09.意識 |
「本当に美味しかったっス」 「そうか、それは良かった」 会計は別々に済まして店外に出る。 外は店に入る前と比べて、人の通りが多くなっていた。 食事が終われば今度こそ帰るだけ。 今日の目的は既に果たし、手塚の誘いで昼食を摂ったのだが、食事は完全なるイレギュラーなので、これで本当にお別れとなる。 「…部長はどこか寄りたいところとか無いんスか」 駅に向かって歩き出したが、またしてもリョーマの方から話しを切り出す。 普段なら人とつるむのは出来るだけ避けているのに、今は出来るだけ一緒にいられる時間を 増やそうと必死になっている。 「ん、俺か?俺は書店に寄るつもりだが」 「書店…。あ、月刊プロテニスの発売日って今日っスよね」 書店というキーワードから、リョーマは慌てて何か欲しい本がなかったかと考え、毎月購入している雑誌の発売日が今日であったのを思い出した。 これは、チャンスだとばかりに手塚にも訊ねる。 「ああ、そうだな」 「買いたいんで、俺も着いて行っていいスか?」 「構わないぞ」 スポーツショップが開店する前にしていた会話を思い出させるようなやり取りだったが、一緒にいられる時間が増える事になるのは変わらない。 「書店に行くのなら、こちらだ」 「ういっス」 駅に向かっていたが、手塚が先導して横道に逸れる。 横道といっても人通りの多い通りには変わらない。 初めての場所ではぐれないようにと、手塚は出来るだけリョーマの傍を離れないようにしていた。 しかも、さり気無く車道側を手塚が歩くという心配り。 当初は気付かなかったリョーマだが、「やっぱり車が多いな」と車道を見ている時に、自分の歩く位置に気が付いた。 歩道を歩いているのだから、車にぶつかったりする可能性は非常に低い。 だが、車道寄りは自転車やバイクが置いてあり、歩くには少々邪魔だったが、手塚は颯爽と避けていたので全く気が付かなかった。 (…まさか、俺の為?) 信号待ちをしていて前から来る人を避けても、自分の位置は変わらない。 必ず手塚が自分の右側に立っている。 まるで障害物から守るように。 「…越前?」 思わず歩みが遅くなってしまい、手塚が怪訝そうに振り返ってきた。 「どうかしたのか」 「何でも無いッス」 「書店はこの先だからな」 「…ういっス」 柔らかく微笑まれ、心臓が長時間も練習をした後のようにドクンドクンと脈打つ。 ほんの数秒だけ立ち止まったが再び横並びで歩き出した。 「部長は何を買ったんスか」 それぞれ買い物を済ませて書店を出るが、「少し休んでいこう」との手塚の申し出により近くのカフェに入った。 入った店はオープンカフェで、店先には天気の良さからか客が多かったが、逆に店内の奥は空席がチラホラと見られた。 座る場所なんてどこでも良かった2人はこの店に決め、手塚はアイスコーヒー、リョーマはグレープジュースを頼んだ。 コーヒーもその場でコーヒー豆を挽いた物を使用し、たっぷりの氷ちょっと濃い目のコーヒーを注いだ本格的なもので、グレープジュースもブドウを皮ごとミキサーに掛けてレモン果汁を入れてさっぱりと仕上げたものだった。 コーヒーの苦さが苦手なリョーマにはコーヒーの味はどれも変わらないが、手塚はその味にとても満足していた。 「俺はこれだ」 紙袋から購入した本を取り出し、リョーマに渡す。 「…Charlie and the Chocolate Factory…洋書っスね」 折れないようにビニールに包まれているので、中身までは確認できなかったが、表装のどこにも日本語が無かったので、これは洋書だとピンとくる。 「以前に映画化されて話は知っているので、これなら英語の勉強になると思ってな」 「えっと、たしかジョニー・デップが主演の映画っスよね」 「ああ、良く知っているな。観たのか?」 リョーマにはあまり興味が無さそうだと予想していたが、映画の主演男優の名前が出てきて、本気で驚いた。 「菜々子さんが、あ、俺の従姉妹で今は俺の家に下宿中なんスけど。その菜々子さんがこの作品を好きらしくて、何度もDVDを見てたんスよ」 「そうだったのか。興味があるのなら読んでみるか?」 「え、でも…」 菜々子が見ていた時に一緒に見たが、なかなか面白い話だった。 原作も同じくらい面白いのかと興味を引かれたが、流石に人様の物に手を付けようとは考えなかった。 「お前なら辞書など不要で読めるだろう」 「ま、これでもアメリカ生まれのアメリカ育ちっスから」 中学校の英語レベルなんてリョーマには簡単すぎて戸惑うくらい。 英語の発音も教師では理解出来ないくらいに流暢で、テストも常に100点満点。 「俺は辞書を側に置いて読んでいるのだが、やはり表現にわかり難い部分があるのでな」 「…で、そのわかり難い部分を俺に訊くってコトっスか」 「そういうわけだ」 「…いいっスよ。じゃ、先に読ませて下さい」 こんなふうに頼られて悪い気はしない。 しかも、手塚の頼みだ。 これは何が何でも断れない。 「よろしく頼む」 話がつき、手塚の購入した本はリョーマの元に移動した。 「でも、部長って努力家なんスね。勉強しなくてもいいくらいに頭が良いって思ってた」 「過大評価だな」 「そうっスか?」 「努力をしたからこそ今の俺がいるんだ」 「ふーん。でも、部長ってちょっと他の先輩とは違うっスよ」 意外な一面を知り、はにかみながらストローを唇で挟んで、グラスに入った紫色の液体を吸う。 その姿に手塚は瞬きを忘れて見つめる。 こういう感情は女性に対しての感情なのだと理解しているが、唇を少しだけ窄めて飲んでいる姿がやけに絵になっていた。 「…なんスか?」 「いや、練習中にもグレープ味の炭酸ジュースを飲んでいるが、それほど好きなのか?」 見つめていた事に罪悪感を覚え、どうにかして口元から目を逸らした。 「ファンタのコトっスよね。なんかあの甘さが好きなだけで、グレープ限定ってわけじゃないんスよ。今日は他に飲みたいのが無かったからこれにしただけで」 「…一口、貰っても良いか」 「どうぞ」 ストローを差したまま差し出され、手塚はどうやって飲もうか考えるが、そのままストローを口にして飲んでみる。 (…あ、間接キスになっちゃった) 先ほどまで自分の唇で咥えていたストローを今は手塚が咥えている。 部活中に菊丸や桃城によって、飲んでいたジュースを勝手に飲まれる事件はあった。 そんなに大した問題では無いと言い聞かせても、胸はドキドキとしてしまう。 「…ふむ、さっぱりしていて美味い。やはり100%は違うな」 「そ、そうっスね」 グラスを差し出され、受け取ろうとした時に指先が触れてしまい、思わず手を引っ込めてしまう。 「越前?」 しっかりとグラスを持っていたので下に落ちる事は無かったが、ありえない反応に手塚は目を見開く。 「あ、えっと…その静電気っス」 こんな季節に静電気なんて無さそうなものだが、リョーマはこれしか言えなかった。 下手に言い訳しようものなら墓穴を掘るだけ。 「そうか。落ちなくて良かったな」 リョーマにしてみては必死な言い訳だったが、手塚はそれほど気にせずにグラスをコースターの上に置いた。 (ヤバイ、マジでヤバイ…) ほんの少し指先が触れただけなのに。 菊丸に抱きつかれても、桃城に頭をぐしゃぐしゃに撫でられても、何とも無かったのに。 意識しすぎてしまう。 頭ではわかっているのに、心が小さな仕種にも大きな反応をしてしまう。 戻されたグラスのストローに口を付けるのもかなり勇気がいる行動だった。 ぽつり、ぽつりと会話を交わすが、間接キスに気を取られているリョーマには何を喋っているのかわかっていなかった。 「越前、もう少し付き合ってもらっても良いか」 手塚はリョーマが照れ臭そうにしているのに気付いていた。 もしかしたら、自分と同じ感情からきているものではないのかと。 だからこそ意を決して、またしても誘ってみる。 「ういっス」 変に意識してしまったリョーマは手塚の顔を満足に見られない。 だが、手塚はリョーマの姿だけを視界に収めていた。 すっかり空っぽになったグラスの中で、氷がカランと音を立てたのを切っ掛けに、2人は店を出た。 |
まだまだデート(の過程)なんですよ。