01.猫かわいがり


可愛がりたい。


桜の薄桃色の花が散り、青々とした葉が木々を覆うように芽吹く頃、日差しは暖かさに暑さを含むようになり、長時間の運動をすればしっかりと汗を掻くようになっていた。
それは屋外の場合のみで、日差しが入らない教室の中では、席替えの話が上がると窓際の席がダントツの人気だった。
今はもう6月に突入し、屋外の部活動全般には、鬱陶しい梅雨に入る前の貴重な時間となっている。

月日が変われば、環境も目まぐるしく変化していく。
それは、誰にでも平等であるが、受け入れるのかは個人の自由。
そう、全ては自由。

昼休みの時間、男子テニス部のレギュラーの一部は、コート脇にある部室に集まって食事をするようになっていた。
しかも、一体誰が言い出したのかわからないが、何時の間にかその日が火曜日と木曜日に決まっていた。
今日集まったのは、部長である手塚と同じクラスでもある不二と菊丸、少し離れて乾、そして唯一の1年生レギュラーであるリョーマの5人だった。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
その中で他人に遠慮せずにラブラブモードを作り上げているのは、手塚とリョーマである。
お互いのお弁当の中から、メインとなるおかずをそれぞれのお弁当箱に入れている。
リョーマが手塚に渡したのは、冷めてもベタリとしない揚げられたイカ団子。
対して手塚がリョーマに渡したのは、ゴボウと人参を牛肉で包み甘辛醤油で煮込んだもの。
「うん、これも美味しい。やっぱり部長のお母さんって料理上手だよね」
「今日も母に伝えておくからな」
手塚のお弁当の中身は『和』で統一されていて、まるで中学生が持つお弁当の中身とは言い難いが、和食好きのリョーマとしては、どれもこれも食べたくて仕方が無いものばかりだった。
リョーマが食べたいと言えば、手塚は喜んで差し出すので、何時の間にやらお弁当の中身は量は少ないが、2人分のおかずで一杯になっていた。
「…手塚とおチビってば、いちゃいちゃし過ぎだにゃ」
部室の床に座り、残りの3人でお弁当を食べていたが、あまりにもラブラブモード全開にしているので、文句の一つや二つくらいは言いたくなる。
「お前達に迷惑は掛けていないだろうが」
手塚とリョーマは3人と少しだけ距離を取っていたが、菊丸の声をしっかり拾って手塚が反撃し始めた。
「ま、それもそうだけど。一応は僕達がいる事も頭に入れて欲しいな」
チキンが入ったサンドウィッチを齧り、菊丸に次いで不二まで言い出した。
ラブラブするのなら、誰もいないところでやってくれ。
流石にそこまでは言えないが、言いたい気持ちだけはある。
「…ならば、来なければいいだろう」
それもそうだ。
手塚とリョーマは必ず来るので、大石や海堂達は2人の邪魔にならないように部室に来るのを遠慮していた。
「誰がここで食べようなんて言い出したんだろう」
「さあな」
「…まさか、乾?」
そんなやり取りを3人でしている間も、手塚達は色々としていた。
「…食べられるようになったのか?」
「えへへ、だって部長は好きなんでしょ、これ。部長が好きなら俺も好きになろうと思って食べるようにしてるんだ」
リョーマのおかずの中には、前々から見た目だけで嫌がっている食材が入っていて、今までは手塚のお弁当箱にせっせと入れていたが、今日は初めて全部食べていた。
「よく頑張ったな、偉いぞ」
そう言いつつ、手塚は褒めるようにリョーマの頭を撫でる。
手塚の大きな手に撫でられて、リョーマがとても嬉しそうに笑顔を作れば、手塚も満足そうに何度も頷く。
「…凄く和やかだね」
「あれを和やかって思える不二の方が凄いにゃ…」
2人の周囲に落書きが出来るのなら、ショッキングピンクのハートマークと暖色系の花を散りばめたいくらい。
「しかし、手塚は越前の前だと性格が変わるな…」
一旦コートに入れば部長として険しい表情になるが、今は違う。
絶対に笑わないその口元は緩く弧を描き、目元も微かに下がっている。
恋する乙女では無いが、手塚も愛しい相手の前ではただの恋する男に成り下がる。
「おチビもだけどにゃ」
「本当にね。そのうちコートの中もこうなるかもよ」
手塚がリョーマを可愛がっている姿を見られるのは、こうした部室の中か、誰の目にも届かない場所だけだ。
世間体やモラルを大切にしているだけなのか、それとも常にクールに構えているリョーマが手塚と一緒にいる時だけはこうして子供っぽくもあり、時には麗しいほどの笑みを作る。
校内問わず、ちょっと有名なリョーマのこんな姿を見たら、絶対に黙ってはいない。
「今だけかもね、こんな風にしていられるのは…」
「ま、今が幸せならいーんじゃない?手塚がおチビをどれだけ可愛がったりしたってさ。あっ、こういうのって猫かわいがりっていうんだっけ?」
「越前を甘やかしてむやみやたらと可愛がる手塚か。ふむ、あの2人が良いのなら俺達が口を挟む問題でもないしな」
所詮は部外者、出来る事と言えば見守る事だけ、それしか出来ない。
お弁当を食べ終わると3人は手塚とリョーマを残してそっと部室から出て行っていた。


「越前は着替えたら残っていてくれ」
練習が終り、1年生は片付けの為に残り、2年生と3年生は部室へ向かう。
これは日常の光景であるが、部活終了の手塚のリョーマ引き止め大作戦も、最近では恒例となっていた。
「ういース」
のんびりとトンボを掛けていたリョーマにそう言えば一応は足を止めるが、特に気にする様子も無く答えて、再びトンボを持ち歩き出した。
これは『2人だけになりたい』という手塚なりの合図なのだが、全てを知っているレギュラー以外には、リョーマは異例の1年生レギュラーなので、その心構えなどを部長として出来るアドバイスしていると思われている。
有り難い勘違いを正したい気持ちはあるが、実行に移すほどの勇気と根性と怖い物知らずの者はレギュラー内には存在しなかった。

「お疲れ様、国光」
部室の窓際に置かれているベンチに座り、1人残っていたリョーマは部誌を顧問の元に届けて戻って来た手塚を呼び捨てにしながら立ち上がる。
「待たせたな、リョーマ」
部室に入った手塚は待っていたリョーマを抱き締める。
無論、手塚もリョーマを呼び捨てだ。
校内でも2人きりの時は、恋人モードにスイッチを切り替えて、暫しの抱擁を楽しむ。
身体にじんわりと馴染むリョーマの体温と、見事にフィットするサイズは、出来るのならばいつまでも離したくないと思ってしまうほどのものだ。
「…ね、何で俺はグラウンド走らなくて良かったの?」
「何の話だ?」
「ほら、今日、菊丸先輩と桃先輩が…」
広い胸に抱かれてうっとりしていたリョーマは、練習中にふざけた菊丸と桃城に煽られて、練習をサボってしまった事を言っていた。
「ああ、それは菊丸と桃城が元凶であり、リョーマはただの被害者だろう。お前まで走る必要などどこにも無い」
大きな手でリョーマの背中を撫でたついでに少し上に移動させ、首筋を掠めれば擽ったさに身を縮ませる。
そんな仕種も手塚にとっては可愛いと感じるだけ。
「でも、いいの?」
「何だ、そんなにあいつらと走りたかったのか?」
「そういう意味じゃなくて、俺だけを特別扱いするとそのうち不二先輩辺りが国光に文句言いそうだから…」
罰周を走りたいのでは無く、こうして特定の相手を贔屓するのは他の部員に示しが付かず、それによって手塚の部長としての威厳が失われそうで心配になる。
「俺を心配してくれるのか?」
「だって、不二先輩とか乾先輩って意外と手厳しいんだもん」
「そうか…俺を心配して…」
リョーマの優しさに打たれた手塚は、再びその身体を抱き締めてから少しだけ身体を離し、その隙間を埋めるように今度は顔を近付けた。
程よい弾力のある唇を何度も啄ばみ、最後に深く口付ける。
2人になると絶えず一定の速度で過ぎ行く時間がゆっくりと感じる。
ゆっくりとに流れる時の中で、身体も心も気持ち良くなるまで離れずにいた。
「…お前と一緒にいられるのは幸福の極みだな」
「そうだね、俺もすっごく幸せ」
猫かわいがりしている結果、リョーマも自分の気持ちを素直に話してくれる。
只管可愛がるだけではなく、相手から自分に甘えて欲しい。
恋人であるリョーマにすら気付かれないように、手塚は時間を掛けてリョーマの深層にまで自分の存在を沁み込ませていた。


今日も下校時間ギリギリまで部室に残り、夕焼けと星空が重なる空の下を帰る。




溺愛というのか、手塚がかなりのリョーマバカになってます。
いや〜、こういう話は気持ち悪くなりそうなほど好きです。