11.告白 |
遠くから子供の声がする。 緊張が解れたはずだったが、時間の経過により、表面ではほんの少しも変化はないが、内面では驚くくらいの緊張に包まれていた。 当初、心地良いと感じていた風は、今となってはこの緊張を解すように更にゆったりとした風量になっていた。 「…越前」 「はい?」 「いや、何でもない…」 漸く口を開いた手塚は、真っ直ぐにリョーマの瞳を見て、何も言えなくなってしまった。 こうして自分の我侭で連れまわしているのに、一言も文句を言わずに着いてきてくれる。 楽しい時間だった。 買い物や食事、そしてカフェでの休憩。 まるでデートのような内容だ。 短期間ではあるが、部活などでリョーマの性格を見てきたから、わざわざ行きたくない場所に着いてこない。 わかっている。 わかっているから、自分勝手に良い方に、もっと良い方へと転換してしまう。 (俺は越前にとって…いや、それは俺の勝手な想像だ。だが…) 自分はリョーマの中で少しは特別な存在として認識されていると感じる。 感じているだけで、リョーマは何とも思っていないかもしれない。 同じような考えを何度も何度も繰り返す。 答えの出ない手塚の葛藤はまだまだ続きそうだった。 (…何を言おうとしたんだろ) こんな状態がかれこれ1時間ほど続いているが、人一人分が座れるくらいの間は空いているこの至近距離にリョーマは満足していた。 手を伸ばせば触れられるが、触れた途端に払われたらかなりの衝撃に見舞われ、立ち直れないほど落ち込んでしまうかもしれない。 これほどまでに、好きになっている。 もしここで『好きです』と伝えて、眉間にシワを寄せて拒絶されたら、部活に参加するのも勇気が要る。 どうしよう。 どうしよう。 (…こんな風に誘ってもらえなくなるかもしれないよな…) これからもこうして2人で出掛けたい。 今日が最初で最後になりたくない。 ぎゅっと握った拳は緊張により汗が滲む。 その時、2人の間を強い風が吹いた。 影を作っている樹は大きく揺らぎ、数枚の葉が風に飛ばされ、1枚が手塚の膝の上に乗り、その葉を手に取り、クルクルと回す。 (伝えないと、何も始まらないな…) 1枚がリョーマの膝の上に乗り、その葉を手に取り、じっと見つめる。 (言わないと何も進まないかな…) 偶然なのか、手塚とリョーマは手に持っていた葉を同時に2人の間に置いた。 「越前」 「部長」 そして同時に口を開いた。 「あ、部長からどうぞ」 どことなく気まずい雰囲気になるが、手塚はもう迷わなかった。 たとえ、この瞳が二度と自分を映さなくても、この想いだけはいつまでも胸に抱いていようと決心した。 この決心は強く、手塚は更に言葉を続ける。 リョーマの黒く大きな瞳を見つめながら。 「越前、俺はお前が好きだ」 冷静に一言一言をはっきりと発音し、想いを伝える言葉を口にした。 「…部長、俺も部長が好きです」 リョーマは手塚の告白に驚いた顔をしたが、それはほんの瞬き程度で、すぐにやんわりと微笑みを浮かべ、自分も心の中にしまっていた想いを告白していた。 「本当にか?」 「本当っスよ。部長こそ、本気なんスか?」 「本気だ。俺は越前が好きだ」 見つめ合いは数分間続き、相手が冗談で告白した可能性がゼロになると、安心したのかその背をベンチの背もたれに預けていた。 2人の背を押すような強い風はあれっきりで、今はそよそよとした優しい風だけが吹いている。 まるで、2人の想いが繋がった事を祝福しているように。 「…何か、ウソみたい。部長が俺と同じ気持ちだったなんて」 時間が経つに連れて、告白された感動がじわじわと身体に沁み込んできた。 「俺もだ…」 2人の間にあった葉は取り去られ、人一人分の隙間を埋めるように密着して座っていた。 「すごく嬉しいけど、ちょっと悔しい」 相思相愛だったと知ると、悩んでいた時間が悔やまれるほど勿体無い。 もっと早く告白していたら、この偽のデートは本物のデートになっていたはずだ。 「これくらいが丁度良かったのではないのか?」 「ん〜、そうなのかな」 「俺は自分の気持ちが本物なのか見極める時間になった」 春、しかも桜の花弁の中、ドラマでも観ているかのような出会いだった。 特別な出会いから目が離せなくなった。 恋愛感情にのめり込んだ経験が無い手塚にとって、これがどういう感情なのかを自分の中で整理する時間が必要だった。 「で、本物だったってコト?」 「ああ、正真正銘本物だった。越前は後悔しないか?」 「後悔?なんで?」 折角こうして相思相愛だと知り、今までに感じた事のない幸せに浸っているのに、何を後悔するのか全くわからない。 「俺はお前と付き合いたい。付き合う過程で俺はお前に触れたくなるかもしれない。それでも良いのか」 「…それって普通なんじゃないの。俺だって部長に触れたいよ…こうしてね」 ニッコリなのに、どこか悪戯をしそうな微妙な笑みを浮かべたと思ったら、リョーマは手塚の顔に自分の顔を近付ける。 「え、越前」 頬に触れたのは柔らかい感触。 キスされたと気付いたその瞬間、手塚はリョーマの唇が触れた場所を手で押さえて、赤くなりながら慌てる。 珍しい姿を拝めたリョーマは楽しそうにクスクスと笑う。 「今のは挨拶程度だよ。それに俺は友達が欲しいんじゃない。俺はステディな関係の恋人が欲しい」 学校で会話をする事、帰りを共にする事。 仲の良い者同士なら極めて自然な行為。 手塚とリョーマも先輩と後輩の面では上手く付き合っていたに違いない。 今まではこれで充分だった関係は、これから先では物足りない。 手を繋いだり、抱き合ったり、キスをしたり、もっとすごい行為まで望んでしまう時が来るかもしれないが、それらを全て含めて好きになってしまった。 「…いいのか」 「部長、その耳は飾り物なわけ?もう一度言うけど、俺は部長が好き友達じゃなくて恋人になりたい」 手塚から一度も目線を外さず、キッと強気な視線で睨みつける。 「そんなに怒らないでくれ」 「怒ってな……部長?」 反論しようとしたが、手塚の両腕に包み込むように抱き締められ、リョーマは逞しい胸に顔を埋める形になった。 「俺は恋愛が未経験でお前を不安にさせてしまうかもしれない。だが、これだけは覚えておいて欲しい。俺はお前が好きだ」 「…うん」 そっと目を閉じて、小さく頷いた。 遠くから聞こえてきた子供の声が段々と近くなってきて、手塚は惜しみながらもリョーマの身体から手を放した。 暫く経つと、子供達は楽しそうに笑いながら2人の前を走って行った。 「まずは呼び方を変える事から始めないか」 「呼び方からね。じゃ…何?」 「恋人らしく呼び捨てはどうだろうか?リョーマ」 提案した手塚は早速リョーマを名前で呼んでみれば、いきなり名前で呼ばれたリョーマは見る見るうちに顔を赤くしていく。 「ちょっと、何か、変に照れくさい。…えっと、国光?」 「……そうだな」 手塚は初めてファーストネームで呼ばれた事に喜びを感じていた。 家族の呼び捨てはどこでも当たり前だが、好きになった相手に呼ばれる事の喜びは一入。 「国光か、日本人っぽい名前だよね」 「リョーマもカタカナではなければ、日本人の名前だぞ」 「アメリカ生まれでも、両親は日本人だからね。俺さ、今日…ちょっとは進展できたらいいなって思ってた。国光の事は入学式の時から気になってたから、好きになってくれたら嬉しいって」 ゆっくりとベンチから立ち上がり、背を向けたままでリョーマは喋る。 どうしてここまで着いて来たのか。 手塚とただの先輩と後輩の関係から抜けたかったから。 下手をすれば、先輩と後輩の関係すら危うくなったのかもしれないが、それはお互い様だった。 「でも、嬉しいなんてものじゃなかった。今でも信じられない…夢みたい」 「夢じゃないぞ、リョーマ」 「だね、国光…」 くるりと回ったリョーマは、手塚の瞳がとても優しいものになっているのに気付いた。 そして、今になって初めて会った時に見たその瞳に心を奪われたのだと気付く。 「どうかしたのか」 「ううん、国光を好きになった時の事を思い出しただけ」 「…そうか」 ふと、リョーマの口調に変化が起きているのに手塚は気付く。 こちらが本来の話し方かもしれない。 部活では自分の存在を見せ付けるような横柄な態度をとっていたが、それらの全てがリョーマの演技だとすれば、2人でいる時は本来の姿を見せてくれるかもしれない。 「次にこうして出掛ける時はデートだね」 「ああ、次はコースも変えよう。デートらしくな。そろそろ帰るか」 「うん」 手塚は立ち上がると手を差し出すので、リョーマは何だろうと凝視していた。 「公園を出るまでだ」 「別に駅まででもいいけど…やっぱり日本ってまだまだ同性の恋愛は難しいのかな」 その手を掴み、ニッと笑うと、駅に向かって歩き出した。 漸くスタートラインに立ち、初めの一歩を踏み出したばかりの手塚とリョーマ。 これから先がどうなるのかなんて、今の2人には何もわからない。 |
くっ付いた!