08.鼓動


速まり、高鳴り、跳ねる。


「…暇だな」
ぽつん、と放たれた言葉は誰かに話し掛けているようで、独り言にも聞こえた。

今日のリョーマは委員会の当番の日。
部活に行く前に活動の場である図書館に行き、決められた時間はここで過ごす。
当番は何か起きた時を考慮して2人以上で行うようにしている。
学校の図書館は専門書から文庫本まで豊富な種類の本を所持しており、利用者も多いので混雑する日もあるが、今日はそれほど利用者がおらず、かなり閑散としていた。
「今日は暇みたいだし、先にここの本片付けてくるね」
1人は暇を持て余すのも何だからという理由と、先に片付けておけば帰りが楽になると考え、戻された大量の本をワゴンに乗せて持ち、書棚に戻している。
やりたい人が進んで行うのは大いに賛成なので、リョーマはカウンター内で溜まったカードを整理していた。
最後の1枚を整理すると、急に目の前が暗くなるのでリョーマは「何だろう?」と顔を上げた。
そこには部活に参加しているはずの手塚の姿。
「…部長?」
きょとん、と手塚を見上げる。
「今日は生徒会の会議でな、今から部活に参加する」
返却する本を渡しながらも、リョーマの不思議そうな表情から、何故自分がここにいるのかを簡潔に話した。
「そうなんだ、部長も大変っスね」
毎週1回こうして委員会で拘束されるのでもかなり不機嫌の素なのに、手塚のように不定期に部活の時間を割く事を思えば、週1回なんて楽な方だと思わないといけない。
「まぁな、お前はまだ終わらないのか?」
周囲を見渡して、もう1人の当番がここから見え難い場所にいるのを確かめてから、手塚はリョーマに話し掛ける。
「…あと、10分てとこっスね。終わったら俺も部活に行きます」
時計で時間を確認すれば、図書館を閉める時間まであと10分になっていた。
部活に参加しても、既に練習内容は半分以上過ぎているので、家に帰って寺のコートで練習しても良いのだが、室内でじっとしていた鬱憤をさっさと晴らす為にも少しでもいいから参加したいのが本心。
「そうか、では待たせてもらうか」
「え、でも…」
手塚の『待つ』意味は、リョーマが終わるのを待つという意味。
「実は前々から借りようと思っていた本があってな、ついでだから探させてもらう」
手塚は全くの無意識でリョーマに笑みを見せながら頭を撫でようとするが、ここが図書館である事を思い出して、表情を引き締めると同時に、もう少しで届く距離にあった手を引き、本を探しにカウンターを離れて行った。
「…ちょっとドキドキしたな」
触れる直前で離れていった大きな手。
あのまま髪にでも触れられたら、平常心ではいられない。
嘘みたいに高鳴る鼓動を静めるように、リョーマは誰にも悟られないように大きく息を吸ってゆっくりと吐いた。

手塚がお目当ての本を数多くの棚から探し当てると、丁度良いタイミングで図書館の施錠時間となった。
先に片付けておいたおかげで、窓の鍵を閉めるだけで今日の仕事は終了し、リョーマは外で待っていた手塚と合流し部活に参加すべく、部室に歩いて行った。
「また洋書を借りたんだよね。そんなに好きなの?」
手塚が借りたのは日本語の書物ではなく、全てが英語で書かれた本。
洋書を借りるのは自分自身の英語力の向上の為と言っているが、「それにしては難しい本を借りて行くな」と、決して口には出さないが本を見た瞬間にそう思っていた。
洋書にも英語の能力が初級者レベルでも楽しめるクラスと、上級者にならないと理解出来ないクラスまで様々。
手塚が今日借りて行ったのは、上級者クラスの本。
「特に好んでいるわけではないが、わからない部分はお前に聞けばいいからな」
「俺に聞くなんて、らしくないね」
聞けばいい、なんて言っているが、今まで一度たりとも聞かれた事が無い。
「そうか、俺にだってわからない事くらいあるさ」
「…ウソだ。今まで誰かに聞いた事なんて一度も無いくせに」
学力や理解力の違いは個人差があるもので、手塚に至っては全てが最高水準なので、たとえわからない部分があっても人に聞く前に自分で調べてしまう。
この情報の発信源はテニス部きっての常識人の大石とデータ収集を趣味にしている乾なので、絶対に間違いは無い。
「今まではそうかもしれんが、この本はかなり上級者向けだからな、是非ともお前の力を借りたい」
「…べ、別にいいけどさ…」
「そうか、ありがとう」
ただのお喋りのはずなのに、真剣さながらの視線にリョーマの鼓動は速まる。


「あれ?同伴出勤なんて珍しいね。もしかして手塚ってば越前を出待ちしてたの?」
手塚が部室のドアノブを掴もうとした時、背後から聞き捨てならない台詞を吐かれた。
声しか聞こえなくても、毎日のように聞いている声なので、すぐに誰かは判明する。
しかもこういう言い方をするのは、部内でたった1人しか存在していない。
「バカな事を言うとグランドを走らせるぞ、不二」
「…不二先輩、あんまり変なコトを言わないで下さい」
顔は窺えないが、声のトーンがワンランク下がったのを即座に感じ取り、不二がこれ以上刺激するような事を言わないようにリョーマは釘を刺しておく。
「でも同伴には間違いないでしょ?じゃ、僕は練習に戻るから」
言いたい事はそれだけなのか、手塚が振り返る前に不二はにこやかに微笑みながらコートに戻って行った。
「不二先輩ってば何しに来たんだろ?ま、いいか、早く着替えましょ」
「…それもそうだな」
何を言っても無駄なのは長い付き合いでわかっている。
手塚は溜息を吐いてから扉を開けた。
「まったく、不二の奴は…」
説教してやりたいくらいだったが、不二はさっさとコートに行ってしまったので、モヤモヤとしたものが残っていた。
つかみ所の無い性格なのは長い付き合いでわかっていたので、言動などを気にし、それなりに理解していたつもりだったが、どうやらまだ甘かったと改めて認識していた。
「でも、同伴って何かいいね。いつも一緒にいるみたいでさ」
少し離れて着替えているリョーマの口調には、不二のような冗談っぽさは少しも無い。
おそらく校内で一緒にいる所を見掛けたから、そんな言葉を口にしたのだろうが、リョーマにとってはからかいなんて思えなかった。
「…それは、俺と暮らしたいという事か?」
「ちょっといいと思わない?」
「そうだな、楽しそうだ」
2人の関係がこのまま続けばそれもありうる。
想像しただけでも毎日が楽しそうで、手塚もまんざらではない顔をするので、リョーマの鼓動はドキンと跳ねた。
いつもは無愛想な顔をしていても、実際はこんなにも表情が豊かだなんて、きっと他の人は知らない。



図書館で触れようとした時。
洋書の話をしている時。
他人の言葉から始まった将来の話。

様々な要因はあるけれど、鼓動が高鳴り、速まり、跳ねるのは、こんな時。





塚リョを考えていると、ドキドキしますよ。
漫画みたいに頭の中を読まれたらもう大変なくらい。