(2018年5月号)

栃木県、護法寺の住職で昵懇の中島住職の出版した墨詩集の「日めくり」の中に“何事も較べてみないと気がすまない、 そこなんだなあ”というのがある。
 小学校の4年から正式に乗馬を習い戦後間もない昭和21年の第一回国民体育大会に東日本代表選手として馬術競技に出場して以来、 満60歳の時には国際大会の試合の最中、馬の上で私の心臓の弁が根元から断裂して危うく死にかけたのに、 再度馬に乗りたい一心から敢えて安全な人工弁にせず成功率50%という危険な形成手術を希望し、幸いにも成功したので懲りもせず結局、 喜寿を迎えるまで勝負の世界に生きてきた。
 然し、その手術を境にして勝利至上主義のスポーツ界やスポーツジャーナリスト達のスポーツに対する取り組み方というか考え方に 何となく割り切れない思いが募り始め、特に現代のオリンピックに対しては非常な疑問というか失望感を抱くようになった。

そこで2003年8月号の「馬耳東風」に「オリンピックに未来はあるのか」と題して掲載を始めてから約16年、その間、夏冬各4回、 計8回のオリンピックが開催され、私のオリンピック批判も今回で28回目となる。
 確かに今回の平昌冬季オリンピックでフィギュアスケートの羽生結弦選手の存在感は圧倒的だった。
 昨年11月に右足首を負傷し、約4か月ぶりの実戦復帰でのショートプログラム(SP)及びフリーとも韓国入りしてから連覇を遂げるまでの7日間で 心と体の状態を上手にコントロールして奇跡を起こしたのは、正に神業と言わざるを得ない。
 改めて彼の精神力の強さに敬服すると同時に、高梨選手のノルディックスキーのワールドカップジャンプで男女を通して最多の55勝記録を知って 感動を覚えなかった人はまず一人もいないであろう。長年スポーツに携わってきた者としてこの二人の快挙に心より尊敬の念を禁じ得ない。
 そして恐らく両選手から勇気をもらい、私も新しい事に挑戦しようと決心した若者はどのくらいいるか計り知れない。
 両選手のこの快挙は確かに偉大だと思う。

然し、そこに一部の若者達にとっての大きな落とし穴が潜んでいると私は憂慮するのだ。
 その理由は先ず羽生選手や高梨選手の如き体形、不屈の精神力、類希な運動神経と本人さえ意識していない反射神経、天性の芸術的センス、 負けじ魂、そして絶対に勝ってみせるという揺るぎない根性とそれに耐えられる体力、これらの諸要素が果たして今の自分に備わっているかどうかということを、 よくよく考えた上で今やっているスポーツを続けられるか否かの決断を下す必要がある。
 その上更に大きな事は、今、自分を指導してくれている人が超一流か否かということで、スポーツは唯指導者の指示に従って 我武者羅に練習すれば良いというものではない。

私事で恐縮だが、私の馬術の師匠は前にも書いたが昭和の間垣平九郎と言われた遊佐幸平中将、 彼は私に「(おれ)の指導に従っているだけでは絶対に己の上に行くことは出来ない、 従って己の外にもう一人浅岡騎兵少将の所(習志野の陸軍騎兵学校の正門前にあった少将の馬場)へも行って彼の指導も受けて二人の良い所を盗め」 と常に言い私もよく浅岡先生の所へ通ったものだ。
 スポーツは下手な先生についたが最後、やればやるほど下手になり、まったくの 「骨折り損の草臥(くたびれ)儲け」となることを肝に銘ずる必要がある。
 然し、確かに私の二人の師匠は当時の日本では超一流だったが、残念な事に指導を受けた私か、 それに報いるだけの素質が無かった為まったくの徒労に終わってしまった。 そしてこれは後でわかった事だが日本の地理的環境から考えても馬術そのもののレベルが世界から比べるとかなり低く、 良質な乗馬の輸入も困難で且つ非常に高価で馬術競技そのものがヨーロッパ各国と比較して雲泥の差が、あるという事だ。 私も72歳の時、馬場馬術世界ランキング82位になったが世界のトップレベルの人達が一人でも練習している馬場に私か馬に乗って入ると、 馬場が(けが)れる思いがして到底一緒の馬場で運動することは出来なかった

羽生選手遠の今回の快挙に刺激され、世界を知らない三流の素人に近い指導者やスポーツジャーナリストに「見込みがある」と煽られ、 その気になって「私の目標はオリンピックで金メダルを獲ることです」等と望みを高く持って日々努力するのはいいが、 「井の中の蛙、大海を知らず」で、その為に大事な人生を棒に振る若者がどのくらいでることか。
 前回の東京オリンピックの時に私は日本馬術連盟の理事として総合馬術の野外での障碍飛越競技の審判長を務め、その他、 近代五種連盟(馬術・水泳・フェンシング・クロスカントリー・ピストル)及び冬季オリンピックのバイアスロン連盟(スキー・ライフル) の常務理事として、いろいろなスポーツ団体と30年以上関係を持ってきたが、世界はそんなに甘くない。

その上、私かこの16年間言い続けてきたオリンピックは「平和の祭典」であって決して「スポーツの祭典」ではなく、 従って近代オリンピックの創始者クーベルタン男爵の理想とした「平和の祭典」は回を重ねる毎に遠ざかってゆく。
 この事は何十回も「馬耳東風」で書いているが世界一を決めるのは世界選手権のみだということをスポーツを愛好する人達に認識させると共に、 特にスポーツジャーナリストは全世界に向かって、その事をはっきりとアピールすべきでありIOCはオリンピックを世界の平和に少しでも貢献するような 企画を立てて開催国を指導する義務がある。

従って、それらの事を踏まえて、世界平和に寄与することを第一の目的とする私の所属する一般社団法人日本ペンクラブの中の「平和委員会」 の中の弁護士が中心となって一般社団法人News for the People in Japan、略して「NPJ」を結成し、弁護士、ジャーナリスト、フリーランス、 大学教員等世代の枠を超えた一つの集団を結成し、現代の閉塞的なメディアの状況に危惧感を抱き、市民の側から情報発信とコミュニヶ−ションを提案し、 メディアの問題点を考え、自らも発信するメディアを結成しインターネットによる新しいメディアとして市民社会を活性化すると同時に インターネットによって全国津々浦々から市民の声を発信し、多様な価値観で社会を捉え主体的に社会に関わり、メディアの問題点を研究し、 自らも発信するメディアを立ち上げた。そしてその中で微力ながら私も現代のオリンピックをクーベルタン男爵の迷想とした 世界平和の為の祭典とすべきであると書き続けている。
 次回は2020年東京オリンピックを迎えるうえで、その企画や現在の学生スポーツのあり方、部活動等について書こうと思う。
                           以上