15.子猫 |
「なんという種類なんだ?」 「ヒマラヤンだよ。名前はカルピン」 休日の練習の後で、リョーマは初めて手塚を自宅に招いていた。 特に目的や考えがあったわけでもなく、もう少し一緒にいたかったからだった。 家に帰ればうるさい父親がいるのだが、今日は朝から法要の為に自宅を出ている。 『父親がうるさいから』という理由だけで手塚の家ばかりにお邪魔するのは申し訳ないのもあって、今日はちょっぴり緊張しつつ、リョーマから手塚を自宅に誘った。 手塚としては初めて訪問するリョーマの自宅とあって、こちらも珍しく緊張していたのだが、自宅にいたのは居候をしている従姉妹の菜々子のみだった。 付き合っている事実をいきなり話して混乱させたくないが、自分にとって大切な存在である事は伝えたくて、この件を含めて両親にはしっかりと挨拶をしておきたかった。 「ここが俺の部屋」 仕方が無いので菜々子にはテニス部の部長をしていると話して、リョーマに誘われるままに部屋に入った。 まるで手塚の部屋とは異なる室内。 テレビゲーム機や雑誌の類が床に散乱していて、リョーマは座るスペースを確保するようにせっせと片付けている間に、開いていたドアの隙間からひょっこりと何かが入っていた。 …猫だ。 ふさふさの毛並みの猫が音も無く入って来た。 リョーマはドアに背を向けていて、猫が入って来たのに気が付いていない。 呼び掛けようとしたが、不意にくりくりの大きな目と手塚の目が合ってしまい、口を開きかけた状態で声を出せなくなった。 が、猫は手塚に大した興味が無いのか、自分の存在を示すように甘えた鳴き声を出しながらリョーマの足元に擦り寄る。 「こら、邪魔だよ」 やっと気が付いたリョーマは、足元でゴロゴロと喉を鳴らす猫の頭を撫でている。 「ほわら〜」 相手をしてもらえると思ったらしい猫は、もっと足元にじゃれ付いていた。 「ほら、あっち行ってて」 「猫を飼っていたのか」 「あ、言ってなかったっけ?」 手塚の質問にリョーマは嬉々として話し始めた。 「で、俺にとっては大事な友達」 室内を片付けた直後に、菜々子から飲み物とお菓子を出してもらい、2人は床に座り込みながら会話をしていた。 カルピンはアメリカに住んでいた時に知人から貰った猫。 リョーマの家に来た時は片手に乗るくらいのサイズで、名前も決まっていなかった。 ヒマラヤンのオスだけが、リョーマに与えられた情報であった。 猫は気紛れで可愛げの無いところもあるが、そこが自分に似ていると感じ、リョーマは貰った時から大変可愛がり、カルピンもリョーマには良く懐いた。 「友達か」 そのカルピンはリョーマに相手をしてもらえないとわかると、今度は鳴き声を出さずにベッドの上で丸くなって寝ていた。 「そ、大事な友達だよ。国光は何も飼って無いけど、もしかして犬とか猫が嫌い?」 「いや、嫌いでは無いが、祖父が鯉を飼っているからな、まず猫は無理だ」 「あ、そっか。錦鯉がいたね」 庭の池には見事な錦鯉が優雅に泳いでいた。 一体、何匹いるのか思い、前に数えてみようとしたが、錦鯉はこちらの事などお構い無しにスイスイと泳いでしまい、結局は何匹いるのか判明せず、祖父に訊いてみてもはっきりとした数字は出てこなかった。 とりあえず、一匹、二匹の問題では無いのは確かだ。 「錦鯉って高いんだよね」 「家にいるのはそれほど高く無いと聞いたが、どれかは百万円で売って欲しいと言われたそうだ」 「ひゃ、百万?そんなに価値のある鯉がいるんだ。おじいさん、すごい目利きだね」 錦鯉の相場は知らないが、百万円もあれば車が1台買える。 あの池にそこまで価値のある鯉がいた事に驚きだった。 「でも、そこまで高価な鯉がいるんじゃ、ペットは飼えないね」 「そういうわけだ。リョーマ」 「ん?あ、いいよ」 話の途中でカルピンは急に起き上がり、ぴょこんとベッドから下りて部屋を出ようとするが、リョーマは全く気にしない。 カルピンは大事な友達だけど、今日は大切な恋人の方が大事。 ゆらゆらと尻尾を揺らすカルピンを外に出してから、今度は入って来れないようにしっかりとドアを閉めておく。 「カルピンはあれでもまだ2歳なんだよ」 「そうなのか?」 「子猫の頃はこんなに小さくてね。すっごく可愛かったんだ。写真もあるよ」 両手を使ってこんな大きさと教えてくれるが、ペットの事になると2人きりの時とはまた違った表情を見せてくれた。 嬉しそうに楽しそうにはしゃぎながら話す姿に、こちらも無意識に笑みを浮かべてしまった。 「何?」 「いや、お前も子供の頃もすごく可愛らしかったのだろうと思ってな」 「…バカにされたんじゃないよね?」 一瞬、猫でここまではしゃいでる自分を馬鹿にされたように感じたが、手塚は『子供の頃は』と言わずに『子供の頃も』と言った。 「子猫と戯れる姿を見てみたかった」 「…あのさ、可愛いってちょっとおかしくない?」 「そうか?お前は可愛らしいと思うが」 リョーマも黙って笑っていれば、とても愛くるしい部類に入ると思われる風貌をしていた。 手塚もこれまで同性に対して『可愛い』と感じた事など一度も無かったが、リョーマにだけは異性に対して感じる『可愛い』という親愛の感情をリョーマに抱いていた。 「国光って堅物のイメージだったけど、最近は変わったね。やっぱり人って付き合ってみないとわからないもんだね」 「ああ、同意見だ」 「…じゃ、国光が思うように可愛くしてみようかな」 徐にその場に立ち上がると、こちらを見ている手塚の横にちょこんと座る。 何をするのかと様子を窺っていると、次にピタリと身体を寄せてきた。 「甘えてもいいんだよね」 男に対しての褒め言葉とは違う気がするが、『可愛い』も好意に変わりは無い。 それなら普段は出来ないようなスキンシップをしてもいいだろうと解釈して、リョーマは猫のように頬を摺り寄せてくる。 ドアには鍵を掛けていないので、突然誰か入ってきたらと思いながらも、戸惑いがちに肩を抱いて頭を撫でてやれば、目線だけをこちらに向けてニッと口角を上げた。 いつだったか忘れてしまったが、部活の休憩時の会話で、「手塚は自分を動物に例えたら何だと思う?」と、菊丸からこんな質問をされ、その時は「自分を自分以外の何かに例える事などできない」と応えるだけで終わり、菊丸は頬を膨らませて不満そうにしていた。 今、何故このようなやりとりを思い出したのか。 答えは単純明快。 リョーマが猫のような仕種をしたからだ。 ぱっちりとしたアーモンド型の大きな目。 軽やかでしなやかな動き。 誰に対しても挑戦的な態度。 まさに猫そのもの。 「何か考えているよね」 「お前が猫のようだと思った」 「俺が猫?ふーん」 大きな目がちょっとだけ細くなり、機嫌が降下しているように見られたが、どうして機嫌が悪くなるのかわからない。 「猫と言われたのが気に入らないのか?」 「…前に言われた。人をおちょくって、高いところからふてぶてしく見下ろすところがそっくりだってさ」 なるほど、と手を叩きそうになったが、そんな事をすればこの時間が無駄になってしまうだけでなく、これからの付き合い支障をきたす恐れがある。 それだけは絶対に避けたい手塚は、自分がリョーマを猫のように思った訳を伝える為に口を開いた。 「柔らかいこの髪の手触りや、愛らしい姿が猫のようだと感じただけだが」 髪はとてもサラサラとしていて艶もあり、手触りがとても良い。 成長段階の身体は抱きしめるのに丁度良い。 付き合う前には知らなかった。 知ってしまったから、底なし沼に足を踏み入れたようにズブズブと嵌っていくが、逃れたいとは全く思わない。 もっと、もっと、入り込んでしまいたい。 「……やっぱり、変わった」 つい先ほどまで何を言うのかと、挑むような目付きでいたリョーマだったが、この告白に顔色を朱に変えていく。 付き合う前の手塚国光と付き合ってからの手塚国光の違いは、発言だ。 付き合う前なら絶対に言わないようなセリフが次から次へと出てきて、その度に赤くなってしまう。 「そうか」 「そうだよ。自覚した方がいいよ。でも、変わっていく国光を見られるのは俺だけなんだよね。ちょっと嬉しい」 困惑していても、自分にだけ見せてくれる姿は幸せに違いない。 「リョーマ…」 やっぱり、猫のように目を細めて笑うので、前置きも無く愛しさを込めてキスをしてみたら、大きな目が更に大きくなった。 「…いきなりだね」 すぐに離れた唇を追いかけるように自らの唇を手塚の唇に押し付けると、またしてもニッと笑った。 「やはり、猫だな」 「…にゃー。構って欲しいにゃー」 クスクスと笑いながらふざけてくるリョーマ。 今日は子猫のように可愛い恋人を満喫しようと、手塚は身体を向かい合わせて抱き締めた。 キスと抱擁。 今はまだこれだけで満足できているが、いつかキスや抱擁以上の関係を結びたい欲に駆られたらリョーマは応じてくれるのだろうか。 「どうかした?」 「いや、何でもない」 密やかな悩みを抱えたままで、手塚はリョーマを抱き締めていた。 今はまだ我慢できる。 もっと好きになった時が…怖い。 この欲望に気付いた子猫は、逃げるようにスルリと腕からすり抜けて、手を伸ばしても届かないところへ行ってしまうかもしれない。 「…国光、好きだよ」 小さな声で言われた言葉の愛情表現に、一気に身体の力が抜けた。 まだ先の事で悩むのは自分らしくない。 今はこの愛しい恋人を愛する事に専念しなくてはならない。 「俺もリョーマが好きだ」 手塚も言葉でしっかりと自分の気持ちを伝えてみた。 好きだという想いをしっかりと伝えよう。 この子猫が腕の中から逃げないように。 |
子猫だから甘えたがりなんです。