09.ぬくもり


まるで波間に浮かんでいるよう。


「ありゃ、おチビってば、また寝てら」
「今日の越前は大変だったもんな」

今日は試合が近いからと、レギュラーには特別メニューを言い渡された。
通常の練習が終った後での追加練習。
季節のおかげで日は高くても時間はかなり過ぎていた。
レギュラー以外の部員が帰ってから練習を全てクリアした菊丸と河村が部室に入れば、一足先に部室に入っていたリョーマがベンチで気持ち良さそうに眠っていた。
ジャージから制服のシャツに着替えたまでは起きていたのだろうが、脱いだジャージがロッカーの中に突っ込んだままなので、そこまでが限界だったようだ。
かなり疲れているのか、寝息は熟睡している時と同じ。
これでは簡単に起きそうに無かった。
「ほら、越前」
リョーマの身体を揺すってみるが、やっぱり起きる気配は無い。
バーニング状態では無い河村は、信じられないほどの大人しい性格で、大石の次に世話役となる。
「…起きないな、どうしようか?」
何度も揺すってもリョーマは全く起きない。
公式試合でも平気で寝坊して遅刻するくらいだから、ちょっとやそっとでは起きない。
「とりあえず手塚が来るまでこのままでいーんじゃない?」
菊丸に何か良い知恵が無いかを訊ねてみるが、戻ってきた答えがこれだった。

後から入って来たメンバーもリョーマが寝ている姿を見て、普段の表情と正反対とも取れる愛らしい寝顔に一時の安らぎを感じていた。
「…それで、手塚は?」
先に着替えてしまった菊丸は、一緒に帰る約束をしていた大石を待つ為にパイプ椅子に腰掛けていたが、いつまでも入って来ない手塚が気になっていた。
「手塚なら乾と一緒に先生と話していたよ」
菊丸の質問に答えたのは不二だった。
詳しく話しを訊くと、今の練習でそれぞれの弱い所をこれからのメニューに取り入れたいので、データを取っていた乾と細かい話しをしているのだという事だった。
「ふーん。大石の着替えも終わった事だし、さっさと帰ろっかな」
眠っているリョーマをどうやって起こすのかを見てやろうと待っていたが、一向に入って来ないので、待っているだけ無駄な気がしてきた。
「そうだな。越前は手塚と乾に任せて帰るとするか」
「おチビ〜、また明日にゃ」
椅子から下りて、ぷにぷにと指で頬を突付いても、リョーマはやっぱり起きなかった。

「…手塚、越前が熟睡しているぞ」
リョーマを残して全員が帰ってから数分後、残っていた2人も部室に入って来た。
先に扉を開けた乾は手塚の部室内の様子を簡潔に話すと、早速ノートを開いて何かを手早く書き込む。
「乾、早く入ってくれないか?」
「…ああ、すまないね」
長身の乾が扉で立ち止まると中は何も窺えなくなる。
少し苛立った声を出せば、乾はノートを閉じて中に入るので、手塚はそこで初めてリョーマの姿を視界に納められた。
硬いベンチの上で熟睡中のリョーマ。
しかも、こちらに顔を向けているので愛らしい寝顔がバッチリ拝める。
よくこんな場所で眠れるものだ、と感心するが、こんな無防備な姿を乾の前でいつまでも晒しておくわけにはいかない。
早く起こそうと、手塚は着替える前に起こす事にした。
「越前、起きろ」
「…ん〜…」
しかし、リョーマは体勢を入れ替えただけで起きようとしない。
「手塚、俺は先に帰らせてもらうよ。良いものを見させてもらったしな…」
その間にも乾は着替えてしまい、何やら含みのある笑みを浮かべながら出て行った。
「ふう、仕方がないな…」
手塚は自分のジャージを脱ぎ、リョーマに掛けてやる。
着替えてもまだ部誌を書かないといけないので、手塚はもう暫く眠らせておく事にした。
リョーマの寝顔を見るのは悪くないので、部誌を書きながら何度も眺めていた。

「…ん、あれ?…」
部誌も書き終わり、そろそろ起こそうとしたところでリョーマは目を覚ましていた。
寝惚け眼で起き上がり、部室内をキョロキョロとする。
「…ぶちょ…」
「やっと起きたのか。他の奴らはとっくに帰ったぞ」
手塚のいうとおり、この中にいるのは自分と手塚だけ。
だったらもう遠慮はいらない。
「…ねぇ、これって国光のだよね。途中からすっごく温かくなったから、気持ち良く寝れちゃったよ」
呼び方を変えて、冷えないように肩に掛けられていた手塚のジャージに顔を埋める。
今は自分の体温もプラスされているが、残っている手塚の温もりを楽しむ。
幸せそうなリョーマを見ながら手塚はペンを置いた。
ベンチの前にまで来ると、リョーマの手からジャージを取り戻す。
「…あ…」
突然奪われた温もりを追いかけるように手を伸ばせば、手塚はジャージではなく自分の腕を差し出し、そのままリョーマの身体を抱き締めて軽々と抱え上げた。
「…ジャージよりも本人の方がいいと思うが?」
リョーマに代わり手塚がベンチに腰掛ける。
2人の重さに軋み音がするが、それくらいでベンチが壊れる事はない。
「……それもそうだね」
抱かれたままジャージではなく、手塚の胸に顔を埋める。
広くて温かくて安心できる場所。
物よりも気持ちの良い温もりに、また眠気が襲ってきそうだった。
「…また寝るなよ」
重くなってきたリョーマの頭に、手塚は軽く諭す。
「うーん…」
とろん、としてきた目を覚醒させるように何度か瞬きする。
「今度の休みには堪能させてやるから、今は我慢しろ」
「…じゃ、我慢する」
これ以上抱き付いていると絶対に寝てしまうので、リョーマは勢いをつけて顔を上げた。

「ところでいつから寝ていたんだ?」
「いつからって、誰もいなかったから覚えてないよ」
レギュラーでは1番に部室に入り、その後は菊丸と河村が続いたが、リョーマはそれを知らない。
リョーマの言葉を信じるのなら、1人の時からずっと寝ていた事になる。
「…しまったな」
「何が?」
悔恨する手塚に今度はリョーマが訊く。
「お前の寝顔を全員に見せてしまった」
「そんなの今に始まった事じゃないでしょ?」
「だが、極力は見せたくないんだ…」
普段を知っているからこそ、寝顔の愛らしさとのギャップに驚き、ついつい眺めてしまう。
リョーマの寝顔を見ている時は至福の時間。
誰にも渡したくない。
「我が儘だね、国光も」
自分も手塚の温もりは誰にも渡したくない。
時間を忘れてしまうほどに気持ち良い温もりは、自分だけのものにしたい。
「リョーマもか?」
「ん、そうだよ」
お互い様だよね、とリョーマが笑いながら言えば、手塚は優しく微笑んだ。


時間も場所も忘れて、その温もりに包まれていたい。

大好きな人の生きている証を存分に味わいながら。




か〜、ラブいなぁ。