07.取捨択一


いらない物を全部捨てて、最後に残る物は何?


「ね、これってすっごく古そうなんだけど…使えるの?」
「ああ、それは幼い頃に祖父から頂いた物だからな。もう何十年も前の物だが、まだまだ使えるぞ」

休日の昼下がり、祖父と両親は揃って出掛けているのをいい事に、手塚は即行で自宅にいたリョーマに連絡を取り、己の自宅へ招いていた。
どちらの家でも2人きりになれるのは滅多に無い。
玄関や窓の鍵を全て掛けて外からの侵入者を防ぐと、部屋の中で一頻り抱き合い、何度もキスを交わし、その後でリョーマは前々から気になっていたガラスケースの中にある釣竿について、手塚に色々と聞いていた。
十本近くある釣竿はお年玉を貯めて購入した物から、頂き物まで様々であったが、どれもこれも手入れが行き届いていて、新品同然だった。
が、1本だけはどれだけ贔屓目に見ても良い物とは思えなかったので、思わず失礼な質問をしてしまっていたが、想像していたのと異なる反応が返って来て顔色が曇る。
「そうなんだ。ふーん…何かこれだけ特別大事にしてんだ」
「これが俺が持った初めての釣竿だからな。どうしても捨てられないし、これからも大切にしたいんだ」
ケースを開けて、中の釣竿に触れる。
傷もあって、少し変形も見られるが、大物ではない限り釣る事に対して支障は無い。
「…じゃあさ、俺が捨ててくれなきゃ別れるって言ったらどうする?」
「リョーマ?」
究極の選択を口にするリョーマに、手塚は名前を呼ぶ事しか出来なかった。
声のトーンは下がり、釣竿を触っている手を凝視し、本体である手塚を全く見ようともしない。
「別れるんだよね?だって釣竿は捨てられないんでしょ?」
何がリョーマの地雷を踏んでしまったのかを考える間も無く、リョーマの言葉は続いた。
「おじいさんからもらった大事な釣竿だもんね」
「…釣竿とお前を天秤に掛けるなんて無理だな」
横から見ても憮然としているリョーマにそれだけを言えば、今度はじろりと睨んできた。
怒りで目がいつもよりもつり上がり、口の角が下がっている。
甘い時間を過ごそうとしていただけで、こんな表情を見る為に誘ったのでない。
どうにか宥めようと手塚はリョーマの肩に手をまわし、抱き寄せてみる。
抗う様子は無いので、これなら楽に修復ができそうだと安心したが、肝心のリョーマはまだまだご機嫌が斜め状態を継続中だった。
「どうだか…」
ふい、と横を向いてしまった。
「どうしたんだ?お前らしくない。それとも、釣竿に嫉妬しているのか?」
手塚としては軽い冗談のつもりで言っただけなのに、リョーマは先程よりも強く手塚を睨んできた。
「悪かったね。どうせ俺は釣竿に嫉妬してますよ」
ふん、と言いながら大きく横を向くが、すぐさま手塚によって向きを変えらえる。
「…ちょっと、何するんだよ」
「いや、愛しくて仕方が無いだけだ」
「…なっ…」
怒り顔だったリョーマは一瞬だけ呆気に取られた顔をした後で、かあぁ、と顔を赤くする。
リョーマの言葉にノックアウトされてしまった手塚は、どうしようもないほどの愛しさを感じていた。
どんな場面でも喜怒哀楽をポーカーフェイスに隠す恋人が、嫉妬という負の感情を露わにしていて、しかも認めている所で、ハートを鷲掴みにされた。
「お前と比べる物などこの世に有りはしない。親友だろうが両親であろうが…お前が望むのなら全てを捨てよう」
「…や、そこまでは言わないけど…」
話がかなり飛んでしまっている手塚にリョーマは困惑してしまい、何て言っていいのか悩んでしまう。
自分が振った話しを「難しくなりそうだから」と、別の話題にするのも気が引ける。
かといって、このままこの話題だけで進める事はしたくない。
リョーマの葛藤は暫く続いた。
「それにお前が嫉妬するのも良くわかる。俺もお前の家に行くといつも感じるからな」
「…何で?俺は国光と違ってそんなに物を大事にしないよ」
アメリカのジュニア大会で手に入れた優勝カップやトロフィーは、タンスの上で無造作に置かれて、たくさんあるゲーム機やソフトも床にバラバラと置かれていて、整理整頓なんて言葉はリョーマには無縁だった。
「お前にはカルピンがいるだろう。カルピンを構っている時のお前は本当に楽しそうで素のお前を出すからな」
「カルピン?」
思ってもみなかった所を突かれて、リョーマはキョトンとしてしまう。
強いて言えばテニスに関する物なら大切にしているが、カルピンは家族同然なので、嫉妬の対象に入るなんて頭に無かった。
「それにカルピンの方がお前と過ごした時間が長い。俺の知らないリョーマを知っているという事だ。いつも羨ましいと思っている」
「…じゃあ、俺の家に来るのは本当は嫌なの?」
「そんな事は無い。お前と付き合っている以上、南次郎さん達とも交流を深めたいからな」
特に父親の南次郎は『サムライ南次郎』と呼ばれ、日本を飛び出し海外で活躍していた日本屈指のテニスプレーヤーだった。
リョーマが生まれてからは、表舞台に出る事は無くなったが、リョーマは「1度も勝てないんだよ」と、悔しそうにいうので、何度か手合わせをさせてもらったが力は全く衰えていない。
学校での部活では滅多に味わえない高揚感はそうそうない。
リョーマとの出会いは、手塚にとってプラスにしかなっていなかった。
「……そっか、国光も嫉妬するんだ。何かそんな風に見えなかったから、ちょっとビックリしちゃった」
昂ぶった感情が冷めたのか、リョーマは大人しくなる。
「俺にも人並の感情があるんだ。嫉妬の一つや二つくらいするさ」
頬に添えていた手の片方だけを額に移動させ、そっと前髪を払うと唇を押し当てる。
優しい感触にリョーマが瞳を閉じれば、今度は極自然に唇に温かく優しい感触がきた。


「今度、一緒に釣りに行くか?」
ケースの中からイザコザの原因となった釣竿を出してリョーマの手に持たせてみせた。
「え、釣りって魚が引っ掛かるまで待っていなきゃいけないんでしょ?そんなの俺に耐えられると思う?」
手に持ってみると手塚のいうとおり、古くても手入れが行き届いているので、使い慣れたラケットのようにしっくりとくる。
きっと祖父も大切にしていたに違いない。
「何でもやってみないとわからないぞ。それに自然の中でゆっくりするのもなかなか良いものだぞ」
「でも、釣りって海に出るんでしょ?」
「俺はどちらかと言えば、川の方が多いな」
「へ〜、そうなんだ。じゃあ、キャンプしながら釣りするんだ」
趣味が釣りとキャンプと山登りだった事を思い出していた。
完全なアウトドア派なのに、静かに書物を読むのも好き。
見た目からして静のイメージなので、山に登ったり釣りをしている姿が想像できない。
一度も見た事が無いからイメージが掴めないのも理由にあった。
「今まではそうだったな」
「今まで?」
どういう意味だろうと、リョーマは首を傾げる。
「休日くらいしかお前とゆっくり出来ないだろう?そんな大切な日に1人で出掛けるのは勿体無い。それならお前の趣味に合わせた方がいい」
「俺の趣味って言うか好きなのは…入浴剤を入れた風呂にゆっくり浸かる事なんだけど」
リョーマの趣味なんて趣味と言っていいものなのかわからないが、好きな事が趣味として認められているのなら、これが趣味となる。
「だから、お前に合わせていた方がいいな」
「…一緒に風呂に?…それって…」
何かしらの含みが込められた台詞にリョーマはそれ以上の言葉を発せられなかった。
言えば今からの時間に何をするかが決まってしまいそうて、その行為自体は嫌では無いが、自分の口から言うのは忍びなかった。
「一緒に風呂に入って、その後は…」
だが、手塚はリョーマが言わなかった続きをリョーマの耳元で話す。
家族がいないから誘ったのだから、リョーマもその気で手塚の誘いを受けた。
「今日の予定はこれでどうだ?」
「…うん」
仲直りを込めて手塚が提案した内容に、リョーマは照れながらも頷いていた。

「俺はリョーマさえいればそれでいい…」
ベッド上で抱きしめるリョーマの身体は何よりも触り心地が良い。
いつでも触れたくなる。
「俺もだよ。カルピンはペットだから大切にしているけど、国光は恋人なんだからカルピンとは全然違うよ…」
リョーマも両手を手塚の背にまわし、密着度を深めていた。


必要な物はこの世でたった一つ。

何もかもを捨てても、これだけは捨てられない。





ジェラシーを眠らせて…って曲が昔にあったような…。
ま、2人は全てを捨ててもお互いだけは捨てられませんって話です。