山の芋、鰻となる
(2017年 7月号)

今月の25日は土用の丑の日。
 丑の日には夏負けしないようにと、鰻を食べて栄養をつける風習がある。
 然し、皮肉なことに我々の住む地球の温暖化は益々進む反面、ニホンウナギは国際自然保護連合から絶滅危惧種に指定され、 養殖に使う稚魚の年間上限量を21.7トンと規制されてしまった。
 我々日本人は今後どのようにしてこの暑い夏を乗り切ればいいのか。
 古代ローマの博物学者プリニウスは鰻がどうやって生まれるのか悩んだ末、「鰻は体を岩にこすり付けて、こそげ落ちた体の一部が子鰻になる」 と言っている。

 又、 中国の「本草綱目(ほんそうこうもく)」では鰻は他の生き物に子供を産ませる力があり、 雷魚や鯰、蛇にも子を産ませると書かれており、哲人アリストテレスは泥の中で自然発生すると考え、17世紀のオランダの科学者は、 なんと「5月の露」から生まれると記している。
 この様に鰻が卵を産むところを見たことのなかった昔の人々は洋の東西を問わずその繁殖法に想像を逞しゅうしてきた。
 そして日本でも「俳優茶話」という古書に、大井川の川上で山の芋が半分鰻になっている珍しい標本が手に入ったので、 見せ物にして大儲けしようとした人の話が出ているし、「東遊記」には近江の長浜で或る人が山芋を掘っていたら、その山芋の中から釣針が出たので、 この山芋こそ以前は鰻だったに違いないという噂が広がったと書かれている。
 恐らく、このような見てきたような嘘をつく輩のおかげで「山の芋、鰻となる」という俗言が生まれたのだろう。

鰻は皮膚で呼吸することができるため、大雨の降った後など陸上を這って移動し、今迄いなかった池や沼にも入り込むことができるため、 いろいろな憶測から異なる憶説が生まれたに違いない。
 今から60年以上前になるが、家内の従兄弟の一人が浅草の江戸時代から続く老舗の鰻屋の一人娘と結婚したのをいいことに、 当時まだ独身貴族だった私は勤め先が神田にあったので何度かその店の暖簾を潜ったことがあったが、 鰻を注文してから鰻の蒲焼にお目にかかるまで優に一時間はかかるので、 この店は客の注文を聞いてから鰻を獲りに行くのかと従兄弟をからかったことがあった。
 又ある時、鰻屋の筋向いにある有名な「駒形どじょう」の看板が目に入り、好奇心も手伝って、 つい泥鰌屋に入ったところを鰻屋の若い衆に見つかってしまったこと等、懐かしく思い出される。
 然し、その従兄弟は結婚後わずか数年で此の世を去り、それ以来残念なことに上等な鰻にお目にかかっていない。

やはり、柳の下にいつも泥鱈ならぬ鰻はいないとみえる。
 入江幹蔵の「鰻通」という本に、蜀山人が友人とある料亭にあかって山芋を食べたところ、ひどく高いのでその友人が怒りだした、 すると蜀山人は笑いながら、そんなに怒りたもうな、これが山芋でなく鰻だったら、 その倍も高くとられると言ったと書いてあるところをみると、その当時でも鰻はかなり高価だったようだ。
 「山芋鰻となる」とか「(かぶら)(うずら)となり山芋は鰻となる」という諺は、 物事があるはずのないような変化を遂げたとか、貧乏人が急に出世することの喩としてよく使われるが、ある寺の高僧の誉れ高い和尚さんが、 こっそり鰻を料理していたところを檀家の人に見つかってしまった。その時和尚、少しも騒がず、「世にはさまざまな不思議がござる。 これご覧ぜよ、汁にいたさんと貯えおきし山の芋が、かように鰻になり申した」と言ったと 醒睡笑(せいすいしょう)という古書に出ている。
 そうかと思うと「山の芋が鰻になる」に反発して「山の芋鰻にならず」と、此の世の中には人間の考え及ばないような変化なぞ起るわけがない、 という意味の諺や、「(はぜ)は飛んでも一代  鰻はのめっても一代」と鯊も鰻も異なった境遇に生まれているが、どちらも一代で終わる生であることに変りはない、 他人と自分の境遇の違いが気にかかっても、どうせ一代で終わる人生に変りはないと達観して生きる方が気が楽だ、というものもある。

然し、せっかく此の世に生をうけ、たった一度の大事な自分の人生を達観したり諦めたりせずに、 今は山の芋でもやがては鰻になってみせると発奮材料に使うべきだろう。
 その良い例が文化勲章受賞者で日本を代表する明治生まれの日本画の巨匠、橋本明治だ。
 彼は「百人百話」という本に「山の芋うなぎとなる」と題して、我が家の裏手に銭湯があった。そこに入浴に来る人達が、 通りすがりの私の部屋の中に、立てかけてあった私の絵を見て「あんな絵を描いて、 将来どんなものになるかわかったものではない」と嘲笑している声が耳に入った、それを聞いて私は辰年生まれだ、鰻と辰に共通点があるとすれば、 上昇のイメージだ、今に見ていろ、この山芋は必ず鰻となり、やがて竜となって天に昇ってみせる、と懸命に努力したと書いている。 そしてあの時の通行大の嘲笑の言葉を、他人の本音と聞き「なにくそ」と発憤していなければ山の芋は決して鰻にはなれなかったと思う。 そして今に見ていろ、私は必ず竜になってみせると、この「山の芋鰻となる」という諺を今でも自分の励みにしている、と結んでいる。

かくいう私も若千手おくれのきらいはあるが、この暑い夏にも挫けることなく、山芋から鰻に、そして竜になってみせる、 と橋本明治画伯を見習って頑張るとしよう。
 横山大観の最晩年の作に、一匹の竜が富士山の斜め右上を悠々と昇天してゆく素晴らしい日本画があったのを思い出した。
 きっとあの竜が大観自身なのだ。
   “山の芋 竜になろう”
                        以上