10.恋人の条件



カフェを出ると、リョーマは手塚の向かう場所に着いて行くだけになる。
いや、昼食も書店も喉を潤したカフェも何もかもが手塚の誘いによるもので、リョーマが言い出したものでは無い。
嫌ならとっくに帰っている。
けれど、もっと一緒の時間を過ごせられると思うと、全てに対して『YES』で答えていた。
これはもう、自分の心の赴くままの行動だ。

ちらりと、横を歩く手塚の顔を見上げてみる。
並んで歩いているので顔の半分しか見えないが、とても整った顔をしていると思う。
いわゆる、美形と呼ばれるタイプ。
男女問わず、こういう顔はカッコイイと思うはずだ。
現に校内では女生徒にもてまくりで、男子からも賛美の声はあっても、非難の声は聞いた記憶が無い。
リョーマは自分がこれまで出会った大勢の顔を思い出してみたが、手塚に敵う相手は見当たらなかった。
「どうかしたか?」
不意に視線がリョーマへと向き、目が合ってしまった。
「え…あ、何でもないっス。えと、どこに向かってるんスか」
前を見て颯爽と歩く手塚とは絶対に視線が合わないはずと勝手に思い込んでいたからか、変にどもってしまった。
だが、手塚はそんなリョーマの様子に小さく口元を歪ませただけで、それ以上の追求は無かった。
「もうすぐ着く」
リョーマから目を離さずに、たったそれだけを口にすると、再び前だけを見て歩き出した。
(…ビックリした。まさか目が合うなんて思わなかったよ)
心臓が異常なほどドキドキしている。
こんな短時間だったが、『好き』だという想いは時間の経過と共に強くなっていく。
このままでは、この想いを口にしてしまいそうなほどに。
だが、この想いに対し、相手である手塚がどんな態度を取るのかが不安で、リョーマは何も言えずに手塚の後を着いて行くだけ。
(確か、部長の好きな相手の条件って…)
ふと、図書館の整理中に見かけた校内新聞にテニス部の特集が載っていた。
発効日は去年の夏。
リョーマはその当時のテニス部を知らない。
興味が沸いたので新聞を開いてみれば、レギュラー部員の個別インタビューが載っていた。
知らない名前から、今でもレギュラーに名を連ねている手塚や不二の名前があった。
インタビューは関東大会に向けての記事と、それぞれのプロフィール。
最後は『好きなタイプは?』で締めくくられていて、手塚は『何に対しても一生懸命』と書かれていた。
恐らくは校内新聞に載せるものなので、差し支えの無い回答にしたのだろう。
(何でも一生懸命か、部長らしいよな)
テニスだけなら誰にも負けたくない気持ちはあるが、その他はどうでもいい自分は手塚のタイプからは掛け離れている。
色々とシュミレーションしてみても、一方通行の恋で終わるのは目に見えている。
(っていうか、俺…男だしな)
基本的に恋愛は男と女の間で交わされる感情。
同性同士の恋愛も今ではそれほど珍しく無いが、周囲に受け入れてもらえるには時間が掛かりそう。
わかっている。
わかっているはずなのに、どこかでほんのりと期待している自分もいて、矛盾していると苦笑する。
(…だって、こんな風に誘うから)
グリップテープを購入したところで今日の目的は完了。
食事はおまけの行為として、書店も自分が着いて行くと言ったから行動を共にした。
問題はその後。
カフェは完全に予定外の場所だし、一向に駅に向かわずにこうして一緒に歩いているのも予定外の出来事。
だから、期待してしまう。

もしかしたら、この想いが成就するかもしれない、と。


カフェを出てから、ほとんど会話をしていない。
そろそろ飽きてきたのかと、こっそりと隣を歩くリョーマを見下ろしてみる。
身長の差もあって、頭の天辺とほんの少し横顔が見えるだけ。
普段は帽子に隠されている髪。
癖があるのか、ところどころウエーブしているが、基本的に柔らかそうなj髪質に見える。
手を伸ばして撫でてみたい。
そんな欲望が生まれるが、実行すればその大きな瞳できつく睨まれ、手を弾かれるだけだろう。
上級生にだろうが容赦はしない。
それが越前リョーマの性格。
(…だが、そこも惹かれる)
初めて出会った日を思い出す。
桜の花弁の中に佇むリョーマの姿。
桜の花が見せた幻影なのかと、一瞬目を疑ったが、リョーマはそこに立っていた。
完全に恋心を認識してしまった今、あの出会いで既に恋に落ちていたのだと実感した手塚は何度もリョーマの表情を窺うように見下ろしていると、不意にこちらに視線を向けてきたリョーマと目が合ってしまった。
あからさまにぎょっとした顔をしているので、ズキリと胸が痛んだが、ここはとにかく平静を装うしかない。
「どうかしたか?」
「え…あ、何でもないっス。えと、どこに向かってるんスか」
しどろもどろに訊いてくるリョーマに手塚は小さく笑ってしまった。
見る見るうちにリョーマの頬が赤く染まっていくのだ。
これは目が合った事に対して嫌悪しているのとは異なる反応だ。
むしろ、その逆と考えられないか?と自分の望む形に変換する。
「もうすぐ着く」
今から行く場所については何も言えなかった。
説明をして「そんなトコ興味無いっス」と帰られたら、これからの目的が全て無駄になってしまう。

心を決めた。
この気持ちを伝える事を。

たとえ、無残に散ってしまっても構わない。



「ここだ」
「…公園にしてはやけに広いっスね」
手塚に連れられてやって来たのは、遊歩道やドッグランが確保されている広い敷地面積を持つ公園だった。
遊歩道ではアイスやジュースを売っている人がいて、子供達がワクワクした顔で順番を待っていた。
「ふーん、何かこういうトコってイイっスね」
アイスを売っている年配の女性は、たった1本のヘラでアイスを器用に薔薇のような形に仕上げる。
食べるのが勿体無いほどの芸術的なアイスを渡された子供は、両手で大事そうに抱えると、嬉しそうに早足で歩き、近くで待っている母親に報告する。
母親も「良かったね」と子供の頭を撫でてから、手を繋いで歩いて行く。
時間がゆったりと流れていて、先ほどまでいた場所とは掛け離れた空間。
「あそこまで行くが、良いか?」
「いいっスよ」
手塚が指を差したのは、この公園の中に作られた人口の川の辺にあるベンチだった。
背の高い木の下にあるので、休むには格好の場所。
普段はサラリーマンが休憩に使っているが、今日は休日とあってところどころに人が座っているだけ。
「涼しいっスね」
幾つか並んだベンチのうち、人の声が届かない場所を選んで腰掛けると、涼しい風が頬を撫でて髪を揺らす。
「区画整理で作られた公園なのだが、この付近の住民には憩いとなっているようだ」
「子供とかペットと遊ぶには最高っスね。で、何か用があってここに連れて来たんスよね」
「ああ、これからの事でな」
ふう、と息を吐く。
「…これからの?」
一体何を言い出すのか想像もつかないリョーマに緊張が走る。
その緊張が手塚にも伝わってしまったのか、暫くの間、2人は黙って目の前の景色を眺めるだけだった。
(…何を迷っているんだ、俺は)
あとは口を開き、ここに抱える想いを伝えるだけなのに、この関係が壊れる事を想像すると手塚の中の決心が鈍る。
(何だろ、何を言うつもりなんだろ…)
どうしていいのかわからないリョーマは、落ち着かない心を静めるように目を閉じる。
「…越前」
「はい?」
「お前は…今の青学をどう思う?」
「え、今の青学っスか?えっと、色んなスタイルを持ってる人がいて面白いっス」
テクニック重視、パワー重視。
それぞれの個性が出ていて面白いチームなのは確かだった。
「だが、来年はどうなるのかわからない。たまに俺は心配になる」
「…そんなの心配する前に、今を見た方がいいっスよ」
手塚の本音を聞けた気がして、リョーマも自分なりに答えてみた。
今の青学には全国レベルの選手がいるが、それは3年生の中の話。
彼らがいなくなった後は、残された者達への試練となる。
「そうだな」
リョーマの答えを聞いた手塚は、ゆっくりと頷く。

そして、また静かな時間になるが、この会話で緊張が解れたのか、黙って座っている時間すら愛しくなる。
(言わなくてはな)
(言っちゃおうかな…)

そろそろお互いが煮詰まってきたが、言い出すにはかなりの勇気が必要だった。




早く、言っちゃえよ!