06.初デート |
好きだと意識してから、どうしても気になって仕方が無い。 コートに入り、ボールを打っている時の意識は常にボールにのみ注がれているが、コートを出てしまうと目線が追いかけてしまう。 筋肉など付いていないような細い腕と脚なのに、脚力は1年とは思えないほどに軽やかで力強く、腕は多彩な球威を持つボールを打てるほどの力を持っている。 さすがに菊丸のようなアクロバティックは無理だが、しなやかな身体はどんなボールでも打ち返してしまう。 見る者を虜にするほどの素晴らしさ。 「やっぱり、越前ってスゴイね」 「不二…」 コート全体を見るようにしながら、的を絞って見ていた手塚の横に不二がやって来た。 いつもと何ら変わらない笑みを浮かべながら。 「元々の才能はあったのかもしれないけど、1年生でレギュラーになるくらいだからね。部活以外でも練習しているのかな」 「…かもしれないな」 つい先日、練習をサボってまで行った試合。 結果的に勝利は己の手中に収めたが、全力で立ち向かわなければ勝てない相手だった。 元プロテニスプレイヤーの父親を倒す為のテニスには限界がある。 だからこそ、この手で頑なな扉を強引に開いてやった。 あの瞬間、何とも言えない満足感が身体中を電流のように駆け巡った。 今でもその瞬間は鮮明に思い出せる。 「で?」 「何だ?」 「見てるよね。越前の事」 「何を…」 誰にもわからないように見ていたはずなのに、不二にはあっさりと見破られていた。 「君って案外わかりやすいんだよね」 からかうような台詞を言ってから、クスクスと笑いながら手塚から離れて歩いていく。 その先にいるのは今の今まで見ていたリョーマと、練習相手の菊丸だった。 不二が話し掛けると、そのまま楽しそうに話し出す3人。 見ていた手塚は立場や性格からして、和気藹々としたムードに入っていけやしない自分に向かって溜息を吐いていた。 (…何か良い手はないものだろうか) 少しでも近づきたい。 まさか、こんな気持ちになるなんて、自分でも信じられなかった。 「お疲れ〜」 練習が終われば、1年生は後片付けでコートに残る。 2年や3年は部室で着替える。 部長である手塚はこの間に部誌を記入する。 これが普段のスタイル。 だが、今日は少々異なっていた。 「越前の奴、遅いな」 「さっき、先生に捕まっていました」 「スミレちゃんに?こりゃ、遅くなるな」 リョーマを除く1年生はとっくに着替えているのに、リョーマだけは何時まで経っても入ってこない。 「桃ちん、今日も行くのかにゃ」 「越前も誘うかと思ったんすけど」 「この時間に来ないってコトは、時間が掛かるかもにゃ〜」 良きお兄さん的な立場の桃城は、学校までの通り道に近い事からリョーマを自転車で送り迎えしている。 初めは遅刻しないようにとのお達しで始めたのだが、気が合う事から帰りの買い食いや休日のテニスの相手をしているほどの仲良しぶりだった。 今日も誘ってファーストフードの店に寄ろうと考えていたが、顧問に捉まっているのなら帰りの時間がいつになるのかわからない。 「…うーん」 「今日は諦めた方がいいかにゃ」 「そっすね」 「そういえば、おチビのグリップ、すんごくボロボロだったにゃ」 「何か売り切れてて手に入らなかったみたいっすよ。今は入荷待ちっす」 リョーマが来るまでの間、お喋りで時間を潰そうとしたが、10分待っても、20分待っても来ないので、桃城と菊丸は先に帰ろうとする。 「…手塚はまだここにいるの?」 が、皆が帰っていく中、1人だけ残っている人物に話し掛ける。 「ん?ああ、越前が先生と話し中なら、俺は報告の為に待たねばならないからな」 しかも、今日は副部長である大石から鍵を預かっているので、最後の1人がここを出るまでは残っていないとならない。 「じゃ、あとはよろしく〜」 部長も大変だなと思ってみても、ペコペコになった腹には勝てず、菊丸は手塚に全て任せて桃城と共に出て行ってしまった。 「…そうか」 練習内容を思い出しながら部誌を書いていた手塚は、何かを思い付いたように顔を上げる。 部員の練習風景を見ていた際、リョーマが何度もラケットを確認していたのを目にした。 リョーマは常に3本のラケットを持ち歩いているが、先日の試合で1本が折れてしまい、今は2本しか持っていない。 だが、そのうちの1本のグリップテープが使い込んでいる所為でかなりボロボロになっていた。 菊丸と桃城の会話で、何時も使っているグリップテープが品切れになり、入荷待ちになっているのまではわかった。 ならば、これこそ良い機会だから誘ってみようと考える。 しかし、リョーマがこの誘いに乗ってくれるのかが問題である。 今はまだ、部活の部長と部員の関係。 しかも、普段から会話をするような間柄ではない。 「どうしたものか…」 「あ、部長だけっスか?」 云々と頭を悩ませていると、不意に扉が開いた。 音につられて開いた扉を見れば、少し驚いた顔をしたリョーマがラケットを持って立っていた。 「先生との話は終わったのか」 「終わったっスよ。話って言っても親父関連っス」 中に入り、扉を閉める。 ちらりと確認したリョーマの持っているラケットのグリップテープは、想像以上に痛んでいた。 「越前」 「何スか?」 着替え始めたリョーマの背中に呼び掛ければ、手を止めてこちらに振り返る。 「ラケットだが…」 「あ、これっスか」 ロッカーに立てかけておいたラケットに視線が移る。 鮮やかな赤のラケットにボロボロなった黒のグリップテープ。 かなりアンバランスだ。 「良かったら、俺が良く行くスポーツショップに行ってみないか。品数も多いから欲しい物が手に入るかもしれないぞ」 「え、いいんスか?」 驚いている声のはずなのに、どこか嬉しそうな声に聞こえた。 自分のリョーマへの想いが耳にそう聞かせているのではないのかと思い、不意にリョーマの顔を見つめてみれば、その顔に驚きの表情は無く、仄かに頬を朱に染めて立っているリョーマの姿があった。 その表情に高鳴りだす胸を抑えながら手塚は続ける。 「越前さえ良ければな。俺もガットを張り替えようと考えていたところでな」 「俺が知ってる店は丁度使い慣れたグリップテープが切れてたんで、本気で困っていたところでした。じゃあ、お言葉に甘えて行くっス」 「わかった。練習後では時間が無いので明後日の土曜日で良いか?土曜日は先生の都合で練習が休みなんだ」 「土曜日っスね。わかりました」 「では、時間は…」 唐突な誘いであったが、リョーマはあっさりと了承したので、気が変わらないうちに手塚は時間の打ち合わせを始めていた。 「…部長に誘われちゃった」 この時間まで2人でいたので、今日は帰路を共にする事にした。 顧問に部誌を届けに行った手塚をリョーマは部室のベンチに座って待っていた。 誰もいない部屋で考えるのは、先ほどの誘いだった。 「どうしよ、すっごく嬉しい…」 グリップテープが切れているというのは本当で、学校近くのスポーツ店は個人店にしては品数が多く、数量限定の品が仕入れられる事もあり、テニス部の部員は良く利用していた。 リョーマも桃城や菊丸からこの店を教えられて利用していたが、個人店の為に大量仕入れが出来ず、人気商品はすぐに品切れになる。 ボロボロになっていても、使えないことは無いと今まで使っていた。 「…やば、今から緊張する」 落ち着けと自分に言い聞かせる。 どんな理由があって自分を誘うのかわからないが、非公認の試合でこの想いを本格的なものにしてしまったので、リョーマにとってはデートに誘われたのと同格の意味になる。 「土曜日は遅刻しないようにしないと」 「…誘ってしまった」 その頃、無事に顧問に部誌を届けた手塚は、先ほどの2人の会話を思い出していた。 本当に良いタイミングだったと胸を撫で下ろす。 これまでに他人を誘ってどこかに行く経験が無いので、はっきり言ってどう誘ってよいのかわからずにいた。 が、テニスの事になればスラスラと言葉が出てくる。 リョーマも不審に感じなかったようで喜んでくれた…と思いたい。 上級生相手でも強気な振る舞いをしているので、嫌なら嫌とキッパリ言うだろうが、リョーマは何も言わなかった。 「土曜日…晴れると良いな」 買い物に誘っただけだが、想い寄せる相手と出掛ける大切な日になる。 雨に降られるのだけはやはり避けたかった。 この日も2人は帰りを共にしたが、心は明後日の土曜日に向かっていた。 |
デートのようなものに誘いましたよ。