02.キスが足りない


『…忙しいのはわかってるけどさ、たまにはこっち見てくれても良いんじゃないの?』
電話越しに聞こえる声に寂しさと憤りを感じたのは、全くの気のせいではなかった。
部活の部長としての立場、生徒会の会長としての立場から、色々とやらなければならない仕事が多い。
そうなれば極自然と愛しい相手との逢瀬の時間が少なくなってしまう。
先日も前々から約束していたのに、急に生徒会の役員会議が入ってしまい会えなくなった。
その上校内で必ず顔を合わす部活の時間も、昨日からテスト期間に入った事で停止している。
相手の勉強の邪魔をしてはいけないと思いつつも、この件に関しては早急に謝罪しなければならない。
真っ直ぐ自宅へ戻り、食事の前に少し勉強をしようと部屋に入る。
制服から普段着に着替え、まずは机の上に教科書やノートを広げるが、すぐには始めなかった。
それは勉強よりも自分にはやらなければならない大切な用件を行う為。
校内で会えない分、連絡手段は自宅への電話のみ。
こちらは携帯電話を所持しているが、リョーマはまだ家族、特に父親に許してもらえないらしく、持っていない。
怒っている事は承知で電話を掛けてみれば、家族ではなく本人が出てくれた事で少し安心していた。
が、安心するのはまだ早かった。
「お前の事は常に気に掛けている。次は必ず都合をつけるから…」
『そんな事言って、またドタキャンされたらヤだし。だったら別の人と行くからいい』
声のトーンは常日頃と何も変わらないのに、耳に届く音はどこか刺々しくて痛い。
約束を破ってはいけないのは子供でも大人でも当たり前なので、自分が口にした事は全て実行してきた。
それなのに、誰よりも何よりも大切な相手との約束を破ってしまい、どれだけ反省しても足りない。
「…リョーマ、このような不誠実な真似は二度としないから…」
『やっと暇が出来たからって言うから、誰かに取られる前に約束入れなきゃって思って…だから…楽しみにしてたんだよ?またどうせ俺よりも生徒会の方を取るんでしょ、だから…もういい』
許して欲しい、と言う前にとうとう耐え切れなくなったリョーマが自分の気持ちを言うと、ガチャンとけたたましい音が鳴り、思わず携帯を耳から離してしまった。
再び耳にあててみても、届くのは通話が切れた音だけだった。
電源ボタンを切って携帯を机の上に置く。
「リョーマ…」
通話が切れる前の声は怒りよりも哀しみの度合いの方が強かった。
これは電話にような間接な手段では無く、本人に直接会って謝らないといけない。
広げていた教科書やノートを閉じると、手塚は「少し出掛けて来ます」と母親に言い残し、玄関から出て行った。


「…国光のバカ」
電話なんかで謝ろうとするので、ついつい電話を切ってしまった。
恋人がどれだけ忙しい人物なのか、わかっていないリョーマでは無い。
頼まれ事は期間内に必ず行う人物であり、教師にはどの生徒よりも頼もしく見え、生徒からも尊敬の眼差しで見られる。
部活の部長も生徒会の会長も自分から立候補せずとも、必ず誰からか推薦される。
選挙なんて行う必要性など無いくらい、満場一致で決定してしまう。
そんな自分の恋人になるなんて夢のような出来事なのに、実際に彼は自分の恋人。
「俺の我が儘ってわかってるけどさ…たまには独占したいよ。もう…2週間も会ってないのに」
大袈裟な溜息を吐いて、机の上に突っ伏す。
最近はろくに会話もしていない気がするのは気のせいだろうか。
会話はもちろんの事、恋人としての触れ合いだってしていない。
「…キスだって全然してないのに…」
付き合った当時は、頻繁に会っていたし、キスだっていっぱいした。
この頃は唇の感触も思い出せない。
「……でも、俺も悪いのかな」
何だかんだと忙しそうなので、こちらも帰宅の時は桃城や菊丸などといった、仲の良い先輩達と買い食いして帰っていた。
頭のどこかで「ま、いいか」なんて思っていた部分があった。
付き合っているからという強気な部分もあった。
会いたくなったら電話を掛けてくるだろうなんて相手任せにしていた部分もあった。
「…やっぱ、謝ろ」
自分にも非がある。
相手を思いやる心を忘れていた自分が悪い。
リョーマは勢い良く頭を上げると、ドアを力任せに開けて部屋を出た。
階段を降りてキッチンで食事の準備をしている菜々子に「少し出掛けるから」と言い、玄関で靴を履いていると、扉の外に人影が写った。
誰だろ?と思い、相手よりも先に扉を開けると、そこには今から謝ろうとしている恋人の手塚が立っていた。
「…リョーマ?」
自分が開けようとする前に開いてしまった扉に驚いたのか、手塚は普段よりも少し目を開いていた。
「国光?何で?」
リョーマの方も、ここにいるとは思わない相手が立っていたので、かなり驚いていた。
2人ともそれっきり言葉を交わさず、お互いの顔を見ていた。
「…少しいいか?」
「あ、うん…」
先に声を出したのは手塚の方だった。


家には入らず、2人は寺にあるテニスコートにやって来た。
時間的に誰も来ないし、リョーマの父親もこの時間にはやって来ないので、2人きりになるのには丁度良い場所だった。
手塚は向き合ったリョーマの右手を左手で、そして左手で右手を掴み、謝るまでは絶対に離さないつもりでいた。
「…まずは謝らせてくれ」
「うん…」
「せっかく約束をしていたのに、俺のせいで…」
「…うん」
謝罪の言葉を聞きながらも、リョーマは手塚の顔をじっと見ていた。
2人きりになるのも久しぶりだし、こんなに近くでじっくり顔を見るのも久しぶりだった。
「本当にすまない」
「……うん、俺もごめんなさい」
「リョーマ?」
こちらが謝罪する立場なのに、リョーマも同じように謝り出すので、手塚は掴んでいた手を離して、リョーマの言葉を待った。
「俺は国光に会いに行ったり、電話したりする事も出来たのに、国光の優しさに甘えていたんだよ。だから…俺もごめんなさい」
今にも泣き出しそうな顔を見せる。
同等の立場の恋愛をしていたつもりなのに、リョーマは心のどこかで自分が優位に立っていた事をついさっき自覚した。
好きになってくれたのだから自分は何もしなくて相手が動いてくれる。
生み出してはいけない愚かな気持ちが心の中に生まれてしまっていた。
「…リョーマ、許してくれるのか?」
「許すも何も、俺が勝手に怒ってただけだし、それに…俺も悪いんだから」
「俺はリョーマに許してもらえればそれでいい」
「…じゃ、許すから俺も許してくれる?」
「もちろんだ」
泣き出しそうになっていた顔は、手塚の好きな笑顔に変わり夕焼けの中に映えていた。
その笑顔に誘われるように手塚は離していた手をリョーマの背中にまわし、リョーマも手塚の背中に腕をまわし、2人はぴたりと身体を合わせるように抱き合っていた。
「ね、俺、国光が足りないんだよ」
「俺が足りない?」
「そ、国光が足りない…」
久しぶりの抱擁はとても心地良いが、会えなかった2週間分の補充には、ただ抱き合うだけじゃ満たされない。
「これならどうだ?」
謎掛けのようなリョーマの言葉を理解した手塚は身体を離し、期待に赤く染まっているリョーマの頬を両手で包むと、少しかがんで顔を近付けた。
皮膚と皮膚を軽く触れ合わせるだけのキスの後は、感度を変えて何度も深く口付ける。
「……ん…」
久しぶりのキスは何とも気持ち良くて、意識が朦朧とする。
「リョーマ、リョーマっ…」
手塚の方もリョーマとのキスに普段の冷静さを欠いていたのか、夕焼けが深く沈むまで2人のキスは続いていた。

「遅くなってしまってすまない」
「ううん、俺がして欲しかったんだし…」
顔を合わせて笑う。
ようやく2人はお互いを分かり合い、もっともっとお互いを好きになっていた。
「…これでテスト勉強に専念できるな」
リョーマは自宅へ、手塚も自分の自宅へ戻る為に階段を下りる。
「テストか、また会えないね」
テスト前の1週間とテストの3日間は部活がストップするので部活では会えない。
校内で会う為にはどこかで時間を合わせなければならないが、3年生と1年生ではなかなか難しい。
「ならば、2人で勉強するか?」
校内で会えないのなら、別の場所で会えばいいだけ。
テスト期間なら勉強をするという建て前の元、自宅へ連れて行ける。
「え、本当に?」
「ああ、お前の成績は悪く無いし、問題は無いだろう」
「じゃあ、古典教えてもらおうっと」
手塚の方もリョーマにネイティブな英語を聞いて勉強するつもりだった。

「じゃあ、また明日」
「また明日な」

周りに誰もいないのを確かめると、最後にもう1度だけキスをしていた。

足りなかったものはしっかりと補充した。
これでしばらくは大丈夫。





ちょっとギクシャクした2人でしたが、最後はラブでvv