04.隣の特等席 |
そこは誰の場所? 「大石副部長の後は不二先輩か、何だか遠いな…」 じっと一点を見つめていたが、不意に視線を外す。 諦めたような口振りでラケットを肩に掛けて歩くのはリョーマだった。 テニスに向ける情熱は人並以上なのに、決して表に出さない。 メンタルコントロールはアメリカにいた時に身に付いていたもので、今ではテニスだけでなく日常生活の中でも自分の感情をコントロールするようになっている。 唯一コントロールできない時があるのだが、それは特定の人物の前でのみ。 その人は少し離れた場所で不二と会話をしている。 練習中はテニスに集中する為にあまり考えないようにしているのに、何かに引っ張られるように視線がその人に釘付けになってしまう。 これ以上は見てはいけないと、視線を落して歩いていると目の前が少し暗くなり、思わず顔を上げれば菊丸が腰に手を当てて笑顔でリョーマを見ていた。 「おっチビ、何か暗いぞ」 「菊丸先輩は無駄に明るいっスね」 見上げた先の明る過ぎる笑顔にリョーマは薄ら笑いを浮かべた。 その元気がどこから出てくるか教えて欲しいほど、菊丸のテンションはいつでも高い。 たまに暗い時があるが、それは本当に稀な事。 「やっぱ、テニスは楽しいからにゃ〜、自然に明るくなるってもんだにゃ」 言いながらも、菊丸は右腕でリョーマの頭をロックすると、自分に引寄せる。 これが菊丸式のコミュニケーションの1つなのだが、される側はたまったものでは無い。 見た目は背が高くてひょろっとしているので、それほど力が無さそうに見えるのだが、片手で自分の体重を支えたりするアクロバティックを得意としている分、想像以上に力は強い。 しかも背の高さを利用して抱きついてくるので、かなりの圧迫感がある。 「もう、放して下さい」 痛いやら苦しいやら、いい加減にして欲しいと訴えれば、菊丸はニヤニヤと笑い、更にぎゅーと抱き締める。 「……おチビ、手塚見て」 「へ?」 足でも踏んでやろうかと考えた矢先、菊丸は至極真剣な声を出したので、リョーマの方は呆けた声を出してしまった。 「ほら、すっごく気にしている顔…」 ずれてしまった帽子の下から先程まで気にしていた手塚を見やれば、まだ不二と話しているが、視線だけはこちらを向いていた。 気に入らないと訴えるように眉間には皺が寄り、形の良い眉がつり上がっている。 菊丸がわかるほどなのだから、余程こちらを気にしているのだろう。 「…おチビ、たまには先輩っぽい所を見せてやるからな」 最後にそう言うと、菊丸リョーマを解放した。 一体どういう意味なのかわからなかったリョーマは、ただ首を捻るばかりだった。 恋人であっても練習には手塚もリョーマも公私混合はしない。 部活の最中はただテニスにだけ力を注ぐ。 テニスに恋愛を混ぜれば、きっとどこかでおかしくなる。 わかっているからこそ気にしないようにしていたが、頭の片隅ではどうしても考えてしまう。 逢えない日々が続けば続くほど、相手の事を気にしてしまう。 頭の切り替えが出来なくなるほどに。 今日の練習も考案者が乾とあって驚くような内容であったが、この練習によって更なる技術が身に付くのはこれまでの練習で明らかだ。 全ての練習を終えると、1年生は先を急ぐかのように後片付けをし、2年生や3年生は言葉少なめに部室に向かいさっさと着替え始める。 「手塚、今日は俺が書くからお前は先に帰っていいぞ」 顧問と話しをしていた手塚がほとんど誰もいなくなった部室に入れば、そこには大石と菊丸だけがいた。 「何かあるのか?」 「何っていうか、おチビが校門で待ってるから、早く行くんだにゃ」 「越前が?」 「そうだにゃ、恋人を待たせると後で痛み目に合うぞ」 窺うように菊丸を見ればあっさりと白状するので、手塚は2人に礼を言うとすぐに着替えて部室を出て行った。 「やるな、英二」 部誌を書き終えた大石はキューピット役を終えた菊丸の肩を叩く。 「今日のおチビはちょっとおかしかったから早く慰めやって欲しいんだよ。俺のちょっとした親切つーか、余計なお世話ってやつ?」 大石にニカッと笑う菊丸は、2人が上手く行く事だけを祈っていた。 急ぎ足で校門に行けば、菊丸の言う通りリョーマが立っているのが見える。 ポツンと1人で立っている姿がとても寂しそうで、手塚は少し駆け足になる。 「越前」 「あれ?何で部長が?」 声を掛ければリョーマはこちらを振り返るが、かなりビックリした顔で手塚を見つめている。 「…菊丸からお前が待っていると言われたんだが」 「俺は菊丸先輩がちょっと待っててって言うから…」 顔を見合わせてお互いが菊丸から言われた話をすれば、どうやら全ては菊丸が仕込んだものだと判明した。 「せっかくだからな、一緒に帰ろう」 「うん、何か久しぶりだね」 忙しい手塚に遠慮していつもは桃城達と帰っていたが、今日は菊丸と大石の好意に甘えようと、帰路を共にした。 車通りが少ない道や歩道は並んで歩き、言葉を交わす。 たったそれだけなのに、信じられないほどに胸が弾む。 「…まあ、菊丸に煽られた部分もあったがな」 「どういう意味?」 結局、一緒に帰るだけでは勿体無いと、手塚はリョーマを自宅に招き、リョーマには自宅へ夕食は不要だと連絡を入れさせた。 夕食までの時間は手塚の部屋で2人きりになる。 特に人を呼ぶ事の無い手塚の部屋は勉強机以外に机は無い。 それに床に座るなんて事は無いのか、ソファーや座布団なんて物も存在していないので、いつもベッドに座っている。 手塚は制服から私服に着替え、先に座っていたリョーマの横に腰掛ける。 「今日、お前に菊丸が抱きついていただろう」 「…うん、でもあんなのいつもの事だし」 部活の事を言っているのはわかるが、菊丸のは挨拶と同じ。 手塚だって今日だけで無く、これまでにも何度も見ている光景。 毎日1回は必ず抱きついてくるので、リョーマはそれほど気にしなくなった。 「だが、俺にとってはお前が誰かの腕の中にいるのが我慢出来ない」 「そんなの俺だって同じだよ。国光の横にはいつも誰かがいるけど、本当はいつでも俺が隣にいたいよ」 正直に自分の本心を話す。 今は自分だけの恋人でいてくれるが、校内では自分だけの恋人とは違う。 部活では部員をまとめる部長で、校内では生徒の頂点に立つ生徒会の会長。 どれだけ近くにいても遠い存在で、この2年の差がいつでも悔しくなる。 「そうだな、お前の隣も常に俺がいたい」 ふっ、と笑みを零し、リョーマの腰に腕をまわし身体を密着させれば、リョーマは手塚の肩に頭を乗せて、隣にいられる幸せを噛み締める。 たとえ他の誰かが隣にいても、それはただ隣にいるだけ。 自分とは違う。 「国光…」 少し優越感に浸りたくて、囁くように名前を呼んでみれば、手塚は手を腰から頭に移動させ、艶のある髪を何度も撫でてくれる。 優しく撫でる動きが気持ち良くて、リョーマは幸せを噛み締めながら瞳を閉じていた。 「俺の隣にはいつもお前がいてくれると嬉しい」 最後にこんな殺し文句を言われたら、嬉し笑顔を隠しきれなくなる。 「俺も、国光がいてくれたら嬉しい」 言われると嬉しいから、リョーマも手塚に同じ事を伝えてみれば、髪を撫でていた手は肩に移動して強く抱き締められた。 こんな特等席は自分だけのもの。 決して誰にも渡さない。 |
自分だけの場所ですよね。