目指せNHK

『愛の法則』レクチャーシリーズ、プレリュード1

会うは別れの始めなり?           

200385日(火曜日)

黒田敦子

 

「別れ」は、この9年間、折に触れ繰り返し神様のレッスンに登場した重要なテーマです。日常茶飯事に見受けられるこの一見たいしたこともなさそうな「別れ」という出来事が、「生物の願いを叶えるように作られたこの世界」では、実は大変な意味をもっているのです。どんな時に「別れ」が起こるのか?それを理解し、反省することは、人類が悲しみのない社会を作る上でたいへん重要であり、全ての人々に実行して頂くことになる重要なテーマなのです。そこで、「目指せNHK!『愛の法則』レクチャーシリーズ、プレリュード1」として、お話ししてみたいと思います。と、申しましても、残念ながら今日は音声録音ではなく、相変わらず文章でお伝えします。

 

この9年間に、私は神様のご指示で最低でも7つのグループや個人と、不本意な別れをしてきました。ほとんどはその時お付き合いをしていたグループとの別れです。不本意だと言ったのは、私にはたいていの場合、別れなければならない理由がわからなかったからです。神様がある日突然、「あの人達とお別れしなさい」とか「もうあそこへ行ってはいけません」「あの人のことを考えてはいけません」「あの人達のことを考えてはいけません」「あの人とお別れしたいと願いなさい」とおっしゃるのです。

 

突然そんなことを言われても納得できませんので、私はその度にびっくりして、「どうしてですか?」「ええっ、そんな〜、困ります」、「嫌、嫌〜」と、抵抗してきました。でも、その度に、少しずつ、諄々(じゅんじゅん)とその理由を説明され、結局、お別れしてきました。もっとも、この9年の私の生活では、私が納得する、しないに関係なく、神様が強引に私を導かれることが多々ありましたので、正直言って理解は後からというケースの方が、圧倒的に多かったような来がします。私はこういうのを「神様の強制お導き」と呼んでいますが、結構、多発してきました。

 

神様は「傷つけることがないのなら、別れはいらないのです」とおっしゃいます。どちらか、あるいは両方に相手を傷つける「思い」や「行為」があるから、「別れ」が起こるのだそうです。傷つけることがないならば、別れる必要など出てこないのが、実は「この世の真実」であり、一度仲良くなった人達は永遠に良いお友達でいれるのが、本当の「有るべき人間関係」なのだそうです。

 

「生物の願いを叶える」ように作られたこの世界では、人々が出会うと、お互いに相手に対する「思い」や「イメージ」を抱き合います。思い込みの激しい人、逆の人、個人差はありますが、良くわからないうちは、ぼんやりと、少しずつ情報が入ってくると、それに合わせてどんどん相手の人間像が確立して行きます。そして、「知り合いになる」この工程で、無意識のうちに、時には意識的な場合もあるとは思いますが、相手に対して「願い」と言っても良いような、強烈な「思い」をぶつける人も結構いるようです。

 

私がこの9年の間に神様に、「あの人とお別れしなさい」と言われたケースのほとんどは、その方達とお付き合いを続けていると、「自分のなりたい人間になれない」「自分が目指している方向に進む事ができない」「不本意な悪いレッテルを貼られる」、そういう場合でした。

 

相手の「心の中」が見えない私には、別れの理由はよくわかりません。悪い「思い」や「願い」など、態度や顔になど出さない人がほとんどだからです。例え、しつこく神様に質問して、なんとか別れる前に理由を聞けたとしても、本当かどうかという検証はできません。でも、後になって、「なるほど」と、納得したケースがほとんどです。別れると、別れなければならなかったような人達との間には、「生物の思いのベール」とでも言って良いものができてきて、それまでとは、生活や自分に許される事が変わって来るからです。

 

私達の住むこの世界、つまり「この世のシステム(The Universal System )」では、「思い」は、実は最高に強い「願い」として処理されるのだそうです。例えば、花子さんが「太郎さんは無能だ」「太郎さんは意地悪だ」「太郎さんはブスだ」と思ったとします。一方、太郎さんは自分のことを有能で、やさしくて、ハンサムだと思っていた、あるいは、もっと有能になりたい、もっとやさしい人間になりたい、もっとハンサムになりたい、と思っていたとします。こういう場合、太郎さんが花子さんとお付き合いをするのは、太郎さんにとって「とんでもなく自分の人生を損なう自殺行為」になってしまうのだそうです。太郎さんの人間像が現実として作られて行く時に、花子さんと親しくすればするほど、花子さんのネガティブな思いが太郎さんの現実に色濃く反映されるからだそうです。花子さんの思いの強さ分だけ、太郎さんは「無能になり、意地悪になり、ブスになってしまう」のだそうです。

 

これは極めて重要な「この世の真実」なのです。皆様、どうか今後は、相手に「悪いイメージ」や「悪い願い」を抱くことは厳に慎みましょう。そして、それは、自分が幸せに発展していくために、必要不可欠なことなのです。理由は、話がそれてしまいますので、またの機会にしたいと思います。

 

「嫌な奴だな〜」とか、「あの人、どうなっているの?バカね〜」「こんなこともできないの〜」等々、とても良く解釈する事ができないようなことが目の前で展開したときには、「まあ、一体、どうなっているのかしら?」「かわいそうに!」「こういう悲しい事が起こらなくなりますように!」と祈るのが良いのだそうです。

 

例えば、朗読の会で太郎さんが朗読をしたら「とてもへたくそだった」とします。そうすると、それは、概ね、その場に居合わせた人々、そして、その場に居合わせなくても、太郎さんがお付き合いをしている人達「太郎さんに寄せる思いの集計値」なのだそうです。つまり、太郎さんとお付き合いをしている人々の思いを集計すると、「太郎さんには上手に朗読してほしくない!と思っている」という意味なのだそうです。誰の願いで「へたくそな朗読」が作り出されたのか、関係者がそれぞれ自分の「思い」を分析し、「自分かもしれない」と思う人が反省して、改めることが、『愛の世界造り』に必要なことなのだそうです。

 

正確には、どんな生物の現実にも、接触交流のない生物の思いも反映されているのだそうで、この世の全ての生物の「思い」の集計値が、一人一人の「人間像」や「現実」を決定しているのだそうです。それでも、「知り合い」が個人の生活や人間像に及ぼす影響は、関係が近い分だけ巨大なのだそうです。

 

そういう意味で、私達が「どんな人間として生きることができるか」「どんな生活を許されるか」は、直接お付き合いをする人々を変えることで、大きく変わりうるのだそうです。つまり、

 

この世の真実: 

お付き合いする人々で変わる私達の人生

 

なのだそうです。

 

現在の生活にご不満の方は、仲の良くない人、自分を過小評価する人々と別れる事が、生活の改善に繋がるという「悲しい現実」です。このテーマ、まだまだ奥の深〜いものがありますが、このつづきはまた後日にしたいと思います。