12.手料理 |
告白してから変わった事がある。 偶然、校舎の中で出会った時、目を合わせてしまう。 部活中でも、さりげなく傍によってみたりしてしまう。 恋をしていると意識している時は、相手に気付かれないように後姿を追い掛けたり、気付かれない程度に近寄っていたのに、今はそんな必要が無い。 傍にいる事が当たり前なんだから。 「どうした?」 「え、何?」 今は昼休み。 手塚とリョーマは人目を避ける様に校舎の屋上にいた。 屋上は誰でも入れるが、こんなもの寂しいところにやってくる生徒はそうそういない。 だからといって、人目を避けるような行為をする訳では無く、ただ一緒に昼食を食べる為に屋上にいるだけだ。 食事中は滅多に会話をしない2人なので、暫くは黙々と食べていたのだが、リョーマの動きが止まった事で手塚が心配そうに訊ねてきたのだった。 「どこか具合が悪いのか?」 先程までは全く普通だったのに、急に変わるものだから気になる。 「え、全然」 何を言っているのかと、ブルブルと頭を振る。 「何か考え事だったのか?」 手塚の顔からはまだ心配の色が消えていない。 「あ、えーと…部長の弁当がすごく豪華というのか美味しそうで…」 手塚は母親が作った弁当を持ち、リョーマは購買で手に入れた焼きそばパンを頬張っていたが、見事としか言えない和一色の中身に思わず口が止まってしまった。 仕事で忙しい母の代わりに越前家の朝食を作っているのは従姉妹の菜々子。 菜々子にに弁当を頼んでも良いのだが、自分の為だけに朝の貴重な時間を潰してしまうのは申し訳ないからと、これまで言い出せずにいた。 自分に敵意を剥き出しにする相手に対しては年齢に伴わない態度を取るが、菜々子のようにプライベートで完全にお世話になっている相手には強気になれない。 「…今は2人きりだぞ、リョーマ」 「あ、ごめん。国光…」 校内でも2人きりの時には特別な呼び方をしようと決めたのは手塚の方だった。 プライベートなら気にしなくて呼べるが、流石に自分達を知っている校内となると、ふとした時にその呼び方が出てしまうのではないかと、リョーマは常にヒヤヒヤしている。 「そんな事はどうでもいいが。そういえば、いつも購買のパンを食べているな」 こうして雨の日以外は2人で昼食を摂る様になってから、リョーマは弁当持参でやって来た記憶が無い。 「ほら、うちって母さんが朝早くから仕事に行ってるから、菜々子さんが家事をやってくれるんだよ。居候とはいえ、菜々子さんに頼むもの悪いから…」 はむ、と残っている焼きそばパンを口に入れるが、視線は一点から離さない。 「…そうだったな」 箸で摘まんでいる玉子焼きから目を放さないリョーマに小さく笑うと、玉子焼きを摘まんだままでリョーマの目の前に差し出す。 「え?」 「食べてみるか?」 「…いいの?」 断る気は無いらしく、じっと手塚を見ている。 「ああ、いいぞ」 「じゃ、頂きます」 あーんと口を開ければ、手塚はその口の中に玉子焼きを入れてやり、唇がしっかり玉子焼きを挟んだところで箸を引き抜いた。 こんな頭に『バ』がつきそうなカップルの行為をしてしまった手塚は、急に照れたように頬を薄っすらと赤く染めれば、リョーマにも照れ臭さが移ったのか、もぐもぐと咀嚼しながら耳まで赤く染めていた。 「…どうだ」 「……うん、すっごく美味しいっス。あ〜あ、国光が羨ましいな」 照れ臭さはまだ残っていたが、その感情を抑え込むほどの味だった。 形はしっかりとしているのに、口に入れた途端に玉子は溶ける様にふわりと広がった。 玉子本来の味とダシの味の調和が最高で、リョーマは玉子焼きに感動を覚え、じっくりと味わってから飲み込んでいた。 「どういう意味だ」 「母さんは洋食の方が得意だし、菜々子さんも魚を焼くのも、味噌汁を作るのも上手いけど、こういう定番の和食はあんまり得意じゃないみたいで、なかなか作ってくれないんス」 まだまだ手の中に半分ほど残っている焼きそばパンを口の中に押し込んだ。 和食好きとしては昼間も手塚のような弁当を食べたい。 けれど、朝が苦手なリョーマが、もっと早く起きて弁当を作ってくれなんて言葉は口が裂けても言えないお願い。 「リョーマは料理をするのか」 そういえばと、何気なく訊ねる。 「料理って言えるような凝ったメニューは作れないけど、簡単なものなら作れるよ」 「自分で作るという選択はないのか」 「ムリムリ、絶対に無理」 今度はブンブンと音がしそうなほどに頭を横に振る。 練習に遅刻してしまうくらい朝が苦手なのだから、早起きして弁当なんて作れるはずが無い。 「腹が一杯になればそれでいいし」 「…そうか」 それっきりパンを食べる事に集中してしまったリョーマ。 手塚は少しだけ何かを考えるように眉間にシワを寄せたが、これでは折角の休み時間が次々と減ってしまうので、半分ほど残っている自分の弁当に箸を付けた。 「じゃ、また部活で」 食事を済ませば、後はトークの時間となる。 校内ではなかなか会えないので、この時間はとても貴重な2人だけの時間。 だが、楽しい時間ほど過ぎるのは早く、今日も盛り上がったところで予鈴が鳴ってしまった。 「今日は委員会の当番ではないのか」 「代わってくれって頼ませたから、明日だよ」 先に手塚が階段を降り、誰も来ないのを確認してからまだドアの側に立っているリョーマを呼ぶ。 階段を下りて廊下に立てば、2人は先輩と後輩の関係に戻って移動するだけだ。 「では、またな」 ポンと頭に手を置き、髪を撫でる。 「またね」 優しく撫でる手の動きに目を細めるが、手が離れた途端にリョーマは何事も無かったかのように歩き出せば、手塚もいつもの無表情をしながらも、頭の中では色々と考えながら自分の教室に歩きだした。 「…重箱?」 次の日の昼も手塚とリョーマは屋上にいた。 が、いつもと何かが違う。 それは手塚の弁当箱。 「良く知っているな」 「何か豪華を通り越して豪勢だね…」 手塚は持っていた紙袋から布に包まれた大きな箱を取り出した。 布の結び目を解けば黒塗りの重箱が現れた。 しかも、重箱は三段重ねという代物。 見事な輝きを放つ重箱には吃驚するが、三段ともなればその量はかなりのものになる。 手塚はその体格ほど大食漢ではないので、絶対に残してしまう。 勿体無いなと思う一方、リョーマは飲み慣れたジュースの缶だけで、食べる物は何も持っていない。 何故かといえば、朝の練習時、リョーマは手塚から「昼は早く来てくれ」と頼まれてしまい、購買に寄ってくるとそれだけで十分以上の時間を費やしてしまう。 そんな訳で、飲み物だけを買って急いでやってきたのに、手塚はこんな豪華な昼食を持っているので、ちょっとムッとしてしまう。 「今日は2人分だからな」 重箱を包んでいた布を地面に敷き、その上に重箱を置いて蓋を開ける。 「…2人分って?」 「俺とリョーマの分だが?」 「えっ、俺の分?何で?」 「昨日、玉子焼きを褒めてくれただろう。母に話したらとても喜んでくれてな」 手塚の家族は母以外は全て男。 祖父と父と自分。 しかも出した料理を褒めるなんて今まで一度も言った覚えが無く、食事風景を思い出してみても、誰も「美味しい」と言わないのに気付く。 出されるものを当たり前のように食べるだけの毎日で、有り難いと思ってみてもなかなか口に出せない。 他人からの感想、しかも「美味しかった」なんて話を聞かされれば嬉しくなるのも頷ける。 是非、食べさせてあげてとニコニコ顔の母に頼まれ、今日は2人分を持たされた。 しかも、バッグに入れて横になったりしたら嫌だと、わざわざ紙袋に入れて渡された。 ずっしりとした重箱に、母の気合が現れていた。 「…だって、本当に美味しかったんだ」 「今日は思う存分、堪能してくれ」 ほら、と蓋を開けて、中身をリョーマに見せる。 「う、わ…」 キラキラと目が輝く。 重箱の中身はテレビで見るような様々なおかずがぎっしり詰められている。 しかも、リョーマが大好きな和食ばかり。 昨日食べた玉子焼きに牛肉や人参を昆布で巻いたもの、きんぴらゴボウなど。 どれもこれも美味しそうな匂いがしている。 三段重ねの重箱の中身は2人分より多い気がしたが、小柄な割りに良く食べるリョーマならペロリと食べてしまうだろうと、それほど気にしない。 「ほら、この箸を使え」 「ありがと。いただきます」 どれから食べようか悩むが、やはり初めは玉子焼きだった。 主食の米は白米では無く、いなり寿司だった。 それも中身は青菜や五目ごはんで、色々な味が楽しめた。 玉子焼きも昨日と同じ味で、リョーマは幸せそうな顔をして次々に食べていた。 手塚は喜んで食べるリョーマに満足し、リョーマの分まで用意してくれた母に感謝しながら、食べ慣れた食事を頂く。 「ごちそう様でした。すっごく美味しかった」 「そうか、母も喜ぶ」 持って来た本人に比べ、リョーマは多くの量を食べていたが、手塚の食べた量は普段と変わらない。 使った箸も返し「美味しいからたくさん食べちゃうね」と、嬉しそうに笑顔を見せるリョーマに、手塚は更に母に感謝するのだった。 練習が終り自宅に戻ると一番にすっかり空になった重箱を母に渡した。 この時、リョーマからの感想を伝えた。 「越前くんだったわよね。今度、うちに連れて来なさいよ」 「…わかりました」 「絶対よ」 名前しか知らない息子の後輩だが、初めて料理を褒めてくれた人物。 自宅には今まで一度も友人を連れてこないが、これは是非とも暖かい料理でおもてなしをしたいと強請られた。 手塚もそろそろリョーマを自宅に招こうと考えていたので、これは良いチャンスだと、明日にでも話してみる事にした。 さて、いつ実行しようかと手塚は楽しそうにカレンダーを見るのだった。 |
付き合ってからの2人の1コマ。
まずは相手の母親に気に入られるようにね。