02.上目遣い


その瞳に見つめられるだけで、どうにかなりそう。


「…どうした?」
手塚は自分を見つめる視線に気付くと、部誌に集中していた顔を上げる。
確か部室の中には自分しかいなかったはずなのに、顔を上げれば扉のすぐ横にリョーマが立っていてこちらをじっと見つめていた。
「やっと気付いてくれた。もう10分も待っていたんだよ。もうすぐ終わりそう?」
にっこりと笑いながら話し掛ける。
気付かなかった事に対しての不満などは口にせず、ただ笑い掛ける。
こんな顔、校内でもコート内でも絶対に拝めない代物。
「ああ、」
応える手塚も自然と表情を緩ませていた。
桃城達と先に帰ってしまったと思っていた相手が、こうして自分を待っていてくれていた事実に顔が緩むのは仕方が無い。
「じゃ、待ってるね」
手塚がリョーマの存在に気が付いても、どれだけ言葉を交わしても、手塚がリョーマに気付いた時と同じ、手塚は部誌を書く為に設置した机と椅子、リョーマは扉の横という、距離を保ったままで喋る。
部長としての手塚に与えられている職務を終えた後ならいくらでもくっ付けられるが、今は邪魔をしてしまうだけなので、リョーマはこの場から動けない。
邪魔をすればそれだけ帰る時間が遅くなる。
だからこの場所から動かない。
でも、それでいい。
こうして自由に恋人の姿を見つめていられるのは嬉しい。
部活の最中だと、サボっていると思われるし、ムカツクくらい邪魔者も入る。
だから今はこれで充分。

視線をリョーマから部誌に戻し、早々に終わらせる為に集中しようとしたが、1分後には何かを悩むかのようにペンを持っていた左手を額に当て動きを止めてしまう。
「…国光?」
いきなり微動だにしなくなった手塚を不審に思い声を掛けてみれば、何かを決心したのか顔を上げて椅子を少し下げて方向をリョーマがいる扉に変えた。
「リョーマ」
どうかしたのかとリョーマが訊ねる前に、手塚が右手を差し出して凛とした声で愛しい相手の名前を呼べば、操られるように扉の横から歩き出した。
数メートルそこらの距離。
歩く度にどんどん近くなる姿。
手塚の目の前で足を止め、差し出された手の上に己の手を重ねようとすると、その前に手首を掴まれてしまった。
「ここに座ってくれないか」
驚いたリョーマを見上げながらペンを放した左手で脚の上を数度叩けば、ほんのりと頬を朱に染めながら小さく頷いていた。
椅子に深く腰掛けている手塚の脚に跨ると、どうする事も出来ない身長差の結果、リョーマの足はかろうじて爪先が地に着くくらい。
意地になって着けようとすれば余計な力が掛かり手塚に負担を掛けてしまうので、ここは大人しくしていた。
「ね、重くない?」
こうして跨る行動は、ベッドの上でならこれまでにもしているので照れ臭さは無い。
ただ、どうしても気になるのは自分の体重。
「問題ない」
校内の身体測定の体重は50sだが、実はこれは誤魔化してあり、本来のリョーマの体重は40sの前半しかない。
自然な動きでリョーマの細い腰に両手をまわす。
「それで、どうかしたの?」
ほんの少しだけ首を傾げてみせれば、手塚は何も応えずに目尻を下げて代わりに口の端を上げる。
「…この距離でその顔はズルイ。わっ…」
自分しか見られない極上の表情をこれほど近距離で見せられると、どうしても照れてしまうので、リョーマ真っ赤になった顔を見られない為に視線を外してしまうが、手塚がその行動を許すわけが無く、片手を腰から背中に移動させて密着するように力を込める。
「俺から視線を外すな」
官能を呼び起こされそうな声にリョーマの肩がビクリと動く。
手塚に跨る事で20センチ以上の身長差はほとんど無くなり、普段は頭の上から聞こえる声が今は直接耳に入る。
「…国光…」
目元を赤くしながら視線を元に戻す。
誰が何と言おうがリョーマはれっきとした少年なのに、その何とも言えない艶やかな表情に手塚は見惚れるばかり。
絶世の美女と呼ばれたクレオパトラや楊貴妃など、手塚にとってはリョーマと比べる相手ではなかった。
コートの中で敵に立ち向かうリョーマの表情も捨てがたいが、情欲を知ってしまった表情は何にも勝る。
「お前に見つめられると、たまらないな…」
大きな瞳が微かに揺れながら手塚だけを見つめている。
それも上目遣いで。
「俺もこうして国光に見られてるとドキドキする…」
2人は視線を合わせながら、コツンと額を合わせて、次いで鼻先だけを擦り合わせ、最後に唇を重ねていた。
流石に口付けの最中は恥ずかしさからかリョーマは瞳を閉じてしまう。
だが、終わった後は宝石のような輝きを放つ瞳を見せてくれる。
軽い音を立てながら何度も触れ合わせてるだけでは足りなくなると、少しずつ濃厚なものにしていく。
薄く開かれた下唇を手塚が軽く噛むと、リョーマは手塚の考えを汲み取り、もう少し間を開ける。
そうすれば手塚はリョーマの口腔に舌を侵入させる。
深まる口付けのムードを高めるように、手塚の片手はリョーマの髪を掻き乱し、口付けを更に激しくさせた。
「…ん……は…」
息継ぎすらままならない状態でも、リョーマも手塚を求めていた。

まるで洋画のキスシーンのように熱く交わさせる口付け。
ここが部室で無くどちらかの部屋であれば問題なくこの先に進むが、流石にこの場所で事を進める訳には行かない。
下手をしたら誰かが扉を開ける可能性がある。
行為を見られるのも困るが、リョーマの肢体を曝け出す方がよっぽど不味い。
敵を作りやすい性格だが、逆に味方も作りやすい。
否、味方というよりも、リョーマの魅力に惹かれてしまうのだった。
もしも後者が現れたら、と思うと、どれだけ安全な状況になっても絶対にここではしたくない。
口付けだけなら何とか誤魔化せるが、それ以上の行為は絶対にしない。
「…リョーマ」
どうにか終わらせると、名残惜しそうに唇を離す。
「…ん…国光…」
激しい口付けで力が抜けているリョーマは潤んだ瞳で手塚を見上げる。
既にどちらのものかわからない唾液で濡れているリョーマの唇を、手塚は指で優しく拭い取ってやった。
「…やっぱり、国光のキスってすごいね」
吐き出す息もどこか妖艶で、手塚はふつふつと湧き上がる劣情をどうやって抑えようかと悩み始める。
しかし悩むなんて無駄な事であり、手塚の心は初めから決まっていた。
「リョーマ、今から俺の家に来ないか?」
「…うん」
リョーマも手塚と同じ。
一旦灯ってしまった欲情の炎は簡単には消せやしない。
頷きながら答えると、手塚はリョーマの脇に手を入れて持ち上げる。
まだ少し残っている部誌をさっさと片付けてしまう為に、申し訳無いがベンチで待ってもらう事にした。
持ち上げられてもベンチに移動させられても、力が抜けているリョーマの口から文句が飛び出るような事態にはならなかった。
手塚も一度だけ深呼吸をすると、 先程の扇情的な表情を思い出さないように頭を入れ替えてペンを持ち部誌に向かう。
終わるまで静かに待つリョーマの瞳はやはり手塚だけを見つめていた。


その瞳で見つめられると、全てがどうでも良くなる。

それは手塚もリョーマも…どちらも同じ。



リョーマは手塚を上目遣いで見上げるんですよ。
手塚の理性常には切れまくりですね。