みんなの「思い」「願い」で現実が作られる

 

科学宗教がひとつになるとき

 

 

因果情報

 

神様が御創りになった『この世のシステム』は、個々の生き物が生まれてから現在に至るまでに「言ったこと」や「したこと」と、「考えたこと」、「感じたこと」から「夢見たこと」まで、知覚した全ての情報を蓄えている形になっているのだそうです。それを因果情報、履歴データなどというのだそうです。

 

また、因果情報によって、それぞれの生き物が何をどの程度「好み」、何をどの程度「嫌っているか」という情報も割り出され、それを優先順位でならべた「好みのリスト」というものがあるようなものなのだそうです。

 

人の一生は、親から引き継いだ因果情報と、自分が蓄積してきた因果情報をもとに、その時どんなエネルギーレベルにあるか、その時、「どんな生き物」の「どんな願い、思い」の力が「どの程度強く」かかっているかで、決まるのだそうです。(「愛の常識レベル」を参照)

 

エネルギーレベルはお金に良く似ています。例えば、エネルギーレベルが1000もあれば、年収1000万ぐらいの生活が可能になり、能力もけっこうハイレベルなパーフォーマンスができる。5000だと相当立派な活躍をして、相当に良い生活ができる、といった具合なのだそうです。一口に年収1000万と言っても、生活は様々です。それはその人の因果情報、好みのリスト、関係する生き物の願い、思い、それに『この世のシステム』のデータベースに蓄えられている可能性などが加味されて、構築されるからなのだそうです。

 

例えば、ある人が他人にう〜んと憎まれて、エネルギーレベルが1000だったものが、突然−500に下がってしまったとします。「好みのリスト」でマイナスというのは、嫌なもののリストです。何は耐えられないが、何は平気、というのは、人によって異なります。それで、同じ強度の憎しみをぶつけられたとしても、ある人は「怪我」をし、ある人は「病気」になり、ある人は「キチガイ」にされる、等々、その人の因果情報と関係者の思いによって、現実が様々に変わるのだそうです。身体障害、精神障害、老化現象、ブス化現象、全て、ぶつけられた憎しみの度合に応じて選ばれる嫌いなものの選択肢なのだそうです。でも、どんな場合でも、その人の因果情報と好みのリストを最大限好意的に考慮し、無限とも言えるほどの関係データを一瞬のうちにすべて吟味し、無限とも言えるほどの可能性を考えた上で、それより良い選択はないという「最善の道」が選択されて、それが現実になるようにこの世の中は創られているのだそうです。神様が『私は無限の愛を込めて『この世のシステム』を作ったのです』とおっしゃる理由の一つです。それでも悲しいことが起こるのは、悲しいことが起こるような願いを発するからいけないのだそうです。みんなで気をつけましょう。

 

先日、小渕前総理が倒れられた時には、「ああ、また可哀相な犠牲者が・・・!」と、ほんとうにびっくりしました。自由党との連立を解消したことで、守りの勢力が弱くなって、対立する願いに跳ね飛ばされたのでしょうか?テレビからのわずかな情報ではわかりようもありません。小渕総理も、あの方を総理の座から追い落とした「願い」を発した方々も、今後、傷付けあうことなく発展して行ける道が開けるよう祈りました。

 

複数の人間が集まって作るコミュニティや国、世界的な現象も、大勢の構成員の「願い」や「思い」が強く反映されて現実が作られているというだけで、個人の場合と基本的には同じような工程で現実が作られるのだそうです。地球温暖化現象にしても、公害、地震、最近の有珠山の噴火にしても、大勢の人々を襲う憎しみの力が作り出す現象なのだそうです。人類の多くが『他の生き物を傷付けずに暮せるようになりたい。みんなが幸せに暮せるようになったらいいのにな〜』と考えるようになると、そうした災害もなくなるのだそうです。みんなで悲しいことの起こらない世界造りをして行きたいものです!

 

 

信じることが現実を作る最大の力

 

『この世のシステム』では、「あいつはバカだ」と思うことは、「バカであってほしい」と強く願うことと同じことなのだそうです。「願い」などという不確実な弱い願望ではなく、現実にそうなるほど「強い願望」という意味なのだそうです。ですから、「あいつはバカな奴だ」と言うことは、その思いの分だけ、相手をバカにする効果があるのだそうです。従って、自分の悪口を言うような人達とは、お付き合いをしないことが身を守る最善の道なのだそうです。人が別れるのも、そういう他人の「思い」や「願い」の傷付け度がひどすぎて、一緒にいれない場合が多いのだそうです。

オムニバス形式のドラマなどで、一人の人間を数人の人が語るドラマがあったりします。語る人によって、描かれる人間像が異なるのです。それは、それぞれの人が「相手をどういう人間だと思っているかが、相手の行動に反映される」という意味なのだそうです。ですから、自分の悪口ばかり言う人と一緒にいる時と、高く評価してくれる人といる時では、生活がまるで違ってしまうのだそうです。人が悲しい生活を強いられているときは、そういう意味で、極めて相性の悪い人達に囲まれているという意味なのだそうです。

 

願いを叶えるように創られた『この世のシステム』では、人は魔法使いのようなものなのだそうです。「お前はダメな奴だな〜!」と言っては、相手をその思いの分だけダメにし、「あの人ブスね!」と言っては、その思いの分だけ相手をブスにしているのが実状なのだそうです。同じ人間の写真がその時々によって様々な写り方をするのも、その時、誰のどんな思いが一番強力に反映されたものなのか、という違いなのだそうです。

 

 

常識が崩れるとき

 

私達は、時として「とても信じられない!」という現実に出くわします。それは、その人が「信じる」よりも強烈な力でその「信じられない」ようなことが現実になるように願う力がかかっていた、という意味なのだそうです。

 

私はこの8年、様々な異常体験をさせられました。たとえば、シャワーで髪を洗おうとしてお湯を出したら変な匂いがし、シャンプーをつけて洗おうとしたら髪がのりでくっつけたように固まってしまったのです。悲鳴をあげてしまいました。なんとか買い置きの「水」でゆすいでヒリヒリは治まりましたが、髪が古びた木綿糸のようになってしまいました。(7,8年前の話です。)水道の水はハイターの匂いがしたり、沸かすとナベが変色したり、ザラザラになったりで、とても使い物にならず、飲み水は全て買って来るという生活を何年も続けました。当時は誰かが水道にそんな細工をしたのに違いないと思っていました。

 

また、コンピューターを使おうとするとおかしな匂いがして、フラフラになったり、「今日は大丈夫みたい」と思って頑張っていると、画面がユラユラ揺れて崩れ落ちそうになったりしたのです。そういうスクリーン セーバーがあることは知っていますが、そんなものは使っていませんでした。

また、「あっ、臭い!まただ!」と思った途端、猛烈な怒りに体中が襲われ、「腹が立って、腹が立って」コントロールが効かなくなるのです。おかげで、フライパンを2つもベコベコにへこませ、使えなくしてしまいましたし、流し台と戸棚のドアには2つも穴を開けてしまいました。

 

当時、近代科学オンリーだった私は、「臭い匂いは、特殊な攻撃用のガスに違いない」と思っていました。そして、そんなガス攻撃を受けるのは、どうも私が開発しようとしていたソフトウェアに関係があるらしい。それにしても、マイナーなまだ目も出していない会社にまでこんなことをするなんて、どこの国のどんな物好きなのかしら?と首をかしげていたのです。「どうも24時間盗聴監視されているようだ」という他人の反応は、神様に声をかけられた後もかなり長い間続いていました。

 

ガスは産業スパイが仕掛けた化学兵器の一種だと思ったのです。それで、「最近のケミカルウェパンってすごいのよ。とにかく、「怒りガス」「笑いガス」「泣きガス」って調子でいろいろあるみたい。「臭い!」っと思った途端に、強烈な「怒り」や「悲しみ」に襲われて、コントロールできなくなっちゃうのよ!なにしろガスのせいだから、自分ではどうにもコントロールできないのよね〜!誰が嫌がらせしているのかわからないけど、ほんとに困ってしまう!」と、当時、田舎に住んでいた両親に説明していました。

 

また、冷蔵庫に入れておいた飲み物や食べ物を飲んだり、食べたりすると、とたんに胸が苦しくなって、死にそうになったりしたことが何度もありました。この騒動の2年半の間に、救急車にも2度もお世話になりました。一人暮らしなので、留守にしないわけにもいかず、食料と水にはほんとうに困ってしまいました。

 

警察にも何回か行きましたが、相手にしてもらえず、かえってどなられてひどい目に合うばかりなので、あきらめて我慢するしかありませんでした。現在は警察の方々を責めているわけではありません。当時、私にぶつけられた憎しみがあまりに強烈で、そういう時には、なんらかの方法で誰も助けることができない状況が作られてしまうのだそうです。警察が親身になって助けてくれたら、そんな異常現象は起きなくなるのが『自然の法則』だからだそうです。だからといって、今後、そういう人がいたときに、放っておけという意味ではありません。

 

とにかく、そんなわけで、神様に声をかけられるまでの2年半ぐらいは、仕事は完全にストップ、水は買って飲む。シャンプーやリンス、食料などは、留守中に変なものを入れられないように、できるだけリックに入れて持ち歩く。電車に乗るとおかしな人達につきまとわられるので、常に車で移動するという生活を強いられました。結局、5年間ぐらい、東京にいてもまったく電車に乗れない生活をしました。

 

神様は6年前に私に声をかけられるとすぐに、「コンピューターにさわってはいけません!」と言われました。他人の私に対する「お前にソフトを開発してほしくない!」という願いがあまりに強くて、総合結論が「作らせない」と出ていたために、「なんらかの手段で、ソフトを開発できない状態が作られねばならない」という状態だったのだそうです。だから、私が必死にソフトを開発しようとすると、ヴィールスでもしかけられたかのように、コンパイラがおかしな動作をする。なんとか原因を突き止めようと努力し、コンパイラをなだめすかして頑張っていると、今度はおかしな匂いがして、フラフラになって止めざるを得なくなる、画面が崩れ始める、といった現象が起きたのだそうです。

 

神様の御話では、水道の水を飲めない、食べ物の買い置きができない、等々の異常現象は、エネルギーレベルが「死線を下回った時」に起こる現象なのだそうです。ライフラインが断たれるようなもので、まともな生活ができなくなりますから。そして、そういうエネルギーレベルでは、ありとあらゆる嫌なことばかりが起こるのだそうです。実際、「信じられない!」と叫びどうしの数年間でした。

 

そんな悲しい低エネルギーレベルの時でも、人によっては入院して点滴で生活するという選択もあるのだそうですが、私には適さないことが多々あったので、私の因果情報に合わせた地獄の生活が展開していたのだそうです。私は「病気、怪我、手術、なんてとても耐えられない」と強〜い恐怖心を持って生きて来た人間なので、なんとかそんな目に合うことを避けられたのは、不幸中の幸いだったと今も思っています。ですが、この8年近い異常な生活は、まったく言語に絶する悲惨な生活でした。

 

それがみな、他人の憎しみ、嫉妬によって引き起こされたものなのだそうですから、まったくもって、争いには未来永劫巻き込まれたくないものです。

 

人間の常識を覆す(くつがえす)体験は、ほかにも様々ありました。神様に声をかけられて間もない頃、両親と3人で山の中の狭いデコボコ道をドライブしていたときでした。片側は崖です。突然神様が、「私が運転しますから、あなたは上を向いて、運転しているふりだけしなさい」とおっしゃったのです。恐くてとてもそんなことはできない、と思ったのですが、何度も、「上を見なさい!」とおっしゃるので、「なむさん!」という感じで上を見上げました。そしたら、あ〜ら不思議、空を飛んでいるように、何事もなく走り続けたではありませんか。この体験が、「自分に話し掛けている声がほんとうに神様のようだわ」と信じ始めたきっかけでした。

 

私に起こった様々な異常現象は、私が一人暮らしをしていたために起こり得たことが多いのだそうです。近代科学の信奉者がもう一人一緒にいたら、2人が「信じている」ことが現実になる可能性が激増するのだそうです。人はたいてい大勢の人とお付き合いをして暮していますから、そうした人と人との絆による「常識の補強」が強力で、異常現象が起きにくいのだそうです。私が悲しい生活をさせられたときには、遠くに住む両親以外とは、全ての交際が断ち切られ、孤立状態にさせられました。現代社会の常識を持って生活している人々との関係がほとんど断ち切られることが、異常現象が起きるために必要だったのだそうです。

 

 

 

超能力の実験は信じる者のみを集めてするのが正しい方法

 

 

先日、神様のお導きでテレビをつけたところ、テレビ朝日で「透視」実験の番組を放送していました。あの種の番組では、何年も前に見た時もそうでしたが、たいていスタジオには強力な「反超能力者」がいました。「超能力」とか「超自然現象」なんて決してない!と強く主張する人です。『この世のシステム』では、「超能力なんてない!」と信じることは、「超能力なんて、あってほしくない!」という願いの最高レベルに強烈な状態ですから、そういう人がその場にいたら、「超能力」が現実になることを強力に押えることになってしまいます。そういう実験やデモンストレーションは、信じる人々だけを集めて収録することが、最高の成果をあげる方法なのだそうです。

 

実は、神様は、「私に話し掛けてくださっている声がほんとうに神様であり、本当に人類に愛の国を作らせてあげようと思って準備して来られたのだ」ということを人類にデモンストレーションできるように、私をお導きくださって来たのだそうです。これまでの私の生活や、この1年半ぐらいの間に書き記したこと(ファイルブック6冊以上)にも、神様のおっしゃること、この世の成立ちを説明することがたくさんあるのだそうですが、今後、もっと明確な形の『神様の証明』を人類に見せてくださるのだそうです。人類のみなさんが私の言う神様を信じてくださらないことには、私がいくら「神様がこうおっしゃっています」と訴えても、動いてくださる方が少なすぎるからです。デモンストレーションできたら素晴らしいと私も思いますが、どうやってそんな難しい証明を実現できるか、現時点では、まだ私にもよくわかりません。これまでどおり、神様のお導きに従うのみです。

 

 

 

科学と宗教が一つになるとき

 

別紙「「思いつく」「わかる」と言う現象」という文書で、人が何かを思いつく、わかるという現象は、『この世のシステム』のデータベースから、願いが叶うために必要なデータが引き出される現象なのだという説明をしました。

そういう意味で、聖書であれ、神話であれ、中に書かれていることは、人が発した「疑問」や「質問」に対する答だったり、あるいは、何らかの「願い」を叶えるために、そのとき、その人が必要としていた情報だったのだということがわかりました。例えば、聖書には誰々が400歳で死んだとか、500歳で死んだ、などということが書かれているそうです。それは『この世のシステム』では、まったく当たり前に起こりうることで、なんの不思議もないことなのだそうです。

 

そういうわけで、宗教界の方々は、何千年という間、たいへんな量のデータを『この世のシステム』から引き出されて、自分達の常識の世界を構築し、生活して来ました。ただ、社会の大勢がこの300年あまり近代科学信奉だったので、勢力の小さい宗教界の人々や、超能力の世界の人々の「思い」や「願い」は、一部の仲間達の間だけで共有され、一般社会では潰されてあまり現実に反映されずに来ました。

 

私も神様に声をかけられる前は、近代科学オンリーの人間だったので、神様に伺ったことは何から何まで目からウロコの「信じられな〜い!」という思いのことばかりでした。ところが、神様のお導きで出会った数人の神様の話に詳しい人達や超能力の世界の人達にとっては、私の話すことの多くが「We all know it.」という(たぐい)のことのようなのです。もちろん全てではありませんが、同じような情報をたくさん入手しているという意味なのだそうです。

例えば、私は神様に、「近い将来、体が宙に浮かぶ(年末頃かしら?と勝手に想像しています)」ように御導き頂いています。神様の御話では、「誰も私に憎しみをぶつけなくなったときに、私の体が宙に浮かぶのだそうです。」「鬼」の状態にある人間と「神様」の状態になった人間(別紙「人類が鬼から神様になる時代」を参照してください。)を区別するのにとても良い変化なので、それを『愛の世界造り』のスタートにする、と神様が6年前からおっしゃっておられます。この6年、そんなデビューに向けて準備をして来ました。『神様がこの世の中をどんなふうに創られたか?』、だから『人類が幸せになるためにはどうすればよいか?』を神様のスポークスマンとして人類や他の生き物に伝えるためです。

 

驚いたことに、体が宙に浮くなどという話は、神様を語る人々、超能力を探求している人々にとっては、ちっともおかしな話ではなく、当たり前のことのようなのです。一昨日、六本木の国際文化会館で、そういう方々らしい人々の集まりに誘われましたが、いまだ私のエネルギーレベルがそういう集会に出席するには足りない状態にあると神様に言われ、出席はしませんでした。ところが、その集会の時刻、たいへんなエネルギーが飛んで来て、今にも体が浮くのではないかという感じがしました。その人達のことを考えると起こる効果なのか、向こうが私の噂でもしたのか、それはわかりません。でも、あそこが原因のようだと感じました。

 

1年ほど前には、神様のお導きで、自分でヒーリングをしてガンを治してしまったという人にも会いました。その方はテレビなどで知られているピラミッド関係の方々と親しくされている方で、ピラミッド関係の方々がアッセンション(昇天)を目指しておられるなどという話も、その時その方から伺いました。その後は、『自然の法則』上の様々な問題があって、会っていませんが、私同様、アッセンション(昇天)を成功させたいと準備して来られているそうですので、そのうちお会いするのかもしれません。それは現在の私にはわかりません。

 

いずれにせよ、『この世のシステム』の裏側で近年大きな勢力を築きつつある「願い」が、「幸せになりたい!」「神様たすけて!」という人類の願いなのだそうです。神様の御話では、「せめて同じ仲間である人類ぐらいは、みんなが幸せに暮せる方が良いに決まっている」と考えるレベルに『愛の心』『愛の常識』がアップしたときに、神様がその人達を助けることができるように、この世界は創られているのだそうです。そういう条件を現代の人類はクリアしているのだそうです。それで、必ず、神様に助けていただける道が開けて来るのだそうです。

 

この10年ぐらいの間に、日本では宗教界の人々の社会での勢力が少しずつ少しずつ増大しています。最近、本屋に並ぶ宗教関係の本が増えているのに驚かされました。雑誌や新聞にも、そうした記事が増えています。私は英文の雑誌や新聞を購読しているせいか、特に感じます。こうした宗教界の方々の記事や写真の増加は、『この世のシステム』の裏側で起こっている「幸せになりたい!神様、助けて!という願い」の強さを反映しているのだそうです。日本でも、ヨーロッパでも、アジアでも、この10年、大勢の人々が悲しい思いをさせられました。そんな人々の救いを求める悲しい叫びと、長年、社会の主流に潰されて悲しい思いをさせられて来た人々の願いが合流して、現実を動かす大きな力になって来ているという意味なのだそうです。

 

『この世のシステム』では、大きな願いほど、叶うのに時間がかかります。これまでに解説していただいた私個人の出来事にしても、5年、10年、15年という感じで、願いを叶えるための物事が展開して行きます。「幸せになりたい!」という人類の願いは、ほんとうは人類が誕生した時からあるものなのかもしれません。

 

神様がこれから人類にさせたいと考えておられる『愛の世界造り』は、西洋の方々が長年願って来られた『Promised LandCreation』や『永劫回帰』と同じことのようです。それは、近代科学信奉者の愛の「思い」や「願い」も、宗教界の方々や超能力を探求されて来られた方々の愛の「思い」や「願い」も、最大限有効に活用して、みんなで作る『愛の世界』なのだそうです。

好むと、好まざるとにかかわらず、この世界は、全ての生き物の「思い」や「願い」で作られているのだそうです。そして、この世に悲しんでいる生き物がいなくなるとき、人類もはじめて悲しみから解放されて最高に幸せに暮せるようになるのだそうです。それには、願いで潰し合い、殺し合いをするのをやめ、「みんなが幸せになれる道が開けますように!」と祈るのが良いのだそうです。祈りの強さ分、そうなる方向に全ての物事が進展して行くのだそうです。みんなで、素晴らしい『愛の世界造り』を始めましょう!

200048日(土曜日)黒田敦子

 

 

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