

2009年9月20日(日)
マウイマラソン出場のため、午前2時40分にホテルを出て、ウエスティンマウイに。
自分も眠いが、子供たちも眠くてぐずっている。当たり前か。
スタート地点には午前4時前に到着。まだスタートまで2時間近くある。
午前4時を過ぎると、会場には水と果物が配られた。
日本語、英語の2ヶ国語でアナウンスが行われ、
ウォームアップ、火踊りショーが行われる。
5時半スタート。あたりは真っ暗。
前半調子は悪くなかった。特に10キロ過ぎには追い風が吹き、
実に快適。25キロ地点を2時間6分で通過。
自己ベストのタイムと1分しか離れていない。
マウイマラソンの完走者は1104人のため、ランナーもまばらで、
いつの間にか追い越しざまに、他のランナーと挨拶をするようになった。
特に女性ランナーは、あちらのほうから、声を掛けてくるほどフレンドリー。
対向車線を走る車からも声援、クラクションによる応援。
だが、以後日が昇り、気温が上がると調子は最悪。
海沿いは意外に風も応援もない。
息があがり、足が重くなってきたので、ストレッチして休憩。
そのストレッチもついに百メートルおきくらいになってしまった。
30キロ2時間39分、35キロ3時間12分。
手足は動かなくなり、腹痛と吐き気を感じてきた。
ここまで来ると、レースを投げ出し、歩くようになる。
フルマラソンの最中歩いたのは初マラソン以来の屈辱。
ゴールタイムは3時間56分。辛うじて4時間は切ったが、
初マラソンのタイムに次ぐワースト2の記録となってしまった。
後から知ったが、この日の順位は1104人中129位。
苦しいのは他のランナーも一緒だったようだ。
ゴール後、妹たちが出迎えてくれた。
「おじさん。ホテルに早く帰ろう」と甥のマサキは言う。
「ああ。おじさんも早く帰りたいよ」と言い、ホテルに戻った。
昼寝して、昼食後アニカとプールで遊ぶ。
アニカはメダルをプールサイドにまで持ってきた。
夕方からフィニーシャーズパーティー(お別れパーティー)があると聞いていた。
完走証を受け取る際に場所を聞くと、今年から時間が変更になって
もう終わってしまったとのこと。
このマラソンには日本人専用デスクがあるが、
彼らの対応は実に事務的で、謝罪は一切なし。
後から思えば、完走後メダルをもらったが、完走Tシャツも
もらっていないことに気づく。運営側として問題多い大会と感じた。
夜寝る前にアニカとマサキが部屋に来る。
「おじさん。明日帰っちゃうの?」
明日は朝7時の便でマウイを発つ。
妹が空港までの見送りを断ったため、タクシーで行かねばならない。
「ここでお別れだね」と言うと、アニカが
「じーじとばーばにもメダル取ったって言ってね。
いま地震が起きたら、メダルと指輪を持って逃げるから。」と言った。
ほどなくして、妹が現れ、「やっぱり送るよ」と言ってきた。
どうやらアニカが僕のことを空港に送るように妹にお願いしてくれたらしい。
ありがとうアニカ。
その2