灯火 書に親しむ
(2017年11月号)

この出典は、唐の文豪、韓愈(かんゆ)が長安の城南の別宅に住む 我が子の符に与えた長編の五言古詩の一節で「時秋積雨霽(せきうはれ)  新涼入効墟(こうきょ)  灯火(ようやく)親」からのもので、 今や季節は秋で長雨が晴れて新鮮な涼風が郊外の丘に流れる。灯火にもようやく親しめるようになり、書物をひもとくことが出来る。 ということで全編に子を思う親心がにじんでいる詩だが、特にこの「灯火親しむべし」は名句として一般によく使われている。
 然し、「燈火親しむべし」と書くのは誤り。
 但し、成句としてではなく、明かりの(もと)に書を置いて読書する意味で、 「灯火、書に親しむ」とか「灯火に書をひもとく」とすれば誤りではない。(成語林)
 私は何故か昔から本を読むのが好きだった。

そして最近では朝昼夜に飲む十数種類の薬の為に車の運転は禁じられ、 私か今迄に創った二十数基の馬の銅像の原型が陳列されていた馬事公苑が東京オリンピックの会場となる為、 改築工事中で中央競馬会の人達は誰もおらず、会社は毎月1〜2回、近所にいた小学校時代の友達も大半が死亡して 残っている者も全員引っ越して会う機会もなく、彫刻もなかなか良い構想が浮かばず暇を持て余している。
 然し、朝食後に今日はどの本を読み返してみようかと三方の壁の本棚にある本の背表紙を眺めて、芸術的な本、宗教的な本、 又は哲学的な本のどれにしようかとその時の心の状態によっていろいろと考える時だけは若干の生き甲斐を感じる。
 その上、以前読んだ本でもその時に感じた事と再読して改めて感じた箇所が、当時の環境や現在の心の変化によって全く変わっていたりして、 当時の事等が懐かしく思い出されて新刊本を読むのとまた別の楽しさを味わうことが出来る。
 私は大学を卒業して最初の勤め先が神田に近かった為、よく神田神保町の本屋に行ったものだ。

ところが、聞くところによると書籍や雑誌の売り上げが年々下って、毎年7月に東京ビッグサイトで開催されていた 「東京国際ブックフェア」が今年は休止になったという。
 30年以上続いていた日本最大の本の展示イベントが7年前には国内外の出版関係者984社が出展したというのに、昨年は僅か470社、 そして今年は開催費用に見合うだけの企業が集まらず、休止になってしまった。
 書籍や雑誌などの出版物の売上は、平成8年は2兆6、563億円だったのに対し、年々減少して昨年は1兆4、709億円と、 ピーク時の6割にも満たない。
 その原因は20代以下の若者が本を買わなくなったことで、この一年で一冊の本も読んでいない大学生が3割を超しているらしい。
 当然1988年に28、000店以上あった本屋は今年は12、500店と半数以下となってしまった。
 何故本が読まれなくなったのか、原因はテレビの視聴時間が増えたこともあるが、本離れの最大の原因はネットとスマホだという。 殊にスマホは、私にはよくわからないが電話やメール、ネットやゲームと一つの機器にこれだけの機能があるのなら、 本よりは魅力的なのは当然だ。

然し、若者が本を読まなくなると、若者達の思考力と教養の低下が心配になってくる。
 今年9月22日の毎日新聞に、中高一貫校の校長の座談会の記事が掲載されていたが、それによると各校長の共通していたことは、 中・高校時代の子供達にとって最も重要な時期で、自分とはどんな人間なのか、自分は一体何なのかと考えるような時期だという。
 そこで或る中高一貫校の目標を「自調自考」としたという。即ち自分の人生を自分で本気でいろいろと調べ、 本気で考えて自分の人間形成をどうすべきか、子供達の頭の柔らかいうちに、じっくりと一つの事を考える時間を設けているという。

ところがその時間にネットサーフィンでいろいろなサイトをかいつまんで見る為、一つの情報に接する時間が短くなり、 当然物事を深く考える必要がなく、従って集中力が低下し思考力が鍛えられなくなり 結果として広い教養を身にっけることが出来なくなりつつあると言うのだ。
 今のうちに何としても若者の本離れを食い止める必要があるが、その有効な方策が見っからず、各校長とも非常に憂慮しているという。
 本を開き、目で文字を追うだけで、空想の世界に遊ぶことも、異国の文化に触れ、 「読書尚文」書物を読むことにょって古の賢人を友とすることも出来る。
 文庫本なら数百円、古本ならもっと安い。
 これほどお金がかからず、楽しく、しかも教養が身にっく趣味は外にはない。
 然し、今の若者達の中には「自分の勝手」という価値観が定着しつつあるように思えてならない、とも言っていた。

私事で恐縮だが、私が中学校に入学した昭和18年は大東亜戦争も敗戦色濃厚で、日独伊三国同盟の一角、 (イタリア)が無条件降伏し、日本はアッツ島玉砕、 山本五十六(いそろく)元帥戦死等が報ぜられ、15歳で敗戦を迎えたが、 それまで学徒動員で鋳物工として働き、日曜日は慶應の生き残った三頭の馬の世話をしていた、 と言っても三頭とも栄養失調で騎乗は出来ず唯、引き馬運動と手入れのみ。
 そして敗戦の2年後、17歳で一応高校(予科)に入ったが、兎に角皆生きるのに精一杯の時代だった。然し、 それでも今思うと中学が慶應(普通部)で大学までの一貫校で受験勉強をする必要がなかった為に 大学を卒業するまでの時期が一番いろいろな本を読んだと思う。
 幸い近所に貸本屋があったので一度に2〜3冊借りてきては母親の命令で必ず庭の芝生で一日中 天日干(てんぴぼ)しをしてから夜中まで読み耽り 毎夜の如く母親に部屋の電気を消されたものだ。
 又、小学生の頃から乗馬をしていた関係で敗戦後すぐ慶應の馬術部に入ったが、昭和の間垣平九郎といわれた遊佐幸平先生が経営していた 乗馬クラブにも入り、先生から昭和4年陸取騎兵学校で千部限定で出版した近代馬術の創始者、ジェームス・フイリスが1890年に出版した 「調教および馬術原則」の翻訳本「フイリス氏の馬術」を頂き、その本を読んでは自分の乗っている馬で試してみた時の 馬の反応やその後の調子や感想を克明にその本の余白に書き込んでいた。
 そして、その頃から私は本を読む時、必ず赤鉛筆を持って感銘を受けた箇所にラインを引き鉛筆でコメントを書いて、その頁を斜めに折って、 その頁の端が少し本から出るようにする癖がついてしまい、今でもその癖は直らない。

今、古い本を再読しようとする時。まずその折った頁を開いてみるものも楽しみの一つで、こうして300回以上も拙文を書くことが出来るのも 中学生の頃から読んでいる本の感想の書き込みと頁の折まげが意外と役に立つ時があるが、 その拙文を毎月書かせて頂くという一つの目標をこの老人に与えて下さっている日本設備工業新聞社に心から感謝している。 これが私の生き甲斐の一つだからだ。
 今年はもう終わったが、毎年10月27日から2週間、日本の暦には「読書週間」というのがあるが、 これは読書の習慣の普及と読書生活の向上をはかる為に制定されたものだ。
 然し、30年以上続いた日本最大の本の展示イベントが休止に追い込まれた現在、せめて2週間の「読書週間」を最大限に活用して、 本を愛する者達がその魅力の総てを次世代に伝える努力をしない限り、若者の本離れを食い止めることは出来ず、 早晩「読書週間」も暦から消える運命にある。
 日本ペンクラブの会員として何とも淋しい限りだ。いずれ本屋の大半が廃業し、 存続する本屋には漫画の電子書籍だけが並べられることとなるような気がしてならない。
 神田神保町界隈の古本屋のあの何ともいえない古本の匂いが、たまらなく懐かしい。
                     以上