残り火(老人週間)
(2018年9月号)

暑さ寒さも彼岸まで。残暑はまだまだ厳しいが、然し9月半ばを過ぎると、さすが朝夕は涼気を感じるようになる。
 そして、この23日は秋分の日(お彼岸の中日)。御彼岸には御先祖様に感謝し、精霊の御供養や墓前の香華に手向けを行う日である。
 又、今年は15日から21日までを「老人週間」とし、その中程の17日は御先祖様予備軍の為に「敬老の日」が設けられており、 老人を敬愛しその長寿を祝う事になっている。
 そこで今月は西日本犬豪雨にも触れながら「五輪霧中」を書く予定を一旦中止して、私の88年の山あり谷ありの人生を振り返りつつ、 人生とは一体どういうものなのか、この先どのように生きるべきなのかと遅蒔きながら考えてみようと思う。

今や日本は大長寿社会として「人生百年時代」に突入しつつある。
 然し、人は何年生きようと、しょせん健康寿命を延ばさぬ限り社会に迷惑をかけるだけだ。そして、 今私の生きている世の中が無常であると本当にわかる為には私の一生はあまりにも短すぎる。 だからと言って「どうせ無常なのだ」「どうでもいい」と投げ出してしまっては、あまりにも淋しすぎる。 やはり私は不遜のようだが自分なりに確固たる死生観をもって私の人生を(まっと)うしたい。
 印度では人の一生を(1)学生(がくしょう)期(学ぶ時期) (2)家住期(家で働く時期)(3)林住期(林の中で冥想する時期)(4))遊行(ゆぎょう)期(悟りをひらく為に巡り歩く時期) と4期に分けてライフサイクルを考える思想があるが、私もそろそろ3番目の林の中で禅僧の如く一人静かに老境の生き方を学びつつ 遊行期として人生の最後の締め括りである死への道行き、出来れば彼岸へ遊びに行く為の準備をしたいと思うようになった。
 然し、その前に先ず私自身が要介護者となって家族の者や人様に迷惑をかけぬように努力する必要がある。

我が国では「人生百年時代」に備えて要介護状態の高齢者の減少を目指して「日本サルコペニア・フレイル学会」というものを設立した。 サルコペニアとは老化に伴い筋肉が減少した状態、フレイルはサルコペニアに加えて活動量や認知機能が低下した状態を指し、 自立した生活が困難になる「要介護」の一歩手前で、放置すると要介護状態になるので、それを防ぐ為に学会が中心となって医師や看護人等を派遣して 要介護にならぬように老人に運動をさせたり認知機能が低下しないようにいろいろと指導してくれる施設がある。
 然し私共夫婦は相談のうえ、結局サルコペニア・フレイル防止は他人や施設等の力を借りず自分達自身の努力で克服する以外にないと結論づけ それでも認知症になり、寝たきりになって生きていても何の役にも立たず、その上家族の者達や世間様の厄介者となりながら生きる事を濯しとせず 知人の弁護士と詳細な打ち合わせの結果、「尊厳死宣言公正証書」を今年5月に作成した。
 然し、その結果気付いた事は、自分の死に方を考えるということは、即ち「どう生きるべきか」を考えることにつながるという事だった。
 恐らく「家住期」の皆様には想像も出来ないことと思いつつ、この私自身、どうしていつの間に88歳になってしまったのか、 どうしても自分自身でさえ、信じられないまま、正に光陰矢の如き人生について書こうと思う。

私事で恐縮ですが、実は私の本業(?)は1976年ある空調機器メーカーの販売代理店とそのメンテナンスを 生業(なりわい)とする会社を設立し、 日本設備工業新聞社の先々代の社長の時代からのお付き合いで、当時はその新聞に空調関係の記事等を書かせて頂いたこともあり、 そのご縁で「コア」が出版されてから半年後の平成2年の5月号から肩の凝らないエッセイの様なもの(最初は競馬関係の記事等が主) を書かせて頂くことになったのだが、気が付けば早、30年近い年月が経ってしまった。
 そして去年6月その会社の社長から相談役になってからも、新聞社のご厚意でこのような拙文を続けて掲載させて頂くことになり、 この拙文をこれからの一つの生き甲斐とする事ができ心から感謝している。と言うのも、実は大変申し難い事ながら、 この拙文は実は私自身の生き方を自分白身に問うものであり、毎月書かせて頂いている事が今迄の私の人生にとってどれ程プラスになっているか 計り知れないものがあると思うからで、そこで今月は私なりに林住期から道行期に入りつつある私の心境を交えつつ 偉そうに「人生」について書かせて頂くこととした。

 2016年の日本人の健康寿命は平均で男性72.14歳、女性は74.79歳だという。
 お釈迦様に「一夜賢者(いちやけんじゃ)の教え」というのがある。
 「過ぎ去れるものを追うことなかれ。(いま)(きた) らざるものを(おも)うことなかれ。過去そはすでに捨てられたり。 未来そはいまだ(いた)らざるなり。 さればただ現在するところのものをそのところにおいてよく観察すベし。() らぐことなく動ずることなくそを見きわめ、そを実践すベし。ただ今日まさに() すべきことを熱心になせ」。(増谷文雄訳「中部経典」)
 過ぎ去ったものを取り戻そうとしてはならない。まだ来てもいないものを願ってはならない。 だからこそ「今」を大切に悔いのないようにしなければならないとお釈迦様は教えるのです。
 「今」は私達の生涯に二度とない今なのだ、全身を挙げて一分一秒を真剣に生き抜かないと今は空しく私達の手から去っていってしまう。
 江戸時代の禅者、正受老人は「一大事と申すは今日唯今の心なり、それを(おろそ)かにして習日あることなし」
 「而今現成(じこんげんじょう)(今の一瞬が本番、 現成とは現実に成立している事)と言い、龍沢寺の中川栄渕老師は「只今の只に乗れ只の人」と言い、 更に102歳で亡くなられた臨済宗の桧原泰道老師は「生きているうち、働けるうち、日のくれぬうち」と言われた。 「日のくれぬうち」が一番後になっているが、「生きているうち」も「働けるうち」も「日のくれぬうち」も総て「今」を大事にしろという事につながる。
 私も気が付けば88歳、「残り火」を大事にして老師の言う如く、「生涯現役・臨終定年」でありたいと思う。

老衰という死因は高齢者で他に記載すべき原因がない、所詮「自然死」の場合に用いる言葉だ。それまでは「力」を尽くし誠実に生きるということを尊いと思い、 それのみが生きる唯一の意義であると信じている。
 よく私達は佛様によって「生かされている」という。そして野の草や他の生き物同様、生かされているという宿命の中で精一杯生きたいと思っている。 然し、精一杯生きるという事は考えようによっては非常に難しいことだ。
 この諸行無常の世を生々流転(しょうじょうるてん)する吾が身であることを認識して、その中で生かされている自分だからこそ、 力を尽くして誠実に精一杯生きることが尊いことなのだ。誰に認められなくともいい、 「よくやったほうだ」と自分で納得できる生きざまを心がけて、これからの日々を生き切りたいと思う (煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい))。
 唯、「人は生かされている」という認識によって、いくらか肩の荷が軽くなり救われるような気がしないでもない。
 然し、俳人の種田山頭火は「いつ死ぬる一粒の種を蒔く」と詠んだ。私自身8回もの手術をして何時死ぬるかわからぬ身でありながら、 それでも何か自分の心の中で、どんな種でもいいから蒔いてみたいと思い、馬の彫刻等も創ってみたが、 結局私か今迄に創った20数基の馬の銅像や無数の馬のブロンズ像が総て習作である様に人間は結局死ぬまで未完成なのだと思う。何故なら、 人生はどんなに頑張っても所詮「途中で終わるもの」なのだから。「死ぬときには死ぬるがよく候」(良寛)。
 唯、オリンピックだけは、スポーツの本質を正しく理解して、勝ち負けに無関係な「真の世界平和の祭典」にすべく、 その為の一粒の種を蒔き続けたいと思う。
 “二度とない人生だから戦争のない世の実現に努力し、 そういう詩を一篇でも多く作ってゆこう、私か死んだら、あとをついでくれる若い人たちのためにこの大願を書き続けてゆこう”坂村真民
                           以上