08.友情と恋 |
「次の駅で降りるぞ」 「ういっス」 電車に乗り込み、三駅目が本日の目的地。 短い乗車時間に交わした会話は、学校の事や部活の事ばかりだったが、こうして普通に会話をするだけで胸の中が熱くなっていた。 「わ、人がいっぱい」 「ああ、ここは他の路線があるから、乗り換えで利用する人が多いんだ」 休みだからと思ったが、どうやらこの駅は普段から多くの人が利用する駅のようで、ホームには老若男女問わず長蛇の列が出来上がっていた。 「うわ、あんなに乗ったら苦しくなりそう…」 「ラッシュ時はもっと多いぞ」 「もっとって…電車通学なんて俺には無理っスよ」 「慣れてしまえばなんて事は無いがな」 だが、ここで降りてしまう自分達にはこの先は関係ない。 電車が止まり、扉が開くとさっさと降りた。 その数十秒後に電車はホームを出たが、改札に向かう人と次の電車に乗る人が交差していて、少しでも気を抜けば姿を見失ってしまいそうだった。 「越前、こちらだ」 人波に流される前に、手塚は思いついた行動に移す。 その行動とは、初めての駅でどこに向かってよいのかわからないリョーマの手首を掴む事だった。 この場合なら、手を握っていても『迷子にならないようにしている』と勘違いさせる事も出来るのだが、流石にそこまでの行動に移すには勇気がいる。 「ぶ、ぶちょ…」 いきなり手首を掴まれたリョーマは戸惑いの声を上げるが、手塚は一向に離す様子は見受けられなかった。 「改札までだ」 「…改札までって」 「ここで離れたら、同じ改札に向かえるかわからないからな」 大きな駅では改札も多いと理解しているが、子供扱いをされて不満そうな顔をしてしまう。 その直後にこんな風に触れられるのは初めてだと気付き、ほんのりと頬を染めて俯いてしまった。 「済まない、少しだけ我慢してくれ」 掴んでいる手を振り払おうとはしないが、視線を下げてしまったリョーマにこの行動を謝る。 「…我慢って」 本当は嬉しくて顔が赤くなりそうだと言いたいが、言えるわけがなかった。 言ったとおり、改札の手前で手首を掴んでいた手が離れていった。 「…いつもこんなに人が多いんスか」 掴まれていた手首から温もりが消えていくのに寂しさを感じつつも、変に意識してはいけないと関係の無い話題を振る。 「今日は休日だからな」 改札を出て街中を歩き出す。 カップルや友人、家族連れがあちらこちらにいて、こうして二人が歩いていても何もおかしくないと頭で理解しても、好きだと自覚している相手と歩いているこの状況が、周りからどんな風に見えているのか不安になる。 普通に友人などに見えているのか。 それとも…。 「あの店だ」 「へぇ、大きいっスね」 やはり時間が早かったのか、店はまだ開店しておらず、数人が開店を待つように並んでいた。 どこかで時間を潰しても良かったが、あと10分ほどなので、手塚とリョーマもその列の最後尾に並ぶ。 「並んでまで入るのって初めて」 リョーマの性格からすれば、並んでまで入ろうとはしないが、こうして手塚がいるから待ち時間も苦にはならない。 「俺も開店前に来たのは初めてだ」 普段なら時間を見計らって家を出ているので、こうして開店を待つなんて行為は初めての経験だった。 「…あの」 「なんだ?」 「買い物が終わったら帰るだけっスよね」 ここに来たのはグリップテープを買うだけだが、買い終われば目的も終わってしまう。 これでは勿体無い。 もっと、もっと、一緒にいたいと願い、遠回しな言い方でその後をどうするのか訊ねる。 ここで『帰る』と言われたら従うしかない。 手塚の返事をいささか緊張気味で待つ。 「どこか行きたいところがあるのか?」 一応はプランを立てていたのに、他に用があるので買い物が終わったら早く帰りたいのかと、手塚は内心ヒヤヒヤしていた。 「そういうわけじゃなくて…」 「折角だからな、この近いに美味い和食の店があるのだが…行かないか?」 これは予め予定していた本日のコース。 前に母の荷物持ちで入った店は、料理の量や味にしては値段が安く、テーブルごとに仕切りがあり、隣を気にせずにゆっくり食べられる良店だった。 中学生にしては和食好きと聞いていたのでこの店を選んだのだが、あとはリョーマがこの誘いに乗ってくれるかだけだ。 「…行くっス」 手塚がこの先の予定を考えていた事に驚いたリョーマは、少し間を開けてから嬉しさと戸惑いを含んだ返事をした。 「決まりだな」 相手には悟られないように、二人ともホッと息を吐いていた。 帰ると言われなくて良かった。 誘いに乗ってくれて良かった。 けれども、まだ『先輩』だから『後輩』だからという理由で、気を遣っているのではないかと思うだけだった。 「あ、開店したみたいっスよ」 「そのようだな」 前に着いて店内に入る。 「テニス関連は3階だ。エスカレーターで上がるか」 「ういっス」 手塚の案内でテニスのコーナーに辿り着いたリョーマは、あまりの品数の多さに買おうとしていたグリップテープを悩んでいた。 手塚からのアドバイスや、実際に手に触れてみてから選ぶ。 「これって、部長が使っているやつっスよね」 ふと、目に入った青色のグリップテープを手に取る。 「ああ、手にしっくり馴染んで使いやすいんだ」 「へぇ、今度はこっちを使ってみようかな」 「良ければ、使いかけがあるから試してみるか」 「いいんスか?」 「ああ、構わないぞ」 周りから見れば仲の良い先輩と後輩という図になっているだろうと、頭の端で思いながら会話を続ける。 本当は違う感情が渦巻いているのに。 色々と物色してからか、買い物が終わる頃には昼近くなり、またしても手塚の案内で昼食を食べる店に移動した。 「へぇ、本当にイイ店っスね」 それほど大きくないビルだったが、まだ新しいのか綺麗な作りだった。 店内に入ると、和服姿の店員から2人は小さな個室に通された。 店員はおしぼりとお茶を置いていくと、頭と下げて出て行った。 柔らかな色彩に彩られた室内。 BGMは琴の音色。 他にも客はいるようだが声は届かない。 「ああ、ゆっくりと食事をするには最高の店だ。さて、何を食べる?」 リョーマの前にメニューを広げる。 多彩なメニューのどれもこれもが手塚の言うとおり、量のわりには値段が安かった。 「えっと、俺は…この彩り御膳がいいな」 リョーマが選んだメニューは、刺身三種と季節の天ぷらと煮物の小鉢、それにデザートが付いているものだった。 「五目ご飯と味噌汁か。俺もそれにしよう」 「じゃ、呼ぶっス」 ベルを押せば、先ほどの店員がやって来て、メニューを聞いていく。 「彩り御膳がお二つですね。かしこまりました」 注文を確認すると、またしてもすぐに出て行く。 こうして、また二人だけの空間が出来上がる。 「何か、メニュー見てたら腹が減ってきたっス」 「そうなのか」 小さな部屋で二人きりの食事となるので、緊張しないように何時もの自分を心掛けていた。 食事が運ばれるまでの間、他愛の無い会話を繰り返す。 今度は学校や部活ではなく、家族や趣味の話。 一緒に過ごす時間が長くなるにつれ、会話の内容も変化し、今はお互いの身近の話題になっていく。 「マッターホルンに登ったんスか。すごいっスね」 「それからは自分でも近場の山に登るようになったんだ」 「へぇ、じゃあ、お父さんが山登りの先生だったんだ」 こんな風に、友達に話すような話題をするくらいまで進展していた。 友情だけは次々に蕾を開いても、恋愛の情はまだ芽生え途中だった。 けれども、恋愛の情もゆっくりと蕾を膨らませていく。 |
まだまだデート(の過程)です。