05.浮気疑惑


疑いたくはないけれど、誰よりも魅力的だから…不安になる。


「…リョーマ?」
日曜日の午後、練習が終り自宅で戻ると、行きつけの書店から注文していた本が届いたとの連絡を受けて、手塚は早速受け取りに出掛けた。
ふと、歩道橋の上から下を見てみれば、そこには愛すべき恋人の越前リョーマが歩いていた。
が、リョーマは1人ではなく、肩まで伸ばした髪の女の人と歩いていた。
年齢はリョーマと同じか年上のように見えるが、居候をしている従姉妹とは顔が違う。
今日はリョーマの方に用事があるとの事で会う約束はしていない。
…まさかと思いたいが、その一緒の歩いている女の人と会う為に今日は約束をしなかったのか。
気になる。
気になって仕方が無い。
出来る事なら追い掛けて問い詰めたいが、こんな公共の場でそのような真似は出来ない。
手塚はその姿を見送る事しか出来ず、歩道橋の上から見えなくなるまでその場を離れられなかった。


「…何だか手塚の様子、おかしくないか?」
「やっぱりそう見えるよな。いつもより無口だし、何かあったのかにゃ?」
隅っこでストレッチをしていた大石と菊丸のゴールデンペアは、顧問と話している手塚を見ていた。
朝練の時から感じていた違和感は気のせいでは無く、手塚の周囲には普段以上に近寄り難いオーラが出ていた。
「…これはおチビに言わなくっちゃ」
リョーマは家の事情で朝練には出られないとの連絡があって参加しておらず、きっとこの手塚の異変を知らないはずだ。
使命感のようなものに燃える菊丸はリョーマが早く来ないかと、ストレッチの最中も入口を何度も見ていた。
その数分後にリョーマはコートに現れた。
「ちぃース」
運動系の挨拶をしながら入口を開けてコートに入ってくるリョーマに、すかさず菊丸が駆け寄る。
「おチビ、おチビっ」
菊丸だけの愛称を連呼しながら、がばっ、と抱きついた。
「…いっつも元気っスね」
毎度の激しいコミュニケーションにリョーマは溜息を吐く。
「そんなコトよりさ、手塚が不機嫌丸出しなんだけど…何かした?」
まぁまぁ、とリョーマを宥めて、菊丸は本題を切り出した。
「不機嫌?なんで?それに俺は昨日も会ってないから知らないっスよ」
ボソボソと耳元で呟く菊丸に不審な眼差しを向けて、リョーマの方が菊丸に訊ねる。
昨日の練習時は普通だったのに、1日経って人が変わったようになった理由なんてリョーマにはわからない。
「…後で訊いてみるっス。どうせ先輩達は何もしないんでしょ?」
「お、ビンゴ!おチビってば俺らの事わかってるにゃ〜、んじゃ、ヨロシク」
わはは、と軽快に笑った菊丸は、リョーマから離れて大石の元に戻る。
恐らく、自分から動きたくないから、後は全部リョーマに任せてしまえとの考えが菊丸にあったのだろう。
今はもう大石と楽しそうに喋っている。
本当に気紛れな猫だ。
呆れ顔で菊丸の動向を見てしまったリョーマはブルブルと頭を振り、自分もストレッチを開始した。


「…で、その不機嫌のワケって何?」
「…リョーマ…」
リョーマは手塚の仕事が終わるまで部室で待っていた。
手塚は1人で待っていたリョーマに、何か言いたげな顔を見せるが、まずは帰る為に着替えを始める。
リョーマも詳しく話しを聞く為には、自分の気持ちが昂ぶらないように静かに待つしかないと、ベンチに座っていた。
「…昨日…」
「え、何?」
手塚の口から出た言葉に、リョーマは反応する。
「昨日、午後から用があると言っていたな」
シャツを着てボタンを全て嵌めた後で、手塚は漸くリョーマと顔を合わせる。
「もしかして、その事で怒ってるワケ?」
手塚にだって用事があって会えない日もあるのに、自分に用があって会えなかったのを原因で不機嫌になられても困る。
昂ぶらないようにしていた気持ちが少し苛立つ。
「……お前が見ず知らずの女性を歩いているのを見たんだ」
「…は?見たって俺を?」
「ああ、書店に行く時にな。それで誰なんだ?」
「…国光ってば、嫉妬してるんだ?あれはアメリカに居た時のクラスメイトだよ」
手塚の至極真剣な表情に思わず吹き出す。
「クラスメイト?」
「そ、あっちも俺と同じで向こうで生まれたから日本に来るのって初めてでさ。同じ境遇ってコトで案内してたんだ」
「そうだったのか…」
「あとさ、あれ男だよ」
ここまで真剣さながらに訊いてくるので、リョーマは手塚が大きな勘違いをしていると思い、一応話しておいた。
「お、男だと。だが…いや、」
ぎょっとする。
確かに視力は良くないが、眼鏡を掛けているので間違いは無いはず。
リョーマも私服姿で歩いていたら少女に間違えられた経験もあり、見間違えた可能性が捨て切れなくなっていた。
「国光も女に見えた?まぁ、あっちでも良く間違えられてたからなぁ」
やっぱり間違えていたんだと、リョーマはまたしても笑う。
リョーマの話しによると、アメリカで2人で歩いていた時には、何回か声を掛けられたという。
それが真実ならば、手塚が間違えるのも無理は無い。
「そうか…それならいいんだ…」
勘違いで良かったと、冗談抜きで安堵する。
「ちゃんと理由を言っておけば良かったね。急だったから説明するの忘れてた。でも、もう帰っちゃったから」
「帰国したのか」
「そ、俺の家に泊まってたから、親父が空港まで連れて行ったんだ」
今朝の朝練に参加しなかったのは、その友人が帰国するのを見送りに行っていたからだった。
他人とそれほど親密な仲にはならないリョーマが、その友人とは仲良くしていた事を知り、またしても手塚の表情が変化する。
「…俺、浮気なんかしないよ?国光だけだよ」
顔色が険しくなった手塚を間近で見て、ベンチから立ち上がったリョーマは手塚の首に腕をまわし、ぎゅっと抱き締める。
まるで、子供を慰めるように優しく囁きながら。
疑惑を抱いてしまうような行動をしてしまった自分にも非があるので、リョーマは最後まで手塚を責めたりしなかった。
手塚も「疑って悪かった」と呟くと、リョーマの背中に腕をまわして愛情だけを持って強く抱き締めた。
「お前は魅力的だからな。いつでも心配なんだ」
「…そんなの国光も同じだよ」
人を惹き付ける魅力を持っているのはお互い様で、そんな魅力に溢れた相手の浮気を心配するのもお互い様だった。


疑いたくはないけれど、誰よりも魅力的だから…不安になる。

だけど、その不安を吹き飛ばしてくれるのは、たった1人だけ。



この2人は浮気なんかしない!(と勝手に決め付ける)