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函館/昭和30年頃
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human1 主婦 2008/08/02 16:17:28
[No.10]「女子高生コンクリート詰め殺人事件」
「女子高生コンクリート詰め殺人事件」を考えてください。
     事件詳細:http://www8.ocn.ne.jp/~moonston/lynch.htm 

少年2人(横山裕史/当時は宮野と湊伸治)が、東京都足立区綾瀬で、
夜8時過ぎアルバイトから帰宅中の女子高生を誘拐し、湊の自宅に
40日間も監禁しました。少年らは仲間とともに女子高生に乱暴し、
全裸で踊らせたりしました。彼らは、女子高生が逃げようとすると、
上半身を裸にしてオイルを塗って火を着け、彼女が泣き苦しむのを
笑い転げたそうです。殺害された彼女の遺体は栄養失調、全身ヤケド、
肛門などに瓶が2本も刺さり、乳首が溶け落ちていました。
少年たちの服役期間は6年程度で仮保釈されました。

横山 裕史(旧姓=宮野):S45年4月30日生 身長160cm
     平成19年5月に 川口市蓮沼298メゾンハイビス201
湊 伸治:S47年12月16日生 http://d.upup.be/?tHxICi3k1U 
    平成19年春まで寝屋川市で福祉の仕事、関東に移る?
    平成18年の秋リュヒテンシュタイン人(?)と結婚
渡邊 恭史:S46年12月18日生
     横浜市? 生活保護 姉夫婦と同居 母親=渡邊ヤス
相田 孝一(旧姓=垣東):S47生、妻と娘2人
    平成18年に長女が中学入学、このとき離婚し直ちに再婚
    妻の旧姓(相田)に改姓。 次女は来年小学校入学の年頃
神作 譲(旧姓=小倉):S46年5月11日生 再犯して服役中
湊伸治の家族 = 湊 靖人(父70歳)、湊 ます子(母69歳)
        湊 恒治(兄、S47年1月21日生)

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human5 洋梨 2008/05/29 10:50:54
[No.9]函館の風景に感動しました♪
検索の旅で偶然コチラにオジャマしたら、函館の風景が満載で、
とてもコーフンしました。どうもありがとうございました!!
また函館にいらっしゃる機会がありましたら、ぜひ
ご一報下さい。

http://younashi.cocolog-nifty.com/
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human4 名無しさん 2007/11/24 11:48:52
[No.8]洗濯機
学校(小学校)で、洗濯機について調べています。
40代前半のお父さんお母さんが生まれた時代の洗濯機
ついて...教えてください。

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human1 スミダガワ 2006/03/22 20:26:28
[No.7]S30代の思い出
冬の函館の 生活は 懐かしいですね 木札の百人一首もう
半世紀前の思い出 丸井デパートも随分買い物に 通った
物です 当時は人通りも多く商店街も賑やかな時代
自分の家は棒ニ森屋の近くなので此方の方が多かった
のですが 当時は デパートが2軒しかなく 中高生時代
サイカ出来たような気がします あの頃が函館の景気の
よい時代だったのでしょうか 30年代の初めは TVなど
家電製品は 神器 神の使う器と言われ庶民の手の届く
物では在りませんでした 中学校の卒業記念にTVを 贈る
話が在り話題に成った気がします midyさんのHP 何時も
見ているkodamasuさんの 掲示板から来ましたmidyさんは
自分と同じような年代みたいですね 函館は2〜30年代の
思い出が詰まっている街 たまには帰って見たいものです。

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human1 midy 2005/01/23 15:14:05
[No.6]花札
「花札」と言えば何気に危ない雰囲気ですが、
北海道(いや函館だけかな?)ではけっこうポピュラーな遊びです。
かっては「花歌留多」とも呼ばれていたようですから
全国的にもポピュラーな存在だったのでは?

遊び方はいろいろのようですが、我が家の遊び方は
「とっぱ」と呼ばれるものでした。
花札には「侯」札、「丹(冊)」札、「空(から)」札などからなり、
集めた札により「四侯」「五侯」「花見」「月見」「猪鹿蝶」、
「赤丹」「青丹」「七丹」などと役があり、
集めた得点で勝負を争うと言うシンプルな遊びです。
参加者に5枚づつ配り、場に5枚、残りは山と称して
真ん中に置きます。
ゲームの進行はトランプのページワンに似てます。
手持ちの札と場の札の同じ絵柄を合わせて取り、
同じ絵柄がなければ「吐き」として札を一枚捨てます。
札が無くなったところでそのゲームは終了。
集めた札で何役作れたかで勝負を決めます。

勝負はまず座布団を敷き、その上でやりますが
花札の紙質の硬さを利用し、合った札を取る時に「パチ〜ン」と
快い音を出すのが「かっこいい」のです。
運だけでなく、どの札を先に取るかの上手い下手で勝負に差が出ます。

百人一首と違って勝負が早いので、
子供同士で、親も入ってワイワイガヤガヤ楽しむのです。

今時のTVゲームやPCゲームと違って、みんなで楽しめる、
親が子供においていかれると言うことがないので
冬場の室内ゲームとしては面白いと思うけど、
今の時代のように夕食が済んでしまうと、
子供も親も部屋に籠ってしまう時代では難しいんでしょうね。

何度やっても勝てない弟が癇癪を起こして、
兄貴が不得意な将棋盤を持ち出してきたり、
6歳も年下の妹にボロ負けして悔しがったり、
父の大勝ちに母が「大人げない」と諌めたり、
家族のコミュニケーションの場でもありました。

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human1 midy 2005/01/16 17:28:16
[No.5]お正月 5
お年玉もって、丸井さんで上品なおもちゃを買った後は
近所の駄菓子屋で普段着の、と言っても普段の小遣いでは買えない
ちょっと値の張るおもちゃを買う。

お正月の一番人気は・・・、紙巻き火薬で鳴らす「ピストル」。
これはロール状の紙に火薬が仕込んであって、
連発でパンパン鳴らすことが出来るのだ。

得意げに腰のベルトにピストルを差し込んだ悪ガキが
数人集まれば、二手に別れて「戦争ごっこ」。
今の親なら目を剥いて怒りそうな遊びである。
一方のチームが出ていって「100」数えたら残ったチームが
それを追いかけ、見つけると物陰に隠れながらパンパンやり合う。
そうは言え、弾が飛び出すわけではないので、やたら打ち合うだけ、
どう言う約束だったのか忘れたが、時々弾に当たって死ぬことになってた。
んで、「10」数えると生き返られる。
その時素早く数えるため唱えるのが「だるまさんがころんだ」。
小さい頃はなぜだか分からなかったが、
これが丁度「10音」。だから10数えたことになるのだ。

こんな遊びを真剣にやってた。真剣だから、けっこう無茶もする。
いくら下は雪だと言っても小学生が高さ3〜4mの石垣を飛び下りたり
登ったり、樋を登って屋根に上がったり、下りたり。
道路を横断している下水道をトンネル代わりに這いつくばって潜ったり。
当然、着ているものは雪でべちゃべちゃ、泥でドロドロ。

昭和30年前、我が家に洗濯機があったのかどうか記憶にないが
遊び終わって帰ってくると、「またこんなに汚してきて!」とおふくろに叱られながら
上から下までお取り替え。
洗濯物がストーブの周りいっぱいにぶら下がる結果となる。

そして、夜はお待たせ「百人一首」。
暮れにもやらないことはないが、やっぱり「お正月」の百人一首は特別。
兄弟姉妹6人が二組に別れて「ご対面〜〜ん!」
年下の妹には「かな札」を配るなどの配慮をし、
「むずかしい札」は年上の姉を頼りにし、
父と母が交代で読む「読み札」に熱い戦い!
バガーマンさんも書いてましたが、これがドンドン熱くなって、
喧嘩寸前まで盛り上がる(当時は盛り上がるなんてのんきな感じではなかったけどね)

ひと勝負終わると、勝った方は取った札を積み上げて、
ミカンを食べながら勝利に酔い、負けた方はリベンジを期して
すぐ次の勝負を挑んでくる。
親がもう今日は遅いから寝なさい!と言われるまで何度もやるのです。

次回はお正月のもう一つの楽しみ「花札」について書いてみよう。

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human1 midy 2005/01/12 18:15:12
[No.4]お正月 4(初荷/初売り)
ドンガンドガラガッタ!ガンガンガン!
正月2日は朝から賑やか!
なんたって「初荷」だからトラックに人がいっぱい乗って
石油缶ガンガン叩いてお得意さんに初荷を届けるんだ。
そんな中で米屋に来る初荷は馬車。
シャンシャンと鈴鳴らしながら雪の道をやってくる。
俵の上には「初荷」と書いた赤い旗が揺れてる。
子供ながらに「こっちの方がいい!」と思ったりもしたが、
お賑やかな方はいろいろ配りものがある。
子供も意識してるからお菓子を配るところ、みかんを配るところ、
大人には手ぬぐい。
我が家の付近を通る頃には荷台の人も、運転手も赤い顔。
いい時代だったんだと思う。
今ならたちまち御用だ!それに荷台に乗るのだって警察の許可がいる。

業者が初荷なら、お店は「初売り」。
十字街の丸井さん、今日ばかりはついて行くだけでなく、
自分の欲しいものを買える。はず。
お年玉しっかり握った子供に、
しょうもないものを買わないようにとお目付役
兼付き添いのお母さん。
今みたいにど派手ではないけど「福袋」も既にあった。
子供がおもちゃに夢中になってる間に母が衣料品の福袋を買ってたようで、
本来なら無駄になるはずのものも、兄弟姉妹6人もいると
なんとか無駄なく割り当てて、確かに安上がり。
子供たちは目移りしてなかなか買えない。
暮れからこっち、あれこれ考えて決めてきたはずなんだが、
いざ買う段階になると迷う、迷う。
正月にコマ買って、雪の上では遊べないと半べそかいてる奴も出てくる。
ほんとのこと言えば、デパートで買うより、
近所の駄菓子屋で売ってる大人から見れば「いかがわしい」おもちゃの方が
すぐ欲しいものなのであるが、持ち金より少し休めのものを買って、
残った小銭で駄菓子屋へ行くのが「お正月」のお買い物。
結局ゲーム系が多かったな〜!
といってもせいぜい「コリントゲーム」「ダイヤモンドゲーム」
「手品の道具」など、すぐ飽きて放ったらかしにするようなものを
見栄えに惑わされて買ってた。
母は「本とか買えば?」と言うのだが、「少年」「少年画報」
「冒険王」「少年クラブ」「おもしろブック」位しか読まないんだから
こんな時にわざわざ買うことはないのだ。

正月5に続ける

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human1 midy 2005/01/09 23:37:25
[No.3]お正月 3
昭和30年当時、「初売り」は2日からと決まってたから、
逆に年賀客は元日に集中する。
特に父が長男だった関係もあるのか、朝から親戚の叔父、伯母、叔母、従兄弟、
会社関係と引きも切らずやってくる。
父は酒を飲まない人だったので、普段は家には酒はほとんどない。
正月前に母が特別に買い込んでおくのだが、
ある年買い忘れてしまった。
年賀の叔父が来てお酒が無いのに気が付いて、
急きょ「白倉酒店」に買いに行かされた。
酒屋といえども元日は休みである。店が閉まってて
「さぁ、どうしたものか?」と思ったが、
母の慌てぶりが脳裏にあったので、裏の居宅の玄関に回って
事情を説明し、買ってきた。
自慢じゃないが普段から買い物の手伝いをさせられてたので、
この辺の対応は子供ながらできたし、酒屋も嫌な顔せずに
売ってくれた辺りは函館人の人の良さか?

子供たちにとって「年賀客」=「お年玉」である。
年賀客の度に二階の自室から、
ご挨拶と称してゾロゾロ子供たちが降りてくる。
今思うに、当時我が家に来る客は気が重かったろうな〜!
なんせ兄弟姉妹6人分のお年玉を用意しなくてはならないからだ。
客が帰った後、母は幾らいただいたかチェックしてた。
「なんで?」と思ってたら、後でお返しする時に総額近い金額を
客の子供たちにお返ししなきゃいけなかったらしい。
言ってみれば子供たちのお年玉は全部親が出してたようなもんなんだ。

お正月の間の昼食は来る日も来る日も「お餅」。
焼いて、醤油をつけて海苔で巻いた磯部、きな粉餅、
豆餅(黒豆入り)、よもぎ餅、胡麻餅、
搗いた餅自体にバラエティがあったので、日替わりで色々食べた。
豆餅などは「ナマコ」と呼ばれる形で、蒲鉾をもう少し潰したような形。
そんなものだと思ってたが、東京へ出てきて見たことないから
北海道独特のものなんだろうか?

大体、昭和30年代後半に東京で自宅で餅つきする家なんて
なかったからかも知れない。

昼食が済むと家の中にいるのも飽きて外遊び。
雪があれば「雪スケート」「竹滑り」「橇」。
暮に作った「雪のお城」が残ってれば、みかんを持ち出して
その中で食べることもある。

「みかん」と言えば、当時の函館で最高なのは「有田みかん」。
普段は静岡産だが、お正月は奮発して有田の箱買い。
(ま、みかんは大体箱買いだったけどね)
荒縄で縛った木箱は子供心には豪勢に見えたものです。

そうこうしているうちに元日も日が暮れてくる。

お正月4に続く

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human1 midy 2005/01/07 16:33:53
[No.2]お正月2
一夜明ければ「お正月」!
昨夜遅くまで起きてたのではやの中はまだ温かい。
今と違って「貯炭式石炭ストーブ(福禄ストーブ)」
だったから、ダンパーを上げ、空気取り込み口を開ければ
徐々に火力も強まって部屋が暖まってくる。

その昔は朝起きたら、まず灰を取り、
新聞を丸めた上に薪を乗せ、その上に少しの石炭を乗せて
火をつける。
この間火の気はなく、起き抜けの体がシンシンと冷える。
少し燻りながら石炭に火がつき暖まった頃みんなが起きてくる。
部屋を暖め、洗顔のためには湯沸かしのお湯が温まらなきゃ出来ないので、
朝のストーブはガンガン焚く。
石炭籠に石炭を足すために外に出て、ついでに雪かき。
一汗かいて部屋に戻れば、母と姉たちが朝ご飯の用意を済ましてる。

さて、お正月。
年末に用意してあったおせちとお雑煮。
子供につきお屠蘇はない。

ここで我が家のお雑煮
「角餅を焼かずに汁の中に入れる。
汁は鶏ガラで取った出汁に醤油で味付け。
具は鶏肉、笹掻きごぼう、ナルト、ねぎ、三つ葉といったところだったような。
この日だけはいつもの汁椀より少し大ぶりの椀に餅二枚。
お代わりは1杯だけ。餅4枚食べたことになるから
丁度いいことになるけど、当時はもっと食べたかった。
おせちはそう変わったものが出るわけではなく、
黒豆、きんとん、氷頭膾(鮭の頭を刻んだものDHAがいっぱい?)、
昆布巻き(身欠きニシン入り)、数の子、鮭飯鮨、出し巻き、蒲鉾、
煮しめ、樽開けした漬物(大根の鉈付け、魚漬け(鮭、ニシン、タラ、するめ等)、
枝豆、沢庵、茄子、キュウリ、白菜、赤かぶ等々の内どれか)
田毎はなく、ワカサギの佃煮?だったような。
元日だけはお重にきちんと入ってるが、二日からは丼や皿だった。
なに、こっちは量さへあればそんなこと構っちゃいないわけで、
親は苦労して作ったのに・・・、だったべな。

朝ご飯が済むとお年玉もって玩具でも買いに行きたいところですが、
この時代、元日に開いてる店なんてある訳もなく、
年賀の客が来るからと座敷を汚しちゃいけないから
子供たちは二階に上げられる。

お正月3に続く

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human1 midy 2005/01/06 10:41:14
[No.1]お正月
函館のお正月は大晦日の「歳取り」から始まります。
当時は「数え」で年齢を数えてましたので、
大晦日をもって歳をとるのです。
「数え」ですから、生まれたらすぐ1歳です。
だから昔は「0歳児」はいなかったわけで、
「歳は?」って訊かれると「数えで○歳、満で×歳」と
答えていたもんです。

さて、その歳取り、大きな銘々皿にいろんなものを盛り込みますので、
当日は卓袱台を二つ並べての大宴会?です。
お皿には「押し形で作った(落雁のような)彩り鮮やかな鯛」
「羊羹」「紅白蒲鉾」「きんとん」「茶巾風の混ぜご飯」
等々盛りだくさんで、別に「茶わん蒸し」と「焼き魚(なんか白身の魚のことがおおかった)」
その他におせち用に作ったのだろう、「昆布巻き」や「たらこ入り膾」等
二つの卓袱台の上がいっぱいになる位並んで、
食べ盛りの子供にとっては天国さ!
クリスマスにプレゼントなんてのはずっと後のことだから、
暮〜正月の中では最高のイベントだった。

出張、出張で普段は夕飯を一緒に食べることの少ない
父親がいるので最初はちょっと緊張するけど、食べ始めると
そんなことは関係なくなるし、
なんせ食後に父から「お年玉」が渡されるんだから期待はいやが上にも盛り上がる。
普通「お年玉」は正月のものですが、我が家ではずぅ〜っと大晦日だった。

「お年玉」は本来は「年魂」と呼ばれて、
「一年の魂を神様からいただく」が由来らしいから
歳取ったらすぐいただくのは理屈にかなってるわけだ。

この日だけは何時まで起きててもいいのも、
子供に取ってはうれしいことで、ラジオを聴きながらトランプしたり、
百人一首したり、時には花札したりと、いつもならとっくに寝てる時間に
遊んでいられるのは少し大人になったような気分。
兄弟姉妹が6人もいて、親も入るからにぎやかなもんです。

とは言っても除夜の鐘の前には眠くなって、布団に入る。
もらったばかりのお年玉は、枕の下にしっかり入れて、
明日からひとつお兄さんになるのを楽しみに眠りにつくのです。

<お正月 2>に続く

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