貯金通帳

 

 

人の生活は基本的にその人の“好み”によって構築されて行くのだと神様はおっしゃいます。ただ、どの程度パワーがあるかで、どの程度その人の好みが現実になるかが変わるのだそうです。巨大なコンピューター システムのようなものだ、と神様がおっしゃる『この世のシステム』には、全ての生き物が親から引き継いだ因果情報と、生まれてから現在に至るまでに考えたこと、感じたこと、夢見たことなど、知覚したすべての情報と、言ったこと、したことなど(まとめて因果情報、履歴データという)が蓄えられている形になっているのだそうです。

 

パワーとは外界に放出した愛の量である

 

『この世のシステム』では、パワーとは、その人が『外界にどれだけ愛をそそいで来たか』で決まるのだそうです。『この世のシステム』が、各生き物ごとに、知覚したすべての対象物に対して『愛の貯金通帳』というものを記録しているのだそうです。「あら、あの人素適!」と思ったとすると、その人に対する『愛の貯金通帳』には「素適!と思った」という記録が入るのだそうです。「素適!」に込められた「プラスの思い分」だけ「プラスの愛」で、「素適」という「種類」のエネルギーなのだそうです。もっと簡単に説明するならば、「うわー素適」と思ったらエネルギーレベル100、「ちょっと素適」なら20というように、「度合」や「種類」が細かく正確に記録されているのだそうです。

 

「生き物」でも「物」でも、抽象概念でも、より多くの対象物に、より多くの愛を注いだ人が、より大きな『愛の貯金通帳』の合計額を持ち、その『愛の貯蓄』を使って、あたかも「お金でほしいものを買うように」、自分の願いを叶えてもらえる構造になっているのだそうです。

 

『この世のシステム』では、愛する、好ましいと思う、というようにプラスの感情を持つことばかりでなく、労働、学問、研究、その他の活動も、全て対象物や人に対する愛の放出になります。行動が伴うとき、単なる好意よりもはるかに強いエネルギーをその分野や対象物にそそいでいると言えます。たとえ嫌々やった仕事でも、その奉仕分は対象物への『愛の貯金通帳』にそのまま記録されているのだそうです。

 

次に、人が願いを発したときに、どんな『愛の貯金通帳』がプラスだと願いが叶うかを簡単に見てみましょう。ある人が歌手になりたいと思ったとします。そう願っていると、たいていの場合は、すでに活躍している歌手に「素適だな〜」という尊敬の愛、憧憬の愛をたくさん送っているのが普通だそうです。歌手として成功するには、歌手に愛をそそいで、歌手との『愛の貯金通帳』をプラスにするだけでは足りません。伴奏をしてくれるミュージッシャン達に対する『愛の貯蓄』もたくさん必要です。レコード会社の方々に対する『愛の貯蓄』、楽器やレコーディング スタジオに納められている様々な機器を製造してくださっている方々に対する『愛の貯蓄』、コンサート会場を使わせてもらうのに必要な『愛の貯蓄』、それに、ファンとして将来自分を支えてくれることになるであろう方々に対する『愛の貯蓄』も必要といった具合に、本人が意識しない膨大な関係者や物に対する『愛の貯蓄』が必要になるのだそうです。

 

『この世のシステム』では、「レコーディング スタジオ!初めて見るけどすごい!」と思えば、その人が知覚したように「レコーディング スタジオのその時の有様を支えている人々」、「知覚した個々の機材」「そのスタジオ」等々に対する『愛の貯金通帳』に、プラスの感情が正確に記録されるのだそうです。「アメリカ人」と思えば、それだけで、その時持った「イメージ」、「思い」が、アメリカ人全員に対する貯金通帳に記録されるのだそうです。そんなふうに、ことさら意識して愛を注いだことがないとしても、長年知っているものに対しては、たいていは膨大な量のデータが書き込まれているのが普通なのだそうです。良い印象を持って来た人々と、悪い印象を持って来た人々では、長い間には『愛の貯蓄の額』が相当に違って来るのだそうです。いずれにせよ、自分の願いが叶うときには、必要な『愛の貯蓄』はすべて足りているのだそうです。

 

 

他人の『愛の貯蓄』の間接利用

 

 

『愛の貯蓄』は自分が直接そそいだものばかりでなく、他人に愛をそそいで、そのそそいだ分を、他人の『愛の貯蓄』から利用させてもらうという間接利用もできるのだそうです。ですから、願いを叶えてもらうために必要な「関係者」や「物」に対する『愛の貯金通帳』がすべてプラスでなくても良いのだそうです。

 

例えば、「親の七光り」などというのが、その例だそうです。親にそそいだ愛の分だけ、親の『愛の貯金』を利用して、親が労働奉仕している団体の恩恵を受けたりすることができるという現象です。

 

かつてマッカーサー元帥が日本を統治するのに用いた手法も、『愛の貯金通帳』の間接利用の典型なのだそうです。アメリカと日本は互いに殺し合いをさせられた仲ですから、たいていのアメリカ人の日本人に対する戦後の『愛の貯蓄』は極度のマイナスだったのだそうです。そんな時には、アメリカ人が日本に入って来て直接統治しようとしても、身を守るのが大変なのだそうです。『愛の貯金』がマイナスの人達からは恩恵を受けられないのが『この世のシステム』の構造なのだそうす。接触するほど損をする。接触する日本人の「悲しみ」と「憎しみ」の分だけ、アメリカ人に「被害」が出るのだそうです。ただ、そうした被害も通常は緩慢に時間をかけて広がって行くので、自覚症状はない場合が多いのだそうです。戦後の日本の奇跡のような復興も、対する80年代までのアメリカ経済の沈滞も、そうした効果が現実化されたものだったのだそうです。

 

そうした『愛の貯蓄』が極度にマイナスの人々と接触しなければならなかったアメリカの方々が取った方法が、懸命に相手に愛を注ぐこと、そして、アメリカ側の被害をできるだけ少なくする方法として、昭和天皇や当時進駐軍が接触した日本のリーダー達が持っている日本国民に対する『愛の貯蓄』を最大限有効に活用することだったのだそうです。当時、日本には“命をかけるほど”天皇を「尊敬していた」人が大勢いましたから、日本国民と天皇の間には強い“愛の絆、愛のパイプライン”が出来上がっていました。マッカーサー元帥は、昭和天皇の日本国民に対する『愛の貯蓄』を最大限有効に利用して、可能な限り被害を小さくして日本を統治した形になっているのだそうです。

 

マイナスの貯蓄を補うための『愛の貯蓄』の間接利用は、アプローチを考える場合にはとても重要なことなのだそうです。ただ、『この世のシステム』は『願い続けるだけで、その願いが叶う方向に物事が進んで行く』ように創られた、至れり尽くせりのシステムですから、「願い」があると、その時その人が置かれた立場から、どんなふうにして必要な『愛の貯蓄』を作るのが良いかという最善の道が自動的に割り出され、『愛の貯蓄』の間接利用のための「出会い」が用意されるので心配は要らないのだそうです。本人は出会う人や物に対する『愛の貯蓄』をできるだけプラスにするように心掛けて行けば良いのだそうです。

 

 

出会いは神様の愛の計らい

 

そういう訳で、願いを叶えるように創られた『この世のシステム』では、「出会い」はとても重要な意味を持っているのだそうです。神様の御話では、『この世のシステム』では、「願い」は『愛の貯蓄』を持った「人々」との出会いと、そういう人々の愛の結晶である「物」との出会いを通して実現される構造になっているのだそうです。

 

例えば、ある人が「弁護士」の資格を取りたいな〜と考えていたとします。通常、その人はまず必要な法律の本を買うか、誰かにもらうか、するはずです。それは、法の分野に愛をそそいだ人の愛の結晶である本という物を入手する現象です。大學で法律を専攻する、法律の専門学校に行くというのは、その道に愛をそそいで来た大先輩である先生から、その道のプロになるために必要な愛のエネルギーをもらったり、その先生の『愛の貯蓄』を間接利用して願いを叶えてもらえるように、『この世のシステム』が用意するオーソドックスな道なのだそうです。学校へ行くなどということは、本人が目的意識を持って実行することですが、『この世のシステム』では、自覚していない出会いも、願いを叶えるためにシステムが用意する必然的な出会いなのだそうです。例えば、久しぶりに友人宅のパーティに呼ばれて行ったら、中に弁護士さんが居て話がはずみ、親しくなったとか、建築会社で働いていたら、偶然弁護士さんのオフィスの改築が担当になって、弁護士さんと親しくなったなどということが起こるのだそうです。神様が何を考えてそんな出会いが起こるようにこの世界を創られたかというと、『その出会った弁護士さんに尊敬の愛をそそいで、弁護士になるために必要なエネルギーや愛の貯蓄をもらいなさい』という『愛の計らい』なのだそうです。一件偶然のように見える出会いも、『この世のシステム』では、全てが必然であり、偶然は一切ないのだそうです。

 

『この世のシステム』は、『そそいだ愛の分だけ相手の恩恵を受けることができる』ように創られているのだそうですから、出会いのチャンスを最大に生かすには、相手に最高の愛を贈るのが良いのだそうです。出会って、「すごいな〜」と感心した分だけ、相手に対する『愛の貯蓄』がどんどん増えて行き、たくさんの恩恵を受けることができ、発展するのだそうです。また、相手が有力者であればあるほど、大勢の人に対して『愛の貯蓄』を持っているのが普通ですから、その人に愛をそそぐだけで、たくさんの対象物や人に対する『愛の貯蓄』を間接利用できることになり、どんどん自分の願いを叶えてもらえる道が開けるのだそうです。それがパワーを持っている人との出会いがもたらす、人間があまり自覚していない効果なのだそうです。

 

ただ、現在のように憎しみ、悲しみのエネルギーが蔓延した愛のエネルギーがマイナスの世界では、「他人の不幸の願いを実現するための出会い」も多々あるのが現実なのだそうです。そんなときでも、最も効果的に他人の「不幸の願い」に傷付けられるのを回避して、被害を最小に食い止める方法は、「相手の幸せを願うこと」「相手を尊敬すること」「相手を愛すること」なのだそうです。「不幸の願い」でくっつけられる相手とは、喧嘩をしやすく、軽蔑したり、見下したりしやすいものなのだそうです。『この世のシステム』では喧嘩をしてお互いに憎しみをぶつけ合うことが「不幸になること」だからです。喧嘩まで行かなくても、見下したり、軽蔑したりすれば、相手との『愛の貯金通帳』にはどんどんマイナスが記録され、それが幸せになるための「足かせ」「手かせ」になってしまいます。どうにも嫌いな人とは接触しないのが救われる道なのだそうです。

 

人は「願い」のゆえに、別れと出会いを繰り返しているのだそうです。「不幸になれ〜」という憎しみをぶつけられて、愛し合う者達が別れさせられることも多々あるそうですが、一緒にいたらお互いが大切にしている生活を守ることができないために別れざるを得ないというケースも、多々あるのだそうです。「死」もそういうケースの一つなのだそうです。『この世のシステム』では、人がお互いの願いが叶うのを邪魔し合わないならば、別れはいらないのだそうです。人は、その時、その時、最も楽しく過ごせる人と時間を共にするのが理想ですが、知り合いは、その時一緒にいないからといって、その人にとって永遠の宝であることに変わりはありません。また、「会いたいな〜」と思うときに会うのが良いのだそうです。私達の世界では、一緒に楽しくお話をする、親睦を深めるという行為も、楽しいときを共有するという最高に意味のある「願い」が叶うことです。完全に別れなければならない関係というのは、少なくとも片方は「相手を傷付ける願いを持っている」という意味なのだそうです。相手の幸せを心から祈り、祝福できる人間関係を増やして行きましょう。

 

200047日(金曜日)黒田敦子

 

 

 

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