01.ペアグッズ


「…な〜んか気になる…」
青学テニス部ではナンバー1の視力の持ち主である菊丸が、どこか普段の手塚とどこか違うのに目敏く気付き、自分の練習が終った直後にダッシュで駆け寄っていた。
「何の用だ、菊丸」
夕方の部活の最中、自分の周囲をぐるぐると犬や猫のようにうろつかれ、ついでに何かを確かめるように上から下までをじろじろと見られ、眉間に深い皺を刻むのは手塚だった。
じっくりと下から見ていた菊丸の視線はある一点でピタリと止まる。
「あっ、リストバンドが無いんだにゃ!うわ〜難しかった」
まるで立体の間違い探しをしていたような気持ちになるのは、どれくらい自分の中でこの光景が慢性化しているのかを知らされたからだ。
バンダナの色を変えたり、帽子を変えたり、眼鏡のフレームを変えたりと、数限られた人物に対してならすぐに気付くはずだが、髪型や部員の多くが身に着けている物にはなかなか気が付かないものだ。
「ああ、緩くなったので家に置いてきた」
思い出したように左腕を上げて、いつもなら緑色のリストバンドをしている手首を見る。
好きなカラーが緑か青の手塚が選んだリストバンドの色は緑。
ラケットは白だが、グリップテープは青というように、多少なりとも拘って選んでいるようだ。
「ふ〜ん、そうなんだ」
「こんなところに気付くなんてお前くらいなものだ」
「そうでも無いにゃよ〜」
菊丸は顔を全く動かさず、つり上がった大きな瞳だけが、とある方向に向けられた。
手塚が菊丸の視線の先を追い掛ければ、コートの中で大石と乾相手にラリーをしているリョーマの姿が映る。
「おチビがさ、何かいつもと違うって言うから俺も気になったんだよん。さっすが奥さんだにゃ、ダンナさんの事はどんな些細な事でも気になるってね〜」
正直にこの行動の原因を教えると、ウヒヒといやらしい笑いを浮かべながら足早に去って行った。


「越前」
練習も終わり、1年生が後片付けを終わらせた直後、フェンスの外でコートの中を監視していた手塚がリョーマを呼んだ。
「あ、ういっス」
コートから出る前に周りに群がるうるさい堀尾達を先に行かせ、リョーマは外で立っている手塚の元へ歩く。
手塚がリョーマを呼ぶのは、説教かアドバイスくらいなものだと思い込んでいる堀尾達は、話の邪魔にならないように部室へ急いだ。
「…リョーマ」
コートの中から誰もいなくなると、手塚はリョーマの名前を口にする。
誰もいなくなれば、呼び名は学校モードから恋人モードに変え、表情も少し緩める。
「何かあった?」
顔を上げて下から覗き込むリョーマの顔も、歳相応の和らいだ表情。
そんな自分だけに見せてくれる表情にお互いの心は癒させる。
「…この後は時間があるか?少し付き合って欲しいのだが…」
「いいっスよ。でもどこに?」
「リストバンドを買いに行きたいのだが、お前に見立ててもらおうと思ってな」
「…見立てるって服じゃ無いんだし…でも、OKっスよ」
ちらり、と手塚の左腕を見れば、いつもならあるはずの物が無い事に気付いた。
部活が始まってから気になっていた恋人の異変は、利き腕である左腕にはまっているはずの『リストバンド』の不在だった。
「では、着替えて行くか」
「…部誌は?」
かなり乗り気になったところで、リョーマは部長としての手塚の仕事を思い出す。
部長ともなればかなりの重責が掛かり、その一つは部活の内容を記す『部誌』の存在。
着替えたからといって、すぐに行けるとは思えない。
「今日は大石に任せてあるから問題は無い」
だが、そんな心配は無用の物だった。
恋人との逢瀬の時間を作る為には、周到なほど手回しが良くなる。
「そっか、じゃ急いで着替えましょう」
リョーマも平日に手塚と居られるのは嬉しいのか、テンションが上がり始めていた。


2人が向かったのは、学校近くにあるスポーツショップでは無く、電車で移動する距離にある大型店だった。
「何か楽しいね」
「そうだな」
誰にも内緒で出掛けるのは、どこか秘密めいていて楽しい気分になる。
帰宅ラッシュよりも少し早いのか、電車の中は意外と空いていたのだが、大きなバッグを持っている事から2人は座席には座らずに、隅の方で並んで立っていた。
誰にも見られないように手を後ろにまわし、指を絡ませて繋いでみたり、突然の大きな揺れの際に手塚の腕がリョーマの腰にまわされたりと、電車の中の2人は他の乗客が誰も気にしないのをいい事にラブラブとしていた。


「…やっぱり、品揃えがいいっスね」
「あの店は多少の融通が利くので有り難いが、たまにはこういうところを見てみるのも悪く無いな」
行き慣れたスポーツショップは、青学生徒の特にテニス部の行きつけになっているので、少しくらいの我が儘は聞いてくれ、新商品も早く入れてくれるが、結局は個人店であるが故、品数は少ない。
リストバンドが置いてある棚の前で、2人は色々と手に取ってみる。
有名ブランドの高級品から格安の物まで、様々な種類が並んでいる。
色も素材も様々で、一つ一つを吟味するようにじっくり見ている。
「…あ、これ俺が使ってるのと同じっス。でも値段は向こうのが安いんだ…」
今もはめているリストバンドと比べると全くの同じ物だが、値段は日本のが高い。
輸入品なので仕方ないと思うが、それでもどこか認めがたい部分もある。
「…リョーマ、それの緑色の物を取ってくれないか?」
リョーマが着けているのは水色に2本の白いラインの物だが、同じメーカーで色違いの物が数種類棚に並んでいる。
「…これ?」
「ああ、ありがとう。これで良いか…」
見た目だけなら、以前着けていた物と全く変わらない緑色のリストバンド。
ただ、以前と異なるのはメーカーなだけで、着けていても誰も気にしないだろう。
「やっぱり色はグリーンがいいんだ」
「テニスを始めた頃からこの色を着けているからな…変えるのもどうもな…」
「国光もそうなんだ。やっぱりそういうもんっスよね。俺も色ならシルバーが好きだけど、ラケットは赤色ばっかり選んじゃうし」
リョーマは常に3本のラケットを持っているが、どれも赤色で他の色は無い。
赤は気持ちを奮い立てるカラー。
誰よりも負けん気に強いリョーマにとっては、最適な色だった。
「でもさ、国光がこれ着けてくれたら、ちょっと嬉しいかも」
「何故だ?」
「ほら、色とデザインは違っても同じメーカーでしょ?何かお揃いみたいで嬉しい」
隠さずに自分の気持ちを伝えるリョーマに、手塚は一瞬だけ驚きで目を見開いてから、笑みを浮かべた。
「お揃いか…ならば」
「あ、」
リョーマが持っていたリストバンドを取ると、手塚は何も言わずにレジに持って行った。
レジには誰も並んでおらず、すぐに買い終わると小さな袋を2つ持って戻って来た。
「…こちらはお前に」
「何で?俺のはまだ使えるよ」
思わず受け取ってしまった袋の中身がリストバンドであるのはわかりきっているが、貰うような理由は何も無い。
今も左手首に着けているが、全く痛みも解れもないのでしばらくは使える。
「色もデザインも違うがメーカーと購入日は同じだ。この方がペアグッズらしくていいだろう?」
先程リョーマが口にした『お揃い』に刺激されたのか、理屈を並べて返そうとするリョーマを説得させていた。

「じゃ、今からこっち着けるっス」
店から出て近くのファーストフード店に入ると、リョーマは身に着けているリストバンドを外し、手塚からもらった袋から新品を取り出すと、値札を外してから手首にはめた。
「…何かいいね」
同じ物なのに、全く同じじゃない。
大好きな人からのちょっとしたプレゼントに、リョーマは嬉しいそうに微笑む。
「明日からの部活でこれを見たら、今日の事を思い出してしまいそうだな」
手塚も袋から自分のを取り出し、そのまま手首にはめてみる。
店内ではリョーマの台詞に触発されて即行で購入してしまったが、改めてその作りを見てみると、鮮やかな緑色をしたリストバンドは以前の物よりも触り心地が良く、手首に程よくフィットする。
これならリョーマが気に入っているはずだ、と納得した。
「あまり意識しないようにしないとな」
リストバンドは外して袋に戻す。
「そだね。見ないようにしないとバレちゃうかも、不二先輩や乾先輩って変に細かいところに気が付くんだもん」
ぱくり、とポテトを1本口に入れる。
家に帰れば母が食事を用意しているので、手塚はドリンクしか頼まなかったが、支払いはリストバンドのお礼としてリョーマがしてくれた。
対してリョーマはチーズバーガーにMサイズのポテトにLサイズのドリンクを頼んでいたが、既にバーガーは胃の中に入り、ポテトも数本しか残っていなかった。
どうやらこれくらいの量では、部活で消耗したエネルギーの補給にはならないようで、自宅に戻って普通に食事をするが、リョーマの体型は全く変化が無い。
「…でも、やっぱり嬉しい」
ポテトも食べ終え、ドリンクも飲み干した後の一言。
ここが店内でなかったら、抱き締めてキスしたくなる笑顔だった。


「では、また明日な」
行動を共にした日は、リョーマの自宅近くにまで送るのが、恋人としての手塚の行動。
1人で返すのが心配だからでは無く、ギリギリまで一緒にいたいのが本心。
だけども自宅まで送ると別れにくくなるので、自宅近くまでしか送らない。
「これ、ありがとっス」
見せ付けるように差し出された左腕を手塚は軽く掴み、一回りも二回りも小さな手の甲に唇を押し付けた。
「…国光?」
「今日は付き合ってくれてありがとう」
「…こちらこそ」
思わぬ行動に顔を真っ赤にしたリョーマの頬を撫でると、名残惜しそうに踵を返して自宅へと帰って行った。

手塚が角を曲がるまで見送ると、リョーマは自分の左腕を見る。
色も柄も違うけれど、これはれっきとしたペアグッズ。


ちょっとした秘密を共有しているようで、やけに楽しい気分になった。




どうにも題名が浮かばないので、他力本願になりました。
有り難い『お題』の存在に乾杯。

ペアグッズで頭に浮かんだ物は…まるっきり同じ物ではなくて、
ちょっとしたお揃いがいいかな〜って事でこうなりました。