「和
を以て 貴しとなす」、言わずと知れた聖徳太子(574〜622)第十七条憲法、第一条の書き出しの文言である。
去年6月、親しいお坊様と池上本門寺前の小料理屋で一杯飲んだおり、「ところで西村さん、
学校の教科書から聖徳太子の名前が消えるそうですよ」と言われて、びっくりした。
曾ては日本の高額紙幣の代名詞となっていた聖徳太子という名前には、千数百年に及ぶ歴史の重みがあるはずだ。
太子は用明天皇の第一皇子として馬小屋(厩)の前で誕生した為、
またの名を厩戸皇子と称し、
敏達天皇の皇后で後に女帝となられた推古天皇の攝政として
内政・外交・佛教興隆に盡くした飛鳥時代を代表する為政者として広く世に知られた歴史上の人物ではないか。
又、聖徳太子の生きた時代の日本は、曽我氏等強大な豪族達の争いが絶え間なく続いて、天皇家の権威が著しく衰退していた時代であったが、
天皇と諸豪族との間に新しい身分制度を制定し天皇家の権威を確立した立役者でもある。
その聖徳太子の名前が日本の歴史から消えるとは一体どういうことなのか聞いてみると、
聖徳太子という呼称は後世の人々の太子信仰によってつくられたもので、当時は厩戸皇子が正式名だったというのだ。
然し、その理由を聞いても私は何となく釈然としない思いでいたところ、たまたまある雑誌を見ていたら、
学校の社会科から「聖徳太子」が消えると騒がれているが、正確には、小学校では「聖徳太子(厩戸王)」、
中学校では「厩戸王(聖徳太子)」、高校では山川出版社の教科書で、「厩戸王(聖徳太子)」となるという記事が目に入った。
聖徳太子に対する表現方法が小・中・高区区なものも気になるが、
恐らく文科省の役人達は歴史を客観的に記述すべきものと考え、
後世の人間の太子信仰のような評価を示す用語を排除する方が望ましいと考えたのだろう。
然し、それなら何故厩戸皇子を小・中・高校とも「厩戸王」とするのか、
天皇家の一族の厩戸皇子が何故「王様」になるのか理解に苦しむ。
皇子と王様とでは、そのニュアンスが全く異なる。
いささか蛇足になるが私の拙文の標題「馬耳東風」は唐の詩人、李白の言葉で、冬が去って暖かい風が吹けば人々は喜ぶのに、
馬の耳に春風が吹いても馬はいっこうに感じる気配がないところから他人の意見や批判など全く心にとめないで聞き流すことの喩であり、
その意味で私の拙文も、どうぞ聞き流して下さいと「馬耳東風」にしたのだ。
又、「馬の耳に念仏」という諺は日本発祥のもので、これも「馬耳東風」とまったく同意語である。
然し、私か尊敬する厩戸皇子は「馬の耳に風」という諺を残している。
ある心地よい春の一日、皇子は愛馬・黒駒に跨り、のんびりと春の野辺を散策していた時の事、ふと気が付くと愛馬は大切な御主人様の身に、
もしもの事があってはと油断なく周囲に気を配りつつ歩を進めているではないか、きっと馬は乗り手以上に周囲の事情を収集しているに違いないと、
情報の大切さを「馬の耳に風」という格言にして後世に残したのだ。
話しを本題にもどすと、厩戸皇子の「和を以て 貴しとなす」の文言は、前述の如く皇子の十七条憲法の書き出しの一行だが、
どうもこの文言だけが独り歩きしているきらいがある。
そこで、この第一条全文を改めて紹介すると、「一に曰く、和を以て貴しと為し、
忤ふこと無きを宗と為す。
人皆党有り、
亦達れる者少なし。是
を以て或は君父に順はず、乍ち隣里に違ふ。
然れども、上和ぎ下睦びて、
事を論ふに
諧うときは、則ち事理自ら通ふ。何事か成らざらむ」となっており、
「和」は何よりも大事なことだが、ともすれば人は我執に囚われがちで仲間内で固まって排他的になる傾向が強いと
「和」の難しさを説いている。
それに対し論語の「学而第一」では「和」について、
「有子曰く、礼の用は和を貴しと為す。先王の道斯れを美と為すも、
小大之に由れば、行はれざる所あり。和を知って和せども、
礼を以て之を節せざれば亦行はるべからず」と言う。世の中の規範である「礼」は和の心遣いがあってはじめて有用に働くもので、
大事も小事も総て規範を以て抑制しなければ世の道理は実現しない。
要するに和と礼の相互補足が大事なので、和の弱点を礼という規範で補う必要があるという。
一方憲法第一条は人は我執にとらわれがちで仲間内で固まって排他的にもなる、と人間の暗部を洞察することで自分自身の心を見つめることによって、
和の大切さを気付かせようとしたのではないだろうか、要するに反省から物事の本質に迫ってゆくように仕向ける、
考えようによってはこれが日本人の道徳観の根元のように思える。
昭和20年8月は
6日−広島原爆投下
8日−ソ連(ロシア)一方的に日ソ不可侵条約を破棄して日本に宣戦布告
9日−長崎原爆投下
15日−敗戦(月遅れのお盆)。
この昭和20年8月15日、信州の小諸に疎開していた高浜虚子は吟じた。
“敵という ものは今無し 秋の月”と。
毎夜の如く来襲するアメリカの爆撃機B−29に睡眠不足の目を擦りながら動労動員で品川の工場に通っていた私に、
「今夜からは空襲警報のサイレンで起こされずに済むから、ゆっ、くり御休み」と母から言われたのを、つい昨日のように思い出す。
あの時の表現し難い気持ちを、未だに戦火の絶えない国の人々に味わわせてあげたい。
昭和63年夏、比叡山で世界平和宗教サミットが開催された。その時の「平和の祈り」
「叫びが祈りでないごとく 沈黙も祈りではありません
祈りとは祈り念じ願い信ずること
それは必ず正しい行いとなって動き出します
総ての人々が心の奥底で祈り念じ
願い求めているものは平和平和 世界の平和です
世界で一番大きな祈りは 世界平和という祈りでございます」。
平和とは戦争をしないというだけではない。
広島に原爆が投下され、30万人近い何の罪もない一般市民が無残に殺されたその日を、日本は「広島平和記念日」とした。
ユネスコ憲章には「一人ひとりの心に、憎しみや、怒りや、怨みごとが燃え盛っていては、いつまでたっても平和は訪れない」と書かれている。
めいめいの心の波立ちが静まらぬ限り、この地球上に平和は絶対に訪れない。
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世紀の二度にわたる大戦に打ちのめされ、安定と共存を求めたはずの国際社会で、再び国家のエゴが強まっている。
米国のトランプ現象や英国の欧州連合離脱の背後に排他的、自国第一主義が見てとれ、この波紋は徐々に全世界に広がりつつある。
国際安全保障理事会による国際平和の理想は揺らいでいる。
世界平和の実現が如何に難しいか、だからといって手をこまねいていて、いいわけはない、
全人類は今こそあらゆる機会をとらえて世界平和実現の為に努力すべきだ。br>
その意味からも2020年の東京オリンピックは何としても勝利至上主義を廃し、
オリンピックの原点に立ち返り真の「平和の祭典」にすべきだと考える。
以上
(参考−月刊誌「致知」5月号)