今迄まっまったく経験したことのなかった高温に加えて度重なる豪雨に見舞われた日本列島の夏も終わった。
しかし、2年後の五輪までにどんな難問題が待ち受けているのか、唯、今年の夏より暑くなることは間違いなさそうだ。
街路樹の枝を切らずに伸ばして日陰をつくり、道路に打ち水をし、選手の都合も考えず競技時間を何時間も早めたりと、
そのような姑息な手段は大自然の猛威の前には焼け石に水の様なものだ。
45力国の地域から11、000人以上の選手が集った第18回アジア大会は8月18日の夜インドネシアの首都ジャカルタで大会の幕を開けた。
そのスローガンは「アジアの活力」、大会組織委員長は「アジアは多様性があり調和と平和を尊重します。ここで一緒に多様性や違いを認め合いましょう」
と語りかけた。中国や朝鮮半島情勢を考慮に入れたその発言には一応の意義は認める。
然し、五輪マークの黄色の輪のアジアのみで平和を尊重しましょうと言われても、外の四つの輪(緑=ヨーロッパ、赤=アメリカ、青=オセアニア、
黒=アフリカ)が同時にその多槍吐を認め合い、自国ファーストの精神を捨ててお互いにガッチリと手を結ばぬ限りアジアだけの平和の実現は不可能だ。
世界の五大陸が五輪マークの如くお互いに腕を組みあってこそ初めて世界の平和は実現するのだ。
然し取敢えず「アジアの活力」をかかげた大会の開会式は、競技の翌日に控えている選手達の事等まったく眼中になく、
長々と「水」「地球」「風」「炎」をテーマに国の基礎を築いた7世紀の王国からの歴史を約3,600人が歌や踊りで表現し、
インドネシアの国力を誇示する事のみに専念して閉幕した。
以前にも書いたが、せめて東京五輪は五輪憲章の趣旨に則り自国の宣伝等せずに広島と長崎の原爆の惨状に始まり
世界の難民の現状や曾ての戦争の悲惨さやアウシュビッツの惨劇を大スクリーンに映し出して同じ人間同士がこのような暴挙と
蛮行を行い非人道的な行為をする事が出来るということを全世界の戦争を知らない人達に知らしめ、且つ、
世界平和の為の一助として二度の核の洗礼を受けたにも拘わらず「平和国家」を宣言した日本が開催する五輪は絶対にスポーツの祭典ではなく
「平和の為の祭典」である事を全世界の人々の脳裏に焼き付けてもらいたい。そしてそれがクーベルタン男爵の真の願いであった事を
全世界にアピールすべきだ。間違っても能狂言まがいの「鎮魂と再生」等と独りよがりの演出はしてもらいたくない。
東京五輪迄あと2年、その間何か起きるかまったくわからない世界情勢だが、この原稿を書いている8月下旬では黄色の輪の中でも
朝鮮半島に於ける中国の影響が格段に強化され、北朝鮮のみならず韓国も中国寄りの姿勢に傾く可能性がある。
曾て戦後の日本は「米国についてゆけば日本は安全で平和に暮らせる」との思いは最早幻想にすぎない。
又、米国と中国の貿易戦争も益々エスカレートしている。
敗戦記念日に首相は「戦後我が国は平和を重ん
じる国として唯ひたすらに歩んでまいりました。世界をより良い場にするため力を尽くします。戦争の惨禍を二度と繰り返さない。
歴史と謙虚に向き合い、どのような世にあってもこの決然たる誓いを貫いてまいります」と述べた。
それなら、せめて東京五輪を「世界平和の祭典」とすると宣言し、その為の企画を立てるべきだ。
今から24年前、1994年、広島で行われたアジア大会の時、日本近代五種連盟の常務理事として馬術競技の準備の為に競技に使用する
馬(近代五種の使用馬は総て開催国で準備)約30頭を調達すべく私は広島に半月以上滞在し広島を中心とした中国地方の乗馬クラブ及び大学所有の
障碍馬に何十頭も騎乗し、乗馬クラブ及び大学と話し合いの上、アジア大会で他国の選手にも騎乗できる馬を貸与してもらったが、その間、
暇を見て広島平和記念資料館の外に近代五種の関係で自衛隊の伝で
一般公開している江田島の旧海軍兵学校(以後「海兵」という)を休日に私一人だけゆっくり見学させて頂いた。
海兵の展示場にはそこを卒業して死地に赴く若者達の遺言や遺稿が広い展示場一杯に展示されていた。然し係員の話では、
そこに展示されているのは極一部で、この様な遺書や遺稿が毎月の如く何通も送られてくるので到底全部は公開できず大半は書庫に保管しているとのこと、
それが今から24年も前の事だから、「墓じまい」が流行している今日増えている事はあっても減る事はまずあるまい。
自分の家に大切に保管しておいても決して邪魔にはならず場所もとらない父や祖父が、「これから御国の為、又、
今まで育てて頂いた御両親の御恩に報いる為、戦地に赴きます」と一字一字に心を込めて決死の覚悟で認めた
それらの遺言や遺稿を何故海兵に送りつけてくるのか、恐らく破り捨てるわけにもいかず送ってくるのだと思うが、戦争を体験した者としては、
それらの遺族の気持ちが理解出来ないと同時に撫然たる思いがした。
私は展示されているそれらの遺言や遺稿を一つ一つ丁寧に読ませて頂きながら幸いにも見学者が私一人だったから良かったものの涙が止まらず、
今でもこの文章を書きながらその事を思い出して目頭が熱くなってくる。
そしてこの様なことは今後二度とあってはならないと心の底から思った。
戦後の日本の学校現場では長年にわたり「教え子を再び戦場へ送るな」とのスローガンのもと、様々な資料によって「平和教育汀反戦教育」がなされてきた。
その中の一つの「きけわだつみのこえ」は言わば当時の現場教師にとって「平和教育」のバイブルだった。
然しその海兵の遺稿等を読んだ時「きけわだつみのこえ」は戦没学生の限られた極一部のものでしかない事に気が付いた。
何故なら、その本は戦争に疑念を抱き最後まで戦争を呪って死んだ若者の手記のみを掲載したもので、
祖国の危急存亡に臨み何の疑いも抱かず決然と出陣し散華した若者達の手記は一つも掲載されていないからだ。
真の「わだつみのこえ」と題して歴史的記録として後世に残すべく発表したいとの呼びかけに対して寄せられた数多くの遺稿には恐らくそれぞれ
異なる戦争観或いは死生観をもった若者達が書き残したものがあったはずなのに戦争を呪って死んだ若者達の遺稿のみを掲載し、
特攻隊員として日本の為に決然と出陣して散華した幾百万の純粋な若者達の遺稿等を総て破棄した事は、
それらの若者達の霊に対するこの上ない侮辱であり残酷な出版物以外の何物でもない。
その様な教育を受けてきたから純粋に祖国の為に散華した若者達の霊を祀る靖国神社の敗戦記念日に戦争を知らない日本の閣僚達は
「関係改善を急ぐ中国、韓国に配慮して」等と屁理屈をつけて参拝しようとしなかったのだ。
又、以前にも書いたが勘違いをした反戦思想を叩き込まれた教育の為か平成15年の読売新聞で中学生以上の未成年者5,000人に
日本が外国に攻撃されたらどうするかというアンケートに対し @安全な場所へ逃げる44%、A降参する12%、B戦う13%という結果が出たが、
恐らく残りの無回答者31%も@かAに入る様な気がする。
したがって今、日本が戦争に巻き込まれたら、たちまち日本全土が占領される他国の属国になる事だろう。
尤も核戦争になったら逃げる間もなく気が付けば死んでいたという事になりかねない。
それにしてもあと2年、開催が決定した以上、天変地異に日本が巻き込まれる事なく又争い事もなく無事に東京五輪が終わることを祈るばかりだ。
今年の7・8月の西日本犬豪雨やヒートアイランド現象による異常な酷暑、南海トラフ、首都圏直下型地震、北海道東部沖巨大地震、
約60%の人があり得るというテロ攻撃、そして益々巧妙化するサイバー攻撃、豊洲市場がらみの環状2号線の完成遅れによる選手輸送を含む交通の大混乱、
勝利至上主義の申し子スポーツマンシップとフェアプレー精神の欠如、どの様な対策をしても絶対に根絶しないドーピングと益々高性能化する用具
ドーピングと遺伝子ドーピングによる不公平化に加え来年に追っている消費増税。米中の貿易戦争の激化、それに加えて日本人口減少が生む経済の収縮
と少子化と超高齢化社会の歪み。そして今や世界一の超借金王国日本、五輪終了後には世界一の最貧国になりかねない、
正にこれは「国難」と言わざるを得ない。
今やこの国は東京五輪同様、溶けながら沈んでゆく泥船状態、しかもその沈みゆく船に救命ボートも降ろさず、穴に紙を貼ったり乾いた土で補強する程度、
そして東京五輪が失敗したら、ポツダム宣言受諾決定直後の陸軍の機密文書の焼却の如くだれも責任をとる人はいないだろう。
そして関係者達は権力者への迎合と自己保身によって無責任の連鎖が起こること必定。私には東京五輪の2つのエンブレムが、
どうしても葬式の際に棺の両脇に置かれる提灯のマークに見えて仕方がない。
これからは益々テレビや新聞等で東京五輪が話題に上ると思うが、その時はどうか私か2003年8月号から書き続けている
五輪批判を思い出して頂きたい。
即ち、東京五輪は最小限に止めるが曾てクーベルタンの強い要望で1948年迄実施されていた絵画・彫刻・音楽・文学・建築の文化芸術プログラムをも
五輪の企画の中に入れる事。
そして各競技には順位を付けずメダルも国旗掲揚も廃止(愛国心は外に向かって注ぐものではなく内に向かって注ぐもの)。
12年前のロンドン大会では4年間に音楽や演劇、美術など約177,000件が実施され、
参加者総数は約4,330万人を数えた。
日本も五輪を機に遅蒔きながら「文化芸術立国」の実現を目指すべきだ。
『オリンピック憲章』
「オリンピック精神に基づくスポーツ文化を通して世界の人々の健康と道徳の資質を向上させ、相互の交流を通じてお互いの理解の度を深め、
友情の輪を広げることによって住み良い社会を作り、ひいては世界平和の維持と確立に寄与することをその主たる目的とする」。
五輪での優勝や金銀鋼のメダル等何の価値もない。選ばれた五輪選手達は「オリンピック憲章」に従って行動する事に全力を尽くすこと。
そして世界一を決めるのは、あくまで世界選手権以外にない事をスポーツ関連者及びスポーツを志す者は総て真のスポーツの本質を
正しく理解して勝利至上主義等に惑わされぬ事だ。
以上