03.偶然 |
地区予選も始まり、テニス部内も今までとは少し違った雰囲気になる。 レギュラーの練習内容はもっと厳しくなり、毎日の練習後は全員がクタクタになるほど。 しかも、いつも余裕を見せている手塚ですら、疲れたような表情を見せるようになり、この大会に全てを掛けているのが傍から見ても良くわかる。 「…ふう」 リョーマは自分の練習を終えるとコートから出て水飲み場に急ぐ。 ここで水を飲むついでに頭から冷たい水を被るのは最近の日課。 帽子をかぶっている分、頭は熱気に包まれてしまうので、こうして冷やす事も大切だった。 まるで犬や猫のようにプルプルと頭を振って軽く水気を取ってから、持って来たタオルで顔も頭を拭く。 「はぁ、サッパリした」 肩にタオルを掛けて、青色一色の空を仰いた瞬間、そのタオルを掴む手があった。 「…まだ水滴が落ちているぞ」 誰かと思えば、その手の持ち主は手塚だった。 「…どもっていうか、部長が途中でここに来るなんて珍しいっスね」 個人別の練習メニューをノルマを達した者から休憩に入れるので、休憩の時間はかなり差があるはずなのに、こんな偶然があるものなのかと驚いた。 「俺も汗くらいは掻くからな」 涼しそうな顔をしているが、本人の言うとおり汗が頬を伝っていて、手塚はタオルの上に外した眼鏡を置いて顔を洗い出した。 リョーマといえば、初めて見る手塚の素顔に身体が動かなくなってしまった。 常に眼鏡で本当の顔を隠している手塚の素顔は、彫刻のように美しくもあれば、精悍さを漂わせる男としても見られた。 たった2つしか違わないのに、ここまで違うものかと、改めて手塚国光という存在がリョーマの中で大きくなる。 思慕、嫉妬、懸念、様々な感情が入り混じりながらも、最終的に残るのはたった1つの感情。 (…好き、なんだよね。部長のコト) 初対面からして、まるでドラマ。 ラブロマンスが生まれる2人の出会いのようだった。 「…どうした、越前?」 顔を洗い終えた手塚がタオルで拭いて眼鏡を掛ければ、瞳から色が失せ、どこかぼんやりと立っているリョーマの姿が目に入り、訝しげに声を掛けた。 その声にリョーマの肩がビクと揺れて、瞳にはいつもの色が戻っていた。 「…あ、何スか?」 「気分が優れないのか?」 「そんなには…」 ぼうっとしているリョーマを手塚は疲労と勘違いし、リョーマの額に手を当てた。 リョーマはいきなりの行動に驚きはしたが、その手を振り払う事が出来ず、大人しくされるがままになっていた。 顔だけは平静を保っていても、鼓動だけはドキドキと無駄に速まる。 このままでは手塚に聴こえてしまいそうなくらいに。 「…ふむ、熱はないようだが、無理はするなよ」 「…は、はい」 額に触れた手は水を触っていたからかとても冷たかったが、労わるような優しいばかりの触れ方に、リョーマは顔が赤くなるのを自覚していた。 「…顔が赤いな、日陰で少し休んでいろ」 帽子をかぶり練習に戻ろうとするリョーマの腕を掴み、有無を言わさずに日陰になっている木の下に連れて行った。 1年生でいきなりレギュラーになったリョーマには、この練習はきついのかもしれない。 そう判断した手塚は、どんなに厳しい練習中でも絶対に言わない台詞をリョーマには当たり前のように言っていた。 「でも…」 「自分のノルマは終わっているのだろう?他の連中はまだみだいだからな。全体練習が始まるまでは休んでおけ」 「…ういっス」 別に疲れてもいないし、渡された練習メニューでは足りないくらいだけど、こんなに優しい姿を見せてくれるのなら、疲れた振りをするのもいいかもしれない。 木の幹に凭れるようにして座ったリョーマは、額や腕に触れた手の大きさを思い出しながら、目を閉じていた。 「越前、どうかしたの?」 1人コートに戻った手塚に、ノルマを終えた不二が近寄り、ここに戻ってこないリョーマを心配しているかのような口振りで訊ねていた。 「かなり疲労しているみたいだからな、少し休ませた」 「へぇ、君にしては優しいんだね」 ニコニコと笑っていた顔が瞬間的に鋭い目付きを見せる表情になるが、すぐに元の笑顔に戻る。 変化した表情と吐き出された言葉には何か違和感を覚えた。 「どういう意味だ?」 「君にとって越前は特別みたいだね」 そういう不二もリョーマに対してだけは、他の下級生と違い、かなり親密に接していたが、あえて言わなかった。 「…俺は越前を特別扱いなどしていないぞ」 「そう?じゃあ、何で休ませているの?君ってそんなに優しかったっけ」 何か気になる言い方に手塚は眉間にしわを寄せるが、不二はケロリとしていて、その後やって来た菊丸と共に休憩の為にコートを出て行ってしまった。 「…俺の行動は他の奴から見れば特別と感じるのか…」 不二の言葉を思い出す。 だが、その行動を正そうとも思えないし、これからもリョーマに対してはこのままでいようとも思う。 リョーマは桜の木の下でも出会いを意識しているようだが、手塚は壇上からリョーマの姿を見つけた時から、何か運命めいたものが身体中に走った。 恐らくはあの日の偶然とも必然とも言える出会いからして、自分とリョーマの間には何かがある。 その『何か』の全てが判明した時、今までに味わった事の無い喜びに満ち溢れるだろう。 今は、その『何か』を見つける為に、五感の全てを集中してリョーマの存在を確かなものにしていた。 『たまたまやって来た』、『思いがけず一緒になった』などの偶然を装って。 個人のノルマが全て終わり、大石に頼まれた桃城がリョーマを連れ戻しに行った。 「おチビ、もう平気なのかにゃ?」 2人がコートに入れば、不二から話を聞いていた菊丸が心配そうに駆け寄っていた。 帽子で隠れる顔を覗き込むように、少し屈んで。 「ういっス」 帽子のつばを上げて、リョーマはニヤリとこの場にそぐわない笑みを見せる。 ちょっと寝ていたからなのか、リョーマはスッキリとした表情を見せていた。 「ふむふむ、もう全開フル回転でいけるにゃ」 ポンポンと帽子の上から頭を軽く叩いていた。 静かに見守る手塚の表情も、微かに和らいでいた。 |
まだまだ、付き合ってないんですよ。