10.眩暈がするほど愛してる


もう、誰も目に入らない。

…もう、あなたしかいらない。



「…どうしたんだろ。珍しいな…」
人の流れが激しい駅前のロータリーに、ポツンと立っているのはリョーマだった。
老若男女問わず、様々な人が駅を利用する為に目の前を通り過ぎていく。
待ち合わせをしているのか、リョーマはしきりに時間を気にしていた。

「…いつもなら俺の立場じゃないのにな。でも、たまにはいいか」
ふと、考える。
好きとか嫌いとか、人が持っている感情なんて喜怒哀楽を基にしていろいろとあるけれど、今は好きの最上級がリョーマの胸の中でゆっくりと、それでいてしっかりと育っているのだ。
想えば想うほど、その想いはどんどん強くなっていく。
指の腹に乗るほどの小さな種は土の中から淡い緑の芽を出し、水と日光の恩恵によりで大きく成長して、今では立派な果実を実らせているくらいに、想いは見事なほどに大きく膨らんだ。
だけど、その言葉を大切な相手の前で口にするのには勇気が要る。
自分が子供だから、上手く伝えきれないかもしれない。
「でも、もう好きだけじゃ…」
好きという想いは胸を張って言えるくらいに本物で、相手にも幾度となくそう告げている。
突然言ってみたり、気持ちが昂ぶったから言ってみたり、と時と場合によってさり気無く言い方も変えているが、その言葉を口にするととても喜んでくれるのか好きだった。
あまり表情を変えない人が、柔らかな笑みを浮かべて自分と同じ言葉を囁いてくれる。
その表情を見るだけで、その声を聞くだけで自分も嬉しくなる。
こんな気持ち、生まれて初めて。
心の中が温かくなる。
「やっぱり、言わなきゃな…」
もう『好き』だけではこの気持ちを伝えきれない。
姿を思い出すだけで、鼓動が速まる。
声を思い出すだけで、身体が震える。
もう、あの人無しじゃ生きていられないほど、心も身体も持って行かれた。
「早く、会いたい。…やっぱり携帯って要るよな」
待っている時間がこれほど辛い事だと初めて知った。
それに心配にもなる。
いつもなら自分の立場にいる手塚もこんな風に思っていたのだろか?
待ち合わせに遅れると怒ってくるのは、時間に遅れた事よりも、何か起きたのではないのかという不安や心配からだと知る。
相手が感じていた想いを考えると胸がツキンと痛んだ。


「悪い。待たせたな」
手塚がやって来たのは、それから20分後の事だった。
慌てて来たのか、部活でも滅多に見られないほど息も髪も乱れていた。
「…何かあったの?」
瞬間的に身体の隅々まで見てみたが、変わった様子はどこにもないので安心する。
「出掛けに父から書類を忘れたと電話があってな、俺しかいなかったものだから、探して渡しに行ってきたんだ」
「渡しにって会社まで?」
手塚の自宅から父親の会社までどのくらいの距離があるのか知らないが、手塚の自宅の周囲は閑静な住宅街なので、歩いて行けるほどの近隣ではなさそうだ。
「いや、近くまで来てくれたのだが、書類を見つめるのに手間取ってしまってな」
本当に済まないと謝る。
「ううん、もういいよ。俺も携帯とか持ってないのがいけないんだし」
連絡手段が無いので、遅れるとの連絡が出来ない。
これは携帯などの連絡を取る為の道具を持っていない自分に非がある。
今のご時世、子供でも携帯を持っているのが普通。
リョーマは「面倒だからいらない」と、言い続けていたので、未だに持っていない。
こういう事が重なるのなら、そろそろ両親に頼むしかない。
「いや、だが今日は俺が悪い」
「ん、じゃあ、今日の昼飯は国光の奢りだね」
いつまでも譲り合っていても先には進まない。
リョーマは今回は理由がどうあれ手塚が悪いという事で手を打った。
「ああ、好きな物を食べてくれ」
それくらいで済むならと、手塚はリョーマの背を押して歩き出した。

2人はお昼頃になるとカップルや家族連れなどで賑わうファミレスに入る。
今の時間はまだ早いので、店内にいる客の姿は疎らだった。
付き合う前からリョーマは桃城や菊丸などのメンバーと通っていた店。
食事時は全席禁煙になるので、特にお気に入りの席は決まっていない。
「俺、これとこれとこれ…食後にこれも」
まずは注文を済ます。
ウェートレスが注文を間違えないように復唱をして去ると、手塚はメニューからリョーマが選んだ料理を確認していた。
「…食べ切れるのか?」
単品のミートソースのパスタと目玉焼きが乗ったハンバーグに鯖の味噌煮込み定食。
パスタだけでも手塚には充分なのに、リョーマは更に腹に溜まりそうな物ばかりをチョイスしていた。
そんなリョーマに手塚は心配そうに訊ねる。
「平気だよ?」
小柄なリョーマは見た目に反してよく食べるが、どれだけ食べてもスリムな体型を維持しているので、それほど心配しなくても良いのだろうが、どう考えてもカロリーオーバーな量だ。
「食べ過ぎて太るなよ」
桃城や菊丸なら財布の中身を心配しそうなところだが、手塚は全く異なる部分しか見ていなかった。
リョーマは煎餅以外のお菓子の類はあまり食べないが、ジュースは毎日多く摂取している。
学校でも自宅でもそればかり飲んでいた。
「大丈夫、それなら運動量を増やせばいいだけだし。ね?」
ニヤリ、と笑うリョーマ。
「それはテニス以外も含まれているのか?」
「ご自由に想像してクダサイ」
手塚の特定の意味を込めた質問に、含みのある笑みを浮かべた。
そうこうしているうちに頼んだ料理がテーブルの上に並び、リョーマは温かい物は温かいうちにと、黙々と食べ始めた。

食事を済ませた頃には待ち時間が出来るほどの客がいて、2人は待っている人に悪いと早々に店外へと出た。
食事時ともなれば、他の店にも客が並んでいる。
回転が早いジャンクフードの店内にも並びが出来ているほど。
「早く食べておいて良かったね」
「そうだな。ああ、少し寄っても良いか?」
手塚は通りにあるスポーツショップの前で足を止めた。
一緒にいるとどちらかの要望により、書店やCDショップに立ち寄る事も多い。
「うん。何か買うの」
「使っているグリップテープが切れたのでな」
「じゃ、俺も何か見ようっと」
店内に入ると、2人は目的の物を探しに一時別行動となる。
初めから目的が決まっていて一直線に向かう手塚に対し、リョーマはあちらこちらをフラフラと眺めていた。
そうして手塚の買い物が済めば、また元通りに隣に並ぶ。
まるでそれが2人にとって当たり前のように。

「ああ、そういえば母から映画の招待券を頂いたのだが、何か観たい映画はあるか?」
思い出したように財布の中から貰ったという招待券を取り出す。
「…それの期限って何時まで?」
「期限は年末だな」
招待券を見て答える。
「CMで気になるのがあったからそれが観たい」
今は気になる映画は無いけど、あと数週間で上映させる映画は気になっていた。
タイトルと簡単な内容を伝えている間、手塚は相槌を打つだけで、リョーマの話に口を挟む事は無かった。
「では、そうしよう」
希望を訴えれば手塚はあっさりと受け入れてくれる。
自分の我が儘をいつでも受け入れてくれる人なんて、この先いないかもしれない。
大切に大事にしないといけない。
「…国光はそれでいいの?」
だから気になる。
もしかしたら、自分の気持ちを抑えていないのかと。
「リョーマが気になる映画ならば、期待外れにはならないはすだからな」
「何それ?」
意味がわからずに手塚を見上げる。
「テニスでもそうだが、お前が興味を抱くとしたら生半可な相手ではないからな。それにそのCMなら俺も見た事がある。なかなか良さそうだと思っていた」
映画の招待券を貰った時に、観たいと思っていた映画のタイトルをリョーマの口から聞いて、手塚は顔には出さなかったが嬉しく感じていた。
「じゃあ、国光も観たいって思ってたんだ」
「そうだ」
普段は見せない優しくてドキリとする表情をリョーマにだけ見せる。

色々と歩き回り、空の色が爽やかな青色から哀愁を漂わせる茜色に変わる頃、手塚はリョーマを自宅へ送り届けていた。

「送ってくれてありがと」
「礼などいらないぞ。俺がお前と一緒にいたいだけだからな」
今日は外にいただけで、恋人らしい触れ合いは全くしていない。
だからなのか、たとえ数時間でも別れるのが辛いのだと、隠さずに言ってくれる。
こんな有り触れた時間を過ごしているけど、こうして傍にいられるだけで幸せ。
だから、今なら言える。

…言ってしまいたい。

「国光…」
きっと緊張感で顔が赤色になっているかもしれないが、今なら空の色に紛れられる。
「ん?どうした」
優しく問い掛ける手塚の顔も茜色に染まっていた。
「あのね…俺…」
真っ直ぐに手塚を見つめながら、リョーマは口を動かす。

そして、胸の中に溢れている想いをこの世でたった1人の為だけに告げた。

照れ臭くて、手塚の顔が見られない。
けれど、手塚はこれ以上ないほどの極上の笑みを浮かべていて、周囲に誰もいないのを確かめると、想いと共にリョーマへ口付けを贈っていた。
これが自分の想いだと、リョーマにだけわかるように。


クラクラするくらいにたった1人だけを…愛してる。


一生で一度の恋はまだまだ続く。



私としてはお互いがメロメロになっているのが好きです。
まさしく、溺愛!