01.桜



桜が2人を引き合わせた。



「おはようございます」
柔らかい春の日差しを受けて、これから通うことになる学校の門をくぐるのは、真新しい制服に身を包んだ新入生達。
爽やかで清潔感な印象を与える制服がとても似合っているが、まだ制服に着られているように見受けられるのは仕方のないことだった。
ここは東京都内の私立中学である、青春学園中等部。
今日は入学式で、新入生は受付けを済ませると、まずはそれぞれの教室に移動する。
時間になりやって来た教師によって入学式が行われる体育館へと導かれて行く。

これはどこの中学にある風景だが、中には新入生らしからぬ人物も存在しているものだ。

ずらりと規則正しく並んだパイプ椅子に座る新入生達は、緊張感を持って真っ直ぐに壇上を見据え、時間通りに進んでいく学園長や来賓の話しを真剣に聞いている。
だが、その中に下を向いてコクリコクリと舟を漕ぐ人物がいた。

「…あの、起きた方がいいよ…」
「……ん〜、ふわぁ〜」
隣の生徒にツンツンと腕を突付かれたのは、学園長の話が始まってすぐに居眠りをしていた生徒だった。
「…えーと、え、越前くん?」
こっそりと見た学生服の名札で名前を確認すると、名前も呼んで起こしてみる。
これで起きなければもう少し強めに突付こうとしたが、その寸前で手の動きを止める。
「…わかってるよ…」
完全に寝入った訳ではなかったらしく、何度も呼ぶので仕方なく顔を上げれば、隣の生徒は顔を赤らめて慌てて前を向いた。
関係ないと前を見れば、壇上の上には自分達と同じ学生服を来た人物が立っているのに気付く。
真面目そうな顔には、更に秀才さを引き立てるかのような眼鏡。
言葉遣いはかなり丁寧であるが、少し年寄り臭さも同時に感じる。
だけど、誰なのかわからない。
ここから式のプログラムを見ようとしても、生徒の頭が邪魔になって見えない。
「…あれ、誰?」
壇上に生徒がいるのが不思議でならないのか、起こしてくれた隣に訊いてみる。
「生徒会長の手塚先輩だよ。越前君は知らないの?」
「知らないのって、初めて見たんだから仕方ないじゃん」
ぼそぼそ、と小声で話す。
「テニス部の部長もやってて有名人なんだ」
「ふーん、そうなんだ。…テニス部の部長か…」
言葉のトーンは心地良いテノールで、眠気が襲ってきそうなくらい。
何の気なく視線を壇上に移せば、目が合った…ような気がした。
これだけの数がいれば目が合うなんてかなりの確率だからと、視線を彷徨わせてから戻してみれば、今でもまだこちらを見ていた。
こうなってしまえばこちらも視線を外せなくて、暫くの間は壇上の人物だけを見つめていた。
それから数分後に挨拶は終わり、拍手の中、姿勢正しく壇上から去っていけば、緊張の糸が解けたように肩の力が抜けた。
「…ま、いいか」
胸の中がざわめいていたけど、今はその感情に気が付かなかった。


入学式が終われば教室に戻り、これから一年間の担任になる先生から、挨拶と生徒1人1人の名前を確認する為に、名前を読み上げ始めた。
「越前リョーマ君」
「…はい」
眠気が残りながらも、呼ばれたリョーマは返事をした。
次々に名前を呼び、間違えていれば名簿に正しい読み方を書き加える。
「明日は始業式ですので、時間を間違えないように登校して下さいね」
最後の名前を読み上げると、プリントを1枚だけ渡されて今日は終わった。
そうなれば新入生は帰るだけ。
だが、リョーマだけは校門を出ずに、敷地内を探索するかのように歩き回っていた。
一番遠いプールに行き、それからお目当ての場所へ移動する。
「ここがテニスコートか…」
リョーマのお目当ての場所はテニスコートだった。
フェンスで仕切られているが全部で5面あるが、きっと男子と女子で分けてあるに違いない。
「これだけあるんだから、ちょっとは楽しめるかも…」
誰もいないコートのフェンスに手を掛けて、ニヤリと笑った。

テニスコートから戻る際、リョーマは他よりも幹が細い桜の樹を見つけた。
不思議と気になり、その樹の元に歩み寄り、そっと幹に触れてみる。
「何でこれだけ他と違うんだろ…」
しかも他の桜は既に散りつつあるのに、この樹だけは今が満開だった。
種類が違うのか、花弁の色は濃い桃色をしていた。
手を伸ばせば届く位置にある枝に触れて、桜の花弁を散らす。
無残にも散る花弁は緩やかな風に舞い、ふわりと地上に落ちていく。
土のキャンパスに花弁が色を添える光景に目を奪われていると、ジャリと小さな音と共に誰かがやって来た。
「…そこで、何をしている?」
「え?」
急に話し掛けられたリョーマが声のする方に顔を向けると、そこには入学式に見た人物が立っていた。
中学生にしては落ち着いた風貌をしているが、紛れも無く中学3年生。
「…何をしていたんだ?」
言葉は少し変わっていたが、内容は同じ質問。
「何って、桜を見てたんだけど?」
本当だから、これしか言えない。
「そうか、この桜を気にする生徒など滅多にいないから気になってな…」
離れた場所にいた手塚もリョーマの横に立ち、この桜を見上げた。
「…あんた、確か生徒会長さんだよね?」
「ああ、手塚だ」
「俺、越前リョーマ。よろしく」
握手の為に手を出すリョーマに少し驚いた顔を見せたが、すぐに表情を戻してその手を握った。
手塚よりもリョーマの手は一回り小さかったが、力強さを感じた。
「…テニス部の部長さんでもあるんだよね」
そっと、手を離す。
「ああ、良く知っているな」
生徒会長というのは入学式で紹介されたので自然に受け入れていたが、テニス部の部長と言うのは話していないので、少し訝しげにリョーマを見やる。
「式の時に隣に座ってた奴に訊いたんだ。俺、テニス部に入部するからよろしく」
何でこんな会話をしているのか、自分でもわからない。
このまま帰るのが勿体無いと、リョーマは話題を提供していた。
「そうか、テニス部に入部するのか…」
見下ろす手塚の眼差しに、今までと異なる色が映り込む。
何だろうと思わず覗き込むが、その色は一瞬で消えていた。
「…ここって強い?」
「それは自分の目で確かめるんだな」
「ふーん、でもあんたは強いね。それもかなりね。うん、俺が言うんだから間違いないね」
濁りの無い眼差しには力強さを感じる。
学生服によって隠れてはいるが、滲み出るオーラはそんじょそこらの凡人とは比べようにならない。
「初対面に褒められるとはな…」
「あんたの事は何も知らないけど、これから知っていればいいだけでしょ?」
「…俺はお前の事など何も知らない」
「知りたいのなら教えますよ?」
いくらでも、と付け加えれば、眼鏡の奥の瞳が柔らかくなった。
「テニス部に入部するのならいくらでもわかるだろう」
「そっスか?じゃ、俺は帰りますんで」
ずっとここにいて、話していたい気分になるが、どうにか抑えてリョーマは桜の下から歩き出した。
「ああ、気を付けてな」
手塚の横を通り過ぎる時に掛けられた言葉に、リョーマの胸は大きく高鳴っていた。
そしてリョーマを見送る手塚の視線は愛しさを明らかにした色をしていた。


これが、2人の出会いだった。



新しいお題の始まりです。
これは付き合う前な2人ですが、こんな話もありですか?