福 の 神
(2018年2月号)

 “冬 来たりなば春遠からじ”
 寒い厳しい冬がやって来たならば、暖かく楽しい春はもうそこまで来ている。現在が不幸でつらくても、 それを耐えれば前途には明るい希望が見えてくる。
 この諺はイギリスの叙情詩人、シェリーの「西風に寄せる歌」という長詩の結びの一節である。
 2月3日は節分、節分といえば本来なら四季が移り変わる節目(ふしめ)の日、 即ち旧暦の大晦日あたり、その翌日の立春(2月4日)は陰暦の正月で新しい年の起点のはずだ。

ところが、節分が四季の移り変わりの節目だから春がもうすぐ来ると思ったら大間違い。
 節分が過ぎても当分は気候的・気温的にも雪や冷雨の日が多く。まだまだ寒波寒風の荒れ狂うときもある。
 従って私はかなり以前から日本の暦を少なくとも3ヵ月(あと)にずらした方が季節感に合うのではないかと思っていたが、 何分にも世界中が太陽暦を採用している以上、残念だが、それに従わざるを得ない。
 然し、日本では今でも古い仕来りを守って節分を大晦日として様々な伝統行事が行われている。

その一例として節分の夜には「福は内」と大声で、大豆を煎って「福豆」といったものを家の中にまき、 次に「鬼は外」ともっと大声で威勢よく玄関や雨戸を開けて福豆を外にまいて鬼を追い出したあとで、 何故か家族全員が福豆を各自の年齢の数(地方によっては一粒多く)だけ食べて厄除けの行事をしたり、 (ひいらぎ)の枝に(いわし)の頭を挿したり、 大蒜(にんにく)などの強い臭気のあるものを添えて邪鬼除けを行う風習がある。 又、福豆をまき悪鬼を払うところから「追儺(おにやらい)」 といって古くから神社や仏閣ではこの儀式を年男がまくことになっている。
 古いと言われそうだが、我が家では今でも毎年必ず私か大声で玄関や庭の戸を開けて「鬼は外!」と叫んで福豆をまいている。
 数年前一度遠くで「鬼は外」の叫び声を聞いたことがあったが、それ以来聞いたことはない。 日本古来の風習がどんどん無くなっていくのは何とも淋しい。

ところで、「福は内」と家の中で福豆をまいても、福の神とは一体どんな神様なのか、もしも福の神という神様が存在するならば、 いわゆる八百万(やおよろず)の神々の中で恐らく万人から一番好かれる神は「福の神」であり、 誰からも毛嫌いされるのは「貧乏神」だろう。
 古典落語に貧乏神に好かれて何とか追い出そうと炊事・洗濯は勿論、食事まで作らせて扱き使っても出て行かず、 ちょうど女房に死なれて困っている仲間の所へ出張サービスにやったが、やはり貴方の所がいいと帰ってきてしまったという話しがあったが、 私はそれは貧乏神ではなく、むしろその男にとって毎月の給料も払う必要のない福の神のような気がする。
 天台宗の明治時代の学僧で川越の喜多院の桜木谷慈薫(さきやじくん)大僧正は 「福の神住みたもうらんこの家は 親子きやうだいにこにことして」と詠んだが、 まさしく「笑う門には福来たる」で福の神は私達の心の持ち方次第で来てくれる場合が多い。

ここで若干「七福神」について述べると、福豆まきの「追儺」の行事の外に「七福神詣」といって新年に七福神の社寺を巡拝して福徳を祈る風習もあるが、 この社寺詣も年々減少傾向にあるという。
 その昔、伝教大師は六天講式というものを考案して、福の神を拝まれたとされていて大師の法孫慈覚大師が入唐求法される時、 伝教大師が夢枕に立って「汝大唐に住まったならば、密教については先ず六天のうちの天部を問え」と告げられたと伝えられている。
 「天部」とは、いずれも仏法守護の神であり福の神である。
 又、大師のいう六天とは大黒天・枳尼天(だきにてん) ・毘沙門天・歓喜尊天・三宝荒神・弁財天のことである。(七福神は大黒天・蛭子(えびす) ・毘沙門天・弁財天・福禄寿・寿老人・布袋)
まず大黒天の本地(菩薩が衆生済度のために仮の姿をとって現れた 垂迹身(すいじゃくしん)に対し、 その本源たる佛・菩薩)は不動明王で、末世の福徳なき衆生を利益させる。
 又、枳尼天の本地は文殊菩薩で四百四病の病より貧乏ほどつらいものはないと言われるその貧乏を追放し、 尚その上に諸々の病を除き、福徳を授かり愛敬を得、乃至一切の多験自在が得られるという。

大無量寿経の中に和顔愛語という語があるが、にこにこ顔で愛敬のある言葉を使う人は、大体人から愛される、 枳尼天を信仰すると愛敬がよくなり、その上に文殊様の垂迹だから智恵が授かる。正に鬼に金棒というところだ。
 その他の天部の功徳利益は推して知るべしだが、詰まるところ総じて諸天善神は佛法を信じて 柔和忍辱(にこやか)で、辛抱強く根気よく、 和気靄靄(あいあい)として朗らかな人を守護すると私の知るお坊様は言うが、 そのような奇特な人が万一貧乏神に憑りつかれたとしても、きっとその人は貧乏神を愛し折り合いをつけて結構幸福に暮らすことだろう。
 然し、一般大衆は兎に角、幸福な一生を送りたいと願うなら七福神を信ずることだ。

又、一説によれば天海僧正が徳川家康に天下泰平の基として、七福神の徳を開示したと言われているが、 【1】恵比寿は守るべきを守って信義を重んじる(律儀)【2】大黒天は足ることを知って諸事に質素倹約なれ(裕福) 【3】寿老人は衛生を守って身体の健全を計れ(長寿)【4】福禄寿は向上発展の思想を以て事毎に希望あれ 【5】布袋は度量を大にして妄りに怒ることなかれ(大量)【6】毘沙門天は自らつとめて怠らず勇猛精進せよ(威光) 【7】弁天は慈悲博愛を心として他に接することを忘れるな(愛敬)と説き、これは「禅」の立場からいえば、 人間が本来持っている「誠」の一心の働きを七方面から見て、それを分かりやすく、具体的に「七福神」として表現したものだという。
 従って七福神を崇敬し、その教えを守ることによって、誠の一心がおのずから磨き出されていくものであり、 その誠というのが人間本有の佛心だというのだ。

然し、2月4日の節分には福豆をまいて家に住みついている鬼を追い出し、福の神を家に呼び戻せば確かに幸福な家庭を築くことが出来るかも知れないが、 若干へそ曲がりの私としては今この文章を書きながら貧乏神にも彼なりに良いところがある様に思えてきた。 まず、第一に「家周囲(いえじゅう)を福の神がとりまいて、 貧乏神の出処がなし」という句があるが、世の中には前記の古典落語ではないが、貧乏神に好かれる人も大勢いる。
 そして、その貧乏神の良いところは先ず外的な御利益として身辺警護の任務を受け持ってくれる、 その家には欲の皮の突っ張った我利我利亡者や腹に一物ある野心家は絶対に寄りつかないし、内部的な利益としては操行調節の役目を担ってくれる、 自制心に自信の持てない私が、一応今日まで無事に人生を歩んでこられたのは、偏にその貧乏神の牽制によるところが大きいように思う。
 然し、やはり、私は今年一年、何か起きても一生懸命自分なりに努力した結果「人間万事塞翁が馬」と割り切るのもいいが、 家族の為にも出来る事なら家に住む貧乏神を追い出して福の神に来て頂こうと、大声で「福は内、・鬼は外」と福豆をまいた。

 70 年以上馬に乗ってきて、気付いた事は、「乗せて貰っている馬の幸福無くして騎手の幸福無し」ということだ。 それから考えても兎に角家族をはじめ私を取り巻く周囲の人達の事を考え、前月号にも書いたが、 「己の欲せざる所、人に施すこと(なか)れ」を今年の目標の一つにしようと思っている。
                           以上
 (仏教の生活法話集一中山書房参照)
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