよ?」 「越前も手塚にそんな顔をさせてどうするの?」 珍しく屋上に上がって来たら既に始まっていたこのやり取り。 どちらに非があるのかわからないが、こういう場合は両方共に注意するのが1番。 「…不二、これにはお前も関係しているのだが」 「僕?どうして僕が?」 部外者だから口を挟んだのに、まさか自分が関与しているとは全く考えていなかった不二は、手塚の顔を見やってから、その横にあるリョーマの顔も見る。 すると今度はリョーマの方が口を開いた。 「今度、菊丸先輩と不二先輩の家に泊まりに行くって約束したじゃないっスか」 「うん、そうだね」 数日前に菊丸からそんな案を言われた。 初めは乗り気で無かったリョーマに、菊丸はこうも言って来た。 『裕太がさ、おばさんの作るカボチャ入りカレーと、由美子さんの作るラズベリーパイが大好物なんだって。でさ、辛い物好きな不二も気に入っている一品なんだって』 なんて事は無い。 菊丸はそんなに美味いカレーとパイなら是非とも食べたくて、不二の家は広いからついでに泊まっちゃえばいいやとの安易な考え。 せっかくだからとリョーマも誘ったのが始まりだった。 どうしてリョーマを誘ったのかと言えば、菊丸にとってはお気に入りの後輩だからだ。 生意気で尊大でも、それらを補う愛らしさがリョーマにはあり、つい構いたくなる。 他にも桃城を誘ってみたが、こちらは断られてしまった。 「部長ってば泊まりに行くなって言うんスよ。何でって聞いたら、行かせたくないとしか言わないし」 「…当たり前だろう」 リョーマが不二に抗議するのを聞いて、手塚がボソリと呟くのを耳にした不二は、喧嘩の原因が”恋人が他人の家に泊まる事”なのを知った。 不二にも菊丸にもリョーマへの思慕が無いとは言い切れないが、リョーマが手塚を選び恋人として付き合っている以上、こちら側に振り向く可能性はほとんど無い。 しかし、万が一という事も捨てきれない。 リョーマに出会い、恋愛に対して前向きに考えるようになった手塚としては、たとえ部活の仲間であろうとも、リョーマが誰かと一緒にいるのは無性に腹立たしいだろうし、しかも泊まりともなれば尚更だ。 「越前、お泊り会は中止にするね」 手塚のリョーマへの執着を知ると、不二はあっさりと泊まりの約束を一方的に破棄してきた。 「何で?」 「その代わりに食事会にして手塚も誘おうね。英二にも話しておくから」 「不二先輩も理由が無いんスか?」 今度はにっこりと笑い掛ける不二を標的にした。 菊丸から誘いを受けた時から楽しみにしていたのに、急に中止にするというが気に入らない。 手塚に向けていた以上に不二を強く睨む。 「理由ならあるよ。手塚が自分の目が届かない所に君を行かせたくないって理由がね」 「え?」 「わからない?手塚は君を僕の家に泊まって欲しくないんだよ。ふふ、可愛いじゃない、嫉妬するなんて」 笑顔のままでリョーマの肩を叩いて訳を教えてあげると、不二は手塚に任せて屋上を去って行った。 「…ジェラシー?」 不二によって扉が閉められ、またしても2人きりになるが、理由を知ったリョーマは先程の雰囲気を消していた。 「当たり前だろうが、お前を不二とはいえ他人の家に行かせるなんて…俺には耐えられないんだ」 片方が柔らかな雰囲気になれば、こちらも自然と身体の力が抜けていく。 今なら全てを言えそうな気がして、手塚は声に出さなかった本当の想いを伝えていた。 「だったら、初めからそう言ってくれればいいのに…」 先程までのピリピリした空気はどこへやら、リョーマは口元にキレイな弧を描くと、不二に本心を暴かれて少々赤面している手塚の胸に飛び込んだ。 「…ちゃんと言ってくれれば、俺…国光を置いて行かないよ?」 「すまなかった…」 飛び込んできた華奢な身体を両腕でしっかりと抱いていた手塚は、片手を放し眼下にあるリョーマの黒髪を優しく撫でながら素直に謝っていた。 「…じゃ、不二先輩の食事会には行こうね」 「ああ、そうだな」 顔を上げたリョーマの鮮やかな笑顔につられ、手塚もその顔に笑みを作る。 場所をドアの横に移動して寄り添うように座れば、緩やかな風が頬を撫でるように優しく流れた。 残りの昼休みは無駄に言い争っていた時間を取り戻す勢いで、2人は恋人としての時間を満喫していた。 「…そういう訳で泊りから食事だけに変わったからよろしくね」 不二はすぐさま教室へ戻り、クラスメイトでもある菊丸と話しをしていた。 「俺はカレーとパイが食えればそれだけでいいんだにゃ。ふ〜ん、痴話喧嘩は犬も食わないって…あっ、違った!それは夫婦喧嘩か。ま、どっちでも意味は同じかにゃ」 「そうだね。あの2人ならどちらでもいいかもね」 本来の意味をしっかり把握しているのか謎な菊丸の発言だったが、自分が見た光景はまさに当て嵌まっていた。 「俺って、なかなか例えが上手いかも?」 「そうだね」 顔を見合わせてクスクス笑っていた。 屋上でゆっくりと愛を育んでいる2人は届かない不二と菊丸の会話。 |
痴話喧嘩の意味をわかっているのか、いないのか…。