五輪霧中(X)
(2018年8月号)

東京五輪まであと2年、日本オリンピック委員会はオリンピックの真の目的は「世界平和の為の祭典」であることを (ないがし)ろにして無謀にも金メダル獲得目標を 史上最多の30個(金メダル数世界3位)に設定した。
 これは1964年の東京、2004年のアテネ両五輪の16個のほぼ倍だ。巨大イベントと化した五輪はメダルの数によって国の強さが誇示され 国威発揚の場と錯覚しているからで、その為に他国がメダルを獲得しにくい新たな競技を新規に採用したりしている。
 IOCでは各国のメダル獲得数を一股に公表することを禁じているにも拘らず、そんなにメダルが欲しければ日本の国民体育大会(国体は他県)の様に 黒人選手を2〜30人日本に帰化させればいいと思うのだが、それでは日本の面目に係わることになり、 その結果当然選手達は精神的にも肉体的にも苛酷な練習や体調管理を強いられ、一例をあげると順天堂大学の陸上部の調査では、 マラソンで即効性のある対策として体重を落として記録を仲ばすのが常識となっていてアンヶ-ト調査の結果、 大学女子駅伝選手314人中72%が食事制限をやり、73%が無月経、46%が疲労骨折の経験をもつという。
 更にマラソン以外でも体操など軽量化を求められる種目では拒食症や過食症などの摂食障害にかがる選手が非常に多いという。

摂食障害になりやすい選手に共通する点は、真面目で忍耐力があり向上心に溢れ(生理があるくらいではまだまだ練習が足りない) と考えてしまうのだという。
 勝つため、結果を出すためには理不尽であろうが常識から外れようが目をつぶる。「力」のある者がその空気をつくれば「ノー」 と言えず従うしかないのだ。その結果選手達はホルモンのバランスを壊す、そして成熟した身体、 しっかりした骨を作れないまま大半の選手達は脱落してゆくという。金メダル30個の目標を定めた山下選手強化本部長のように類い希な素質、 身体、精神力の持ち主は自分の経験にてらして益々厳しいトレーニングを選手達に要求し、 選手達もそれを達成すべく努力して肉体的にも精神的にも自分を追い込んでいく。

然し、いくら頑張っても目標をクリアできない選手は心の中で「僕は全力を出し切った、よく頑張った、そしてこれでも駄目なのだから仕方がない、 どうせ無駄だから、もう諦めようと音を上げてしまう、その結果ただのメダルを獲得したい為に一度しかない貴重な青春を棒に振ってしまう事になる。
 誤った近代五輪で金メダルを獲ることがスポーツ選手の最高の名誉だと思い込ませたメディアの罪は重い。毎回書いているが、 スポーツの本質は勝つとか負けるとか、そんな「ケチ」なものではないはずだ。
 勝つ為には手段を選ばずとアメフトでのタックルやサッカーの時間稼ぎのパス回し等、あのシーンでがテレビに映ると家のテレビが汚れる様な気がする。 日本が世界に誇る武士道の精神は最早存在しない。
 “吾人(われひと)に勝つ(すべ)を知らず、 吾に勝つ術を知り得たり”(柳生宗矩)
 今の日本はどうも身の丈に合った努力で無理なくストレスもなく仕事を続けることが奨励されているような時代のように思えてならない。

馬術とは関係なく山あり谷ありの私の88年間の人生経験を通して私は断言する。何事でも成長の過程において、 ある時期高いハードルに挑戦する事は絶対に必要だということを。先の見えない努力に苦しくとも諦めず続けていけば、 いつか必ず光がさす時がやってくる。そうすることでスキルが身に付き自信も付いて心が強くなり次へのチャレンジヘと向かうことができるようになるものだ。 最初からうまくいくものなどあり得ない。途中で失敗してガッカリしたり、他人から否定されたり又は妨害されたり、うまくいかないことの連続だ。 それでも「まだ頑張れる、絶対にうまくいく」と信じて体勢を立て直すことの出来るのは、 やや無理めの目標に挑むことによって身に付いた絶対的スキルと心の強さ、つまり「スタミナ」が必要だと思う。 身体と心にスタミナがあれば諦めの気持ちは生まれない、どんなに追い込まれても次の一手を考えて行動すべきだと思う。
 人間は身体より先にまず心が「限界だ」と弱音を吐くものだ。

今年も8月15日が巡ってくる。戦争の悲惨さを身をもって味わった人は極少数となった
。  日中戦争以降の戦没者310万人のうち50万人は国内での空襲や原爆で命を落とした市民の人々だ。
 戦争は遠い南洋から国内の隅々までを巻き込んだのに、これらすべての戦争犠牲者を横断する恒久的な追悼施設は日本にはない。
 戦後間もなく出版された大岡昇平の「野火」には飢餓、累々たる屍、人肉を食い、フィリピン戦線での兵士の極限状況 (私の叔父も28歳でフィリピンで戦死したが遺骨は無い、を克明に描いた大岡は、ついに精神を病んだ主人公、田村一等兵に、こう独白させる。 「戦争を知らない人間は子供である」戦争とはただ、残酷で醜く、愚かなものだ。
 実際の戦争を体験した人の手記や文学作品は静かにそう告発する。

敗戦の二日後に就任した東久邇稔彦首相は、全ての国民に「反省と懺悔」を呼びかけた「一億総懺悔」発表だ。
 九死に一生を得た国民が、いったい誰に何を「懺悔」する必要があるというのだ。
 敗戦の近いことを知りながらその事を軍の命令で書かなかった新聞も戦争責任の一端を負い「懺悔」しろと言うのか。
 「この戦争をまともに生き抜いた者だけが、次の戦争を欲しない」と書いた評論家がいた。現在の政治家には戦争経験者はいない。
 戦後73年、戦争を生き抜いた世代がもうすぐいなくなる、戦争を知らない世代が次の戦争の種を平和の種子に変える為に出来ること、 「平和の祭典」の実現もその一つだ。

主要7力国首脳会議(G7サミット)は貿易を巡る米国とその他の国との分断や混乱で世界経済安定は貿易戦争へと発展し、 やがて実弾戦争になりかねない。
 シリア、イエメン、イラク、ナイジェリア、コンゴ等武力衝突による市民の犠牲は止むところを知らない。 昨年8月にはミヤンマーで起きた軍と警察とロヒンギヤ武装勢力との衝突では70万人を超えるロヒンギヤの人々がバングラディシュヘ逃れている。 国連難民高等弁務官事務所は内戦等で国外へ逃れた難民や難民申請者、国内避難民は去年850万人と発表した。
 北朝鮮の非核化についても日米韓の一貫した要求は完全な非核化、つまり「完全な検証可能で不可逆的な非核化」に対し、 中朝会議では「段階的かつ(相互に)同時並行的に」とあり、両者の非核化方式には大きな隔たりがある。 歴然に「核兵器を全廃しよう」と言い続ける国が絶対に必要だと思うのだが核の洗礼を二度も受けた日本は何故それを言わないのか、 何故2年後の東京五輪にかつてクーベルタン男爵が開催しそして実行した、音楽・文楽・絵画・彫刻・建築、 そして勝負に関係のない真のスポーツを再開催しないのか。まだ東京五輪開催まで2年ある、何とか五輪の霧を晴らしてもらいたい。
 6月23日、沖縄慰霊の日、中学3年生の相良倫子さんは、一度も下を向かないで手元の原稿に目をやることなく自分の思いを託した詩 「生きる」を堂々と朗読した。
 「家族がいて仲間がいて恋人がいた。仕事があった、日々の小さな幸せを喜んだ。手をとり合って生きてきた。私と同じ人間だった。 それなのに、壊されて、奪われた、私は手を強く握り、誓う。奪われた命に想いを馳せて心から、誓う。私か生きている限り、 こんなにも沢山の命を犠牲にした戦争を絶対に許さないことを、もう二度と過去を未来にしないこと。一人一人が立ち上がって、 みんなで未来を歩んでゆこう」と。
 せめて私達一人一人が立上って間違った五輪の霧を晴らしたい、そして中学3年生の相良さんの呼びかけのほんの一部でもいい、 受けとめてあげたいと切に思う。
                           以上