21.うたたね |
「珍しい…」 本当に珍しい光景がリョーマの目前に広がっていた。 休日は雨天の場合、自主練習という名目の元で学校には行かなくて良い。 普段から部活が終わった後も走り込みを行う海堂なら、遊んでもいいと言われてもトレーニングを欠かさないだろうが、それは海堂の性格からくるものなので、他の部員に求めるのは可哀想である。 2年生の海堂がこれなら、部長の手塚はもっとハードなトレーニングをしているだろうと思われているが、実際のところ手塚は雨天に無理なトレーニングはしていない。 ティーカップ片手に優雅に読書なんて日もあれば、部屋に閉じこもって黙々と予習復習を行う日もある。 しかし、リョーマと恋人関係になってからは、休日の雨天は部屋に閉じこもったりせずに恋人と過ごすようになっていた。 土曜日の今日は朝から雨だった。 バケツをひっくり返したような土砂降りだったのは明け方までで、朝を迎えてからは傘を差して出掛けてもいいかもしれないと思えるような降り方になっていた。 この雨は日曜日の明日まで続くと天気予報で言っていたので、この土日の部活はなさそうだ。 特に約束をしていなかった。 家でのんびりと愛猫と戯れながらゲームでもしていようとしていたリョーマの元にやってきた父親に、「今から母さんと一泊で温泉に行ってくるわ。菜々子ちゃんは実家に帰ってるし、お前は留守番してろよ」と言われた。 突然の事で一瞬だけ理解できなかった。 その一瞬で消えた父親を慌てて捕まえようとしたが、時は既に遅く、父親の乗る真赤な車は家の前から発進していた。 ニヤニヤと人の悪そうな笑みを浮かべながら、開けた窓からヒラヒラと手を振る父親の顔をグーで殴りたい気分になった。 「…どうしよっかな」 突然1人きりになってしまった。 家の中に1人になると、どうしても寂しさが出てきてしまう。 そんな事を家族には絶対に言えないが、たった1人、その寂しさを訴えられる人物がいる。 恋人だ。 約束していないから手塚に何か用事があるかもしれないと迷ったが、行動に移さないと何も始まらないのでリョーマは手塚に電話を掛けていた。 『泊まりでもいいのか?』 少しだけドキリとしたが、単に子供1人では危ないからだ。 子供じゃないと反論したいところだが、年齢からして手塚もリョーマも子供の域から抜け出しておらず、本来なら手塚も護られる立場だが、2歳も年上の手塚にとってリョーマは護るべき存在。 「いいよ。だけど何もないから着替えとか持って来てよ」 『了解した。1時間ほどしたら行く』 こうして、手塚がリョーマの自宅に泊まる事になった。 「…国光?」 呼び掛けてみるが、手塚はぐっすりと眠っている。 手塚が来てから苦手な教科を教えてもらっていたが、それが終わってからはゲームをしていた。 アクション系のゲーム。 手塚はテレビゲームをするのはこれが初めてだったようで、何度もゲームオーバーの画面になるが、どうやら納得できないのか、何度もトライしていた。 漸くファーストステージをクリアしたところで、手塚から休ませて欲しいと訴えられ、リョーマは飲み物を持って来ると言い残して部屋を出ていた。 飲み物なんて自分の好きな炭酸と緑茶かとティーパックの紅茶とインスタントのコーヒーくらいで、どれが良いのかわからない。 まず炭酸は却下で、残りの緑茶と紅茶とコーヒで考える。 緑茶は温度とか葉っぱの量で味が変わると聞いていた為、紅茶かコーヒーのどちらに絞られた。 「コーヒーならスプーン一杯にお湯を入れればいいんだよな」 ラベルの作り方を見てコーヒーに決めると湯を沸かす。 コーヒーカップを用意して、スプーン一杯分をすくって入れる。 来客用にスティックシュガーとミルクは常備されているので、スプーンと共に皿の上に乗せておいた。 目分量で沸かしたお湯をカップに入れて、スプーンでクルクルと掻き混ぜれば出来上がりだ。 使ったスプーンをシンクに残し、トレイの上にコーヒーカップと炭酸ジュースを乗せて部屋に戻ってみれば、手塚はベッドに凭れて眠っていたのだ。 なんやかんやで20分ほど部屋を離れていたが、その間に寝てしまったようだ。 初めてのゲームで疲れたのか、手塚眼鏡を外し腕を組んで目を瞑っている。 「国光」 トレイを机に乗せて、手塚の横に正坐で座り込んで肩を揺さぶってみる。 しかし、手塚は起きないばかりか、揺さぶられた所為で身体がぐらりと傾き、リョーマの方へと倒れて来た。 「危なっ」 倒れた身体を支えて戻そうとしたが、意識のない身体は想像以上に重く、リョーマは支えきれずにそのまま正座した膝の上に手塚の頭を乗せる格好になってしまった。 「膝枕になっちゃった…」 気持ち良さように眠る手塚の顔を見ていると、リョーマは何だか嬉しくなる。 寝顔を見たのはこれが初めてだ。 リョーマは授業中だろうが部活の休憩中だろうがどこでも寝られるので、手塚には何度も寝顔を目撃されているが、手塚がリョーマのように学校内で居眠りするなんて有り得なかった。 何とも貴重な体験だろう。 ついでに脚をくすぐっている髪に触れてみる。 柔らかな髪はさらさらと手の上から流れる。 そのままそっと頭を撫でてみる。 柔らかくて気持ちが良い。 「…どうしよう、すっごく…」 何とも言えない気持ち。 大好きな人が安心して眠っているこの状態に、リョーマは胸の中が熱くなる。 何度も頭を撫でていると、手塚の身体がビクリと動いた。 起きるのかと、リョーマは手塚の頭から手を離した。 「……リョーマ?」 目が覚めたのか、手塚はのろのろと動いてリョーマの顔を見上げた。 「あ、目が覚めた」 夢うつつなのか、どこかぼんやりとしていたが、現状に気が付いた手塚は慌てて起き上がった。 非常に素早い動きで机の上に置いてあった眼鏡を掛ける。 「す、すまない」 「ゲームで疲れた?」 「…慣れていないからな。それより足は痺れていないか?」 リョーマに膝枕をしてもらった事実に驚愕する。 夢の中でふわふわとした柔らかくて温かなものに包まれていた。 気持ちが良くて夢だとわかっていても、ずっとその夢に浸っていたかったが、実はそれがリョーマの膝枕だったとは。 思い出すだけで顔が熱くなるの誤魔化すように手塚はリョーマを気遣う。 「ちょっと痺れたけど、国光の寝顔を見られたから気にしてないよ。あ、コーヒー持って来たけど冷めちゃった」 と、トレイの上のコーヒーカップを指差した。 持って来た時は湯気が立っていたコーヒーだったが、今は湯気なんて立っていない。 「いや、十分だ」 照れ隠しのように温くなったコーヒーを一気に飲み干し、手塚は完全なる覚醒を果たすが、リョーマ柔らかな脚の感触を思い出すと、どうしても顔が熱くなるのだった。 夕飯はコンビニで弁当を買って済ませ、風呂も布団も別々だったが、寝る前だけはそっと抱き合い、触れるだけのキスをしていた。 今はそれだけで満足だった。 |
眠るのはリョーマではなく手塚でした。